インターネットの普及で、個人情報が漏れる。その上にマイナンバーを国民全員に割り振っており、本当に個人情報はダダ漏れじゃないか。そのため皆がやることは「名簿」をつくらないことになってきて、結果、学校の連絡網は寸断されボランティアの委員も連絡が取れないし、自治会もだれが誰だかわからないっていうこともおきている。
地域が既に匿名社会になっていくことを食い止められない。それでも、電話での詐欺に引っかからないようにキャンペーンをしているのに、あの手この手で電話をかけてくる犯人に、大枚を大急ぎで振り込んでしまう。そういう老人が後を絶たないから切ない。
他方、個人が亡くなると、身内でさえも銀行口座からシャットアウトされる。その上に相続税の改変で、かなりの家族が相続税を払う事になるのに、銀行に残された遺産にアクセスができない、ということからイザコザが多々おきてしまうだろうなと思う。相続争いになるなら、いっそ地域に寄付してしまいたいという考えを持つ方も出てきそうである。
ネット上の相談では、マイナンバーを登録すると個人情報が出てしまい、それが俺オレ詐欺にも繋がるという弊害がでてきたりしないか、心配だと言う方の話が出ていて、それやこれやネット検索してみたところです。ホリエモンは百科事典を読むのが面白くなり、父親が買ってくれた全巻を読破したのだかとの逸話があり、その彼が東大に入学した基礎は百科事典の読書にあったのか〜、と思ったりしましたが。今は誰かがタダで答えてくれて、この頃はスペースを食う百科事典を置く事はないのでしょうね。
つまり、インターネットは情報を居ながらに海外まで即時に調べられ、画像、音声も享受できるのは得難い公共性でもありますが、問題視されるところもあるのです。平凡社の百科事典を大枚出して買うこともいらない、ネットで無料で(Wikiではカンパを募っていますが)、それなりに情報の信憑性も拡充してきています。
そこで行政では、通達文などに西暦でなく元号を使うのはなぜかと思うところもありましたので、元号に関するQ&Aがネット上にあったので、元号使用の経緯をチェックしてみると、次のネット上での公開質問への答えからすると、天皇を敬う(崇拝ではなくて)慣習が、庶民の生活にも浸み込んで(溶け込んでともいうけれど)いって生活の一部、習しとなったのでしょう。
兎も角、知ることは面白い、知的好奇心は悪くないものです。
Qestion
昭和元年はいつからか?
Answer。。。。。
昭和天皇崩御の翌日から元号が変わった平成と違って、昭和は大正天皇が崩御した瞬間から今上天皇も変わったとされます。つまり、その時の判断では12月25日の一世一元の詔(1人の天皇に1つの元号)に基づき崩御した日に元号も変えています。
昭和から平成になったときは1月7日に元号を決定し閣議を経て8日施行となりました。
閣議〜施行という手順は現在の法律(元号法)に基づいたのです。
一方、昭和元年の時の元号施行は、戦前の旧皇室典範によって行われ施行されています。
この旧皇室典範は、当然ながら戦後の日本国憲法の施行によって廃止されましたので、元号そのものも一旦は法律から消えたはずでした。しかしながら、その後も公的文書などでは慣例的に元号表記が行われていたこと、昭和天皇の高齢化、日本人の90%近くの人が元号を使用していた状況から、昭和54年に国会で元号法が成立しその年の12月に公布し即日施行されました。「平成」の元号決定〜施行はこの法律によって正式決定し施行されたものです。
従って崩御後の元号決定〜施行に至る経緯は、昭和の法律であっても、国の体制が異なっていたため1日の扱いが違ったということです。
2010年が寅年なので84年前(84=12x7)の1926年(大正15年)が寅年です。年の途中で年号が変わったときは、その年全体を例えば「大正15年イコール昭和元年」という見方も出来ますので、自称として「昭和元年生まれ」と称しても、間違いではないとも言えますが、役所の書類のような正式のものでは、1926年の正月生まれを昭和元年は通じない話か、と言う程度のことです。
つまり、「大正15年1月1日生まれ」は1926年、その年は寅年を基準で考えたときには「昭和1年12月25日生まれ」は1927年であります、昭和1年1月1日生まれの人はないとなります。