10年前2月20日に、武満徹が65歳でなくなった。世界的な日本人作曲家であるが、作曲を師事したのは清瀬保二(柳兼子が好んで取り上げた作曲家)だったがほとんど、独学といえる独創的な音を創りつづけた天才だ。
武満は、純音楽においても邦楽器による作品を手がけるようになった。そのきっかけは、小沢征爾もかかわっていたようで、最初の作品である『エクリプス』(1966年)は琵琶と尺八という、伝統的な邦楽ではありえない楽器の組み合わせによる二重奏曲であったことを紹介する映像が残っている(下記)。この『エクリプス』はアメリカで活動中の小澤征爾を通じてニューヨーク・フィル音楽監督レナード・バーンスタインに伝えられ、このことから、同団の125周年記念の作品が委嘱されることとなった。こうしてできあがった曲が、琵琶と尺八とオーケストラによる『ノヴェンバー・ステップス』(1967年)である。この作品を契機として武満作品はアメリカ・カナダを中心に海外で多く取り上げられるようになった。
政治にも関心が深く、1960年代の安保闘争の折には「若い日本の会」や草月で開かれた「民主主義を守る音楽家の集い」などに加わり武満自身もデモ活動に参加していた。1970年代には、スト権ストを支持したことがある。また、湾岸戦争(1991年)の際には、報道番組における音楽の使われ方に対して警鐘を鳴らし、報道番組は、音楽を使うべきではないと論じた。一方で音楽による政治参画については否定的だったようで、1970年代、自身も参加した音楽グループ「トランソニック」の季刊誌上で見解を示した。
保守的なことで知られるウィーン・フィルによってもその作品は演奏され、その死は、多くの演奏家から惜しまれた。ショット社の公表では、没後武満の作品の演奏回数は1年で1000回を越えた。(出典:日本の作曲20世紀)