今から10年前、2006年の時点で、中国は多数の外国人旅行者を受け入れて、1位のフランス、2位のスペインに続く3位の地位をアメリカやイタリアと競っている。ところがどうであろう、日本の国際観光の現状は、きわめて低調だった。
海外へ行く日本人旅行者の数は1680万人(2004年)、人口が1億2800万人(世界10位)であることを考えると世界の平均的な出国数をやや上回っていた。ところが、外国人旅行者を受け入れる方は、614万人(2004年)に過ぎず、受け入れる数の世界ランキングでいえば30位以下である。なんと人口が日本の半数以下である韓国にも及ばないものだったので、海津にいなとしては驚愕した。ここに目をつければ、外貨の獲得にもなる、貿易立国で摩擦をおこしてきたことを思へば、観光で外貨を得るのは一手ではないか。しかも、国連のスローガン「観光は平和へのパスポート」というのもいい言葉だ。
外国人旅行者の数が極端に少ないということは、端的にいえば、世界は日本のことをほとんど知らないということだ。例えば、パリの街角で人々に日本に行ったことがあるかと問えば、ほとんどの人々が行ったことはないと答え、日本のことを知っているかと聞いても断片的な知識が返ってくる、昔話だが「日本人は、魚をナマで食べるんだってね」と訝しい目で見られた。寿司がワールドワイドに珍重され、和食が世界遺産認定される前の話だから、今では笑い話だ。
世界の人々の多くが、日本人がどのような世界観の下でどのように暮らしているのかを知らないということは、国の長期的な安全保障に関わる由々しい事態といわなければならない。そこで、小泉政権となってから、観光立国を標榜し、国際観光の振興、とりわけ外国人旅行者の受け入れに積極的に取り組んできた。2002年には国土交通大臣を観光立国担当大臣に任命、国際観光振興のための予算を増額して、外国人旅行者を2010年には1千万人に増やすために、多彩なプログラムからなるビジット・ジャパン・キャンペーンを展開している。
他方、1964年の東京オリンピックは、日本が戦後の荒廃から立ち直り、世界の檜舞台に再登場した瞬間であった。日本は東京オリンピックを契機に、東海道新幹線に表象されるような高い技術水準が世界に認知され、その後高度経済成長を実現するに至った。当時の東京の都市計画は、景観の破壊など功罪半ばする面があったものの、2回目のオリンピックにおいては、持続可能な発展を希求する成熟都市としての新しい東京の新しいあり方を提示すべきだ。
2016年、オリンピックで海外から人々が日本に向かってやってくる、この時に我孫子も世界に知ってもらいたい。ワールドワイドに照準を合わせることによって、世界の中の田園都市としての我孫子が、スポーツと文化の振興の分野で、世界とりわけ開発途上国の若い世代の人々に対して、日本の地域文化を維持する市民の高い志を改めて示したいものです。