2016年01月31日

新年の交流会

市民活動ネットワークの団体の勉強会と新年の交流会がありました。
開講一番に市長から、最近の人口減少対策にいどまれている話があり、講師からは柏NPO活動がどのように地元の大学(東大)と連携しているかなどをお話し下さいました。
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我孫子は市民活動が熱心に展開していると言われるものの、現状の課題には、「世代交代が出来ない」「高齢化」などが出ていました。確かに見回すと、私を含め、その感は否めないかもしれません。やる気も実績もたっぷりの皆さんの顔は何のそのでしたが・・・。

今回、珍しかったのは、ひとしきりの講話のあとの、休憩を挟んでの第二幕です。テーブルを並べ替え、そこに手作り、心づくしが並んでたことです。白菜の漬物やらおでんも、昨日から煮込んでこの日の為にと関係者の手作りというのはちょっと凄い、ホッとあったまる品々、さすが〜 ♪ 和気あいあいな雰囲気になりました。

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参加、交流するって、思わぬ発展があるから、市民活動には重要な新年の事始めだと思った次第です。

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2016年01月30日

市民意見交換会へおいでください

我孫子に住まう皆様へ

行政と議会に目を向ける市民の会が計画した「我孫子市議会議員と市民の意見交換会」への参加要請があり、急きょ場所を取って、日時が来月7日にきまりました。
お話の内容は、各議員の選挙公約について、ご説明するというのが今回の趣旨です。
なにぶん、本日PDFファイルの通知文が届きましたので、主宰者側も十分にお知らせする時間がないままですので、このブログを拡散しておよびかけください。もちろん、18歳未満の方の参加も大歓迎です!!!

開催日時 平成28年2月7日(日)14:00〜16:00
開催場所 我孫子北近隣センター 多目的ホール
出席議員 海津にいな、坂巻宗男、芹澤正子、日暮俊一
(あいうえお順で15分以内の発言となっています)

当日には、「にいなレポート・新春号」も持参します。12月議会の質疑と3月議会の予算案について、記載しています。ポスティング、駅頭活動などで配布しております。また、下記にご連絡くださればお届けします。

  Fax/Tel 7184-9828
   Email ninakaizu(@)gmail.com

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駅頭でも、「にいなレポート」と意見交換会の案内を配っています。

下記をクリックすると第二、第三会場での内容もわかります。
20160130 意見交換会の案内.pdf


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2016年01月29日

Ap通信による、フィリピン訪問の報道

フィリピンを訪問中の天皇皇后両陛下はアキノ大統領との会見後、両陛下はマニラ中心部のリサール公園にあるフィリピン独立運動の英雄ホセ・リサールの記念碑を訪れ花輪をささげられた。27日、マニラのマラカニアン宮殿でフィリピンのアキノ大統領らに出迎えられ歓迎式典や会見に臨まれた。

大統領の晩餐会で陛下は、太平洋戦争でフィリピン側が受けた被害について触れ、「日本人が決して忘れてはならないことであり、私どもはこのことを深く心に置き、旅の日々を過ごすつもりです」と述べられたようです。実は、フィリピン訪問で元慰安婦のフィリピン人女性たちが抗議集会を開いていたが、日本へは報道機関がとりあげていない。

Ap通信では
元慰安婦のフィリピン人女性は、「我々のメッセージは、日本が韓国の元従軍慰安婦問題の支援に合意したのなら、フィリピンの元慰安婦はどうするのですか?ということです。我々も犠牲者であるので、日本は我々にも対応しなければなりません。」と話している様子を取り上げている。

両陛下は30日に日本へ帰国される。

出典:
AP通信(1月27日)
※【映像】http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160127-00010000-aptsushinv-asia


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2016年01月28日

日韓の架け橋に 韓国人留学生の勇気

JR新大久保駅(新宿区)で2001年、ホームから線路に落ちた男性を助けようとして、韓国人留学生の李秀賢イスヒョンさん(当時26歳)が亡くなった事故から26日で15年となった。李さんの父・李盛大イソンデさん(76)と母・辛潤賛シンユンチャンさん(66)が来日し、駅階段に設置された慰霊碑に献花し、ホームで黙とうした。

 盛大さんは「日韓関係が悪化していた頃、息子は天国で心を痛めていただろう。現在は雪解けに向かっており、さらに良くなることを望んでいる」と語り、潤賛さんは「息子の尊い犠牲は、日韓の懸け橋となった」と強調した。

 この日は、国際交流基金(同区)が毎年この時期に日本に招いている韓国の高校生20人も慰霊碑に花を手向けた。高2のチョン・ダソルさん(17)は「15年たっても日本の多くの人が李さんの勇気を覚えている。私も李さんのような行動ができるようになりたい」と話した。

出典:読売 ON LINE 1/27
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2016年01月27日

「ホセ・リサールとおせいさん」の恋物語

 天皇皇后両陛下がフィリピンを訪問されている、日比国交60周年は、中韓との関係より長く、より親蜜だといえます。戦後71年。屈指の激戦地であり、 約51万8000人の日本人戦没者の「比島戦没者の碑」があります。両陛下はそこにお参りされることになったが、その前にフィリピンの「無名戦士の墓」のある英雄墓地を27日に訪れました。日比の関係は、フィリピン独立の英雄・ホセ・リサール記念碑が日比谷通りに面し日比谷交差点交番から30メートルの公園内にあることからも、戦後は友好の歴史を築いてきました。
  
 ところで、海津にいなが初めて訪れた外国は、フィリピンでした。友人の知り合いが青年海外協力隊として、イロイロ島で水産業の調査研究に行っていたので、一緒に訪ねました。マニラには私のペンパルがいたので、彼女と彼女の友達とも会いました。そして、マニラにあるホセ・リサール記念館も見学しました。ホセ・リサール博士の像は日本リサール協会 が1961年6月に建立したということでした。そして、記念会の内部を見学して、驚いたことは、日本女性の肖像画が掛けられていたのです。リサールが結婚を望みながらも、革命の為に恋をすてることに・・・。このことがあるため、フィリピンは特に激戦地でありながら、アジアの中では親日的と言われるのかもしれません。もう少し、ホセ・リサールの事を紹介してみましょう。

 ホセ・リサールは母方に日本人の血が流れていて、1888(明治21)年2月29日、ヨーロッパに向かう亡命の旅の途中、日本に立ち寄っています。 リサールはその 前年、マドリード大学で医学を学ぶかたわら、スペインとカトリック教会を批判した小説をヨーロッパで発表し、スペイン政府から反逆の書として激しく非難されます。フィリピンに帰ったリサールを待っていたのは、小説の発禁と国外追放の命令です。

 日本にはごく短期間、逗留する予定でしたが、2、3日ですっかり日本の魅力に取りつかれ、出発を先延ばしします。そこで出会ったのが「おせいさん」こと臼井勢似子さんです。維新で没落したとはいえ、江戸旗本の武家育ちで、つつましく、編み物と絵画を得意とし、英語とフランス語を学んでいました。
 22カ国語に精通していたという語学の天才・リサールは、たちまち日本語を覚え、彼女に早春の東京や日光、箱根などを案内して貰ったりしました。

 「日本人は温順、平和、勤勉で将来ある国民である」「日本とフィリピンとは緊密な交渉を持たねばならないだろう」などと、本国の家族や友人への手紙や日記に書き残していています。

 またリサールは歌舞伎で見た忠臣蔵に感動を覚えます。身を捨てても、主君のために尽くす浪士たちの行動に、わが身をおきかえて共感したようです。また、おせいさんの方も、兄が彰義隊に加わり、上野で戦死しているということがあって、独立の志士として不遇な状況にあるリサールに深い同情の念を抱きました。こうして27歳のフィリピン青年は、日本とおせいさんにすっかり魅了されてしまいます。

 一方で、こうした事情からスペイン公使館から、日本に開業医として残って欲しいという要請も受けています。心の通うおせいさんとともに、この国に留まりたいという気持ちが湧いたのも当然でしょう。しかし、故郷や世界各地にはフィリピン独立のために、自分を待っている同志がたくさんいます。断腸の思いで、彼は当初の計画どおりヨーロッパに向かう決心をします。

 4月12日、横浜港からの出発を明日に控えて、リサールはおせいさんとの別れの一時を、目黒のあるお寺で過ごします。おせいさんも武士の娘、リサールの志を察して、別れの覚悟は固めていました。おせいさんと別れた晩、リサールは次のような手記を残しています。

 日本は私を魅了してしまった。美しい風景と、
  花と、樹木と、そして平和で勇敢で愛嬌ある国民よ!
  おせいさん よ、さようなら、さようなら。・・・
  思えば私はこの生活をあとにして、不安と未知に向かって旅立とうとしているのだ。
  この日本で、私にたやすく愛と尊敬の生活ができる道が申し出されているのに。
  私の青春の思い出の最後の一章をあなたに捧げます。
  どんな女性も、あなたのように私を愛してはくれなかった。
  どの女性も、あなたのように献身的ではなかった。・・・
  もうやめよう。みんなおしまいになってしまった。 さようなら・・ さようなら・・

 ヨーロッパに渡ったリサールは、2冊目の小説「反逆者」を発表し、フィリピンでの独立活動家の機関誌にも投稿を続けます。1892年には家族や友人の反対を押し切って祖国に戻りますが、逮捕され、ミンダナオ島に流刑されます。

 4年間の流刑を終えてマニラに戻った彼を待ち受けていたは、そのころ激化していた独立勢力の武装蜂起を教唆したとして、名ばかりの裁判を受け、銃殺刑に処せられるという末路でした。1896年12月30日の朝、35歳のホセ・リサールはスペイン兵士の放った銃弾に倒れます。「最後の訣別」は、フィリピン独立に挺身する人々に永く愛唱され続けます。12月30日は独立の英雄であり、国父であるリサールの死を悼む日として、今も国家による儀式が行われています。

 リサールが銃殺された2年後の1898年4月25日、スペインとアメリカとの間で米西戦争が勃発します。「フィリピン革命軍を援助する」と宣言したアメリカ軍は、極東艦隊でスペイン艦隊を撃破してマニラ湾に入り、民衆はアメリカ軍を歓呼して迎えます。そして、米国が支配者に・・・

 現在、リサール記念館が建てられている、イントラム ロスは、リサールが処刑までの最期の日々を過ごした要塞だったとこです。リサールは今もフィリピンの人々を見つめ続けているのです。



つづき
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2016年01月26日

「物語の生まれるまち我孫子」へようこそ


我孫子市の魅力を紹介する映像「物語の生まれるまち我孫子」が、インターネットの動画サイト「ユーチューブ」の「あびこの魅力発信チャンネル」で公開されている。イメージアップによる来訪者と移住、転入者の増加が狙い。制作費には国の地方創生交付金450万円を活用した。

 少女がスケッチ帳に描いた市の鳥「オオバン」が大空に飛び立ち、バイオリンのメロディーに乗って、手賀沼など美しい自然の中を飛行する約5分間の作品。字幕が日本語、英語、中国語の3バージョン用意されたほのぼのとする映像だ。

 昨年4月、「春」のシーンから撮影をスタート。ドローンの空撮などで、季節それぞれの我孫子の姿を映像に収めた。カヌー、ヨット、自転車、ランニングのシーンもあり、手賀沼カヌークラブなど市内4団体のメンバーがボランティアで出演している。

 主役の少女はオーディションで選ばれた我孫子第三小学校6年の菊池杏奈さん(12)が務めた。音楽は市のPRに協力する5弦バイオリン奏者、竜馬さんが担当した。


出典:産経新聞1/26
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2016年01月25日

琴奨菊、日本人力士として10年ぶりの優勝杯

千秋楽で、NHK総合の相撲の生中継(午後5〜6時)が平均視聴率24・0%を記録したことが25日、ビデオリサーチの調べで分かりました。瞬間最高視聴率は午後5時27分の29・2%。琴奨菊が祝福されながら花道を引き揚げる場面でした。

新大関の11年26場所目での初優勝は、昭和以降の相撲歴史上、最も遅い初優勝です。昇進場所当初は9連勝をあげるなど、大きな期待をよせましたが、12年の秋場所では左膝じん帯損傷し、13年九州場所でも右大胸筋断裂など大ケガが相次ぎ、ライバルである稀勢の里が注目されはじめ、ファンの気持ちも離れていきます。

転機は名古屋場所でおきます。昨年7月、5度目のカド番で迎えた12日目で5勝7敗。度重なるケガで稽古もままならず、思うように結果が出ない日々が続いていました。そのころ大関・琴奨菊は「相撲をやめよう」と一度は引退を考えていたと話します。しかし、そんな苦境でも踏ん張れたのは祐未夫人の存在があったのでした。「今は孤独な闘いじゃない。一緒に闘ってくれる人がいる!」新妻は食事にけがのない体つくりにと協力してくれて、悲しい思いをさせたくないその一心で大関・琴奨菊は、勝ちに徹する相撲に専念します。

7勝7敗の千秋楽、琴奨菊は新大関の照ノ富士に勝ち大関残留を決めると、体幹と下半身のトレーニングに、メンタルトレーニングも加え、祐未夫人の栄養バランスの考え抜かれた食事に支えられました。そして、26場所での悲願の初優勝を勝ち取ります。今月30日の自信の誕生日と二人三脚でともに歩んだ祐未夫人との結婚披露宴へ最高の花を添えることになりました。

「15日間、自分の相撲を取り切れば結果が出ることが分かった。また優勝を目指して、一つ上の地位もある。頑張りたい。」どんなときも支えてくれる最愛、最強、才色兼備といわれるパートナー裕未夫人、松戸にある佐渡ケ嶽部屋の稽古場が久々に取材で活気づく。こうでなくちゃ!

ところで、佐渡ヶ嶽部屋には琴欧州も所属する、優勝パレードには市議会から特別予算がつくのだとか松戸の市議が話していた。松戸では街を歩いていたり、駅などで力士に出会うこともしばしばです。

そういう海津にいなは相撲ファン。子供のころから、相撲好きの父と一緒になんだかテレビで見ていたから。部活で卓球部にはいったのも、父と旅館で卓球をやったのが楽しかったからかもしれない。テニスも好きだったけれど、むかしは近所にテニスコートがなかった。これだけでも親の影響は計り知れないのだなあと・・・。


追記
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2016年01月24日

イマジン

平和台病院の中にイマジンというレストランがある。
Imagine と名付けたのだから、オーナーはどうもThe Beatlesファンらしい。文字のロゴデザインが、ジョン・レノンの筆跡になっていると分かるものだ❤

で、往年のビートルズファン(ビートルズシネクラブのメンバーだった)である海津にいな(当時は旧姓だが)は、リバプールまで行ったくらいだから、時折、ここで食べてみたくなって寄ることがある。

かつては平和台病院の最上階にあったが、今は別棟一階に移転した。院内の掲示板にはいろいろな地域情報が貼りだしてあった。で、この病院ではJICAのプログラムに協力して外国人の研修生を相当数受け入れてきたも知った。さすが、オーナーの人柄、ゆかしい方だとおもう。

そこで、皆さまにも、パチリとしてきた撮れたて情報をお裾わけしましょう。
布佐のギャラリー案内などもあり、異業種間交流の意識がまたまたいい。クリックすると拡大できるのでご覧ください。

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*各画像をクリックすると拡大

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2016年01月23日

『一〇三歳になってわかったこと』

 美術家の篠田桃紅さんは若竹のようでいらっしゃる。TVで拝見したが、背がすらりと高いしゃっきりとした着物姿の桃紅さん。写真の桃紅さんの横顔は、やはりきりりと若竹の感じがした。渋い利休ねずみのような色合いの着物姿。103歳になられたことに正直おどろき。

 生涯、家族を持つことなく独身を貫かれてきた桃紅さんは、どこの美術家団体にも所属することなく自由に仕事をされてきた。その桃紅さんが100歳となり、自由の範囲が無限に広がったように思うと書いていらっしゃるのだった。「この歳になると、誰とも対立することはありませんし、誰も私とは対立したくない。百歳はこの世の治外法権です」とある。治外法権とは大変ユーモラスなたとえのように思う。
年齢に畏れず、美を追求し続けられる、こんな仙女のような人が世界から憧憬をもって見つめられている人が日本に居るというのも、凄い有難いことだ。

本の内容(2015出版、45万部のベストセラー!)
第一章 100歳になってわかったこと
・百歳はこの世の治外法権
・古代の「人」は一人で立っていた
・いい加減はすばらしい
第二章 何歳からでも始められる
・頼らずに、自分の目で見る
・規則正しい毎日から自分を解放する
・1+1が10になる生き方
第三章 自分の心のままに生きる
・自分が一切である
・危険やトラブルを察知、上手に避ける
・あらゆる人に平等で美しい
第四章 昔も今も生かされている
・よき友は、自分のなかで生きている
・悩み苦しむ心を救った日本の文学
・唯我独尊に生きる

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2016年01月22日

法制局長官、憲法解釈議論記録不作成認める

 一昨年の集団的自衛権行使容認に伴う憲法解釈変更を巡り、内閣法制局が検討過程を公文書に残していなかった問題について21日、横畠裕介長官が初めて見解を明らかにた。法制局内での議論を記録していないことを認めた。参院決算委員会で江崎孝議員(民主)の質問に答えた。

 横畠氏はその上で「議事録のような形で残す性質のものではないと考えている」と述べた。その理由については「憲法の条文や国会の議事録などを下敷きに、新しい考え方をどう整理するかという議論で、中身は昨年の国会で説明した」と答えた。

 公文書管理法は、行政機関自身に閣議決定や法令制定の経緯を検証可能な形で記録するよう義務づけている。江崎氏は同法に違反するのではないかとただしたが、横畠氏は「正式に照会があった後の決裁文書は残しており、公文書管理法に基づいて適正に管理している」と答弁した。

 安倍内閣が集団的自衛権行使容認を決めた閣議前日の2014年6月30日、内閣官房国家安全保障局は法制局に、憲法解釈の変更を含んだ閣議決定案文の検討を依頼。法制局の担当参事官は翌7月1日に「意見はない」と電話で回答した。この際、参事官は横畠氏らに決裁を求める文書を作成した。横畠氏の言う「決裁文書」はこれにあたる。

 だが、法制局と国家安全保障局の担当者が6月30日以前に意見交換していたことを、政府は認めている。与党関係者によれば、横畠氏自身も高村正彦・自民党副総裁らと非公式に面会し、事前に憲法解釈変更に合意していたという。こうした意見交換や面会の内容を記録した公文書は、法制局には残されていない。

 毎日新聞がこの問題を昨年9月に初めて報じる際、横畠氏に取材を申し込んだが「その内容の取材には応じない」と法制局総務課を通じて回答し、応じなかった。


出典:
毎日新聞【日下部聡】 1月21日(木)21時0分配信


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2016年01月21日

バズーカ第三弾の威力発揮を

年初からリスクオフの波が押し寄せ、円高・株安が止まらない。20日には一時116円を割り込み、1年ぶりに115円台へ突入した。

12月の日銀短観によると、2015年度の企業のドル/円想定為替レートは、大企業・製造業で年間119.40円、下期は118.00円となっている。現在の水準は下期水準を割り込んでいるが、1─2円程度の円高であり、企業業績に与える影響も限定的だ。」外資系投信ストラテジストは「現時点で日銀追加緩和の必要性が高まっているわけではないという。

 しかし、昨年末に120円半ばだったドル/円は、わずか2週間で4円以上水準を切り下げた。来週末の日銀金融政策決定会合に向けて再び115円方向に下押し圧力が加わることになれば、「政府・日銀も1カ月で5円近く円高が進むことをスピードとして許容できないところがある」(邦銀)として政策期待が高まりやすい。

 ドル/円は、日経平均株価<.N225>にのような大崩れはしていないものの、投機筋のポジションはすでに第2次安倍内閣発足後初の円買い越しに転じた。日銀追加緩和でも円安が進まなかった場合、アベノミクス政策は大きな岐路に立つことになる。


 チャートでみると、昨年1月16日に付けた年間安値115.85円、14年12月16日の115.56円が下値めどとして意識されている。それらをすべて下抜け、心理的節目の115円も割り込んだ場合は、しばらく節目が見当たらない。 問題は、実際に追加緩和を実施した場合、これまでのように円安を促す効果があるのか、市場でも疑問視する声が出ていることだ。

 その他にドル側の理由だ。ドル高/円安予想を支えているのは、米国の利上げが継続され、日米金利差が開くとの見方だった。だが、世界経済の減速懸念が強まる中で、12月米小売売上高などがさえず「市場の唯一の心の支え」(バークレイズ銀行の為替ストラテジスト、門田真一郎氏)であった堅調な米経済見通しが揺らいでいる。

 さらに足元のリスクオフは中国や中東(原油安)が起点となっている。甘利明経済再生相は「日本の努力でどうにもならない部分がある」(19日の会見)と言う。

2013年4月4日に決定され、「バズーカ」と呼ばれたQQE第1弾は、ドル/円を93円から103円まで約1カ月半で約10円押し上げた。2014年10月31日の第2弾の時も、109円から121円まで約1カ月で約12円上昇した。しかし、今回、「逆風」が吹き荒れるなかで、ドル/円を115円付近から125円まで押し上げるのは容易ではない。今回、追加緩和を行ったことで「打ち止め感」によって警戒感が強まる場合が難題だ。

追加緩和のメニューとして、市場が予想しているのは、国債買い入れ額増額、国債買い入れ平均残存年限延長、ETF(指数連動型上場投資信託)やJ─REITの買い入れ増額、など。しかし、国債保有の年間増加ペース80兆円を仮に100兆円に増額すれば、償還分の乗り換えも含めると140兆円の買い入れが必要になる。来年度のカレンダーベースの国債発行額(短期国債除く)は122兆円程度の予定であり、大幅に上回る。銀行など金融機関が国債を売却しなければ、達成は容易ではない。

 とはいえ、国債の代わりにETFなどリスク資産の買い入れ額を増額させても「国債買い入れ限界説」が強まりかねない。黒田東彦総裁はこれまで付利引き下げやマイナス金利導入などは否定的だったので、矛盾を生じさせ、これも「限界説」をあおる可能性がある。どう手綱さばきをするか、世界も祈るように注目するなかで転んではならないのである。


出典:ロイター(杉山健太郎 編集:伊賀大記)
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2016年01月20日

稲田朋美氏(行革担当大臣当時)、政府の従軍慰安婦制度についての公式見解

2013/05/24の時点で行政改革担当大臣であった、稲田朋美(現・自由民主党政務調査会長)が定例会見において、従軍慰安婦制度について「戦時中、合法であったことは事実」との公式見解を発表している映像がありますと、メールで教えてくれた方がいた。 (下記URL 10:00-13:00分間あたり)
http://iwj.co.jp/wj/open/archives/81090

概要:
「戦時中、慰安婦制度は、悲しいことではあるけれども、合法であったということは事実だと思う」――先日、橋下徹大阪市長の慰安婦をめぐる一連の発言に関して「慰安婦制度は女性に対する重大な人権侵害だ」と述べた稲田朋美行政改革担当大臣は、この日の定例会見で、戦時中、従軍慰安婦制度は合法だったとの見方を示した。

 稲田大臣は「合法だという言い方をすると、人権侵害ではないと受け止められるかもしれない。しかし、今であろうと戦時中であろうと、(慰安婦制度が)女性に対する人権侵害であることに変わりはない」と語り、慰安婦制度は合法でありつつも女性の人権を犯すものであるとの見解を示したもの。

こうした、公式発言をインターネットで記録されて、再考できるのだから、まして与党の国会議員は国際的にも信頼される、誠実な意見を積み重ねていっていただきたい。過去の日本の戦地ばかりでなく、現在も世界でおきる戦争、紛争で女性たちが凌辱され、現実を直視して歴史認識をしっかりもって、正していっていただきたい。

稲田氏は、毎日新聞と朝日新聞、本多勝一さんらを相手取った裁判で「私は政治には全然興味がなかったんですけど、嘘のことで日本の名誉が毀損されているという状況を何とかしたいと思ったんですね。」と述べている。郵政解散のちょうど2週間ほど前に、自民党で百人斬りの話を講演する機会があり、そこにいた安倍晋三(当時)幹事長代理の目に留まり、政治家になった経緯がある。全国後援会(資金管理団体)「ともみ組」の会長は渡部昇一氏となっている。(Wikipedia)

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2016年01月19日

日本文化が今こそ面白い

サッカーの名選手だった中田英寿氏は最近は、日本文化の伝道師となって、講演会、イベントで活躍中です。

最近は、日本酒を海外に紹介する活動もしているという事で、次のようなインタビューでの言葉が目に留まった。
>>>>>>

自分しかできないことを見つけることと、自分が好きなことを見つけること。そのふたつを同時にやること。みんな「それ難しいよ」って言うんですけど、難しいからやるんじゃないのって思うんですよね。好きなことを見つけるというのは難しいですよ、当然。だって、好きな人を見つけるのって難しいでしょ。

Q―確かに難しいですね。

なんで人を見つけるときにはみんな努力するのに、自分が好きなこと、やりたいことを見つけるために努力をしないのか、僕には意味がわからない。努力というのはちょっと変な言葉で、嫌いなことに対してやるのが努力だと思うんですよ。好きなことは別に努力しない。だから僕は努力というのをあんまりしたことがなくて、好きなことしかやらない。だけども、好きなことであれば誰よりも一生懸命やる。
だから、夢をかなえるということよりも、どうやって自分が楽しい生活を送るか、楽しい日々を送るか。「楽しい」を作るためには、自分を追い込まなきゃだめで、それは海外であろうと日本であろうとかわらない。行く場所によって今までの自分のやり方と違うやり方をする人たちもいっぱいいるけど、そんなことにいちいち理由をつけてたら何も進まない。この国のシステムがこうだからとか、この会社がこうだからとか、この人がこうだからと言いがちになるけど、それを前提として、まずは自分を考えることだと僕は思います。(了)

>>>>
そうかもしれない、だから柳宗悦も兼子も、我孫子に来てからつながりを持った人たちとの中で始まった、民衆の生活の中にある美=民藝の意義を体系化して世に認識させるために、自分たちを追いこんでしまうようにも見える事にも、果敢にやり続けられたのだと、合点がいってきた。

そろそろ、私の論文にも明るい春の兆しが先が見えてきそうだと今日は、なんだか気持ちが久々に軽くなった。この一年は暗中模索だったから・・・・。

ひょっとして、我孫子の景観は柳宗悦がいっていた、レオナルドーの自然観とつながるSomethingがあったのかもしれない、などと思えてきた!!

乞うご期待、そして、もし民藝や柳宗悦、白樺にも関心のある方は、もう一つのブログもご覧ください。

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2016年01月18日

なんなのだろうか、公選ハガキ問題

 我孫子市議会を巻き込んだ2015県議選「公選ハガキ」について、裁判になったが、それが急転直下取り下げとなったなどと、私のところへもメールやら、飛び交っている。

 確かに、私も公選ハガキを出すので、名簿には気を使う。宛名の「本人が亡くなっています」と1,2件はお叱りの電話や手紙を頂くことになって反省する。市議選の公選ハガキの数は2000人上限だが、それでも転居や生存までも全部把握できないのが実態で、お詫びを申し上げて頭を深く垂れるしかない。ところが、今回の場合は、公選ハガキの推薦者とした方が亡くなっていたのを未確認だったというところから、話はややっこしくなっている。

 まずは、そのご当人の水野ゆうき県議の弁明が書かれている、ブログでは・・・

 8000枚の公選ハガキにミスが1枚あったということで、当選後に注意を受けた。その「公選ハガキの1枚のミス」というのは、亡くなった奥様の名前が推薦人欄に書かれた1枚だった、というのだ。ハガキを作成したスタッフに確認したが、「絶対にミスは考えられない」とのことだった。

 県議のブログによると、「慎重を期すためも、著者(水野ゆうき)は、父(選挙責任者)、母(ハガキ管理者)、豊島我孫子市議(市議時代一緒に会派を組んでいた先輩)他1名を伴って、氏に確認するため、大学へ赴いた。

2015/8/22 http://blogos.com/article/129548/

 こうなるまでの相当な対立の図式は県議選が終わって、我孫子市議会での議員からの質疑で始まった。水野県議の公選ハガキの扱いについて、選挙管理委員会に違反性云々で質疑した。県議となった水野氏が市議会に対して議会質疑のデータの削除を求め、さらには名誉棄損裁判にも展開し・・・・

2015.9.15 http://demosthenesz.blog.fc2.com/blog-entry-47.html

 ネット選挙を得意とする「美しすぎる市議」として雑誌、新聞、TVでも評判だが、さすがにSNSの使い手であって行動力も凄いと当選に感心した。そして、この事件によって、県議選ではネットを使いこなすだけでなくご本人が8000枚の公選ハガキまでも出すことをしていたことに、驚愕した。かくゆう私も、8000枚の公選ハガキを出すという経験をしたが、2か月程度でそれだけの名簿を集めていたとは考えにくい、その以前から強い気持ちがあって準備はしていたのだろう。市議選などは2000枚を上限に発送していいことになっているが、それですら初戦の時は対応できない候補者は多い。国政選挙に出馬した友人(女性)の選挙事務所に手伝いに行ったこともあるが、万を超える数のハガキを出すので、宛先不明で戻ってくる数も積み上げると50センチの高さになって半端ではなかった。

 水野氏の場合、かつて「政治の師匠」と呼んだ方を不本意にも巻き込んで、非礼をすることになったのもご本人は悔んでいることだろう。政治の道を選ばなければ、起きなかったことだった。一度は双方が会って事情を分かり合ったという。それが、瓦解するとはなんなのだろうか、と私には思えた。

 「物語の生まれるまち:我孫子」というキャンペーンが始まったところで、つまらいモノガタリが広がらならないように、年をあらたに善き方向に収拾してほしいとお願いしたい。

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2016年01月17日

SMAPが気になるわけ

解散騒動に揺れるSMAPの救済に政財界から動きが出てきた。

 SMAPはパラリンピック支援団体「日本財団パラリンピックサポートセンター」の応援役に“就任”。2020年東京パラリンピックの成功を後押しする役割を担ったばかり。昨年11月にはリーダーの中居正広(43)が「(SMAPの)Pの部分をパラリンピックのPに」「20年まで一丸となって頑張りたい」と宣言。可能な範囲で応援を続ける約束が交わされている。

 そうした立場にあるだけに、関係者は「東京パラリンピックを応援するグループの解散は、イメージとしてもよくないのでは」と懸念。別の関係者からは、“日本の顔”でもあるグループの分裂・解散は「日本にとっての損失」との声まで出てきており、政財界の大物を通じて、グループが存続するよう事務所側に働きかける事態に発展しているという。

 15日には石破茂地方創世担当相(58)が「(存続を)願っている」とコメント。ファンは大ヒット曲「「世界に一つだけの花」購買運動や署名活動を始めるなど、今回の騒動は国民的な関心事に発展している。

 解散騒動が表面化して以降の反響に、事務所関係者は「世論の声にジャニーズの関係者も驚いている」と話し、残留という形での騒動終結に乗り出す可能性は残されている。

 東日本大震災のあった年の3月には、5人が個人的に4億円以上を日本赤十字社に寄付していた。SMAPとして寄付したものではなく、5人が震災直後からプライベートで別々に寄付したもの。これとは別に、21日に生放送された「SMAP×SMAP」の出演料を全員が全額赤十字に寄付し、草なぎが27日放送のFNS音楽特別番組の出演料を寄付していることが明らかになっており、SMAPは物心両面で被災地の人々を全力サポートしていた。SMAPが「国民的グループ」と呼ばれる行動をしていた。

 SMAPとして話し合っての寄付ではなく、自発的にプライベートで送ったため金額はそれぞれ違うが、5人の総額で4億円を超えているという。「日本の力を、信じてる」をテーマにした新しいACの広告では「あなたはどんなときでも一人じゃない。僕らがみんなついています」「互いに譲り合い、助け合いながら強く未来を信じて、今一つになるとき」と被災者を励ましている。

 メンバーは「自分にできることをしただけ」とこれまで義援金を送ったことは一切明かしておらず、所属のジャニーズ事務所でも「寄付をさせて頂いたことは事実ですが、気持ちですので、公表は控えさせて頂きます」と寄付は認めているが、金額などは公表していなかった。

出典:デイリースポーツ

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2016年01月16日

我孫子四丁目 調整池の説明会

9時半から11時半までの予定で、説明会が我孫子北近隣センター(並木館)で開かれた。
さまざまに市民から、お気づきの点などが指摘されて、今後の安全性と予定通りに進んでいくことを確認して、新年最初の会合は少し早めに終わった。協議会の皆さんの要望を受けて、維持管理のしやすい施設運営というよりは、憩う場所のあるほうがいいというような意見により近い形で設置後の利用もしていこうとの話が説明された。ただ、道路が狭いことなど、トラックの重量による振動などは気を付けてほしいこと、工事の影響による補償についても確認があった。

市側としては、予算措置も速やかに行われたので、今後に問題が出てきた場合は治水課に連絡してもらえれば、早期に対応していきたいとの話でした。
異常気象で大変な場所でしたが、今や市内最先端のとりくみになる、時間100ミリです。きっと、いい形で効果が出てくるものと期待します。

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2016年01月15日

自民党内からも批判続出、発言撤回

TBS系(JNN) 1月14日(木)20時6分配信
 自民党の桜田義孝衆院議員が、党の外交部会などの合同会議で、慰安婦問題について、「職業としての娼婦、ビジネスだ」などと発言しました。この発言を受け、与野党や海外から批判が相次いでいます。

 「昨年の暮れから今年にかけて、例えば韓国との間、状況は様変わりしてきた。いい方向に動いてきた」(自民党 原田義昭衆院議員)

 日韓関係について「いい方向」との評価も出た。自民党の外交関連合同会議。しかし、カメラが退出した後、出席していた桜田義孝衆院議員から慰安婦問題について、驚くべき発言が出ていたのです。

 その後、衆議院の本会議場から姿を現した当人は・・・
 Q.発言についてどのようにお考えですか?
 「・・・」(自民党 桜田義孝衆院議員)

 自らの発言について説明することなく、足早に国会を後にしました。

 「お互いの感情をですね、逆なですることがないように、結果が出てくるように、我々の言葉遣いに注意をしている」(安倍晋三 首相・12日衆院予算委)

 慰安婦問題で敏感な反応を見せる韓国世論を念頭に、安部総理大臣も細心の注意を払う中でのこの発言に、政府、与党からは・・・
 「不適切な発言であったと。発言を取り消す。そのようにしてほしいと(桜田氏に)言った」(桜田氏と共に会議に出席した衛藤征士郎衆院議員)
 「自らの発言について、政治家は自らが説明責任を果たす、そこは必要だ」(菅義偉 官房長官)
 与野党から批判が相次ぎ、桜田氏は発言を撤回するコメントを出しました。
 「誤解を招くところがありましたので、発言を撤回させていただきます。ご迷惑をおかけしました関係者の皆様に、心よりおわび申し上げます」(自民党 桜田義孝衆院議員)

 桜田氏の地元では・・・
   「今微妙な時期なので、もう少し慎重に発言してほしいですね。撤回すればいいってものではないですけど」

 桜田氏の発言に対し、韓国外務省の報道官は・・・
   桜田氏の発言を「愚かな妄言」と一蹴し、「日韓合意が着実に履行されるような雰囲気作りが重要」と強調しました。(14日23:13). 最終更新:1月15日(金)10時4分

千葉8区の国政を預かる方として、残念な報道となってしまいました。
やっぱり、どうしても政治家には女性蔑視の発言、古い体質を是とするような発言が男性に多い。それなりに、歴史の観かたはあるけれど、未来指向、女性の地位をしっかりとさせてこそです。
クオーター制などの方法で女性の議員を多くするなど、世界標準に日本の政界を変えるように市民、国民も声を発してほしいと、千葉に在住しているだけに思うところです。



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2016年01月14日

kaneko's stories

柳兼子 について、最近はWEbでも様々に関心がもたれてきたようです。
次のようなサイトがありました。
http://trendtube.wdeco.jp/playlist/?query=%E6%9F%B3%E5%AE%97%E6%82%A6

「芸術を生きた人、柳兼子」という下記のブログも感動的でしたのでご紹介です。


柳兼子さんは日本の歌と西洋の歌とを、西洋の歌は「叙情」とし、日本の歌を「情景」と特徴づけています。

西洋の歌は心にいろいろな思いをいっぱいにして歌うものだとおっしゃっています。

それに引き換え情景で語る日本の詩、そこから生まれるメロディーは風景をしっかりイメージしなければ歌えないので難しいとおっしゃいます。西洋の歌を勉強しただけでは歌えないと言いたげです。

私はこの言葉の持つ意味をこれからもかみしめて行きたいと思っています。そして、日本生まれの俳句は、情景描写から人の心を感じさせるものだということを、柳兼子さんの言葉に触れながら感じていました。

三回目を見終わった後、心というのは言葉でもって自分が説明するのではなく、芸術的な力で相手に感じさせるものだということを感じていました。

you tube に柳兼子さんのドキュメンタリーがアップされています。多くの皆さんに見ていただきたい動画です。

いろいろな場面で考えさせられることが多く、今回で三回見たのですが、見終わった後また見たいと思いました。一時間二十分ほどありますから時間のあるときにしか通して見られませんが、きっと近いうちにまた見るに違いありません。

三回目の今回は、このドキュメンタリーの何が私をそんなに魅了するのか言葉にしたくなりました。



柳兼子という一人の女性の人生は、当時はまだ珍しかった女性声楽家であったことや、夫に連れ添って外国に行ったり、そこで当時の西洋の音楽に直に触れたことや、積極的な活動家であった夫とともにあったことで、ある意味派手な人生と言えるわけですが、私にとって魅力あるところはそうした外目の派手さとは別のところにあるようです。

人生というのは、傍目には何もなかったように見える人生でも波乱万丈なものだと私は考えています。人生を大切にしている人ならそのことを知っているはずです。

逆に波乱万丈そうに見えて中身の空っぽな人生も色々と見てきました。周囲に翻弄されただけの貧しい人生です。

人生では、社会的な意味で何をしたのかというよりも、傍目にはどんなつまらなさそうな人生であっても、与えられた人生を真剣に生きたか、どう誠実に生きているのかというところに一番の醍醐味があります。それぞれに与えられた人生の一コマ一コマを、どこまで細やかに生きるかということで人生の価値が決まってくるのだと信じています。

きっと、その人本人にしかわからないものなのでしょうが・・・。

柳兼子さんの人生は、妻として、母として、歌い手として全ての部分で全開の人生です。全てが誠実さに満ちています。とてもきめ細やかな人生です。

どこにも言い訳を見つけず、百パーセント妻であり、百パーセント母であり、百パーセント歌い手を生きた人です。ドキュメンタリーの中で様々な角度から思い出を語る人たちの言葉はそのことを証明しています。実に様々な角度から語られています。制作された方に心から感謝いたします。いろいろな切り口から見えてくる柳兼子さんですが、どこから見ても本当に頭がさがる思いです。

夫を精神的にはもちろん、経済的にも妻としても全力で支えた人でした。コンサートの収益で民芸をそろえたという事でした。訪問客は自らの手料理でもてなしたそうです。

声楽家として、教育者としての姿勢は凛として、気品に満ちて惚れ惚れするものでした。着物姿で歌われている姿勢を見ただけでそのことがわかります。

三人の息子さんが愛情深く語る母としての姿にはことさら感動しました。この部分が三回目の時には一番印象に残りました。三人とも嬉しそううに、懐かしそうに、感謝の気持ちを込めて語っておられます。たっぷり愛されたお子さんたちの口から感謝にあふれた言葉がユーモアたっぷりに語られています。母について語るというより、一人の人間をあのように語ることができるというのは、豊かな幸せな人生をその人と共有して初めて生まれるものです。息子さんたちの心の中に今もしっかりと生きていらっしゃるお袋、柳兼子さんを感じながら、私までも幸せな気持ちになってしまいました。

声楽家としての柳兼子は特異な存在です。長唄から芸の道に入られたということです。音楽学校に進学し西洋で生まれた発声との出会い。長い年月をかけて習得されて行くわけですが、そのプロセスはまさに命がけの、体を張っての東洋と西洋の融合だったはずです。並大抵の努力では実現できるものではありません。

印象的なのは、番組の終わりで登場する「西洋で生まれた発声法、歌唱法と日本人である私、柳兼子の間に矛盾するものは何もなかった」という言葉です。私は柳兼子さんの舶来品を思わせない歌を高く評価しています。ドキュメンタリーの中の歌声は八十をはるかに超えているのに、みずみずしく滴るようです。その歌声に接するたびに感動するだけでなくいつも新しい発見があります。

柳兼子さんの魂が、もし学者としてあるいは研究者として西洋を学んでいたら、などとつまらないことを考えてみました。その時はその間の矛盾を歌ではなく別の形で表現されたのでしょう。それはそれでとても興味があります。稀有な比較文化論が残されたかもしれません。しかし芸術家である立場から、芸術を生きている人間として、両方の文化を批判的にではなく、共感的に接し、自らの命を両方の文化に捧げることで舶来的声楽を克服され、二つの文化を融合した歌として結晶させたのです。しなやかな心がそれを可能にしたに違いありません。「芸術は円くて優しいもの」という言葉も残していらっしゃいます。美しい言葉です。

芸術の真髄です。芸術の持つ課題を余すところなく言いつくしています。

芸術に触れるとは優しさに触れることに他ならない、芸術に育てられた心はしなやかなものになるのだと言いたげです。そして芸術がこの力を持っているからこそ、芸術が人生にとって大切だということを、歌を通して生きながらにして私たちに伝えてくださっているのだと思います。



初めて聞いた柳兼子さんの魔王の印象は、この歌い手は存在を、その人の生き様を全てぶつけてこの歌を歌っているというものでした。だからといって力んでいるところは全くなく、のびのびとした力強さでした。今歌っているのが日本人であるということは全く気が付きませんでした。後で日本人だと聞いて逆に驚いたほどです。ドイツ語の発音がどうのこうのという段階の話ではなく(柳兼子さんのドイツ語は間違いなく素晴らしいドイツ語です)、言葉の力を、言葉の命を歌っていることが私の心を捉えていました。言葉には命があります。一つ一つの言葉が優しくまろやかに、しかも愛情深く歌われているのです。言葉はコミュニケーションのための道具で終わるものではなく、ましてや意味を伝えるための記号のような道具ではなく、言葉はそれだけで完結した、命を持った存在だということを、目の当たりにしていました。言葉の神様がそこに現れたかのようでした。聞き終わって、カーステレオから流れていたものなのに思わず拍手をしてしまいました。

ドキュメンタリーの中ではカルメンからのハバネラの一曲だけが西洋のもので、それ以外は日本歌曲です。柳兼子さんの歌を聞くまで、正直に告白しますが、何曲かを除いては日本歌曲には馴染めないでいたので、始めは柳兼子さんの三枚組のCDの中から西洋のものばかりを選んで聞いていました。庭の千草(アイルランド民謡です)はその中でも何度も何度も聞きいた歌です。まだ聞き飽きていません。日本語で歌われていましたから日本語の持っている力強さがだんだん体にしみて、日本語の美しさを西洋のメロディーの中で堪能できるようになったのです。それからです。少しずつ日本歌曲を選んで聞くようになったのは。それでも柳兼子さん以外の人の日本歌曲は今でも少し距離を感じながら聞いています。

それは芸術という魔法の中だけで可能なもののようです。

出典HP: http://www.leier-seele.com/naka/4257.html(2015年7月9日)
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2016年01月13日

我孫子市議会:核実験抗議

年明けて、役所からFaxがとどいた、議会への呼び出しは、北朝鮮の核実験に対する抗議文についてだ。
休みがかさなることがあったので、実際には12日に相談して、文書を直接送るという手筈がきまった。
内容については、当市が非核平和宣言をする都市であり、これまでも送ってきた核実験への抗議についてと姿勢は変わるものではないが、広島から早速に対応した文書は参考にということになって、下記のURLの文書になった。因みに、星野市長も市長名で送ったとのことだ。
https://www.city.abiko.chiba.jp/shisei/shigikai/index.files/kougibun28.1.13.pdf

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2016年01月12日

ストレス解消にはユーモアが特効薬

リック・シーゲル&ダレン・ラクロワ『笑って金持ちになる方法』扶桑社

「時代は変わった」とよく言われる。
従業員のやる気を引き出そうとしても、以前のやり方は通用しない。
さらに頭の痛いことにとに、顧客の要求もますますきびしくなっている。

激しい競争のなか、他社との差別化をはかるために顧客サービスを充実させる社が出てきたからだ。
一方では、値下げ競争もますます過熱している。
どこかの店が値下げすれば、こちらだって追随しないわけにはいかない。
そうしてどの会社も青息吐息の状態になっているのが現状だ。

しかし、一方では、商売が楽しくて仕方ないという小売店主も存在する。
そうした店は他の店よりずっと売上を伸ばし、その多くが大手のチェーン店ではない。
その秘密とは、ビジネス・経営のあらゆる局面でユーモアを有効活用することだった。
ユーモアこそ、これからのビジネスの強力なツールであり、顧客・従業員の心をつかみ、利益を増やす切り札だ。いつでも「どうやったらユーモアを活用できるだろう?」と考えていなくてはいけない。
ユーモアは、1日や2日で修得できるプログラムとは違う。
ユーモアを活かす社風をつくっていくことが重要なのだ。

あなたがいいアイデアを思いつくのは、どんなときだろうか?
基本的に、いいアイデアが浮かぶのはリラックスしているときだ。
ユーモアに満ちた環境にも、同じ効果がある。

みんなが笑顔で働き、笑い声の絶えない職場なら、売上げはアップ、従業員の不満はダウンする。
緊張していたりストレスを感じていると、仕事ははかどらないものだ。
ユーモアで他の店に差をつけよう。

忘れちゃいけないのは、お客さんは仕事で買い物に来るのではないということだ。
彼らは、何か目新しいものを買ってストレスを発散させたくて、やってくる。
そういうお客さんにたいして、あなたの店ではどんな接客をしているだろう?

「その商品ならあっちに置いてあります」とか、「品切れです」とか、挙句の果てには「間もなく閉店時間です。お買い物はお急ぎください」…それではお客が離れていって当然だ。
店長が代わると、新しい店長が前任者より陽気な人物だという理由だけで、店の売上が伸びることがある。
陽気だからといって、商品がよけいに売れるわけではない。

小売業はエンターテイメント産業だ!
値下げや低価格だけが顧客を引き付ける手段ではない。
それよりずっといい方法がある。
お客さんに、買い物をするのが楽しいと思わせることだ。
成功間違いなし!

ジャーナリストのノーマン・カズンズは、500人に1人という不治の病を「笑い」で治し、『笑いと治癒力』という有名な本を書いた。 笑うと免疫力が高まり、病気も治癒するという。
これは、すべてにわたって言えること。
家族や友人たちとの人間関係を良く(治癒)したければ、「笑う」ことを多くすればいいし、会社の業績を良く(治癒)したければ、「笑う」ことを多くすればいい。

我々は「笑い(ユーモア)」にもっと焦点を当てたほうがいい。
切羽詰ったときや、深刻になったときほど、この「ユーモア」が必要だ。

どのような場面でも、「ユーモア」は決して不謹慎ではないし、真剣さや一所懸命さと相反することはない。
仕事はもちろんのこと、「ユーモア」をさまざまな場面で取り入れる工夫をしたい。



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2016年01月11日

デビッド・ボウイの死



デヴィッド・ボウイが大の日本好きであったことはよく知られており、彼のステージパフォーマンスには日本文化の要素がいくつも取り入れられていた。ボウイは特に、歌舞伎の様式美や女形という要素に大きな影響を受けた。五代坂東玉三郎に女形の化粧のやり方を教わることすらしたが、女形の化粧をそのまま真似することはせず、むしろ女形に両性具有的魅力を見出し、ステージへの応用ができるかを模索した。また、服飾史研究者 Helene Thian によると、ボウイは歌舞伎の「早替わり」の要素をステージパフォーマンスに取り入れた最初の欧米人であるという。ボウイは「スペース・サムライ」と名付けた日本の袴にインスパイアされた衣装や、着物にインスパイアされた衣装を好んで羽織り、曲の合間などに早替わりするパフォーマンスで観客をわかせた。

ボウイが日本文化に興味を持ち始めたのはロンドンで、1960年代に舞踊家リンゼイ・ケンプのダンス・スクールに通っていた時であった[20]。衣笠貞之助の無声映画に影響を受けたことを自認するケンプは、生徒のボウイに武満徹を聴かせ、共に日本の伝統芸能、能や歌舞伎を研究した。1967年にはチベット仏教の僧侶になろうと本気で考えていたボウイであったが、ケンプのレッスンをきっかけとして、黙想に生きる僧侶とは正反対の、ロックスターという派手やかな歌舞音曲の世界へと、人生の進路が決まった。ボウイが北米市場で成功しようともがいていた1970年代に大きな助けとなったのが服飾デザイナー、山本寛斎との出会いであった。山本は1973年のジギーや1976年のアラジン・セインの衣装をデザインした。

今日では、ボウイのような立場は、異文化から要素をただ盗んできただけと糾弾されがちであるが、前述の服飾史研究者 Thian によると、日本からボウイに対してこのような苦情が申し立てられることは、まずないという。彼女によるとその理由は、ボウイは自身の創造性を、東西文明を融合させ戦後世界を癒すために捧げたが、これはボウイの日本への敬意の表れであり、日本人も彼の敬意を愛しているからだ、という。

1999年 フランス芸術文化勲章コマンドール
1999年 バークリー音楽院名誉音楽博士号

1/10の訃報に対し、世界がボウイの死を悲しんでいる、ご冥福をお祈りします


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2016年01月10日

成人式

成人式に来賓としてお呼ばれしました
小、中学校の写真や先生のビデオメッセージが大画面に紹介されるとどよめきが起きました。
そんな中で一人の先生が「君たちの卒業式が出来なかったから残念でしたが、成人式を盛大に祝えて何よりです」との言葉に指折り数えてみましたら、今回の新成人は東日本大震災の3月に卒業式でした。あれからの5年は、めったな経験でなく、中学生だった子供が大人になっていく、滅多にない経験をしてきた若者だったのだと気づきました。

若い彼女たちは、着物に包まれてショールを羽織り、花飾りを髪にさして目いっぱいの日本女性としてもお洒落をしてきます。この日がなくなったら、日本文化である着物がすたれてしまうでしょう。そういう点でも大事な記念日です。男子の中にも着物で袴姿がちらほらお見受けしました。麗らかな日差しのもと、彼女ら、彼らに良き未来が広がりますようにお祈りします。
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2016年01月09日

消防出初式

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昨日、HICEの国際学会から帰って、成田線利用で家に戻った、待ち時間が多くて、もどったのは6時ごろになってしまった。そして、今朝は午前中に出初式だから、余裕のスケジュールではあった。
実質的に、議会、市役所関係者との信念のご挨拶し終わると第二部のよさこいグループ、幼稚園の皆さんの演技となる。
可愛い熱演には、皆が声援を送った、「おとうさん、お母さん、火の用心!」などと、可愛いアピールをしていた。拍手!

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2016年01月08日

天にも貯金ができます

「天に貯金をする」という考えがあると教わりました。
貯金というのは普通、地上の銀行などの金融機関にするものですが、それは具体的にいえば、自分たちよりももっと困っている人たちのための寄付をすることです。

「天の銀行に預けておけば、あとで1万倍になって返ってくる。もし自分の代で返ってこなくても、子どもや孫の代になって返ってくる」というのですが、本当でしょうか。預けて損はないのか??

「将来、天の貯金に利息がついて、お前は外国を飛び回ることができるようになる」というのです。実は、こうした考えかたには、当然、サムシング・グレートに対する感謝の念が入っています。

地上の貯金は必要なときに自分で引き出しに行かなくてはなりませんが、天の貯金は、その人間にとって本当に必要なときに自動的に降りてきます。 ですから、まずは積まなくては始まらない。

 どうも、運がいいというのも、天の貯金に関係しているのかもしれません。 運がいい人は、それだけ天にたくさん貯金を積んでいる人です。しかも、それは、自分だけの貯金ではなく、両親や祖父母をはじめとするご先祖の貯金も含まれているかもしれません。

 天の銀行と地上の銀行の違いは、天の銀行は倒産しませんが、地上の銀行は倒産する可能性があることです。また、地上の貯金は持ち越せませんが、天の貯金は持ち越すことができます。 持ち越された分は、子や孫、さらにその下の世代にまで恩恵をもたらすことができます。しかも、天のポイントは永久不滅ポイントなのです。 今のところ、どうもご先祖や親が積んでくれた天の貯金の恩恵に預かって無事に暮らして来れましたが、少しでも増やして来世にと考えないといけないでしょう。 


筑波大学名誉教授/村上和雄
『望みはかなう きっとよくなる』海竜社

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2016年01月07日

One of the sites in the wrold is the most beautiful in Bolivia like our lake Tega, in Abiko.




ウユニ塩湖〜天国に一番近い場所 "Salar De Uyuni"
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2016年01月06日

IKEA の 世界戦略

36か国に296の店舗を持つイケアの製品は個性的なデザインと手頃な値段が特徴で、1年に6億人がイケアの製品を買う。徹底した、ローコスト、デザイン性、耐久性、使いやすさを見事に追及して 愛される商品を追求してきた。

イケアではティースプーンから居間のデザインまで、住居全体を様々なスタイル、色、モデルでデザインし製造して提供する。扱う製品は1万アイテムに及び、54か国で生産されている。ポーランドのズバツィネクには、イケアでは世界最大のウッド製品の工場があり、1年に200万個のテーブル、イス、ソファー、リクライニング・チェアを製造しているし、その近くの工場では、布や皮張りクッションが付いた家具が毎日500個生産される。南スウェーデンでは3つの工場が主力商品を作っている。アルムフルトでは全製品の試作品が作られ、先進的な大量生産方式の工場で最先端のキッチンが作られる。またクラシカルな本箱はカティルストープで作られ、多くのイケアの家具の素材となる丈夫なボードはフルツフレードで作られる。

IKEA
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2016年01月05日

学会発表のテーマ:柳宗悦の我孫子での芸術家村活動について

国際学会(ホノルル時間で4日午後)での発表を終えて、やれやれです。
更に、学会誌に載せてもらえるとのことで、再度、英文の修正をしなくてはなりません。
しかし、これで少しでも我孫子に興味を持ってもらえるならと、頑張っています。
なんだか年初から徹夜続き、ホテルではコンビニで買ったもので食事代わりです。

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ホテルの部屋に閉じこもりっきり、冷房を切って、上着を羽織って昼夜なく原稿の修正に次ぐ修正なので、ハワイにきた心地はありませんでした。ようやく発表が終わってから、レイをつくるレッスンに参加してみました、つづいてフラダンスのレッスンにも連続参加。ようやく、ハワイに来たのだなァと実感できました。

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2016年01月04日

独居もまたよし

1人暮らしの高齢者は家族と同居している高齢者よりも生活の満足度が高く、悩みが少ない−。大阪府門真市の医師が実施した調査からそんな結果が明らかになった。高齢で体が不自由になると家族の介護が頼りと思われがちだが、体調があまりよくない人でも独居の方が満足度が高かった。調査した医師は「高齢者のお1人さま生活は、実は幸せなのでは」と話している。

 「1人暮らしの高齢者も家族同居と同じぐらい満足度が高いのではないか」。診察の際のやりとりなどを通してこう感じていたという大阪府門真市の耳鼻咽喉科医院の辻川覚志医師(64)は平成25年、同市医師会の相談電話や日々の診療を通じて聞き取り調査を開始。27年までに60歳以上の約1千人に生活への満足度などを尋ねた。

 その結果、独居の生活満足度の平均は73・5点。同居の68・3点を約5点も上回り、悩みは少なかった。子供の有無や男女による差はなかったという。

 家族と同居する人の満足度が低い理由について、辻川医師は「家族への対応に苦慮するため」と分析する。家族とうまくいかなかったり、コミュニケーションが取れなかったりすれば、生活の満足度は急激に下がる。一方独居なら、体調が悪くても自分のペースで動けて家族に配慮する必要もない。

もっとも、満足度の高い1人暮らしの条件としては、
 (1)信頼できる同世代の友人や親類が2〜3人いてたまに話ができること
 (2)住み慣れた土地に住んでいること−

 と辻川医師は指摘する。

 26年の国民生活基礎調査によると、65歳以上の人口は約3400万人。最も多いのが夫婦のみで暮らしている人で38%、続いて配偶者のいない子供との同居26・8%、1人暮らし17・4%、子供夫婦との同居13・8%−と続く。

 家族と同居していても満足度を上げるために、辻川医師は“疑似1人暮らし”を推奨している。夫婦2人暮らしなら、夫が自分の食事は自分で準備するなどお互いに自立。子供と住む場合も緊急時以外は連絡せず、なるべく顔を合わせないことでトラブルが回避できるという。

 ■「あこがれの独身生活」

 「大阪府内に住む息子には、私のことは忘れてと言っています。毎日友達と出歩いていて、家にいるのは月に2日くらい。楽しくて仕方ないです」。賃貸住宅で1人暮らしをする前田良子さん(80)は、こう言ってほほえんだ。 現在の住まいに置いているのは、針箱や文箱など必要な物だけ。自分が急病になっても救急車は呼ばないつもりで、購読している新聞の販売店に、新聞が2日間たまっていたら警察を呼ぶよう依頼している。「息子に迷惑を掛けたくないから。孤独死はかわいそうなんてことはなく、理想。知らん間に死んでいきたいなと思います」と話す。

 一方、大阪府内で40代の次男と2人暮らしの女性は「息子とよくけんかしていて、本当に疲れる。『老いては子に従え』というけれど、それも腹が立つ。私が産んでやったのに…」と苦笑。ただ、「電球が切れたときなど、やっぱり息子に頼る。1人暮らしだったらけんか相手もいないので寂しい」とつぶやいた。

出典:
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2016年01月03日

丙申にかたちになるものは

丙申(ひのえさる)、これは60年に一回のめぐり合わせ、これまで日の目を見なかったことが形となって現れて来る年と期待できるのではないでしょうか。2016年は何かを始めるというよりも、これまでの頑張りが形になっていく、そんな年回りらしいです。

評価されてこなかったことが評価されるとか。これまで気づけなかったことに気づくとか。
見えてくるものがある、だから待つだけでなく、積極的に行くべきかもしれません。
今までの曖昧な関係にけじめを付けるとか、隠していたことを話してみるとか。
どっちに転ぶかはわからないから、努力の如何なんでしょう。

丙申の2つの漢字には意味があります。

まずは「丙(ひのえ)」丙は「明らか」という意味があります。
十干は樹木の成長に例えられ、丙は形が明らかになってくる頃です。
申は「呻く(うめく)」の意味です。これも語源は樹木の成長に例えられます。
申の呻くは果実が成熟して行って、固まって行く状態を表しています。
完熟までは達しない状態です。「形が明らかになってくる」、「実が固まっていく」とはどういうことでしょうね。

これまでの歴史がなにか教えてくれるところがありますので、60年前を振り返ってみます。
前回、1956年(昭和31)年を遡ってみますと、1956年はもはや戦後ではないとされ、日本は神武景気と言われた時期です。戦前の経済水準を超えるまでに奇跡の回復をしていく最中、前年「もはや戦後ではない」と経済白書に記載されました。戦後の復興が改めて明確に示された年と言えるでしょう。国際的には、日本は国際連合に加盟。その前に日ソ共同宣言がありました。

やってきたからこそ、形にしていく。そう思う市民があれば、正しく声を上げて街を新しく創りだしていきましょう。どうぞ、お考えをお教えください!


以前、紅白歌合戦で話題になった歌の動画がありましたので、脈絡なくご紹介まで。
★三輪明宏のヨイトマケの歌(3:40頃からノーカット)
https://www.youtube.com/watch?feature=player_detailpage&v=jmPuOA6mGm8#t=271
★唄の経緯
https://www.youtube.com/watch?feature=player_detailpage&v=w-6Ak_b2Pdk#t=16 
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2016年01月02日

ウイーンフィル ニューイヤー コンサート

毎年1月1日にウィーン楽友協会の大ホール(黄金のホール)で行なわれるマチネのコンサートです。ヨハン・シュトラウス2世を中心とするシュトラウス家の楽曲が主に演奏される。映像はライブで各国に中継され、花が美しく盛り込まれたコンサートホールでの演奏を世界中の人々が楽しめるのです。2002年は、小沢征爾の指揮だったので、それからNHKのこの番組を聞くのは我が家の恒例になってきました。

指揮者は、公式には「楽団員全員による投票によって決定されている」とされるそうです。毎年1月2日に(最近では1日のコンサート中にも)次年の指揮者が、楽団の公式ホームページ上で発表されているのだとか。

新年を祝う気楽な雰囲気のコンサートなはずが、さすがに切符を入手するのは極めて困難で、数ある音楽会の中でも最もプレミアが付く演奏会の一つ。しかも、日本人が会場に多い(ときに和服姿の女性)のは非常に有名で、この高額なプレミアを支払う東洋からくる音楽ファンが少なくないのは、日本企業がウィーン・フィルやオーストリアとの密接なビジネスパートナーである一つの証しなのだそう。



ウイーン国立劇場の華麗なバレリーナのダンスまでライブで見られるなら、自宅で見るのでも素敵な新年の始まりに相応しいですね。

posted by Nina at 00:00| 千葉 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月01日

本年もどうぞ宜しくお願い致します

謹賀新年

昨年は大変にお世話になりました
2016年が皆様にとりまして 輝かしい一年となりますよう
心よりお祈りいたします

早速に4日に国際学会(米国)にて、我孫子についての発表をしてまいります
我孫子のこれまでの文化的な積み重ねを顕彰して、この街の良さを訴えてまいりたいと考えています

元旦 海津にいな

申を祭っている山王の日枝神社に初もうでしてまいりました
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posted by Nina at 08:47| 千葉 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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