目の前にあることをひたむきにやる。これがこの世に生まれた意味です。
「念」を入れて 今を大事にする心を持つことが、「生きる」ことです。
念とは「今」の「心」と書きます。
今、目の前にあること、目の前にいる人を大事にする。
それが人生で今できる唯一のことです。
生きることは修業ではありません。 我慢することでもありません。
人生は苦楽ありますが、自分には喜びが巡るのだと捉えて、笑顔で淡々とこなし、当たり前ですが死んでいく。それが人生の本質でしょう。
「世の中に必要とされてよかった」 「私の存在にも意味があったな」
「生まれてきてよかった」 「楽しい人生でよかった」
と、そういう気づきを与えてくえる人と「縁」を得られたことに感謝し、人生を全うするのです。
今生は今生でしか経験できないことをすべて味わい、自分の存在がまわりに役立つように、思い切りやってみる。そうすれば、楽しんで生きることに繋がります。こうしていると、魂は必ず進化するのだということです。
上記は小林正観の『ごえんの法則』(大和書房)に書いてあったことで、90歳を超えた最近の母の言葉とおなじような内容でしたので、改めて最近のわが母の言葉「人生は楽しく」に真実味を感じます。戦争を経験した時代の人であれば、多くの人生を見てきたはずだから、その上で楽しく生きるということの為に人はあるというのが究極のメッセージだとしたら、生きる事の意味について、一つのなぞが解けたような気がする。
「籠に乗る人、担ぐ人、そのまた草鞋(わらじ)を作る人」という言葉があります。
世の中にはいろいろな役目の人がいて、その中の誰一人欠けても成り立たない。
誰が偉いとか、偉くないという話ではないです。
人は、大きな成功をおさめて注目されたり、大金持ちになったり、有名になったりすることが、人生のゴールのように思ってしまいますが、舞台でいうなら、成功者や大金持ちだけで成り立つドラマはないのです。
目の前にやってきた自分の役目を、淡々とこなしていくこと。
「今、目の前にあること、目の前にいる人を大事にすること」
人生を楽しみ、同時に、人から喜ばれる存在になること。
与えられている自分の役目を全うするべきだと。
翻って、まちにもそうした楽しく生きる人たちの姿が活き活きとしていれば、自ずとその街に引き寄せれてて、住まいたくなる人が増えるはずです。そして、まちづくりを考えるときの哲学が、みんなにどう伝わるか、そこが難しいのだと思うこの頃です。