こんな話がある。
ある人が、神様と砂浜を歩く夢を見た。 後ろを振り向くと、2人分の足跡が残っていた。
しかし、人生を振り返ってあることに気づく。
その人は神様に 『どうして、辛いときは一緒に歩いてくれなかったのですか?』
すると 神様は答えた。
『愛する我が子よ、私はあなたを見捨てたりはしない。
そのひとり分の足跡は、あなたを背負って歩いた私の足跡だよ』
人生は良い時もあれば、 悪い時もある。その重荷を共に背負ってくれる人がいれば、辛さは半減する。
17世紀のスペインの哲学者、バルタザール・グラシアンは
「栄誉もそして屈辱も 背負ってくれる人を見つける」よう、こう語っている。
「高い地位の人の中には、成功の栄誉はすべて自分のものにできると思っている人がいるが、よく考えてほしい。 同時に敗北の屈辱も一身に背負わなければならないのである」
獲得するものが減るなどと考えるよりも、良き理解者を一人以上は伴うべきだ。その者が賢者であれば、いろいろな結果は好転する可能性が高くなる。問題が生じたとき、話し合える人がいたほうが、客観的に原因を探れる。 対処法についても一人で考えるよりも論理的に考えられる。 辛いときも励ましあえる。
「運も大衆も相手が二人となると、そう手ひどいことはしない。 重荷も悲しみも分かち合うことだ。
一人でいると二倍の勢いで不運が降ってくる」と、グラシアンは教えている。
一人では屈してしまう不運も二人なら跳ね返せる。
いつも対等に助け合える仲になれば、人生や仕事で大きな局面を迎えたときに必ず役に立ってくれる。
そうか、柳宗悦氏の隣には、いつも変わらずに支え続けるパーオナー・兼子さんがいた。一人ではとてもなせない事業を紡いできたのは、互いの尊敬と信頼と見つめる目線が一緒の方向だったからなのだろう。
天皇陛下も、いつも美智子様の手を取られて仲睦まじいが、美智子様が若く輝くほどに美しい頃よりも、ご夫婦としてみて、羨ましいくらいに信頼と愛情が深いと分かる。