1日の朴槿恵韓国大統領主催の「日中韓首脳晩さん会」で、朴氏が日韓でよく使われる「雨降って地固まる」との諺を紹介する一幕があった。もめ事の後では、かえって物事がよくおさまることの例えだ。
朴氏は乾杯のあいさつで「われわれ共同の努力で、3国間の信頼と協力を、雨が降った後の地面のように強固にすることができる」と訴えた。日韓は同じ表現で、中国にも似たことわざがあると説明した。
先日、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界記憶遺産に、中国が申請した「南京大虐殺の記録」が登録された。日本政府はそれに対し抗議をし、拠出金を停止するなどの話も出ているが、「行き過ぎ」ではないかとジャーナリストの田原総一朗氏は疑問を呈していた。
「世界記憶遺産」は近年、急速に関心が高まってきたユネスコの事業で、「世界遺産の妹」と称される。歴史的に重要な文書や絵画などの保存を目的に1992年から事業が始まり、「アンネの日記」などが有名だ。第2次世界大戦後のシベリア抑留者の引き揚げ記録「舞鶴への生還」や京都府の国宝である「東寺百合文書」などが今回登録されることになった。それと同時に、南京大虐殺の資料が登録されたのだ。中国は同時に「慰安婦に関する資料」を申請したが、こちらは登録されなかった。
読売新聞は10月11日の社説で、「文化財保護の制度を『反日宣伝』に政治利用し、独善的な歴史認識を国際社会に定着させようとする中国の姿勢は容認できない」と厳しく批判している。「南京大虐殺」は1937年12月13日、当時の中華民国の首都であった南京を旧日本軍が陥落させた後に多くの中国市民が旧日本軍によって虐殺されたとされる事件である。中国側は死者数を30万人と主張する。戦後に中国が行った南京軍事法廷が日本人の戦犯を裁いた判決中に「南京事件の犠牲者・30万人以上」となっているのである。
日本の学者や研究者たちは、当時の南京の人口は20万人前後であり、「30万人虐殺」はあり得ないと指摘する。だが、南京陥落後に多くの中国市民が旧日本軍によって殺されたことは事実である。兵站部隊が遅れたため、食糧の略奪などが行われたとも言われている。戦後、東京裁判で「南京事件」にことが及ぶと、被告である旧日本軍の幹部たちは抗弁のしようがなかったのだ。
今回の登録について、日本の外務省は文書の「完全性や真正性」に疑問を呈し、「中立・公平であるべき国際機関として問題」とユネスコを批判した。確かに「世界記憶遺産」はユネスコの事務局が独自に運営していて、審議が公開されず、各国の意見が反映されないなどの問題はある。菅義偉官房長官は「中国はユネスコを政治的に利用している。過去の一時期における負の遺産をいたずらに強調し、遺憾だ」と批判した。ここまでは至極当然だと納得する。 だが、その後に「我が国のユネスコの分担金や拠出金について、支払いの停止などを含めてあらゆる見直しを検討していきたい」と言いだした。昨年度の日本のユネスコ分担金は約37億円(11%)で、長らく米国が支払い停止中のために日本が最大の拠出国となっている。
日韓中の関係の改善は、アジアの平和の重要である。朴大統領の久々に見せた笑顔を政治的な思惑ではなく、心底、友情と平和を望む基礎つくりにしていってほしい。朴大統領就任の折に、NGO・我孫子カルチャー&トークでは「我孫子では、大正時代には柳宗悦が日本が正しく歴史理解をしていくことや、朝鮮の文化の素晴らしさを讃えて論文を書き、双方の友好が阻まれることがないように提言した。叔父の嘉納治五郎と共に平和な時代を創ることを願って行動、実践した。戦争の事実ばかりではなく、友好への努力をして、朝鮮、中国の子弟の教育に力を貸すこともあったことも記憶されるべきだ。人々が過った認識ばかりでなく、叡智をもって未来を構築しようと活動し、特に朝鮮の文物の素晴らしさを調査研究し、保存しようと書き残したことは知って記憶されるべきだ。できれば、日本訪問の折があれば、我孫子を訪ねて歴史認識を新たにしていただきたい」などと英語にし、日韓の友人のアドバイスで韓国の新聞社に送った。読まれたはずだが、安倍総理を無視してきた事情で取り上げられなかったのだろうが、今後はどうだろうか。我孫子で刻まれた歴史は、なかなか味わいがある「和解」や友情の記憶遺産ではないだろうか。
参照:週刊朝日 2015年10月30日号