2015年09月27日

お茶、中国文化と日本文化の異質性を象徴 その2

 お茶の文化史を解説するとなると延々と語らなくてはならない程、歴史があるので、まずは一服・・・!?
 となってしまった。
 
 それで、今日も昨日の続きをお伝えしたい。
 実のところ、茶の湯の歴史、お茶の歴史がこれほど長い歴史と経緯があるとはおもってもみなかった。

 海を挟んだ日本では、茶の湯がようやく公武貴族社会に浸透し、まさに抹茶法が広まり始めたちょうどその頃であった。中国における喫茶法の変遷には三つの段階があった。第一は唐代の煎茶法、第二は宋代の点茶法、第三は元・明から現代まで続く泡茶法であった。

 日本では玳皮天目が国宝にされ高く評価されているが、その産地が江西の吉州窯であることを確認できたのは、実は近年のことである。窯址の発掘や出土品などから、南宋時代に玳皮天目が大量に造られていたことが明らかになった。

 曹昭以前の宋代の文人は玳皮天目を記録に残し、後世に伝えることをしなかった、ということである。
 しかし、宋代の文献に磁器がよく登場する。それは、後漢時代に始まった磁器生産が数百年の発展期を経て、宋代で最盛期を迎えたためである。青磁、白磁、黒磁、青白磁など、南北各地で様々な品種が生まれ、日常生活用具として庶民の日常に浸透した。とくに茶碗については、喫茶が文人の嗜好であるため、詩文に茶碗がよく詠まれていたのである。宋の文人は建窯の禾目天目、油滴天目を好んだが、吉州窯の玳皮天目には興味がなかった、ということである。

 室町期には大量の天目茶碗が伝来されたもともと天目茶碗は、宋代における抹茶点茶法の興起によって生
まれたものである。中国では北宋、南宋の両宋時代に流行り、葉茶泡茶法の台頭に従いその姿が消失してしまう。泡茶法では白磁の小ぶりの茶碗が好まれるようになった。

 油滴天目は、内外にかかっている漆黒の釉面に、銀色の油滴のような斑点が無数に浮かぶ茶碗である。古くから名物・大名物として尊ばれ、大阪市立東洋陶磁美術館の国宝油滴以外にも、重要文化財に指定されているものがいくつかある。油滴天目の油滴現象は、窯の温度が高くなると釉面が煮え、ぶくぶくと泡を吹く。やがて泡が破れた箇所に釉中の鉄が集まり結晶し油滴になったものである。

 千年前の宋代に造られた中国の茶碗は日本の国宝となり、博物館で数年に一度展示されるたびに国内で評判になる国宝と尊ぶ日本と、歴史の風塵の中に跡形もなく消失させてしまった中国の天目茶碗のあり方は大きく違う。

 成形や絵付けなども重要だが、最後の成敗はやはり火の具合に左右される。火の加減を判断する陶工は火眼金睛〞を有し、その技術を秘訣としている。現代でも、火を観る陶工の報酬が最も高額だという。

 国宝玳皮天目はこのような道程を歩んだ。誰にも愛されなかった玳皮天目茶碗が今日国宝になった理由は、その歴史の古さによるものであろう。歳月は茶碗の釉色に物理的な変化を与え、新品には見られない一種の風味を帯びるようになる。そして最も重要なことは、数百年の歳月が玳皮天目を「稀有」の唐物にしてしまったこと、点茶法の流行した宋代では、茶の白色と天目茶碗の漆黒の組み合わせこそが茶の極致であり、文人はそれを好んだ。玳皮天目は純粋な黒ではないため、喫茶に用いることがない。日常雑器として使われ壊れ棄てられ、歴史の風塵に消えた。一方、日本においては、茶人が唐物としての価値を重んじ、玳皮天目を茶
の湯にとりいれた。以来、茶人の価値標準に翻弄されながらも、その茶人の選択があったからこそ、今日まで伝わり国宝になったのである。


posted by Nina at 00:00| 千葉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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