2015年09月23日

彼岸:先の大戦で亡くなった方々をも偲んで

ご先祖様を振り返る、秋のお彼岸は秋分の日を真ん中に挟んで前後3日の合計7日間です。海津にいなもお墓詣りしてきました。大変にいい天気、シルバーウイークの帰省ラッシュはこれから始まるようです。お出かけの方々は、彼岸の入りにお参りをすませて、お出かけだったことでしょう。ご先祖様のことを思い出してお祈りするとか、お参りに行く行為も大切ですが、やはり一番大切なのは日々を大切に生きる気持ちです!

 この間に、皆様には「にいなレポート」をお届けしたところですが、お読みいただけているでしょうか。もし、届いてないけど、読んでみたいという方は、ご連絡ください(ブログ下欄のコメント記入の際に、お知らせください)。

 ご先祖さまを振り返る時でもあり、先の戦争でご苦労された方々のお話も戦後70周年でもあり、また、安保法制の大転換の期でもあり、連休最後の日にもう一度、歴史の一コマを振り返ってみたいと思います。そして、また、明日から頑張ってまいりましょう。


戦時中、国策として旧満州など中国大陸へ送り出された満蒙開拓団の生存者・黒田雅夫さん(79)=亀岡市西つつじケ丘=が、福知山市内記一丁目の福知山城公園を1日に訪れ、公園内に建つ「満州開拓顕彰碑」を見学。当時を回顧した。

 顕彰碑は、福知山市と旧天田郡の天田郷開拓団、第二天田郷開拓団の開拓精神や戦争での悲劇的な終焉を伝える石碑。開拓団の引き揚げ者で結成された「天田拓親会」が、郷土史上初めての集団的海外移住の事業を風化させず後世に残そうと、1956年に建立した。

 黒田さんは1944年6月、京都開拓団の一員として両親と弟、祖父の家族5人で吉林省に入植した。しかし父親は現地召集され、そこへ
ソビエト軍が侵攻。終戦後も現地住民からの略奪や暴行が相次いだため、逃避行が始まった。

 この間、弟は中国人に預けられ、母と祖父は死亡した。母は亡くなる前夜、寝ている黒田さんを起こし、粗末なご飯を食べさせ、翌朝息を引き取った。祖父は水を飲んだあと「おおきに」とだけ言い残し、「コトリと死んだ」。

 わずか10歳で孤児になった黒田さんは、飢えと極寒に耐えながら、路上生活を送った。中国人がまんじゅうを放り投げて与えてくれたこともあったという。キリスト教会に保護され、46年6月、舞鶴に引き揚げてきた。

 今は「母や祖父を現地にほかし(ほうりだし)てきた」ことへの思い、当時のつらさ、生きてこられた喜びなどを、「母や祖父の供養になれば」と多くの人に語り継いでいる。

 顕彰碑や「311人の開拓団員並びに家族のうち、死亡者145人」などと書かれた説明板を読みながら、「福知山には立派なものが建てられていてうらやましい。私も亡くなった人を慰める石碑を建立したいという願いがあったが実現せず、あきらめかけていましたが、建てたいという思いを強くしました」と話していた。


出典:
両丹日日新聞社:8月5日
posted by Nina at 00:00| 千葉 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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