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このブログでは、地球サイズの行動派」をモットーにしてきた通り、市議・海津にいなの日々考えている事、見たこと、聞いた事、考えたこと、日々の活動を日誌としていきます。グローバルな視点で我孫子の今昔を紡ぎ合わせてABIKOと「観光」(まちの輝きを観せる意)、SDGsを率先してきたことを伝えます。
我孫子は、嘉納別荘と白樺派の関わりは深く、『リーチ先生』の新聞連載(2018)では我孫子の話がふんだんに登場していました。陶芸家として決意するリーチには、白樺派の一員として我孫子での暮らしが人生で最もハッピーな思い出だと記していた。実は、平将門の活躍の拠点だった時期もあったと調査がされてきました。NHK大河ドラマでロケ地観光のブームとなった『平将門、風と雲と虹と』(1976)の際は、まだ知られてずの郷でした。2019年では、同ドラマ『いだてん』によって嘉納治五郎の艱難辛苦がつまびらかにされ、東洋初のオリンピックが東京に決まるまでには、手賀沼もオリンピック競技施設の候補にと考えていた事が知られ、市民の浄財で嘉納銅像が建立(2020年)されました。五輪開催に奮闘した嘉納は晩年は我孫子別荘とご自宅とに半々でくらし、急逝された後にはご家族が移り住まわれていたことが近年の調査で分かってきました。さあ!智慧をもたらず巳年こそ、ねじり鉢巻きで、巻き返す年に!!

海津にいな 「あっちこち@ABIKO」活動日誌

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2015年09月30日

爽やかな季節に、新たな取り組み

◆ボランティアを募集しています!◆
一緒に政治をそして選挙を変えましょう!

•海津にいなをサポートしていただけるボランティアを募集しています!

•活き活きと安心して暮らせる地域社会、そして、平和な日本を私達の愛する子や孫に繋いで行きましょう!

•ご参加いただける方のご連絡お待ちしています!

◆主な内容◆

△ポスティング(活動レポートの配布)
•お住まいの地域のポスト(郵便・新聞受け)に、活動リポートを投函して頂くボランティアです。
•30分で50部~100部程度を、各戸のポストに入れてくださる、軽作業です。
いつもと違う我孫子の別エリアをご一緒に、または別途、歩いてみませんか(^−^)
•市内には約5万6千世帯があります。地域の課題と解決策そして、海津にいなの活動を知っていただく為に、一人でも多くの皆さんのご理解とご協力をお願い致します!
(いつも、笑顔で引き受けてくださってサポートくださる、皆さまには  感謝です)

△電話での呼びかけ
素敵な低い声でも結構、優しい落ち着いた声でも、賑やかな元気な声でもありがたいです、どうぞ 海津にいなと街づくりを楽しくする呼びかけに協力してください。事務所電話1(プッシュホン)でかけていただけます。

△選挙にも参加しませんか(20歳以上ならOK)
滅多にない選挙を体験してみるのもいいことですよ。
例えば、選挙カーのデザインを考える、インターネットの取り組みを考える、などなど。
選挙は究極のまちづくり参加です。
投票率がグングン下がって、そして誰もいなくなった、なんて・・・・
どうせ、誰かがなるのだから関係ないと思わずにチョイ選挙体験をしてみましょう。
耳を傾け、目を凝らして、参加することにも意味が増します。

この際、貴方の街、あびこの選挙を内側から体験してみませんか。
このさいに立候補を考えている方、海津にいなが一緒にお手伝いしまーす。
そして、次回に向けて頑張るのか、今回(11月)、頑張るか、判断するのはもちろんご自身です。
今までやったことがないことを考えてみるだけで、生き方も見方もかわります。

18歳からの選挙権が実現するのは近いです
そう、きっと何かが変わります、Sealdsもその始まりであるかもしれない

政治離れ、支持する政党がない時代ですが、我孫子ばなれ、我孫子をいいとは思わないなどはいただけません
私たちの街をちょっとでも良くしていくために、一日一分有権者十万人が考えたら、絶対に凄いことが起きます。そう思いませんか?試してみましょう。

どうぞ、まずは、下記(Comment欄を利用)からでも連絡OKです、試してみてください。
    まずは、海津にいなの 新たな街づくに力を貸してくださいね。
 
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2015年09月29日

自民党ハト派(護憲派)の行くへは

 安全保障関連法案への反対行動をしてきた学生団体「SEALDs」の主要メンバーらに、殺害予告が寄せられていたことをニュースで知った。それによると、通学する大学に、本人および家族に対する「殺害予告が来ました」ということだ。 SEALDsの代表は、15日に行われた参議院の特別委員会の中央公聴会に、野党側の招きで出席し、法案の成立に反対の意見を述べるなどの活動をしている。
 
 世の中には、様々な意見があってしかるべきで、それをこのような形で圧力をかけるというのは卑怯だ。同じ考えでないといけないということはあってはならない。まして、このような脅しをかけているなどとは、法案を通した側にとっても、関連性を疑われて迷惑なはずだ。いろいろな意見を民主主義のルールにのっとって
決める、のであって言論の自由は保障されて当然、それでこそ法治国家だ。学生が考えて、主張する、ましてこれからは18歳も選挙権を得るというのだから、考えて、主張することは大事なことだ。

 コラム(星浩)に興味深いことが書いてあったが、様々な考えが大政党であってもあるということだ。安倍政権のもとで絶対多数の自民党だが、その中で総裁選に挑まんとした女性議員の動きは頼もしくもあったし、そういう経過が全くないより健全だと思ったものだ。コラムでは、自民党のハト派と言われる人々の感慨などが紹介されていた。首相であった人も、人生いろいろと言ったが、政治の向きもいろいろであるということでもあったのだろう。そして、「あとは後世の人々が判断する」ということだが、冷戦が終わっても、ミサイルをどこに向けられるのか不穏の日本海周辺、高圧的に軍事力を示す国に対してアジア諸国が不安の色を隠せない事情、国としてではなく勢力を誇示するテロ集団、その中にあって、平和憲法の意味をしっかりと継承する教育がされていれば、このような脅しを書く人はいないのではと思うがどうだろうか。

 
 総裁選で、自民党・宏池会の若手議員が野田聖子前総務会長の推薦人になろうとしたら「派閥幹部から『安倍晋三首相に刃向かうわけにはいかない。絶対にやめろ』と迫られた」そうだ。かつて宏池会といえば、宮沢喜一氏や河野洋平氏のような「護憲派」の集団だった。今回の安保法制は、ほとんどの憲法学者から「違憲」と指摘されているのに、宏池会から違憲論は聞かれない。

 宏池会が弱体化してきた背景を、私(星浩)は三つの視点で考えている。
 第一に長期的な構造。宏池会の基本理念を、現会長の岸田文雄外相は「軽武装・経済優先」と説明する。宏池会の創設者、池田勇人氏が師事した吉田茂氏の政治哲学とも言われてきた。ところが、吉田氏自身は「軽武装・経済優先」を普遍的理念だと考えていたわけではないという指摘は多い。小沢一郎氏は、自民党の実力者だった1993年の著書で「吉田首相は、冷戦下の戦略として経済優先の政治を選択したにすぎない」と書いている。

 冷戦下では米国が日本を「反共の前線基地」として重視し、「軽武装」の日本を守ってくれたが、冷戦後はそうはいかない。日本も「普通の国」になるべきだというのが小沢氏の主張だ。宏池会が、国際情勢の変化に応じた新しい理念を示せているとは思えない。


つづき
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2015年09月28日

我孫子から湖北へ

昨日は、市民活動が一堂に会する「あびこ市民活動メッセ」が開催中なので、けやきホールにいってきました。エコライフの家庭のエネルギーの省力化診断を受けました。市民の皆さんの丁寧な取り組みに、頭が下がります。
 
 同日は、きもの愛好会での散策に誘われて、湖北のサンバ祭りにもいきました。
 まずは、いつも通りアビシルベに集合、なのですが、様々なイベントが繰り広げられてにぎわっていました (*^^)v
 そこで、今回も写真を掲載しましょうと、あびしるべのスタッフが写真を撮って、FBしてくださいました。

 写真を撮っている間にも、着物の会なのですか?と質問を受けるものの、やはり着てみるまでは勇気と時間もいりますね。それでも、この会のお誘いのお蔭で、着物の良さを改めて知りました。宝の持ち腐れにしないで、日本文化の紹介をして着物をもっと着ることも普及させ、着物の似合う街・我孫子で、活性化にも貢献したいと思います。
 
 今回のきもの散策ルートは、我孫子駅から湖北へ成田線利用でした。スケジュール管理の美味い、Sさんの掛け声で、予定通り11時16分発の電車に乗って湖北駅へ。「この駅で降りるのは初めて!」という声もありました。確かに。ちょとした観光ツアー気分になってきました。

 さて、着物でそぞろ歩くのと性格が真逆なのが、サンバのパレード!です。ニュースなどで間にするパレードも実際に見るのは初めて。なぜ、湖北にサンバがと思われるでしょうが、繋がりはともかくとして、商店街の活性化の一助と思います。地域の方の思い思いの露店から美味しいにおいがしてきて、子供連れの家族の笑顔が楽しいです。前の日に心配していたお天気はパレードが始まるころには、秋日和、日本晴れでした。どんなに準備しても、雨では中止ですから、主催者の皆さんの気持ちがツキを呼ぶのでしょう。

 パレードのような動きのあるショットを着物で淑やかに狙うのはなかなか難儀でした。子供の顔を映らないように、などと気を付けていたら、美女たちの顔もフレームから外れてしまいました。雰囲気だけお伝えします(写真は拡大せず)。
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 お昼の語らいも湖北のお店 ポワロのランチメニューでデザート、コーヒー付をゆっくり楽しみました(ワインの料金は別。写真は拡大可)。ゆったりした店内、少し早く入って正解でした。ピーク時はウエイティングでした。

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2015年09月27日

お茶、中国文化と日本文化の異質性を象徴 その2

 お茶の文化史を解説するとなると延々と語らなくてはならない程、歴史があるので、まずは一服・・・!?
 となってしまった。
 
 それで、今日も昨日の続きをお伝えしたい。
 実のところ、茶の湯の歴史、お茶の歴史がこれほど長い歴史と経緯があるとはおもってもみなかった。

 海を挟んだ日本では、茶の湯がようやく公武貴族社会に浸透し、まさに抹茶法が広まり始めたちょうどその頃であった。中国における喫茶法の変遷には三つの段階があった。第一は唐代の煎茶法、第二は宋代の点茶法、第三は元・明から現代まで続く泡茶法であった。

 日本では玳皮天目が国宝にされ高く評価されているが、その産地が江西の吉州窯であることを確認できたのは、実は近年のことである。窯址の発掘や出土品などから、南宋時代に玳皮天目が大量に造られていたことが明らかになった。

 曹昭以前の宋代の文人は玳皮天目を記録に残し、後世に伝えることをしなかった、ということである。
 しかし、宋代の文献に磁器がよく登場する。それは、後漢時代に始まった磁器生産が数百年の発展期を経て、宋代で最盛期を迎えたためである。青磁、白磁、黒磁、青白磁など、南北各地で様々な品種が生まれ、日常生活用具として庶民の日常に浸透した。とくに茶碗については、喫茶が文人の嗜好であるため、詩文に茶碗がよく詠まれていたのである。宋の文人は建窯の禾目天目、油滴天目を好んだが、吉州窯の玳皮天目には興味がなかった、ということである。

 室町期には大量の天目茶碗が伝来されたもともと天目茶碗は、宋代における抹茶点茶法の興起によって生
まれたものである。中国では北宋、南宋の両宋時代に流行り、葉茶泡茶法の台頭に従いその姿が消失してしまう。泡茶法では白磁の小ぶりの茶碗が好まれるようになった。

 油滴天目は、内外にかかっている漆黒の釉面に、銀色の油滴のような斑点が無数に浮かぶ茶碗である。古くから名物・大名物として尊ばれ、大阪市立東洋陶磁美術館の国宝油滴以外にも、重要文化財に指定されているものがいくつかある。油滴天目の油滴現象は、窯の温度が高くなると釉面が煮え、ぶくぶくと泡を吹く。やがて泡が破れた箇所に釉中の鉄が集まり結晶し油滴になったものである。

 千年前の宋代に造られた中国の茶碗は日本の国宝となり、博物館で数年に一度展示されるたびに国内で評判になる国宝と尊ぶ日本と、歴史の風塵の中に跡形もなく消失させてしまった中国の天目茶碗のあり方は大きく違う。

 成形や絵付けなども重要だが、最後の成敗はやはり火の具合に左右される。火の加減を判断する陶工は火眼金睛〞を有し、その技術を秘訣としている。現代でも、火を観る陶工の報酬が最も高額だという。

 国宝玳皮天目はこのような道程を歩んだ。誰にも愛されなかった玳皮天目茶碗が今日国宝になった理由は、その歴史の古さによるものであろう。歳月は茶碗の釉色に物理的な変化を与え、新品には見られない一種の風味を帯びるようになる。そして最も重要なことは、数百年の歳月が玳皮天目を「稀有」の唐物にしてしまったこと、点茶法の流行した宋代では、茶の白色と天目茶碗の漆黒の組み合わせこそが茶の極致であり、文人はそれを好んだ。玳皮天目は純粋な黒ではないため、喫茶に用いることがない。日常雑器として使われ壊れ棄てられ、歴史の風塵に消えた。一方、日本においては、茶人が唐物としての価値を重んじ、玳皮天目を茶
の湯にとりいれた。以来、茶人の価値標準に翻弄されながらも、その茶人の選択があったからこそ、今日まで伝わり国宝になったのである。


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2015年09月26日

お茶、中国文化と日本文化の異質性を象徴 その1

 昨日は市議会の最終日、陳情の案件で呼びかけがあって、傍聴にいった。全会一致で採択され、雨のそぼ降る中、男性傍聴者が多かった傍聴席で、女性は数えるほどだった。議席の中にも女性は3人になってしまったから、こういう席では女性の参画は席の向こうとこっちで同程度という感じ、さらに執行部には女性ゼロ。男女共同参画都市宣言は、宣言どまりというところか。女性は職員採用試験では高得点で男性を押しのけてしまうほどと耳にするものの、その後の展開はなぜなのだろう。
 
 さて、秋も深まる週末、和菓子をいただき、温かいお茶が嬉しい季節だ。京都あたりで、川面を眺めながら、旅の足を休め、お茶を頂いたら最高なロケーションだ。もともと、お茶の起源は中国に遡り、日本はお坊さんがもたらした。さらには、インドに伝わりチャイと呼ばれ、植民地統治の英国に伝わってアフタンーンティが盛んになり、それは、英王室からロマノフ王朝に嫁いだ妃によって伝わったということからか、ここでもチャイと呼ばれて、世界の紳士淑女に伝わったようだ。連休中日に行った交流会には、中国人留学生が来て、お茶の話がでた。中国では、ウーロン茶、ジャスミンティなどより緑茶が好まれ、菊の花茶もポピュラー
なのだと、意外な側面を知った。

 本家本元の中国の茶は如何にして茶を美味しく飲むかは、味だけではなく、色・香・味を含めるそうだ。唐の『茶経』、宋の『茶録』、『大観茶論』などの茶書は、茶の製作、水の選び、茶の点て方、茶道具の扱い方などから、ひたすらに茶の味を追求した。茶碗の釉色、器形、深浅、大小などにこだわったのも、茶を美味しく飲む。

 中国では茶碗は茶の味を際立たせるための道具とされる。日本人のこだわる玳皮天目は茶の色を邪魔し、茶の味を損じるとされ、選ばれなかった。陸羽は青磁の青に浅黄色の茶の色映りが良いと言い、越州窯の青磁茶碗を選んだ。蔡襄は黒磁の黒に白色の茶の色映りが良いと言い、建窯の天目茶碗を選んだ。徽宗皇帝は茶の味を第一だと語り、純白の茶の色を引き出すために黒の禾目天目をとりあげた。

 一方、日本の茶の湯は、茶碗などの茶道具を如何に賞玩するかということを重視する。日本最古の茶書、栄西の『喫茶養生記』(1211年成立)は、茶の薬用功能を説き、喫茶を養生の手段だと言いながら、茶を美味しく飲むとは言わない。鎌倉・室町時代の茶の湯には、根強い唐物崇拝がある。玳皮天目もその唐物崇拝の風潮のなかにあった。1380年の『新札往来』に「鼈盞」の語が見られ、茶人により喫茶道具として茶の湯に持ち込まれたことがわかる。

宋代では茶がすでに庶民の日常生活に浸透していた。だが、喫茶文化の担い手はやはり高い地位にいる文人階層だった。茶を嗜むこと、つまり、茶の色・香・味を楽しみ、茶の器にこだわる。そんなことができるのは、経済的にも時間的にも余裕があり、そして教養も必要なのである。徽宗皇帝の『大観茶論』に書かれた茶の点て方を見ると、第一湯から第七湯まで、湯を七回に分けて注ぐなど、その煩雑さに呆気に取られる。古今東西随一の複雑さである。これほど手の込んだ点て方で茶を飲めるのは、徽宗及びその周辺の文人官僚しかいない。

宋代の文人好尚、あるいは文人趣味とは何か?
 それは、平淡であった。
 技巧を尽くした玳皮天目は、宋の文人の平淡好みから遠ざけられた。そのため、玳皮天目は建窯の油滴天目や禾目天目のように一世を風靡することがなかった。産地である吉州地方の農民の日常雑器とされたり、あるいは海外貿易の商品に流されたりした。これが我が国の国宝茶碗に見える日本文化の矛盾と相克だ。

茶は中国で神農時代からすでに人々の生活に入っていた。最初は野菜として食用とされ、茶の葉を煮てその中に葱、生姜、棗などを加える野菜スープのような調理法であった。

『茶経』でこのような茶の扱い方を排斥し、新しい喫茶法を打ち出す。すなわち、茶の葉を蒸して臼で搗き餅状にして乾燥する。乾燥した餅茶を粉末に碾き、釜の中に入れ、水で煎じて飲む、という煎茶法である。徽宗皇帝の『大観茶論』になると、茶筅が現れる。茶筅を用いて茶碗の中で抹茶を点てるようになった。日本の茶の湯の原型はここにある。 元・明時代に入ると、葉茶の泡茶法が広がる。元代に入ると、宋代で盛んだった喫茶文化が衰退していく。さらに明代では、葉茶泡茶法が抹茶点茶法にとって代わり、小ぶりの白磁茶碗が好まれるようになる。油滴や禾目のような天目茶碗の必要性が少なくなったのである。

つづく 続きを読む
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2015年09月25日

『海鳴りの日々』、 戦後の機雷掃海の忘れてはならない事実

 毎週金曜日の夕方に続いてきた国会前デモだった。シルバーウイーク前の18日に法案成立となった。ホルムズ海峡での機雷掃海について、海自の任務を集団的自衛権で対応させようとのためにも安保関連法整備が必要と政府は強調したのである。今後、国民の理解が広まるように努力し、平和な国際社会へ向けるなどと安倍首相は頭をさげた。国民の関心、若い世代の意識の高まり、これまで積み重ねたことは大事なプロセスであるから、国民にも安心できる説明責任をさらに今後に果たしていただきたい。 

 実際、調べてみれば、海自の機雷掃海能力は世界でも屈指のレベルにあるといわれる。なぜなら、 終戦直後、日本の周辺海域は旧日本軍が防御のために敷設した機雷5万5000個に加え、大陸からの物資や食料を遮断する米軍の対日飢餓作戦でまかれた機雷1万2000個とで埋め尽くされていた処理をしなければならなかったからだという。

 これを取り除くため、主要航路の掃海活動を重ね、約7000個の機雷を処分した。昭和60年までの間、79人の殉職者を出している。現在でも港湾工事前の潜水調査や磁気探査で残存機雷が発見されることがあり、その都度、海自は粛々と処分している。
国内での機雷掃海訓練は青森県の陸奥湾などで年4回実施されるが、本物の機雷を使い、実際の爆破処理を行うのは硫黄島での訓練が唯一だ。

 平成3年には、湾岸戦争終結後のペルシャ湾に海自は掃海派遣部隊を送り込んだ。当時はすでに他国海軍が掃海活動を実施中で、遅参した海自の掃海部隊には掃海活動が最も難しく、危険な区域が割り当てられた。 過酷な条件にもかかわらず、海自は34個の機雷を処分。各国から高い評価を得た。安倍首相が「日本は高い掃海能力を持っている」と胸を張るゆえんだ。

 こうした事情を振り返るには、初代海上保安庁長官として日本の掃海艇を出動させた大久保武雄(1903年-1996年)ついて触れなくてはならない。 1939年(昭和14年)4月、航空局の国際課長だった大久保は、山本五十六海軍中将から爆撃機を借り受け、日本政府代表としてイランへの親善飛行を行い、イラン皇太子の御結婚式に出席する要職にもついた。1941年(昭和16年)、第二次世界大戦の直前にはポルトガル領チモールとの航空交渉のため、日本政府代表としてチモールに飛ぶ外交にも関わる人物であった。

 1945年(昭和20年)8月5日、広島の中国海運局長に赴任し翌6日、宇品の陸軍船舶司令部との交渉のために、広島を7時に発つ。それからわずか1時間15分後の8時15分、原爆が投下された。中国海運局は、爆心地からおよそ710メートルの距離にあり、建物は骨組みと外郭を残して全焼し、中国海運局の職員19名が死亡した。大久保は、その後毎日爆心地にある警備本部に通っていたため二次被爆しており、 原爆死没者名簿にも登録されている。

 そこで、1948年(昭和23年)5月、戦中戦後の国内外の諸問題を解決した手腕を認められて、海上保安庁設立と同時に初代長官に任命されたのだ。さらに、1950年(昭和25年)3月、昭和天皇が四国巡幸のため船で瀬戸内海を渡ることになった際には、海上保安庁掃海隊の総力をあげた突貫作業の末、巡幸までに無事に機雷の掃海を完了した。ところが、同年、朝鮮戦争が始まった。すると、10月2日にアメリカ海軍極東司令部参謀副長アーレイ・バーク少将に呼ばれ、 「掃海艇を残らず対馬海峡地域に集合させて元山沖の機雷掃海を援助し、 仁川の敷設機雷の後始末を支援するよう」要請された。吉田茂首相の承認の下、日本占領にあたっていた連合国軍の指示に従い、10月16日に海上保安庁は掃海部隊を編成した。しかし、これは戦地での掃海活動は戦争行為を構成する作戦行動であった。

 朝鮮水域における本格的掃海は、未だ我が国が占領下にあった時期のことであり、日本としては平和条約締結の前で、国際的にも微妙な立場にあったのでこの掃海は秘密裏に行われた。後に事実が明るみに出ると、当時の国会において、憲法上の兼ね合いから国会承認もなしに掃海艇を派遣していた問題となった。

 日本は掃海艦艇33隻を派遣し、29個の機雷を処分した。このときの献身的な掃海活動が連合国の対日不信を解き、日本の早期独立の一助になったともいわれ、朝鮮戦争に伴う国連軍への協力として実施した次の掃海がある。

  ・朝鮮水域における本格的掃海    昭和25年10月10日〜昭和25年12月6日
  ・朝鮮水域における試航船掃海    昭和25年11月18日〜昭和27年6月30日
  ・東京湾及び佐世保港外の日施掃海 昭和25年 7月16日〜昭和28年9月15日

  大久保は、1978年(昭和53年)、 朝鮮戦争に参加した機雷掃海隊のことを思い、触雷し犠牲となって亡くなった若き掃海隊員のことを思い、歴史に事実を残さなければと、1978年(昭和53年)9月、当時のことを綴った『海鳴りの日々 ― かくされた戦後史の断層』を海洋問題研究会より出版。国内外に大反響を起し、NHKテレビは『日本特別掃海隊朝鮮戦争秘央』として特集を組んで数回放映した。

 国会議員として要職につくなどの他、1987年(昭和62年)4月、日本伝統俳句協会の創立に尽力、副会長にも就任の経歴があった。勲一等瑞宝章授与の際に、「この栄光は私一人のものではない」と機雷掃海隊のことを思い、「春惜しむ 慶びごとに 召されても」の句を詠み、手記を発表したのだった。

 こうした戦後の安全な航行をふくめての努力は多く語られずにいた。矢継ぎ早の法案で、強行採決では国民の危惧を高めるばかりでいた。さらに、南スーダンでの国連平和維持活動、2015年2月末までだった派遣期間を6カ月延長し、2015年8月末までにすることを決めたが、国連が南スーダン派遣団の期間を2015年11月まで延長したことに伴う措置にともなって、2016年2月末までにすることを決定していた。これら、国会での審議の過程を今後はさらに平明に伝える努力をして頂くことは大事だ。

最近放映の「池上彰の憲法ってなんだろうSP」での解説が視聴(−48分まで)できます
http://txbiz.tv-tokyo.co.jp/ikegami/vod/post_97480/?code=f9o1prWECeY221Q_

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2015年09月24日

大規模洪水、災害弱者への対応が遅れる

大規模な洪水に見舞われた茨城県常総市では、発生から11日経った21日も、1300人の市民が市内外の避難所で生活を続けている。水道は21日夜になって、市内全域で復旧したが元の生活に戻れる見通しは立たない。障害のある人や、自閉症の人がいる家族は不自由な毎日を強いられている。

 石下(いしげ)総合体育館で避難生活を続ける斎藤哲雄さん(66)は文字が認識できない「視覚失認」という障害があり、妻の純子さん(61)は全盲だ。

 洪水が発生した日、2人は自宅2階に取り残され、ヘリで救助された。視覚障害者が使う白杖(はくじょう)は、つり上げられる際、置いていかざるを得なかった。2日後にボランティアの車で白杖や、時刻を音で知らせる腕時計を取りに行けたが、周囲に人が多い中で動きづらい状況が続く。

 避難所でラジオをつけたままにもできず、被害状況や復旧の情報は、新聞を読んでもらったり、人に聴いたりして得た。「耳からの情報が少なくて不安だった」と2人は言う。

 自宅にヘルパーを派遣してくれていた市社会福祉協議会の職員と連絡が取れたのは、1週間ほど経ってから。一時的に入所できる福祉施設を探してもらっている。自宅は損壊が激しく「このまま老人ホームに入るか、新しい家を探すか」。先行きが見えず、2人は不安を募らせる。

 「やっぱり集団生活を続けるのは無理。それを実感しただけ」。市内の木村敬子さん(55)は、自宅でそうつぶやいた。

 自閉症の長女(23)と三女(20)がいる。泥水が迫り、他の家族も含めた4人で自宅を出た。子どもがかつて在籍し、宿泊訓練も積んでいた特別支援学校(つくばみらい市)に助けを求めた。しかし避難所になっておらず、入れなかった。

 つくばみらい市内の避難所の体育館へ行った。20世帯ほどしか来ていなかったが、娘2人は落ち着きをなくし、長女は突然外に出て行った。三女は備え付けのピアノをいじり出した。「避難者が増えたらもっと落ち着かなくなる」。トラブルの恐れもあるため、1時間で避難所生活を断念。友人宅に1泊だけして、浸水した地域にある自宅に戻った。

 広瀬勇さん(38)と両親も、自宅が床上30センチ余りまで浸水し、避難所に行ったものの、半日で水浸しの自宅に戻った。母のツギ子さん(66)は昨年12月、脳梗塞(のうこうそく)で倒れて左手と左足がまひし、要介護3に認定されており、電動ベッドがないと寝起きが難しいためだ。

 ツギ子さんは自宅近くの通所介護施設で毎週2回、リハビリをし、介助を受けて入浴してきた。だが、この施設も機器が水につかり、10月まで受け入れができないという。勇さんは「避難所にも介護施設にも行けない」と嘆く。

 ツギ子さんは14日、常総市に隣接する下妻市から迎えに来た介護施設の車で1時間かけて移動し、10日ぶりに汗を流し、簡単なリハビリをした。ツギ子さんは「本当に助かった。でも遠くて体がつらい」と漏らす。だが15日以降、リハビリも入浴もできていない。勇さんは「施設を探し回るしかない」と話す。(酒本友紀子、赤井陽介、池田良)

■常総市、福祉避難所の開設求めず

 鬼怒川の堤防が決壊して大規模な洪水が発生した茨城県常総市は、災害時に高齢者や障害者、妊婦ら一般の避難所では生活が困難な人を対象とした「福祉避難所」を開く協定を、市内6カ所の介護施設などと結んでいたのに、今回、開設を求めていなかった。市の防災担当者は「災害対応に追われ、関連部署間で連携ができていなかった」と話す。

 福祉避難所は、市区町村が指定できる。内閣府の2014年10月1日時点のまとめでは、791自治体(45%)が指定している。東日本大震災でも、高齢者や障害者を含む家族が避難所に行けず、情報や物資が届かないケースがあり、内閣府は13年8月、自治体向けに「福祉避難所の量的確保」と「周知」などを求めた。内閣府によると、石川県輪島市は、福祉避難所の設置運営訓練や要援護者の避難訓練などをしている。

 常総市は13年2月に協定を結んだが、今回は福祉避難所の開設まで手が回らなかったという。市高齢福祉課の瀬尾則昭課長は「救済システムがあるのに使わないと意味がない。職員にも福祉避難所に対する認識が足りていなかった」と話した。

 現在は茨城県が、周辺自治体の介護施設などへ受け入れを要請し、18日時点で常総市内を含め97カ所で394人の受け入れができるようになっているが、あまり知られていないとみられる。

 内閣府の「福祉避難所ワーキンググループ」で座長を務める矢守克也・京大教授は「日ごろからの周知や開設の訓練をすることが必要」と指摘する。
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2015年09月23日

彼岸:先の大戦で亡くなった方々をも偲んで

ご先祖様を振り返る、秋のお彼岸は秋分の日を真ん中に挟んで前後3日の合計7日間です。海津にいなもお墓詣りしてきました。大変にいい天気、シルバーウイークの帰省ラッシュはこれから始まるようです。お出かけの方々は、彼岸の入りにお参りをすませて、お出かけだったことでしょう。ご先祖様のことを思い出してお祈りするとか、お参りに行く行為も大切ですが、やはり一番大切なのは日々を大切に生きる気持ちです!

 この間に、皆様には「にいなレポート」をお届けしたところですが、お読みいただけているでしょうか。もし、届いてないけど、読んでみたいという方は、ご連絡ください(ブログ下欄のコメント記入の際に、お知らせください)。

 ご先祖さまを振り返る時でもあり、先の戦争でご苦労された方々のお話も戦後70周年でもあり、また、安保法制の大転換の期でもあり、連休最後の日にもう一度、歴史の一コマを振り返ってみたいと思います。そして、また、明日から頑張ってまいりましょう。


戦時中、国策として旧満州など中国大陸へ送り出された満蒙開拓団の生存者・黒田雅夫さん(79)=亀岡市西つつじケ丘=が、福知山市内記一丁目の福知山城公園を1日に訪れ、公園内に建つ「満州開拓顕彰碑」を見学。当時を回顧した。

 顕彰碑は、福知山市と旧天田郡の天田郷開拓団、第二天田郷開拓団の開拓精神や戦争での悲劇的な終焉を伝える石碑。開拓団の引き揚げ者で結成された「天田拓親会」が、郷土史上初めての集団的海外移住の事業を風化させず後世に残そうと、1956年に建立した。

 黒田さんは1944年6月、京都開拓団の一員として両親と弟、祖父の家族5人で吉林省に入植した。しかし父親は現地召集され、そこへ
ソビエト軍が侵攻。終戦後も現地住民からの略奪や暴行が相次いだため、逃避行が始まった。

 この間、弟は中国人に預けられ、母と祖父は死亡した。母は亡くなる前夜、寝ている黒田さんを起こし、粗末なご飯を食べさせ、翌朝息を引き取った。祖父は水を飲んだあと「おおきに」とだけ言い残し、「コトリと死んだ」。

 わずか10歳で孤児になった黒田さんは、飢えと極寒に耐えながら、路上生活を送った。中国人がまんじゅうを放り投げて与えてくれたこともあったという。キリスト教会に保護され、46年6月、舞鶴に引き揚げてきた。

 今は「母や祖父を現地にほかし(ほうりだし)てきた」ことへの思い、当時のつらさ、生きてこられた喜びなどを、「母や祖父の供養になれば」と多くの人に語り継いでいる。

 顕彰碑や「311人の開拓団員並びに家族のうち、死亡者145人」などと書かれた説明板を読みながら、「福知山には立派なものが建てられていてうらやましい。私も亡くなった人を慰める石碑を建立したいという願いがあったが実現せず、あきらめかけていましたが、建てたいという思いを強くしました」と話していた。


出典:
両丹日日新聞社:8月5日
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2015年09月22日

難民へは今も鎖国

欧州にシリア難民らが押し寄せている問題で、各国が新たな受け入れを表明する中、難民認定が極めて少ない日本の現状に海外メディアや人権団体から疑問が投げかけられている。法務省は審査をさらに厳しくする制度見直しを検討しており、国際世論の高まりと逆行する日本の「鎖国」ぶりが際立つ格好になっている。

 ロイター通信は9日、「欧州は難民に扉を開き 日本はさらに厳格に」と題する記事を配信。昨年の日本の難民認定数が5000人の申請者に対しわずか11人だったことを紹介し、法務省が事実上の制度厳格化を検討していると伝えた。英紙ガーディアン(電子版)も同日、日本の難民に対する門戸の狭さを批判的に報じ、欧州の難民問題によって「日本政府への圧力が高まっている」と指摘した。

 国際人権団体「アムネスティ・インターナショナル」は4日、高所得国でありながら難民受け入れに消極的な国として日本、ロシア、シンガポール、韓国を挙げた。

 欧州の難民危機を巡っては、欧州連合(EU)の欧州委員会が9日、加盟国に新たに計12万人の受け入れを義務化する案を示した。さらにベネズエラが2万人、豪州が1万2000人の受け入れを表明するなど欧州以外の国も相次いで協力を表明。消極的だった米国も、ケリー国務長官が同日、受け入れに前向きな意向を示したが、日本は菅義偉官房長官が7日の記者会見で「難民対策はこれまでも国際社会と連携して対応している。現時点で具体的な政策を追加することは考えていない」と米国とは違う見解を述べ、受け入れに及び腰だ。

 法務省の統計では、難民申請者数は増加しているものの、認定数の割合は2012年以降、1%未満にとどまる。NPO法人「難民支援協会」(東京都)によると、日本政府がこれまでに難民認定したシリア人は昨年の3人のみという。他に約40人が「人道上の配慮」として在留を許可されたが、難民認定者と異なり、日本語や就労の定住支援が受けられず、家族の呼び寄せにも厳しい制約がある。

 法務省は近く、難民認定制度を含む出入国管理政策の今後5年間の基本計画を新たに策定する方針で、6月に計画案を公表した。保護の対象は拡大される方向だが、就労目的の「偽装難民」対策として再審査や就労資格の制限を盛り込むなど審査の厳格化に内容が集中しており、日本弁護士連合会は「申請抑制策に特化した内容となっている」と批判する。

 海外メディアの取材にも応じた難民支援協会の石井宏明常任理事は「これまでのような資金援助だけでは日本は『難民に冷たい国』との印象がさらに強まるだろう。人道目的として受け入れ要件を緩和するような政治決断が求められる」と指摘した。


出典:毎日新聞 9月11日

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2015年09月21日

シリア難民のアイラン君(3歳)の写真が欧州の難民政策を変えた

 9月4日、小さな子供のショッキングな写真が、欧州諸国の政治家に政策転換させる事態をせまりました。その写真とは、クルド人のアイラン君(3歳)という男の子の亡骸が、トルコのリゾートビーチに漂流したという哀しい情景です。赤いTシャツと青いズボン、靴を履いたまま波打ち際で発見されました。

THE WALL STREET JOURNAL(注:アイラン君の写真と関する記事が掲載)
http://on.wsj.com/1JP8Ozg

 亡くなっていたアイラン君を発見したのは、トルコの地元記者の女性でした。「私ができたことと言えば、彼の叫びを世界に届けることだけでした」とその記者はインタビューで答えていましたが、彼女が撮影したライアン君の姿は、シリアの難民問題がいかに深刻かを象徴する一枚として、世界各国のメディアによって広く拡散されることになりました。

 「写真に撮られなかった犠牲者、人知れず亡くなった犠牲者、そして我々が何もしなかった場合の未来の犠牲者に思いをはせている。だから今こそ行動するときだ」とは、移民大国フランスのオランド大統領の言葉です。

 この写真をきっかけにして、オランド大統領とドイツのメルケル首相は連名で、難民の受け入れの新たな仕組みをEUに提案。一方、イギリスのキャメロン首相も、「一人の父親としてライアン君の写真に深く心を揺さぶられた」と、移民や難民の流入を制限してきた政策を一転し、シリア難民を数千人規模で受け入れることを約束しました。難民のための避難所増設を求める世論が高まっている英国では難民申請者をより多く受け入れるよう要求するオンライン請願書への署名者数が1日前の4万人から30万人に急増したからです。一国のリーダーも、一人の人間です。「一人の父親として深く心を揺さぶられた」というキャメロン首相は悲痛な念を言葉にしました。

 「ヨーロッパが直面する難民問題」と日本では報道されている今回の問題ですが、これは本当に「ヨーロッパ」だけの「問題」なのでしょうか。シリアの混乱、ISの台頭、中東地域の泥沼化は、米国が「大量破壊兵器」の名の下に仕掛けたイラク戦争が引き落とした部分が非常に大きいのです。実際には大量破壊兵器は存在しませんでした。戦端を開く言いがかりだったのです。米国の責任は重大であるにもかかわらず、イラクを破壊しただけでなく、その隣のシリアへも空爆を敢行しています。いつも自身の過ちを認めない米国は、「世界の警察官」「正義の国」であるかのように他国を空爆する、そんな資格を誰が与えたというのでしょうか。その米軍に、なぜ自衛隊がついていかなくてはならないのでしょうか。

 国際的なシリア難民の問題が日本で議論や問題にならないのは、日本政府が難民受け入れないために、回避してきたに過ぎません。日本が難民認定したシリア人は3人だけ。今年6月、国連は日本にも難民受け入れに協力するよう要請しています。

 一方、ドイツのメルケル首相は80万人の難民を受け入れる意向を表明していますが、ドイツが難民を受け入れる根拠は「連邦基本法に規定された人間の尊厳と庇護権である」とメルケル首相は述べています。もちろん、国内から反発がないわけではありません。財政負担の増加や難民の収容施設不足、職員不足などで国内から不満が上がっているほか、「ネオナチ」といった極右の差別主義グループが難民排斥の暴動を起こすなど、受け入れに抗議する勢力の存在も深刻です。

 しかし、そうした状況を抱えながら、難民の受け入れはドイツにとって大きな挑戦であることを認めた上で、メルケル首相は毅然とした態度で「ネオナチ」について、次のように呼びかけています。「どのような理由であれ、このようなデモへの参加を呼びかける人たちには従わないように。彼らの心は偏見に満ち、冷たさと憎しみがあるからだ。近づかないように」と、一定の反対世論がありながらも、人間の尊厳を重視する女性リーダーのこの決断に、88%の国民が難民のための衣類提供や募金に協力すると答え、ボランティアに協力するという世論も67%に上ったそうです。

 メルケル首相の覚悟にドイツ国民も立ち上がったのでしょう。身一つでようやくドイツに辿り着いたシリア難民の多くを、ドイツ市民が歓声と拍手で迎え入れるシーンが世界に報じられました。そして、ライアン君の写真から聞こえてくる難民たちの叫びは、今でも波紋を広げています。欧州以外の国々、ブラジルやオーストラリア、ニュージランドも次々とシリア難民の受け入れを各国首相が明らかにしています。

 世界中のメディアが溺死した男児の画像をさまざまな形で報じました。難民の救援に消極的だとして先進国の首脳陣に怒りの矛先を向けるようになっています。カナダでは来月の総選挙の争点に、難民危機に対する同国の対応に注視。ハーパー首相は3日、政府の難民対応の実績を挙げて擁護し、今後も一層の努力をすると約束したということです。

 安倍総理の言う「積極的平和主義」とは、実態は何なのでしょう。国際社会の平和と安定にこれまで以上に積極的に寄与していかなければならないという平和主義が、なぜ、集団的自衛権だけの文脈でしか語られないのか。日本が難民に「積極的平和主義」で受け入れる姿勢が示せば、中東、欧州を経て、日本に渡ってくることもあるでしょう。人口の約半数、400万人ともいわるシリア難民が長引く内戦によって国を追われ、トルコやレバノン、ヨルダンなどへ逃れたました。トルコのエルドアン大統領は「地中海を難民の墓場に変えた欧州諸国はすべて、難民を死に追いやった罪を背負っている」とし、「地中海で溺れているのは難民だけではない。われわれの人間性もだ」と述べました。その後、ドイツやスウェーデン、オーストリアといった欧州各国が、彼らを受け入れ、これまでの経緯を認識して保護する意思を示したので、難民が欧州へ移っているのです。

 思い返せば、年初にシリアで日本人の人質2人がISILに殺されたとき、許さないと強い口調でISILの暴力をすぐにも非難した安倍総理でした。それが、なぜ同じくシリアを舞台にした難民の苦境に対しては、沈黙なのか。それが安倍総理の国際感覚なのか。これまでシリア難民を受け入れてきた国に資金援助をしてきたとは言え、世界各地で能弁ぶりを示してこんな時に「沈黙は金なり」ではないはず。

 「戦争法案」という呼称に反発し、地理的制限を取り払って地球規模の平和や安全を強調して掛け持ちでテレビ出演しながら、今こそ人道的な配慮を示すべき時であるはずなのに、何ひとつ「積極的」な言動を見せないのはなぜなのか。

 今までの歴史をみても、差別と侵略戦争は深く結びついているのは明らかだ。そうした背景にあってヘイトスピーチを行うレイシストの偏狭なナショナリズムに違和感を感じて、町中で日の丸の旗を慶事に掲げる家も減ったようなのである。偏狭なナショナリストは操り甲斐がある、大挙して動いて投票に結びつくから、支持率にも結びつけてもきたようなところがある。外国人特派員の取材で、日本会議の存在が政治と強く結びついていることも明らかにされている。レイシズムとの決別を敢然と訴えたメルケル首相の発言をどう聞いたことのだろうか。今回の件で改めて、安倍総理のいう「積極的平和主義」の本質が見えた気がします。


参照:IWJメルマガより
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2015年09月20日

フュージョン・スナック Korea-Japan by CNN

CNNが「韓国の代表的なストリートフード」を紹介していた。1位「トッポッキ(餅の甘辛炒め)」、2位「パジョン(チヂミ)」、3位「キムパプ(海苔巻)」、4位「スンデ(豚の腸詰)」、5位「ホットック(蜜入りおやき)」、6位「オデン(おでん=串にささった魚の練り物)」、7位「ハッドグ(ホットドッグ=アメリカンドッグ)、8位「ブンオパン(鮒パン=たい焼き)、9位「マンドゥ(饅頭=餃子)」、10位「タッコチ(焼き鳥)」の順になっている。

その際に、ネット上で反応があり、「36年間にわたって日本の植民地支配を受けた影響からか、海苔巻やおでん、たい焼き、アメリカンドッグなど、日本がオリジナルの物が多く、残りは唐辛子や醤油なしでは作れない食べ物ばかりだ」との声が出ていた。ただし、海苔巻については「オリジナルより韓国バージョンがおいしい」そうだ。

さらにこれを受け、韓国ネットユーザーはさまざまなコメントを面白おかしく寄せている。
「こんなに日本の食文化が入り込んでるなんて!?」
「他のはちょっと分からないけど、おでんは認めざるを得ない」
「アメリカンドッグが日本から来たって?初耳ですけど」
「串焼きは日本の食べ物じゃなくて遊牧民族から生まれたもの。材料を鶏肉に変えただけでしょ」
「中国→韓国→日本の順で食材が入って来て発展した。日本が特に食べ物への審美眼があるのは認めるけど、韓国の食べ物の多くが日本のマネをしたってのは…聞き捨てならない」
「日本や中国から来たのは確か。でもそこから韓国化したんだから、今は韓国の食べ物といえる」

などなど、日本の焼肉店に韓国料理が入って親しまれているし、キムチは日本の国民食のようだし、それこそ朝鮮人参を珍重して、韓国のりでビールの一杯も歓迎だ。美味い物はうまい、笑顔がいがみ合いよりも大うけする、政治家や某組織などに囚われず、お互いの文化融合こそ、庶民の知恵でしょう。

参照:
Record China 6/8(翻訳・編集/松村)
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2015年09月19日

秋の夜長、睡眠も大事

本日午前2時半頃、集団的自衛権にもとづく安全保障関連法案が参議院本会議で可決、成立しました。さすがに、HNKでも中継がされました。経過をテレビで視聴されていた方も多かったことでしょう。

安堵された方あり、納得いかなかった方々、それぞれに眠りにつかれたことでしょう。

睡眠の質が下がると脳疲労に陥ってしまいます。やはり、健康な体に健康な精神が宿るです。
また、新たな一歩を進めていくためにも睡眠不足は気をつけなくてはいけないです。
脳疲労を引き起こすリスクファクターの1つだからです。

脳が休めるのは睡眠中だけなので、睡眠時間が不足したりすると、脳は休む間がなくなってしまうのです。
脳疲労とは、外部から入る情報が多すぎて、大脳新皮質が処理しきれなくなった状態のことです。本来、外からの情報は大脳新皮質、内部の本能的な情報は大脳辺縁系担当していますが、大脳新皮質だけがフル稼働し、大脳旧皮質の情報は無視されてしまいます。その結果、自律神経に伝達される情報が大脳新皮質の情報ばかりになり、バランスが崩れてしまうのです。

このような脳疲労が慢性化すると、大して動いていないのに疲労感を覚えたり、抑うつ状態になることも。
良質な睡眠をとるには、午前中に太陽の光を浴びること、適度に運動することが大切です。
寝室の明かりは30ルクス未満にする。30ルクス以上の光源があると、メラトニン分泌が妨げられます。ロウソクの灯りでさえ15ルクス程度なので、蛍光灯などの照明を天井から照らすのは避け、豆球だけにするなど工夫するとよいでしょう。

生活リズムのことを「サーカディアンリズム」と呼びます。人体のサーカディアンリズムを調節している2つのホルモンがメラトニンとコルチゾールです。
簡単に言えば、眠りを深くするのがメラトニン、起きる方向に導くのがコルチゾールになります。

メラトニンは普段、眠る時刻の1〜2時間前から分泌され始め、入眠後、間もなく訪れるノンレム睡眠(深い眠り)をもたらします。ノンレム睡眠の間は脳の大脳新皮質も休んでいるので、脳の疲れ、ストレスを回復させることができるのです。

また、ノンレム睡眠中には、身体の疲労回復やダメージ修復が行われます。まさにメラトニンは疲労回復の要とも言える重要なホルモンなのだそうです。
充実した実りある秋の日々を楽しんでください。


なお、22日、湖北台近隣センターで交流会を行いますので、お時間がございましたらお申し込みください。
 詳細は 電話1(プッシュホン)(Fax)04-7184-9828 海津まで



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2015年09月18日

「違憲立法」採決は 平和憲法を介錯

強まる国民の反対の中、安全保障関連法案をめぐる与野党の攻防は最終局面を迎えた。与党はあくまでも週内に成立させる構えだ。

 歴代内閣が「憲法を改正しなければできない」と明言してきた憲法解釈を覆し、安倍内閣が集団的自衛権の行使を認める閣議決定をしたのは昨年7月。以来、憲法学者や元内閣法制局長官らの専門家が、そのおかしさを繰り返し指摘し、学生、子育てする世代、戦争経験のある戦中派に代わって若い国民のデモ参加が目立ってきた。もはや、戦後ではない、組織・政党によるデモが目立った時代とは違う、個人の意思を示す国民が平和を求めるデモだ。

国会前.JPG  kokkaimae.JPG

 ■裏道をたどった政権

 その決定打が、違憲立法審査権を持つ最高裁の長官を務めた山口繁氏の次の言葉だ。「従来の憲法解釈が、9条の規範として骨肉と化している。集団的自衛権を行使したいのなら、9条を改正するのが筋であり、正攻法だ」

 もはや最高裁の判断を待つまでもない。集団的自衛権にかかわる立法は違憲だと考えざるを得ない。なぜ、集団的自衛権を行使できるようにしなければ、国民の生命や財産を守ることができないのか。この根本的な問いに、安倍首相は日本人が乗った米艦の防護や中東ホルムズ海峡の機雷掃海を持ち出したが、その説明は審議の過程で破綻(はたん)した。

 それでも政権は法成立へとひた走った。これは、安倍内閣が憲法を尊重し擁護する義務を守らず、自民党や公明党などがそれを追認することを意味する。

 法治国家の土台を揺るがす行為だと言わざるを得ない。 安倍政権がたどってきた道筋を振り返ってみよう。

 2012年末に政権復帰した安倍氏は、9条改正を視野に、まず憲法改正手続きを緩める96条改正を唱えた。ところが世論の理解が得られないとみると、9条の解釈変更へと転換する。有権者に改憲の是非を問う必要のない「裏道」である。

 真っ先に使ったのが、違憲立法を防ぐ政府内の関門であり、集団的自衛権は行使できないとの一線を堅持してきた内閣法制局の長官を、慣例を無視して交代させる禁じ手だ。

 法制局の新たな体制のもと、政権は集団的自衛権の「限定容認」を打ち出した根拠としたのは、59年の砂川事件最高裁判決と72年の政府見解だ。


 ■法の支配を傷つける
 だが、砂川裁判では日本の集団的自衛権は問われていない。72年見解は集団的自衛権の行使は許されないとの結論だ。「限定」であろうとなかろうと、集団的自衛権が行使できるとする政府の理屈は筋が通らない。

 その無理を図らずも裏付けたのが「法的安定性は関係ない」との首相補佐官の言葉だった。そのおかしさにあきれ、怒りの声が国会の外にも大きく広がったのは当然である。

 安倍首相は「安全保障環境の変化」を理由に、日米同盟を強化して抑止力を高め、国民の安全を守ると繰り返してきた。こうした安全保障論にうなずく人もいるだろう。

 一方、自衛隊を出動させるという大きな国家権力の行使にあたっては、政府は極めて抑制的であるべきだ。どんなに安全保障環境が変わったとしても、憲法と一体となって長年定着してきた解釈を、一内閣が勝手に正反対の結論に変えていい理由には決してならない。

 そんなことが許されるなら、社会的、経済的な環境の変化を理由に、表現の自由や法の下の平等を政府が制限していいとなってもおかしくない。 軍事的な要請が憲法より優先されることになれば、憲法の規範性はなくなる。

 つまり、憲法が憲法でなくなってしまう。


 ■立憲主義を問い直す

 これは、首相が好んで口にする「法の支配」からの逸脱である。自衛隊が海外での活動を広げることを歓迎する国もあるだろう。だが、長い目で見れば、日本政府への信頼をむしばむ。

 裁判所から違憲だと判断されるリスクを背負った政策をとることが、安全保障政策として得策だとも思えない。首相は「夏までに成就させる」との米議会での約束をひとまず果たすことになりそうだ。

 一方で、法制局長官の交代に始まるこの2年間を通じて明らかになったのは、たとえ国会議員の数のうえでは「一強」の政権でも、憲法の縛りを解こうとするには膨大なエネルギーを要するということだ。

 憲法は、それだけ重い。

 憲法学者や弁護士の有志が、法施行後に違憲訴訟を起こす準備をしている。裁判を通じて違憲性を訴え続け、「もう終わったこと」にはさせないのが目的だという。憲法をないがしろにする安倍政権の姿勢によって、権力を憲法で縛る立憲主義の意義が国民に広まったのは、首相にとっては皮肉なことではないか。

 改めて問い直したい。憲法とは何か、憲法と権力との関係はどうあるべきなのか。

 法が成立しても、議論を終わりにすることはできない.


朝日新聞:9月17日
posted by Nina at 20:00| 千葉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

拙速な法案審議は、文化的国家ではない

国民注目の一日が始まりました。NHKではテレビ、ラジオで中継しない国会中継を、yahoo.でJAPANはインターネット中継でLIVE視聴できるようになっていました。国会の外での座り込みもネットで中継されています(ただし、6時半まで)。

YahooのURLをクリックすると、討論がLIVE中継です。お昼前に休憩を挟んで4時半から再開後も放映されています。
http://news.yahoo.co.jp/story/32

 一昨日からほぼ夜通しで行われた国会前抗議は、昨日は国会内が大混乱です。強行採決など認めない、これからも声を上げ続ける「廃案!」が国会前でこだましています。多くの人々が国会に向かって叫び続けている時に、坂本龍一(音楽家)さん、茂木健一郎(脳科学者)さんが来ましたが、昨日は、石田純一(俳優)さんが颯爽と現れたのです。



 驚き!とそして歓声があがり、国会前で、石田さんは、「日本は個別的自衛権で守れるのに、なぜ集団的自衛権が必要なのか!」と問いかけ、大きな拍手と喝采が起こったのです。一流国家として、防衛問題にかかる憲法について、このような審議で進めていくのを子供たちに見せるなら、文化的でも教育的でもありません。未来の子どもたちにいい決断をしたと言わせるなら、一度、頭を冷やして考えて欲しいです。

 これまで、芸能人は政治的な発言を控えるべきだというちまたの不可解な「政治タブー」がありましたが芸能界もそれを破って、吉永小百合さん、渡辺兼さんらも意思表明しています。 石田さんの登場で、「おおー!!!」と国会前も一気に盛り上がりました。

 過去の戦争で亡くなった方たちに敬意と哀悼を表しながらスピーチする石田さんの姿からは、しかし、気負いなく、誰も彼もが思ったことを述べるのは当たり前なんだと感じさせるような、そんな空気を作り出しています。こうした状況を聞き知るにつれ、18日(金)の国会前抗議に、きっと新しく声を上げる人が足を運ぶことだろうと思います。

一昨日から昨日17日にかけて、国会の中でも色々な衝撃的な映像が映されました。横浜公聴会の会場周辺での横浜市民のシットイン。報道しないNHKへ、視聴者からの抗議が大きくなり、予定版組を中止して国会中継になったということでした。
 
 NHKだけで事の次第をつかめると思っていたら、無料の「Yahoo!みんなの政治」のほうが、迅速、分かりやすく、親切に説明がされる。 

 【5分でつかむ安保法制】どの法律をどう変える?そもそも何を変える?違憲なのか?なぜ、今、変えなければならないのか?
 【5分でつかむ 自衛隊の活動はどう変わる?】 「後方支援」はどう変わる?
 【5分でつかむ安保法制】日本の安全保障はどう変わる?グレーゾーン事態は電話で了承?

 17日、ラジオで国会中継を聞いていた海津にいなは、テレビに切り替えて議員たちが討論するのをみました。フィリバスターの最後に山本太郎議員が47分間の討論を行った後、なにやら会場の空気がかわりました。不信任案が否決されて、鴻池委員長が委員長席に戻ってきた直後、「事」は起こりました。

 いきなり委員以外の体格の良い自民党議員たちが鴻池委員長をさーっと取り囲み、「人間かまくら」を形成。気づいた野党議員が委員長席に殺到し、会場内はもみくちゃ大混乱。 その場にいた議員も、それを中継していたNHKも、誰の耳にも、鴻池委員長の声は聞こえていなかったはずです。そうした状態で、佐藤正久議員が何やら拍手。何がどうしたか分からない状態で、NHKはテロップで「採決され可決」と速報を打ちました。アナウンスではNHKが「採決は成立したようです」との言葉が出て、どうしてそれが判断できるのか、理解できません。

 テレビで見た限り、あれで採決が成立したとは到底いえないでしょう。我孫子市議会なら、議会中継をみている市民からの苦情がくると想定して、もし、そんな事がおきたらやり直しでしょう。そもそも、自民党議員にも鴻池委員長の言葉が聞こえていなかったはずです。

 また、本来、議題の設定は一旦理事会で整理してから、仕切り直して総括審議が始まるものです。その総括審議をすっ飛ばして不意打ちで、採決の成立を一方的に宣言しただけ。これはとてもではないが、採決とは呼べません。強行採決ですらない、と言ってもいいでしょう。

 ところが、この強行採決ですらない事態?が起こった直後に、NHKのインタビューに応えた福山哲郎議員(民主党)は、開口一番「可決はされていません」と断言していた。野党は、採決無効を訴え、仕切り直しの審議を求めるに違いないです。

 テレビで見た限り、採決が成立したとは見えず、相撲でもビデオをみて仕切り直し、かつて問題になった八百長試合はご法度です。

 国会中継をするのはNHKに限られますが、カメラが全国へ放映していました。「採決が行われたと与党は主張、野党は無効を求めている」と中立的に報じるのが、メディアの報道姿勢であるはずが、NHKは予定シナリオのアナウンスで済ませた感じです。特定政党への加担があるのかとされたら、公正・中立を建前としてきたNHKとしては大問題です。国民の声を取り上げる報道や、国会という場を尊重するという姿勢はなかった、偏向があると見えてきます。

 自民党の「改憲草案の実現」が自民党の公約にセットされていたとは言え、前回の選挙で問われた重点施策とはアベノミックスで、改憲については国民投票にゆだねてという流れだったはず。ここまで憲法を巻き込む平和関連を11法案も一挙に成立させるのは、審議が十分でないと国民は感じる人が増えている、世論調査の通りです。こんな様子であれば、今後に平和法制にかる事態がおきて、自衛隊が国外に防衛にむかうなどは事前に審議の規則もないがしろにされまいか。だから、せめてと国会前に行ける人が、あるべき自由・人権を鑑みて、今回の法案を真面目に考えて欲しいと言っている、そのことを見ようとしていない、聞こうとしていないと与党だと、yahoo映像からは分かるのです。


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自民党議員、教え子との攻防も

早朝に雷鳴が鳴り渡り目が覚めたのは、天の声かと思うほどだ。本日の国会での賛否に対して、多くの国民の声を代弁するかのようだ。 安全保障関連法案をめぐる与野党の攻防は、民主党が提出した中谷安全保障法制相(防衛相)の問責決議案が18日午前2時、与党などの反対多数で否決された。

 参院本会議はいったん休憩となったが、民主党が山崎参院議長の不信任決議案を提出しており、午前10時に開かれる予定。一方、民主、維新、共産、社民、生活の野党5党は午前9時から党首会談を開き、内閣不信任決議案の提出を確認する。

与党が安保関連法案の成立を急ぐなか、上智大で国際政治学を教えていた自民党参院議員の猪口邦子氏(63)に大学時代の教え子ら30人が参院の採決で反対するよう求める要望書を送ったと新聞報道から分かる。「民主主義を熱く語っていた先生が法案に賛成するはずはない」との思いからだという。緒方貞子氏(元国連難民高等弁務官 国際關係史)も、海津にいなが依頼された署名の代表者に名を連ねていた。さらに検索すると、多くの学者が憲法を実質的に改変しようとの意図および現政権のやり方に、反対の意思を表明している。変えるとしたら、憲法は国民投票がいるが、その手に及べば9条改憲は難しいので、解釈改憲で11本の安保法案を出しているのだ。http://d.hatena.ne.jp/SukiyakiSong/20150720/1437341311

 記事にある教え子たちの想いからすると、本来の猪口氏であれば法案に同意ではないはずが、元大臣とはいえ、党の一員であり、今回の議決は党員として一糸乱れずの示し合せがされ、軋轢が大きいとわかる。以下、新聞記事より。


 「先生から多くの教えを受けました。国際秩序、安全保障論。人々がどのように法の支配や立憲主義を獲得していったのかも学びました。なかでも先生が最も情熱を持って教えていらしたのが民主主義でした」

 要望書は、こんな文面で始まる。出したのは1998〜99年ごろに猪口ゼミで国際政治を学んだメンバーを中心にした30人。仏在住の大学院生、早川美也子さん(39)ら5人がSNSで呼びかけると、賛同者が集まり、計30人になった。

 早川さんは今夏、子育てや勉強の合間に国会中継の動画を見て、不安になった。「違憲と言われる法案を通そうとする政府の答弁はあまりにも支離滅裂だ」

 審議が参院に移った時は「先生なら反対してくれる」と期待した。だが、質疑に立った猪口氏に「以前の自信に満ちた低めの声ではなく、先生らしくない」と違和感を覚えた。

 フェイスブックでつながる元同級生の間でも「邦子先生、どうしちゃったの」と話題に。悩んだ末に要望書を書き、8月に郵送やメールで計3回送った。返事はないが、期待は捨てていない。「ためらい、悩んでいるからこそ、返事できないのだと信じたい」

■猪口氏「会えば議論できた」

 猪口氏は17日、取材に応じ、「手紙はかばんに入れて持ち歩いていた。ただ、意見があるのなら面会を求めるのが筋。学者として学問的裏付けのある発言をしており、会えば疑問点を聞き、議論もできた」と話している。(市川美亜子)
与党が安保関連法案の成立を急ぐなか、上智大で国際政治学を教えていた自民党参院議員の猪口邦子氏(63)に大学時代の教え子ら30人が参院の採決で反対するよう求める要望書を送った。「民主主義を熱く語っていた先生が法案に賛成するはずはない」との思いからだ。

 「先生から多くの教えを受けました。国際秩序、安全保障論。人々がどのように法の支配や立憲主義を獲得していったのかも学びました。なかでも先生が最も情熱を持って教えていらしたのが民主主義でした」

 要望書は、こんな文面で始まる。出したのは1998〜99年ごろに猪口ゼミで国際政治を学んだメンバーを中心にした30人。仏在住の大学院生、早川美也子さん(39)ら5人がSNSで呼びかけると、賛同者が集まり、計30人になった。

 早川さんは今夏、子育てや勉強の合間に国会中継の動画を見て、不安になった。「違憲と言われる法案を通そうとする政府の答弁はあまりにも支離滅裂だ」

 審議が参院に移った時は「先生なら反対してくれる」と期待した。だが、質疑に立った猪口氏に「以前の自信に満ちた低めの声ではなく、先生らしくない」と違和感を覚えた。

 フェイスブックでつながる元同級生の間でも「邦子先生、どうしちゃったの」と話題に。悩んだ末に要望書を書き、8月に郵送やメールで計3回送った。返事はないが、期待は捨てていない。「ためらい、悩んでいるからこそ、返事できないのだと信じたい」

■猪口氏「会えば議論できた」

 猪口氏は17日、取材に応じ、「手紙はかばんに入れて持ち歩いていた。ただ、意見があるのなら面会を求めるのが筋。学者として学問的裏付けのある発言をしており、会えば疑問点を聞き、議論もできた」と話している。(朝日新聞・市川美亜子 9/17)

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2015年09月17日

「ガバナンスって、民主主義ってなんだ」という声

 15日までに計15議席を持つ三党(「日本を元気にする会」「新党改革」「次世代の党」)が、与党との修正協議に応じて、採決に応じることで合意し、与党単独での強行採決とはならない状況となった。維新の党と与党の修正協議は決裂。維新は集団的自衛権の行使ではなく、個別的自衛権を事実上拡大する修正を求めており、維新は採決で反対する。
 
 同日の特別委は、公述人6人を招き、法案採決の前提となる中央公聴会を開いた。反対運動を展開する学生団体「SEALDs(シールズ)」のメンバーら野党推薦の4人が法案に反対。与党推薦の国際政治学者ら2人は賛成、しかしNHKは中継せず、16日13時から行われる地方公聴会もNHKは中継せずだ。13時に横浜で行われた地方公聴会で、終了後に会場である新横浜プリンスホテルから、議員たちを国会に向かわせないよう数百人の市民が、車道に座り込むなど「シットイン」で決死の抗議を行ったことが大きく影響しました。

 集まった市民がみな、地元・神奈川県の人たちだった。自分たちの地元で、憲法違反の戦争法案に、そしてその強行採決にお墨付きを与えてしまうなんてことをさせるわけにはいかない!と、みな口々に叫んでいました。そうした気迫が大きなうねりとなり、数百人という国会前抗議に比べたらはるかに少ない頭数にも関わらず、議員によっては1時間も立ち往生。

 デモが各地で呼びかけられ、参加する人が広がっている。組織の決め事でない普通の人の意思だった。公正な感覚が薄れている時代だと感じているのではないか。戦争に反対し、平和を求める声を、挙げ続けなければ、挙げられない時が来るのでは、と不安なのではないか。彼らはその時を狙っている。だから、声を挙げ続けなければならない。

 キング牧師は「平和は単なる戦争の不在ではない。公正さの存在が平和なのだ」と言っていた。

 口述人として国会意見陳述したSEALDsの学生代表は、「政治のことをまともに考えることが馬鹿らしいことだと思わせないでください。現在の国会の状況を冷静に把握し、今国会での成立を断念することはできないのでしょうか」と、国会の外、全国各地のデモや集会に参加する市民、できない国民の反対の声を堂々と代弁した。

15年前に小渕政権が作った長期ビジョンは「協治」を提唱した。官が民を上から一方的に治めるのでなく、双方が協同して日本を動かす。そんな理念を込めたが、一般に広がったとはいえない▼政治学者の曽根泰教(やすのり)さんによると、ガバナンスとは意思決定や経営に規律をもたせることだという。誰に権限と責任があるかを明確にし、それを監視し点検できるようにしておくこと。なるほど像が結ばれてくる▼そのガバナンス、つまり規律の喪失を示す事例が相次ぐ。メタボ健診の効果を調べるための膨大なデータのうち、最大で8割が活用されなかったという報道があった。システムの不備が原因らしい。厚労省は事態を把握しながら、手を打っていなかったという▼税金を使うことの責任をどう考えるのか。東京五輪をめぐる一連の問題でも、責任の所在の不明確さが指摘される。ガバナンスという言葉はよく使われても、内実がまだ伴っていない。
「天声人語」(2015年9月6日)より

 民主主義って、ガバナンスって、なんだ!?と声を出し、毎日に及ぶデモの人々は決して一部だとは言い切れまい。平和への想いの強い戦中、戦後世代は足元不如意でデモへ向かう事が難しいから、デモに行く人だけが想いの強い人というわけではない。

 若者の意識では、常に世の中を未来に向けて変えたいと考えるものだ、そして女性も、そう考えつつも声にしない、できないことが多かった。特に日本の政界は、女性が活躍できるのは最近になってからだ。女性は、戦時中に銃後の構え、戦後は労働力の調整の弁、見えない天井を突き抜けるのは欧米国の女性たちでしかなかった、

 野田聖子さんが国会議員になったのは今から23年前だという。「第20回 国際女性ビジネス会議」(7月26日、東京・台場)が開催された際の講演で「その頃に支援者をはじめとする周囲から言われたことは、政治の仕事は男性の仕事と言われてきた」と話した。講演の頃から総裁選に立候補を考えていたのかもしれない(推薦人が不足で断念)。自民党総裁選に女性が臨もうとしたのは、それこそ党で初めての事だった。野田さんが、このところの国会前に増え続けるデモの人々の姿をみて、人々の訴える声を聴いて、総裁選立候補に勇気を奮ったに違いない。

 以下は、その時の発言概要、憲法法案についても触れているので、ご紹介です。

「女性が(政治に)参加するためには自己犠牲を払わなくてはならない。結婚しない、子どもを産まない、育てない。生涯独身を貫き、政治と結婚しなければならないと。これが、私が初当選したときの日本の政治に対する考え方でした。今でもそれは変わっていません」

「子育てと仕事の両立というのが女性政策のキャッチコピーになってきていますが、それをそのまま男性に言いたい。男性に、家庭と仕事の両立は大丈夫ですかと問う人はいません」

 そして、話題は国会で議論が進んでいる安保法制へと展開。
「今、日本はちょうど歴史の曲がり角です。他国からの攻撃に対する抑止力ということで120時間をかけるのであれば、少子化による人口減少についても同じく120時間をかけていくべき。むしろ本当に、1日も早くこの問題に多くの人が気づき、実現することが大事。それこそが日本のMake Historyになるのではないかと思います」 率直にご自身の考えを語る野田さんに、全員が真剣なまなざしを注いでいます。さらに高齢者問題や、政府が推し進める「ゆう活」についても、「朝が子どもの世話で手がいっぱいの子育て中の人はオミットされる」と、現状の課題を述べられました。

 最後に語ったのはリーダー像で、
「これから求められるリーダーは、強いリーダーではない。自分が嫌だと思っている人たちをも受容する力、多様性が大切なんです。ここにいる皆さんが多種多様な声を聞ける、そして発信できるような素晴らしい人間として活躍できるよう、私も頑張っていきます」 20年を経てもなお、女性の活躍が難しい日本の政治の世界。会場には、安倍総理がサプライズで参加されてメッセージを述べられたが、9月総裁選を前の女性リーダーにならんとする人たちの前で、歴史をつくり続ける野田さんの言葉には共感の大きな拍手が、会場いっぱいに響き渡りました。


 女、子どもは関係ない時代ではない、10本の法律を審議を尽くしたという言葉で丸め込んでしまうのはよくない。学生たちが、女性たちが納得する、正攻法で会見するのであれば、それなりの手順を踏んで憲法の改定なりの審議すべきだ。今、国会中継を聞きながら、これを書いているが、福島瑞穂参議が終わり、山本太郎参議と委員長不信任案の賛成討論が続いて、5時前に参院特別委で賛成多数で可決した。国会前で雨のなかデモにきていた人たちから落胆の声がもれたとNHKも報道。このあとは、本会議に場所を移して、本日成立を目指すとされる。


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2015年09月16日

タレントも安保法案に反対表明 他方、支持率回復の不思議、本日採決

今、話題になっている川内博史元衆議院議員の予言(?)ツィートを紹介しておきます。それは、NHKが採決直前に世論調査を発表し、安倍内閣数字をあげてくるだろうと予言してました。

https://t.co/vZ4Oec0euF

ツイッター.JPG

NHK世論調査(本年度の経緯)
https://www.nhk.or.jp/bunken/yoron/political/index.html

実際、川内さんの予言が当たってしまったのですから、私自身を含めて、ぼんやりNHKを信じてきた人は、他の世論調査との違いにも愕然とします。ちなみに、朝日新聞社が12、13両日に行った全国世論調査(電話)によると、安倍政権が今国会で成立させる方針の安全保障関連法案については、「賛成」29%、「反対」54%だった。いまの国会で成立させる必要が「ある」は20%、「ない」は68%。国会での議論は、「尽くされた」11%に対し、「尽くされていない」は75%だったとなっている。今月4日には委員会出席より、大阪のテレビ出演をしていたことが、いかがなものかと取りただされたりなどがありましたが、テレビ出演で支持率につながったということかもしれないです。

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150910-00000008-sasahi-pol

毎日新聞(9月15日)の<安保関連法案:芸能界でタブー」超え主張始めたタレント>という記事では、次のようなタレントが法案反対のコメントしていると紹介しています。
 
 戦後の安全保障体制を根本から変える安保関連法案を巡り、著名なタレントたちが続々とテレビ番組やネット上で自分の立場を鮮明にしている。その大部分は「法案反対」だ。「芸能界で政治色はタブー」(専門家)とされてきたが、法案への国民の関心の高まりを受けて、タレントたちが沈黙を破って訴え始めている。

「普段、人間として(政治のことを)考えていても放送で言おうと思ったことは一回もない。(政治は)プロに任せればええって言うけど、もう任せていたらあかんと」

 8月8日に放映された東海テレビ「樹木希林ドキュメンタリーの旅」。録画放送だったが、ゲスト出演した笑福亭鶴瓶さん(63)は「政府がああいう方向に行ってしまうというのは、止めないと絶対だめ」と発言。レギュラー出演するNHKの番組「鶴瓶の家族に乾杯」の名前も挙げ「(戦争になれば)そんな番組なくなる」と危機感を語り、視聴者に強い印象を与えた。

 フジテレビ系の情報バラエティー「ワイドナショー」では、高校生らの反対デモについて「ニュースに誘導されている」との見方を示したコメンテーターの「ダウンタウン」松本人志さん(52)に対して、SMAPの中居正広さん(43)が「若い子が声を上げるのはいいことだと思う。僕はうれしかった」と反論する一幕もあった。

 また、SHELLYさん(31)や渡辺謙さん(55)など、ツイッターで公然と安保関連法案を批判するタレントも少なくない。

 芸能評論家の肥留間正明氏は「ファンの支持政党はさまざまで、それに配慮し政治色を出さないのがタレントの道とされてきた。しかし今回は戦争に反対するという趣旨でスポンサー離れの心配もない上に、『平和だから芸能界で生きてこられたのだ』という思いもあり、発言せずにいられなかったのだろう」と見る。

 また、タレントもツイッターやフェイスブックなどのソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)で生活の様子をつづり、自由に意見を述べるのが当たり前になったことで、「(思想的に)真っ白で可もなく不可もなく、というスタンスでは支持されないという損得勘定もあるのではないか」と分析する。【加藤隆寛】

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2015年09月15日

認知症65歳以上の7人に1人(約462万人)の増加傾向と対策へむけて

 65歳以上の7人に1人、約462万人が認知症とされる。10年後には、5人に1人になるという。認知症の人と、その暮らしを家庭や地域で支える人。それぞれ戸惑いや悩みを抱えながら、互いに向き合っている。ところで、その高齢の認知症患者さんに「人間は誰でも、死が近くなると食べたり飲んだりすることができなくなる。しかし、現代の医療は、鼻から管を入れたり、胃に穴を開けたりして、栄養を入れることができる。そうすると数年長く生きられる。意思表示できる今のうちに、経管栄養を希望するか、しないかについて、自分の意見を言っておくほうが良いですよ」と説明すると、ごく少数の人は「わからない」と答えますが、残りの人は「そんなことをしてまで生きていたくない」と言います。認知症があっても自分の生き方について意見を言えるのです。

【特集・認知症社会】より 
  出典:朝日新聞デジタル 2015/6/7

■日記に文句「こわいやつや」
 当時の日記には長女への文句が書き連ねてあった。「こわいやつや」「それが親への態度か」……。

 京都市の中西栄子さん(67)は2010年12月、63歳でアルツハイマー型の認知症と診断された。その8年前に夫は亡くなり、一人暮らし。小学校の教員を定年退職し、1学期だけ非常勤で働いていた。

 診断前、孫らと行った焼き肉店で、「それ何回も聞いた。最近もの忘れがひどいな」と長女に言われた。テーブルをドンとたたき、「何回も同じこと言ったらあかんのか」と怒鳴って一人で出て行った。

 長女の河合雅美さん(43)は薬剤師。近くで家族と暮らし、母の家を行き来していた。焼き肉店での母は、それまでの家族思いの姿とはかけ離れていた。ただ、頼んだ買い物ができないなど、数カ月前からおかしいとは思っていた。

 認知症を疑い、「もの忘れ外来」で診てもらうことにした。車に乗せてから行き先を告げると、母は「なんで私が行かなあかんの」と嫌がった。「診てもらって大丈夫なら、それでいいじゃない」となだめても、怒って黙っていた。

 診断後、認知症の進行を抑える薬を飲み始めた。お金は、話し合って長女が管理した。すると母は「通帳見たらお金が減ってる」と自宅に文句を言いに来るようになった。説明すれば「泥棒扱いして悪かった」と謝るが、2時間後には「金返せ」とやって来た。

 火事や事故を心配し、長女は「火を使うのはやめて」「車の運転もやめて」と母に頼んだ。学校での仕事は医師と相談してしばらく続けたが、肩の骨折を機にやめてもらった。

 中西さんは散歩しかすることがなくなった。1日に2万歩に達することもあった。2人で会えばけんかになり、会話も減った。

 転機となったのは、12年10月にあった「認知症の人と家族の会」京都府支部の交流会。インターネットで調べた長女に誘われた。長女と別れて、認知症の人たちと話をした。「認知症だから、もうだめ」と言われず、気持ちをきちんと聞いてくれた。

 これが縁で、認知症ケアを考える集いで体験を語ってほしいと頼まれた。「みんなの役に立つから」と長女にも促された。話す内容を繰り返し優しく尋ねられ、思いのままを語った。

 長女は驚いた。「認知症が進んで話さなくなったんやない。私に怒ってただけなんや。まだいろんなことがわかるし、できる」。否定ばかりしていたのを改め、母のしたいことに協力すると、母はほとんど怒らなくなった。

 当日の13年2月。中西さんは1千人の聴衆を前に語った。「自分はできると思っているのに、させてもらえないことがとてもつらいです。ありがとうと言われると、またがんばろうと思います。できることなら子どもたちと関わりたいです」。原稿を読み終えると、長女と抱き合った。

 記者は12年以降、母娘を継続的に取材してきた。中西さんは毎日何かしていたいと、日曜日に認知症カフェ、週4日はデイサービス、残り2日は障害者の就労支援をする事業所に通う。

 5月、3カ月ぶりに会うと、中西さんの認知症は進んでいた。その日の行き先を何度教えられても覚えられなかった。でも、「毎日が楽しい」と笑顔を見せていた。(寺崎省子)

■早期受診、備えに重要

 早く受診をと思っても、本人が病院に足を運ぼうとしなかった。そう振り返る家族は少なくない。

 「私を認知症と決めつけてっ」。東京都の女性(41)が受診を促したとき、同居する義母(85)は強く反発した。「検査だけでも」「(かかりつけ医の)先生も言っているから」。折を見て何度も声をかけた。だが義母は受診をかたくなに拒んだ。

 異変に気づいたのは昨年3月。夫も義父も他界して2人暮らし。社交的だった義母は人が変わったようで口論が絶えなくなった。

 悩んだ末、介護で世話になっている女性ヘルパーに協力を頼んだ。ヘルパーが「おでかけしましょう」と誘うと、義母はようやく病院へ。検査も見守ってくれた。診断がついたのは、異変から5カ月後だった。

 「認知症の人と家族の会」と製薬会社・日本イーライリリーが認知症の介護家族470人に2013年に実施した調査によると、変化に気づいてから最初に受診するまでにかかった期間は、平均9・5カ月。3割の人が1年以上かかっていた。半年以上かかった人に理由を尋ねると、「本人が病院に行きたがらなかった」が39%で最多。「変化は年齢によるものだと思っていた」が34%で続いた。

 受診が遅れがちだが、認知症には早期受診が重要だ。治療や介護の計画を立てることができ、症状が進んでから起きる生活上の問題にも早めに備えられるからだ。同会東京都支部代表の大野教子さんは、家族で受診をすすめてもうまくいかない時は、本人が信頼する友人や親戚、かかりつけ医など第三者から促してもらう方法もあるとする。

 診断後の心構えとしてはまず、ショックを受けている本人の気持ちを理解し、受け止めることが必要だ。その上で、やりたいことがあればできるだけ尊重し、友人らとの社会的なかかわりを保つことが大切だという。「それが生き生きと過ごしていくための支えになります」(森本美紀、立松真文)

     ◇

 海津にいなは、多数の方たちに街づくりのご意見を伺うため、アンケートなど発送することがあるが、最近は、宛名知れずで戻ってくることが多くなった。北海道へ転居したなどということを聞いたりすると、ご年齢から考えるに、転勤はありえず、住み慣れた街を離れるというのは、たぶんお子さんの住む近くに転居ということなのではないかと思ったりする。住まい方、暮らし方、高齢化社会にも善い方向を見つけていきたいと我が母の事を思う、この頃だ。


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2015年09月14日

経済的徴兵制となっていく可能性はないのか

すでに派遣社員の名称も一般化して、その昔、寿退社を求められた既婚女性たちの再就職の道として取り入れられてきた雇用形態であったが、最近は男性もリストラされる場合が増えて、契約社員の常態化で、正社員として収入を得るのがやさしくない時代です。いよいよ11日、成立の派遣法改正によって格差社会が助長されるのではと危惧する向きも多い。

 そうした背景を鑑みると、「徴兵制を敷く必要ありません。志願者は集めやすくなり、つまり経済的徴兵制で集められるのですから」との、ジャーナリストの堤未果さんの話は現実味を帯びて来やしないか。どういうことなか。新聞記事から、下記に概要です。

 米国社会に詳しい堤美禾さんの話では、家庭の援助が得られない若者は貧困から抜け出し、満足できる生活をするために、そこらじゅうに張り出されるポスターに感化されて軍隊に入隊する。そんな実態を、米国では「経済的徴兵制」あるいは「経済的な徴兵」と呼ぶ。堤さんは著書「ルポ 貧困大国アメリカ」で、経済的徴兵制に追い込まれた若者の例を紹介している。

 イリノイ州のある若者は「この国で高卒では未来がない」と、無理をして大学を卒業したが職がなかった。残ったのは奨学金約5万ドル(約620万円)の返済と、在学中の生活費に消えたクレジットカードの借金約2万ドル(約250万円)。アルバイトを掛け持ちして返済に追われたが、そんな生活にきりをつけたいと2005年に軍に入隊した。

 入隊した理由は、国防総省が奨学金返済を肩代わりする制度があるためだ。米軍には他にも、除隊後の大学進学費用を支給する高卒者向けの制度もある。「若い入隊者の多くは、こういった学資援助の制度のつり広告に引かれて志願しますが、入隊期間などの支給条件が厳しく、奨学金や進学資金を満額受給できるのはごく一部」(堤さん)。ちなみに、イリノイ州の彼は入隊直後、イラクに約1年派遣されたが、帰還兵特有の心的外傷後ストレス障害(PTSD)を患い、働けなくなった。

 世界の兵役拒否制度を調べている京都女子大の市川ひろみ教授(国際関係論・平和研究)によると、米国が徴兵制から志願制に切り替えたのはベトナム戦争から米軍が撤退した1973年。その後、フランスも90年代半ばに、イタリア、ドイツは00年以降、相次ぎ志願制になったという。

「徴兵制の廃止や停止は世界的傾向です。無人機の登場に象徴されるように、大勢の兵士が総力戦にかり出された第二次世界大戦期などとは、戦争のあり方が激変したのです」と説明する。だが、いくらハイテク兵器が発達しようが、敵地を占領するには地上戦は欠かせない。だから、軍隊は特に若い兵士を一定数確保する必要がある。米国の場合、ここで女性も対象にして「経済的徴兵制」が機能する。

 堤さんが解説する。「社会保障費や教育費の削減とともに、経済的困窮者の入隊が増えたのです。特に08年のリーマン・ショック以降、軍は入隊の年齢制限を緩め、若者だけでは足りずに中年の兵士も受け入れています」。

 日本でも「格差」が問題になって久しい。3・11以降は大学生の半数は何らかの奨学金を受給し、低賃金や失業による返済滞納も増えているし、一方で裕福な家庭の子弟が多かった次第でも卒業生の奨学金累計額が激減してきている。働いていても生活が苦しい「ワーキングプア」がさらに増えるなら、米国のような経済的徴兵制の社会に移行していく可能性がある。徴兵制を敷かずとも、ある層の若者たちは軍隊に吸収されざるを得ない機構になっているのだ。教育予算も、今年度に明らかに人文系学系への捻出をしぼる政策に出てきたことからも、日本もご多分にもれず、徴兵という名でない若者狩りがおきそうだ。急激な少子化傾向であるから、安保法制で日本の自衛隊の出動が頻繁になるなら、具体的に今以上に兵力は必要となるのは必然だ。民主党の「徴兵制」の傾斜はないのかとの指摘は既にこのような形で織り込まれているということだろう。

 労働問題に詳しい熊沢誠・甲南大名誉教授は「生活苦の学生を狙った『ブラックバイト』が問題化していることも考えると、露骨な優遇策をとれば、少子化であっても自衛隊志願者はこれまでの数程度の確保はできるのではないか」とする。

 実際に貧困と自衛隊を結びつけて考えざるを得ない出来事も起きている。
 今月、インターネット上にある写真が投稿され話題になった。「苦学生求む!」というキャッチコピーの防衛医科大学校の学校案内ちらしだ。「医師、看護師になりたいけど…お金はない!(中略)こんな人を捜しています」との言葉もある。作製したのは、自衛隊の募集窓口となる神奈川地方協力本部の川崎出張所。川崎市内の高校生らに自衛隊の募集案内などとともに送付したものだ。

 幹部候補を養成する防衛大学校と同じく防衛医大は学費は無料、入学後から公務員となり給与も出る。ただし卒業後9年間は自衛隊に勤務する義務があり、その間に退職する場合は勤務期間に応じて学費返還(最高で約4600万円)を求められる。ネット上では、この背景を踏まえ「経済的徴兵制そのもの」「恐ろしい」など批判が渦巻いた。

 同出張所は「経済的理由で医師や看護師の夢を諦めている若者に『こんな道もあるよ』と伝えたいと思い、独自に考えた」と説明する。とはいえ、卒業生は医官などとして、紛争地域の最前線に派遣される可能性は当然あるが、そこは入学後の成果情勢次第だ。だからか、ネット上の批判について、担当者は「考え方の違いでしょう」と話した。

 一方、昨年5月には文部科学省の有識者会議で奨学金返済の滞納が議題に上った際、委員を務めていた経済同友会のある副代表幹事(当時)が無職の滞納者について「警察や消防、自衛隊などでインターンをしてもらったらどうか」と発言し、一部の識者らから「経済的な徴兵に結びつく」との声が出た。

 実際にそのような検討はされていないが、既に自衛隊には、医歯理工系学部の大学3、4年生と大学院生に年間約65万円を貸与し、一定期間任官すれば返済を免除する「貸費学生」制度がある。熊沢さんはこう話す。「若者の学ぶ機会を広げる奨学金はそもそも無償化すべきだ。それなのに国に都合がよいとをすれば返済を免除するという手法は、不当な便益供与で好ましくありません」

 自衛隊の定員は陸、海、空合計で約24万7000人だが、実際の人員は2万人以上少ない約22万6000人(14年度末)。既に、少子化の影響であり、人材不足は常に課題だった。特に、手足となって働くような若手が担う下位階級の2士、1士、士長は定員の74%しか確保できていない。

 注目すべきは、防衛大学校では、集団的自衛権を巡って憲法解釈が変更された昨年度、任官拒否者が前年の10人から25人に急増していた。

 堤さんは「経済的な徴兵の素地は、着々と整えられています」と力を込める。
 医療や社会保障などが改正されて、それにつづく見ざる制度改正が静かに潜航しているようだ。「安保法制に目を奪われている間に、派遣法改正議論や介護報酬切り下げ、各地を企業天国にする国家戦略特区など米国型株主至上主義政策が次々に進められています。特に心配なのが、日本にとって最後の防波堤である国民皆保険制度の切り崩し。近著『沈みゆく大国アメリカ』にも書きましたが、国内法改正、国家戦略特区、環太平洋パートナーシップ協定(TPP)の3方向から日本の医療は狙われている。戦争できる国への準備は国内からじわじわと始まるのです」

 市川さんは、米国で対テロ戦争の帰還兵に聞き取り調査した経験からこう話す。
 「犠牲者が出ても、志願制ゆえに一般の人は『自己責任』と考える。派遣された兵士が百数十万人といっても、人口比での犠牲者とは1%未満です。しかも、多くの人は帰還兵の心の病の問題には無関心です」。経済的徴兵で傷ついた人たちは、軍の医療制度でカバーされるかもしれないが、実社会から置き去りにされるのは米国社会が証明していると警鐘を鳴らす。

 一方、政府が強調する集団的自衛権行使の「具体例」について、参院平和安全法制特別委員会での審議で「具体例」は大きく揺らいだ。中谷元(げん)防衛相が「邦人が米艦に乗っているかは判断の要素の一つではあるが、絶対的なものではない」と答弁したからだ。安倍首相の説明の前提は崩れ、日本人が乗っているかどうかは関係なかったのだ。しかも、原油の輸出を増やしたいイランからは、海峡の機雷封鎖について「イランを想定しているなら、全く根拠のないこと」(ナザルアハリ駐日大使)と否定されてしまった。

 政府は、中東・ホルムズ海峡での機雷掃海も集団的自衛権行使の具体例とする。安倍首相は「日本に輸入される原油の8割がホルムズ海峡を通過し、海峡が機雷で封鎖されて燃料が不足すれば、人的・物的被害が出る」として機雷掃海の必要性を訴えてきた。ホルムズ海峡の封鎖は、集団的自衛権を行使できる要件の一つ、日本の存立が脅かされ国民の権利が根底から覆される明白な危険がある「存立危機事態」に該当するというのだが、「無理な説明」と否定的な声は根強い。

 その一人が、倉持麟太郎弁護士。衆院安保特別委で野党側参考人になった倉持氏は「海峡が封鎖されても、日本には150日分の石油備蓄がある。また、備蓄がなくなる前に他国が機雷を掃海し、日本の存立を脅かす武力が排除される可能性は強い」と述べ、政府の説明を覆す。

 「具体例」が揺らいだせいか、安倍首相は、南シナ海で停戦前の機雷掃海についての答弁を軌道修正した。衆院審議では「南シナ海は迂回(うかい)路がある」と集団的自衛権の行使を否定していたが、参院審議では「迂回ルートがあるので想定しにくいが、(武力行使の)新3要件に当てはまれば対応していく」と答弁を変えた。政府の対応に倉持氏は「押し切ろうとするから、法案に書いていないことを言わざるを得ない。答弁と法案に食い違いが生じる」と批判する。

 自衛官や国民のリスクが高まるのか、否かという問題も解決していない。政府は「リスクが高まることはない」と繰り返すが、憲法学者の水島朝穂早稲田大教授は真っ向から批判する。「集団的自衛権の本質は相手の報復を引き出してしまうことに。仮に北朝鮮が米艦船を攻撃し、日本は攻撃を受けていないのに北朝鮮を集団的自衛権の行使で攻撃したら、北朝鮮の日本への報復は倍返しになるでしょう。国民や自衛官のリスクは圧倒的に高まります」


参照:毎日新聞 7月25日

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2015年09月12日

「いいね!」の観光で街づくり、参加するから面白い!!

本田健 『きっと、よくなる!』(サンマーク出版)で、本田健氏はこんなふうに語っている。

「あなたは、自分がどんな表情で買い物をしているのか気づいていますか?
もし、ニコニコして買い物をしていたとしたら、あなたは健康的な人です。レジでお金を払うとき、『こういうのを探していたんですよ!』とか、『これって美味しい、いいね!』などと、店員さんに話しかけます。
すると、たいてい店員さんも喜んでくれます。楽しんでお金を使うことは、「お金は楽しい!」と自分に教えることになります。そして、何か楽しさをまわりの人に伝えることになります」(同書より)

つまり、人に対して豊かさや幸せを分かち合おうという意図がある人には、自然と豊かさが流れるようにできているいうことです。「気」というようなものかもしれません。そんな事があるのだろうかと思われるかもしれませんが、最近の脳科学でも脳はそういう「気」にさせると単純に反応するということが分かってきましたから、当てはまっていると言えます。

米穀の心理学者の研究によると、都市部に住んでいる1人の人間は、1万人から2万人の人に心理的に影響を与えているというデータがあります。これに気づいたら、すごいことが起きます。

何か大げさなことをすることではなくて、豊かさや喜びを分かち合う、意識をもてればいいのです。例えば、駅のまわりで掃除をしてくれる人、たばこの吸い殻を拾ってくれている人に会ったら、「ありがとう」と心からいうようなことでいいのです。こうした「気」が伝わってくると集団心理に影響が出てくるといえます。

街のコンビニで、レジの人に「おはよう」と気持ちよくいう、ファミレスと受付人に「こんにちは」という、するとレジや受付人はちょっと幸せな笑顔をつくります。その少し幸せになったレジの人が、来店するお客さんや同僚の人に「ありがとうございます」と気持ちよくいえたとします。すると、いわれたお客さんも同僚の人も、ちょっといい気分になれたり、まわりの人にやさしく接することができるでしょう。それが、その人たちの家族や友人たち、街の中にも広がっていくというのです。

twitter.JPG
早速に反応があるツイッターで、さりげなく来店を呼びかける。
こういうことをできるか、できないかの蓄積がモノをいいます。
「万里の道も一歩から」「継続は力なり」です。


一日にしてならずですが、小さな「いいね!」の気を増やしていける、しかもお金のかからない方法(まさしく魔法のよう)でやり続けるです。我孫子なら、ちょうどいいサイズの街、効果の出やすいエリアな気がします。過去に『白樺』派の人たちが集い、その影響を目の当たりにしていきました。どうぞ、皆様も善い「気」を作り出す交流、挨拶、笑顔をやってみてください。まちづくりの基本のき(気)です。

こうした気は人間だけではなくて、植物やペットたちにも注がれると効果があるとの話も耳にします。(牛舎でクラッシクの音響を流すと乳の出が良くなったとか、観葉植物に毎日話しかけると緑が活き活きしてきたなど等)それが、都市部であれば接触した人たちから、だいたい1万人か2万人に影響が広がるというわけです。逆に、イライラした、不機嫌な態度で接したらマイナスの影響が同じだけの人数に伝播していきます。日本人は、特に集団心理に影響がでると言われますから、善い影響にしたいところです。

いま、世界的にはさまざまに大変なことが起こっており、動画ニュースでも逐次報道されます。自分にできることは何もないとウンザリな気分になるかもしれません。しかし、目の前にいる人に対して笑顔で「ありがとう」ということだけでも、実はすごいインパクトを及ぼしているのです。これに気づいて実践して、いい気が充満していけば、まさしく「いいね!」です。

明後日の月曜日から、いえ今日からでも試してみてください、貴方自身が楽しくなり、そして周りをも幸せにしていけます。米国の心理学者の研究で、都市部に住んでいる1人の人間は、1万人から2万人の人に心理的に影響を与えているというデータに気づいて実践したら、すごいことが我孫子で起きます。この街はいいな、そう言われたい。一つ考えて、アクションをおこしてみてください。

例えば、海津にいなは、NHK朝の連続ドラマに我孫子を売り込んでみようと思いつきました。連ドラ脚本家に「柳兼子」さんの話を伝えました、「橋田先生が、ご主人を支えたように柳兼子さんも夫を支え、その事から自身の仕事の切磋琢磨されていきました。脚本家としてご自身の事を振り返って書かれる、夫婦の機微をかくにも絶妙なテーマのはずです。しかも、当時は志賀直哉も近所に住んで、長年の父との不和を解消する『和解』を書きました・・・」などと、売り込みました。さて、夢は見なければはじまりません。さすがに返事はないですが、実現するまで夢は追い続ければ楽しい・・・・。 


なお、同じNHKの番組とはいえ話はかわりますが、先月(8/29)の「ブラタモリ」に、別荘研究に詳しい安島博幸教授(海津にいなの観光学の恩師)が出演でした。再放送は日曜日のはずでしたが、番組構成の都合で放送延期のままで、また改めてお知らせしたいと思います。それこそ笑顔が「おもてなし」を実践しているような教授は、スカイツリーの名称審査委員、大丸有(大手町・丸の内・有楽町周辺)再開発プロジェクトなどの審議委員、成田市を含め、各地の観光による都市の再開発など、まちづくりに関わる楽しい人でもあります。観光とは何か、少し感じていただけるのではないかと思います。(拙ブログ9/1の項にブラタモリ・軽井沢別荘の始まり、概要掲載)

いいね!の我孫子のまちづくりをご一緒に考えて(夢見て)頂けたら、
行楽の秋、観光で幸あれ、です。


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2015年09月11日

派遣法改正、マイナンバー導入

 昨日は、大雨により鬼怒川が決壊しました。その日の朝、ちょうど新利根大橋を通りながら守谷市(茨城)へむかって車を走らせていましたが、川幅が異様に広がっているので、小貝川がよく決壊するのでその影響かと考えていたりしました。茨城県など北関東地方に大きな被害をもたらした南北に連なる「線状豪雨」だったと改めて知り、自然災害、突然の洪水になすすべもない、人間社会だと思い知らされました。このブログをご覧の方の中にも、お知り合い、ご親戚が被害に見舞われた方もいるかと思います。心よりお見舞い申し上げたいと思います。

 過去2回の国会で廃案となった悪法とも言われた派遣法改正案でしたが、与党の賛成多数で可決されました。この法案で、派遣労働者は3年以上、同じ仕事(部署)ができなくなります。「正社員ゼロ法案」と呼ぶ人もいる法案で、アベノミックス下で企業優先、使い捨て雇用がいっそう進むのではと危惧されてもいます。多くの国民が米国型の派遣労働者になっていく派遣固定化が進み、正社員にはなれず不安定な生活に甘んじる人が増える可能性が指摘されます。

 一方、タックスヘイブンを活用することによって莫大な税逃れをして、東証に上場している上位50社のうち45社がタックスヘイブンを活用、ケイマン諸島だけの活用に限っても日本の大企業は55兆円で、アメリカに次いで世界第2位の規模だという話が聞こえてきます。

※日本の大企業・富裕層はタックスヘイブンで世界第2位の巨額な税逃れ、庶民には消費税増税と社会保障削減 editor 月刊誌『KOKKO』編集者・井上伸のブログ
http://editor.fem.jp/blog/?p=675 

 一般市民の中に安定した雇用に結びつくことがない人が増えそうな状況で、日本の富裕層と企業の中には、タックスヘブンを利用している人が増えているというものです。その点に詳しい、元大蔵官僚で弁護士の志賀桜氏は、タックスヘイブンへ資金を流すことで租税回避しているお金は「最低でも世界の富の4分の1」であると指摘し、タックスヘイブンの問題は、資金を隠すことの他、それが秘密裏にされ行われていることであると解説しました。そして、タックスヘイブンに隠された資金はヘッジファンドなどに流れ、マネーゲームによる巨額の投資という名の「博打」によって、一国あるいは世界経済全体を襲う危険性があると警鐘を鳴らし、その例としてアジア金融危機や、リーマンショックを挙げています。

 国民は消費税増税(2017年4月には10%に)はじめ、相続税も過重になるのに、資産家や企業は預金先を国外に移して税逃れを模索。これまでも、親から援助のうけられない若者は、それなら自衛隊で学費を稼ぎ、まさか弾にあたるような任務に駆り出されることがない災害復旧の現場で働く、遣りがいを見出し、入隊を決意するということがあったわけです。そうした点での前例が米国社会で、自由の国とは言われる実態とは、企業のビジネスとしての自由が多いのであって、一般の人々はそうした恩恵に浴すことはない、中低流層の米国民は健康保険もないため、ちょっとした診察でも医療費が高額請求されるのでうっかりかかれないのが実情だと分かってきて、警鐘をならすジャーナリスト、評論家がいます。米国では、保険に加入していない人は救急車も高額請求が来るというのが現実。

 日本では、10月からマイナンバーの通知、平成28年1月からマイナンバーの利用が開始、税金の確実な納入を担保するといわれます。平和憲法を守って70年間やってこられたのは、戦中世代のせめてもの遺産でした。今後、働く環境が変わる中で、さらに若い世代が生き苦しさを感じるようになるなら、せめて平和だけは、このままであってほしいと益々思うこの頃です。

 地域の経済環境、雇用環境を少しでも良くするように、安心して活き活きとくさせる街づくりを考え、諦めないで、まちづくりの可能性を探りたいと考えています。


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2015年09月10日

特集:認知症虐待、高齢者徘徊、社会がどう対応できるか    介護の日、青春の後、里の秋

川崎の有料老人ホームで3人もの高齢者が不審な亡くなりをしたとして、調査に入っていることが明らかにされた。もし、職員ぐるみであったら認知症の介護できゅうきゅうとする人たちには、預かってもらうにも不安がおきる。しっかりとした調査と報告を望みたい。

過日、認知症について2人の体験談が新聞に紹介されていた。専門家の見方と併せて紹介した記事だったので、敬老の日を前に、自分のことも含めて、少し考えてみたいと思う。


■介護続けて母みとる

 さいたま市の元地方公務員早川好治さん(66)は、認知症の母を介護する。20年前に父が亡くなり、母と2人で暮らしてきた。様子がおかしいと感じたのは10年ほど前。母は薬局で便秘薬を5日連続で買ってきたり、家の中に猫やネズミがいると言って追いかけたりした。2008年に認知症と診断された。

 その頃は、症状が出るときもあれば、普段と変わらないときもあり、戸惑った。会話がかみ合わず、「何でわからないんだ」と怒鳴ったこともある。

 母に施設入居を勧めたが嫌がったため、自宅で介護を続けた。食事の用意、トイレ・入浴の介助・・・。何でも1人でこなした。母は今年5月、急性心不全で95歳で亡くなった。早川さんは今、「落ち込んで何もする気が起きない」という。

 介護中は母をショートステイに頼み、登山や温泉で気分転換した。「つらいという感情はできるだけ持たないほうがいい。余計につらくなるから」と話す。

■施設、運良く見つかる

 東京都文京区のフリー編集者久保博美さん(55)は、認知症による幻視や暴力がある女性の施設探しに悩む家族を紹介した記事に対してメールを寄せた。

 久保さんの母(80)は04年にアルツハイマー型認知症と診断された。07年に埼玉県のグループホームに入居。その3年後、症状が悪化した。壁に自分の頭を打ち付けて暴れ、肺炎も起こすようになった。職員から、転居を考えるよう示唆された。

 特別養護老人ホームに相談すると、母が体調を崩して病院に行く時は家族の同伴が必要だと言われた。だが、仕事の関係で難しく、あきらめた。そのままグループホームで暮らし、昨年、胃に管で直接栄養を送る「胃ろう」をつけた。すると、職員が世話が難しいと言い、ほかの施設に移らざるを得なくなった。

 今はネットで探し当てた県内の有料老人ホームに入る。「仕事を抱えながらの施設探しは肉体的にも精神的にも大変だった。いまは運良く受け入れ先が見つかり、ほっとしています」

     ◇

■当事者になる可能性、それぞれの理解を

 〈「迫りくる『息子介護』の時代」の著者で社会心理学者の平山亮さんの話〉

 一般的に男性は、伴侶の妻が介護するだろうとの思い込みがあるため当事者になる可能性があるという実感に乏しい。そのため、自分の親のそばにいても衰えに気づきにくい。いざ介護を始めると、悩んでいても男性特有の特質で、なかなか弱音を吐くことができない。まずは、自分や身の回りで確実に起こりうることだと理解する必要が、社会にもある。

 ただ、息子による介護も決して一様ではない。親子の年齢や経済状況などによって、抱える問題や必要な支援も異なる。さらに言えることは、今後は、経済的に親元から自立できず同居せざるを得ない子たちが介護者になるケースが増えるだろう。その場合、収入の途絶えることになる契約社員の同居の子息たち、そのことによってうつ病を併発するなどの二次的症状にも発展するなど、介護支援より先に生活支援をする必要になる。介護サービスもタダではないからだ。直面している問題ごとに解決策を考えていく必要がある。

■両親元気なうちから準備を

 〈介護分野が専門で、施設探しの同行サービスもしている外岡潤弁護士の話〉 手間がかかる重度の認知症の人を受け入れたくない施設は少なくない。入居に条件を付けられたら、内容をよく確かめよう。肝心のところで、見放されてしまうことがないのか、とにかく入所ではなく、誠心誠意向かい合ってくれる施設か、納得できないときは市町村などに施設の様子を含めて相談することだ。最近は、相続税の改定でこれまで以上に納税対象者が増えるため、納税がらみで事件に発展することもある、弁護士などに相談(しかし、有料)もある。

 誰もがいつか介護に直面する、その深刻度は親との距離などで一様ではない。先の問題とせず、祖父母や両親が元気なときから、準備をしておくことが大切だ。介護に使えるお金が家族にどれだけあるか、最近は親の貯金とは言え、家族では引き出せない。すると誰が預貯金の管理をするか、認知症であった場合は有料ホームの入居もすんなり話がまとまらないケースもある。まずは近所にどのような施設があるかを調べておくだけでも違う。肝心なのことは、入居前に、どんな症状の変化で退去しなければならないか、医療行為に対応できるのか、看取りまでもできるのかなどを確認することも非常に重要だ。

 施設をめぐる問題を利用者側だけで解決することは難しい。なぜなら、介護サービスを利用する際にはは、市町村などのケアマネージャ契約を結び、審査を受ける手続きがある。これには最低でも数週間の期間が必要になる。仕事があっても、役所は平日しか対応しない。相談をするだけでも休暇を取らなくては対応できないとなると、急いでいながら相談すらできない。今、介護難民も多くなっているし、徘徊の悩みも街に増えてきている。オリンピックは若人の祭典で香しが、こうした老いに向けての対処も公的な相談機関が休みなく向き合っていくよう、介護サービス利用者と施設の民間同士のことだけとせず取り組んで、迅速に調整する必要がある。新国立競技場が出来たとしても、足を運べない高齢者、その介護者はより多く増えているのだから、桝添都知事ならずとも、剣道の竹刀ばかり振って「青春!」ばかり吹聴せず取り組んでいただきたい。


参照:
朝日新聞デジタル 9月6日

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2015年09月09日

大介護時代、どうなる自治体の取り組み

 これから団塊世代が後期高齢者になると、日本は大介護時代を迎える。国民生活基礎調査(13年)によると、同居家族が主に介護を担う世帯のうち、介護する人とされる人の両方が65歳以上という「老老介護」の世帯の割合は、01年は40・6%だったが、13年には51・2%と初めて半数を超えた。

 「老老介護」は、介護者の心身への負担が大きい。町田いづみ・明治薬科大学教授(医療コミュニケーション学)が在宅で介護する約8500人に行った調査(05年)では、体の健康状態を「不調」と感じている人は、65〜74歳で56%、75〜84歳で64%だった。

 うつ病の尺度をはかる標準的な自己診断表への回答では、うつ状態とみられる人は65〜74歳で27%だった。65歳以上の30%は「死んでしまいたいと感じることがある」と回答。55〜64歳の17%を大きく上回った。

 町田教授は「高齢者は介護による負担などから心理面の影響を受けやすいのではないか」と分析。「05年の調査から10年たち、認知症の人はさらに増えた。医師や看護師などの専門職や地域の人たちは、そばにいる介護者も心身の不調を抱えているかもしれないという目で向き合うことが必要だ」と話す。

 こうした高齢介護者の生活を支える仕組みはまだ十分ではないが、一部の自治体では独自の取り組みを始めている。家事代行や、介護者が疲れたときなどに認知症の人を施設に宿泊させられる制度などだ。

【介護者を支える自治体の取り組み例】

■福岡市
介護経験があるボランティアが認知症高齢者の家を訪問し、認知症の人の話し相手や見守りをしたり、気分転換の方法など家族の相談に応じたりする。1日1回(3時間以内)、週3回まで。利用料は1時間500円と交通費。

■東京都杉並区
 同居する要介護高齢者らを介護する家族の家事(掃除、洗濯、調理、買い物など)を、区が委託する民間事業者のヘルパーが代行する。1時間300円。1家族につき年間最大24時間利用できる。

■大阪市(9月から開始予定)
 介護する家族の急病・事故や、心身の疲れで虐待しかねない時などに、認知症の人を特別養護老人ホームにショートステイさせることができる。1回につき原則14日以内。利用料は要介護度などによる。

川崎では有料老人ホームで転落死が相次ぎ、その不自然さに調査が入っている。この介護にまつわる問題ををどうやって解決するか、介護人口が増加の一途であり問題だ。国民投票もそっちのけ、国民の反対が増えるのに平和法案を多数可決に急ぐのは、50年後に「国民の負荷になる」悪法となる可能性もあるが、安倍氏および内閣につらなった面々は介護されているか、この世にはいないということだ。国民の納得していないようでは、国民軽視で国内外で本当の安心を確保してはくれていない。

 この法案がとおれは防衛費は積み増され、赤字国債を発行するというのか?消費税の10%実施も本格化も控え、マイナンバーで税金の徴収漏れを防ぐなどを国は急ぐ。相続税も改定されて、介護が終わってもさらに争族に発展するケースも増えると言われる。市民生活からすると解せないだらけだが、豊富な財源の自治体によっては、福祉予算を充実させ、新たな施策を練るところもなくはないようだ。予算の少ない自治体での選択肢は市民のボランティアと工夫になる。

 頑張れ、我孫子、まずは若い世代の転入増を図りたい。


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2015年09月08日

メディアの反応

 長淵剛さんは、ずばっとモノをいうシンガーソングライターだが、7日で誕生日65歳になったという。3人の子供の親であり、詩人・画家との顔ももつ。妻で元女優の志穂美悦子さんとは震災の年、自由が丘のカフェ『ROCK ON』特別企画を行ったり、東日本大震災復興支援・チベット難民キャンプ支援としてフラワーアレンジメントの写真集『Flower Arrangement INSPIRE 〜いちかばちか〜』を出版、売上を全額寄贈。フラワーアーティストとしての活動が目立つ妻は、最近にLove&Fight フラワーワークショップ が ホテル日航(お台場)などでも注目である。

 長淵さんは7月、フジテレビ「ワイドナショー」に出演した際に、「どの時代でも戦争で銃を持つのは10代の子供たち。絶対にこういうことしないようにするにはどうしたらいいかという(議論を)ヤイヤイやるべき」と発言していた。さらに、東日本大震災時には、救出や復興支援に働く自衛隊員を激励するなどしており、「4年前を思い出してもらいたい。どれだけのことを自衛隊員がしてくれたか。彼らを死なすのかってことですよ!」そのうえでは「感覚として戦争が近づいている気がするんです。どうやって阻止するべきか。子供が死ぬんだ、自衛隊員が死ぬんだと思うと、違うんじゃない? って言いたい」と熱弁し、全国の茶の間を感涙させたという。
 
 8日朝、総裁選は無投票と決まった、難なく続投、16日に「決める」という事になる。野田聖子さんの出馬断念のニュースとともに、再選が決まって勝どきを上げている安倍総理とその取り巻きの様子を国民は目にしたことだろう。野田さんが20人の推薦人を集められなかったというが、相当な切り崩しがあったのは想像にかたい。

 本日(8日 18:00〜)は「安保法案 東京大学人緊急シンポジウム @本郷キャンパス」でも呼びかけがされます。「『安保法案 東京大学人緊急抗議集会・アピール』実行委員会」主催 9・8のシンポジウム。 広渡清吾氏(元東京大学副学長、元日本学術会議会長、専修大学法学部教授)、石川健治氏(東京大学法学政治学研究科教授)らが登壇。多数の団体がアクションを起こしているなかで、「安保関連法案に反対するママの会」が自民党本部へのメッセージ集を提出するアクションも注目だ。

視聴URL: http://iwj.co.jp/channels/main/channel.php?CN=4

 ところが、今月4日、安倍首相は参院の特別委員会で法案審議がある日だったのにもかかわらず、大阪まで出向いてテレビ番組に収録、生出演までしていたことで、波紋が広がっている。そこでは、元社民党の某議員をもじって「イライラの総合商社かどうか」なる質問が飛んだりしたとか。さらには、「左翼くん」なるゆるキャラ(?)も登場。安保法案による戦争参加を懸念し、涙している左翼くんの疑問を解消していくというコーナーが用意され、安保法案に反対する人を「左翼」と一括りにして、出演者ともども上から目線で嘲笑する、ちょっと悪ノリしすぎの感の企画(読売テレビ)に対し、有権者を愚弄するな!と抗議の声がおきたとか。

 米国の建国の父、トーマス・ジェファーソンは「情報」が民主主義社会においてどれほど重要だ」との言葉を残している。若者の間には大手メディア、とりわけNHKに疑問を感じているかの反応が起きているようだ。私たちは、若者たちがしているように、今の時代、NHKなど大手のメディアだけでなく、自ら情報収集して、海外、国内の独自な発信もチェックして、見抜いていく力も付けなくてはならないようだ。

 時折、耳にするように、NHKの籾井勝人会長人事は、安倍晋三首相の「お友だち作戦」で送り込まれたともささやかれてもきた。改めて安倍首相と菅義偉官房長官の政権中枢ラインある籾井勝人氏という人物はどんな人なのか。2014年1月、NHKの経営委員会は任期満了になる松本正之会長の後任人事として新しい会長についた。三井物産に入社後、米国三井物産社長や本社副社長を務めたものの、本社の社長にはなっていない。その後、日本ユニシス社長、相談役などを経てNHK会長に。福岡県出身。九州大経済学部卒。任務は一期3年。

 2014年6月21日には、NHKの政治的中立性が疑われる発言をしたとされる籾井会長、百田尚樹(同経営委員)、長谷川三千子(同経営委員)の罷免を求める集会が大阪で開催された。さらに7月18日には小中陽太郎(ディレクター)、下重暁子・山根基世・酒井広(アナウンサー)、勝部領樹(社会部記者、「ニュースセンター9時」キャスター)など元職員172人が連名で、籾井への辞任勧告、応じない場合は罷免するよう求める申し入れを経営委員会に行なっていた。

 そうしたNHKではあるが、6日放映の日曜討論に出演した山本太郎議員は「NHKは偏向報道だ。調査の数字も出さずにごまかす。高校野球は延長して放映するのに、国会は18時で切る」と冒頭からの発言していたが、その後に発言は見られずだった。

 同じ日(6日)、早稲田大学では「早稲田から止める!戦争法案 安保関連法案に反対する 早稲田大学全学集会 9.6」が開かれた。そこで「大手メディアの体たらくはなんだ。産経・読売は仕方がないとしても、最も影響力のあるNHKは取材もおろそかだ」との発言も出ると、会場からは大きな拍手が巻き起こっていた。

 中谷大臣の答弁が二転三転している中、安倍首相には安保特委員会に出て説明するよう再三再四要求も出ていた中で、わざわざ大阪まで出向いてテレビの生出演、番組の収録も行っていた。Twitterではハッシュタグ「#国会サボる総理はいらない」が一時トレンド入りしたという。

 国会前集会では、脳科学者・茂木先生もラップのリズムで、SEALDsの若者たちと共に訴えて、感動ものだ。国会の前は時代に敏感な人たちが集まってきているのが、動画で分かる。高村正彦副総裁(山口選出)は、安全保障関連法案に関し、国民の理解が得られなくても今国会中に成立させる方針を強調し、「国民のために必要だ。十分に理解が得られていなくても決めないといけない」との考えを述べている。



 
参照:
Wikipedia 、水島宏明(法政大学教授・元日本テレビディレクター)
http://bylines.news.yahoo.co.jp/mizushimahiroaki/20131221-00030851/

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2015年09月07日

なくても「無財の七施」

今日は、7のつく日なので、お彼岸も近いし、仏教に関する七にちなんだ話題です。

仏教には、「無財の七施(しちせ)」という教えがあるので、ご紹介します。
お金や財産がなくても、七つの徳を積むと良いことが巡り巡ってくるという、結構な教えです。

眼施(がんせ)という、「やさしいまなざしで人に接すること」
和顔施(わがんせ)という、「にこやかな笑顔で人に接すること」
言辞施(ごんじせ)という、「やさしい言葉で人に接すること」
身施(しんせ)という、「お年寄りや子どもを連れた女性などがいたらドアを開けて待っている等の、自分の体を使ってできることで奉仕すること」
心施(しんせ)という、「思いやりの心を持って、まわりに心をくばること」
床座施(しょうざせ)という、「バスや電車でお年寄りや体の不自由な方に、席や場所を譲ること」
房舎施(ぼうじゃせ)という、「お客を温かく迎え、癒(いや)しの場所を提供すること」

「おもてなし」においても、「笑顔」や「会釈」、「ありがとうございます、お世話になります、お疲れさまです等の短い言葉がけ」といった言葉や動作があると、なんともいえない温かさを感じるということです。

マニュアル的な接客は、やはり「物足りなさ、面白くない」といわれがち。物足りなさを感じる人の応対には用件を伝えるだけで、そこにプラスされた思いやりのある言葉や動作が欠けてしまいがち。

これは、おもてなしの技ばかりでなく、日常の人間関係でも応用できるとの教えなのです。すべての人間関係には、ちょと一歩踏み出してみる勇気と優しさが必要ということ、誰にも財なくしても心豊かにする方法です。

七のつく日、お彼岸までの日々だけでも、いい出会いとなりますように試してみてはどうでしょうか。
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2015年09月06日

吉永小百合さんも、大学教授らと平和へのメッセージ

 安保法案の審議日程、採決は16日に延びてきています。国会前のみならず、各地でデモが広がっている影響もあるのでしょう。
 
 中には、デモ支援でカフェが割引をTwitter呼びかけしているのも、学生、若者を意識した社会状況かもしれません。

 デモ割.JPG

 6日は13時より、早稲田大学で安保法制に反対する大規模な集会が行われました。早稲田大学法学学術院教授の水島朝穂さん、早大OBの岩上安身さん(インディペンデント放送)が5分ほど短いスピーチがありました。OBのやくみつるさんや、OGの吉永小百合さんからのメッセージも紹介されました。

 『早稲田から止める!戦争法案 安保関連法案に反対する 早稲田大学 全学集会』9.6」の様子は、安保関連法案に反対する早稲田大学関係者有志らによる集会でした。
 
http://www.ustream.tv/recorded/72534824

 15時に終了後、大隈講堂前に集合し、そこから高田馬場駅までデモ行進を行いました。デモ解散後は、新宿・伊勢丹前で行われる、SEALDsら若者・学生と、安保法案に反対する学者の会による共同街宣に合流、1万2000人もの参加者が集まったということです。ここでも学者と学生、そして国会議員が入れ替わり立ち代りでスピーチし、それぞれの視点から、安保法案に対する廃案の意思を表明した。新宿は日本乗降客が多い、賑わいの街、その中で大規模行動を行う主催はボランティアとはいえ責任も大きかく感じていたのでは、内閣幹部たちがデモする団体を「左翼」などとくくるが、そういう感覚こそ問題で、夏休み終盤に入った大学生たちは屈することがありません。

 「日本の安全保障を守るのに、米国への従属は必要ない」と、「平和学」の世界的権威、ガルトゥング博士も述べています(当ブログでも9月4日に紹介)。ガルトゥング氏は世界中で200以上の「紛争」の仲介をしてきた、まさに紛争解決のプロフェッショナル。世界中の首脳・高官も、その助言を仰ぎ、政策に反映するほどです。

 そのガルトゥング氏は、安倍総理が多用する「積極的平和主義」という言葉の生みの親でもありますが、御用だと嘆いています。氏は、安倍総理の掲げる「世界平和への貢献」という部分に関しては結果的には日本政府が「米国の立場を繰り返すのみ」であり、「抑止や必要な場合は強力な武力で戦えるようになることを念頭に置く」総理の「積極的平和主義」は、「言葉の乱用だ」と苦言を呈しました。

 家庭内の平和の維持、といったミクロなテーマから国家間の武力紛争を防いだり、起きてしまった紛争を終結させたり、といったマクロなテーマまで貫かれれているのです。ガルトゥング氏の言う「平和」は、これまで世界中の紛争解決・仲介に携わり、世界中の国家の枠組みを超えた平和構築の実例を研究してきた、とても実践的で、リアリスティックなものでした。「平和」と聞くと、なんとなく抽象的なイメージですが、争わないということを家庭、近隣においても実現していくこと、簡単なようでいて難しい、しかし紛うことなくやりとげようと意思を持たなくてはいけません。

 よく安保法制賛成の方や安倍総理支持の方は、「反対するなら対案を出せ」といいます。そもそも憲法違反であるものに対案もないでしょうが、あえて示すとしたら、このガルトゥング氏の具体案は、その有効な一つだと思います。


 
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2015年09月04日

「積極的平和主義」の提唱者、Johan Galtungが忠告

 「積極的平和主義」という言葉の生みの親はヨハン・ガルトゥング博士だ。 新たな安全保障法制の成立をめざす安倍晋三首相が掲げる「積極的平和主義」。しかし、この言葉を提唱したノルウェーの平和学者・ガルトゥング博士が定義する意味とは相当異なる。博士は8月に来日し、「本当の平和とは何かを語り、安倍首相は『積極的平和』という言葉を盗用し、私が意図した本来の意味とは正反対のことをしようとしている」と断言する。つまり、安倍総理は「積極的平和主義」という”言葉を勝手な解釈変更”していたとの指摘する。博士は、日本は「問題点もあるが憲法9条を守っていく」「憲法9条が当たり前の世の中にしよう」「軍隊は持たず、外国の攻撃に備えることもない」「そして核兵器は持たない」と主張する、憲法の9条が守られるよう願ってやまないと、来日して語った。



 博士は、ノルウェーのオスロに生まれ、1956年に数学で、1957年に社会学で博士号。1959年オスロの平和研究所設立、所長を務める(〜1969)世界的な平和学者。1964年『Journal of Peace Research』を発刊、1974年まで編集委員長。平和学の創生期に重要な理論活動を行った。アメリカのコロンビア大学講師・准教授(1957〜1960)、オスロ大学教授(1969〜1977)、国連大学コーディネーター(1977〜1981)、フランスのヌーベル・トランスナショナル大学学長(1984〜1995)、ハワイ大学特別教授(1987〜1995)、ノルウェーのトロムソ大学教授(1995〜1999)、立命館大学教授(1997〜1999)。国連の専門機関のコンサルタントも多数務める。1993年よりNGO「トランセンドTRANSCEND」を主宰。著書・論文多数。

 戦争の不在としての「消極的平和」に対して、幸福や福祉や繁栄が保障されているという意味での平和を「積極的平和」とよんで区別した。これに対応して、平和の対立概念である暴力についても、戦争・殺人などの直接的暴力に対して、抑圧や搾取が行われている状態である構造的暴力という概念を提出し、その両者が克服されなければならないとした。構造的暴力という考え方は、平和学の対象を開発途上国が直面する困難という問題にまで広げることとなり、平和学の理論の発展に貢献。夫人が日本人ということもあり、日本への深い関心と歴史、文化への造詣を持って、今後の歩みについて注視してきたのだ。現実的な「武力に頼らない」日本の平和構築手段とは、いかなるものなのか。尖閣問題はどう処理し、米国と友好的な関係を築きながら米国の従属から脱するには、何を「実行」すれば良いのか、各地でその対処、現実との対峙について語った。9条があるから、専守防衛できないのではなくて、それを手中にした内閣(防衛省)の意識に揺らぎがあり、変えるから問題なのだ。

 平和学を打ち立て、該博な知識を有する、対象を一面的にとらえるのでなく歴史的にも地理的にも非常に多面的に考察し、せめぎ合いの向こうにそれらを超越する新しい解決方法の地平を展望する。平和学者として国際問題の紛争解決について助言・提案を行うなかで、紛争当事者との対話・議論の経験から、紛争解決ではなく、紛争転換のためのトランセンド(超越)法を編み出した。トランセンド法とは平和創造の主体形成のための方法であり、対話と創造性に基づき、紛争を非暴力的に転換していこうとする実践・訓練・研究のことである。彼が1990年代以降主宰している「トランセンド」というNGOでは、実際に紛争を調停する役割を担う人々のトレーニングを行うための各種プログラムが企画・立案されている。また、実践的にも国際紛争の診断・治療・予後といった枠組みで国際問題の解決にも貢献しようとしている。2003年からトランセンド平和大学が開校(オンライン)。

 最近は中国の習近平国家主席とロシアのプーチン大統領が北京で会談し、プーチン大統領は、習主席が抗日戦争勝利の記念式典で述べた平和のメッセージを称賛するとしたうえで、中国との全面的な戦略的パートナー関係を深化させていくと強調した。中露の緊密な関係をアピールした習主席は、国連の潘基文事務総長とも会談し、潘氏は軍事パレードなどの記念式典について「非常に素晴らしかった」と感想を述べ、「平和を守りたいという中国人の願いを十分に表している」と評価したというのだ。「積極的平和主義」の本来の意図と世界の現状がどんどん、乖離していくとガルトゥング博士は感じていることだろう。

 他方、河野洋平元衆議院議長が、このところの政府の安保関連法案に対し、憲法学者をはじめとして多くの人から「違憲」という疑念が寄せられて、法案が違憲か合憲か決着がついていないと発言していた。首相がいくら「合憲だ」と言っても、それは提案者の首相が言う「合憲」の考えであって、本筋ではないという指摘だ。大多数の憲法学者が「違憲だ」と言うからには、その疑問を晴らす責任があるはずという。

 河野氏の政治経験から言うと、「違憲か、合憲か」という議論は今まで何度かあった。そのときは内閣法制局長官を国会に呼び、「合憲の範囲」を把握していたが、今回の安全保障法案の議論が始まる前、首相が自分と同じことを言う人を連れてきて法制局長官にしてしまった。極めて恣意的な人事をした。それが証拠に、歴代の法制局長官は異口同音「違憲だ」との指摘がでた。これで国民は納得するかといえば無理だ。現内閣法制局長官が、時代が変わった「合憲でございます」と言っても「合憲」とはならない。

 もちろん、こうしたことを周辺事情も整理し、合憲だと国民の多くが納得し、その上で安保法制をつくるなら、プロセスとしてありえる「合憲」「改憲」への道だ。しかし、今、法案は合憲なんだという大前提のコンセンサスがなかったら、ここは一度法案を引っ込め、まずは違憲か合憲かをはっきりさせなければならないと河野氏は強調される。

 現行憲法の枠内で日本の安全保障政策をつくり、組み立てるのが第一義的な問題ではなくて、真っ当な政治になるのか。安倍首相は世界中を駆け回って「日本は積極的平和主義なんだ」、だから「武装した自衛隊を手伝いに行かせますよ」と言う。安倍首相は積極的平和主義なのか。

 日本の平和主義の象徴は非核三原則や武器輸出三原則、平和主義の真意だ。その元締が憲法9条ということだ。核兵器をつくる技術、武器だって売ればどんどんもうかる。だけどそういうビジネスはしない、それが日本の平和主義のブランドを作ってきた。そのブランドをなぜ脱ぐのか。「日本の安全に良いという主張はまったく理解できない。安倍氏のいう積極的平和主義で、あっという間に武器輸出も大幅に緩和された。」と断罪した。武器輸出についてはもう日本は「普通の国」になったということになる。日本は、これまでの平和な国だというブランドを捨てるべきでないという、国会前デモに行く人たちは11日へ向けていくことになる。

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2015年09月03日

インディペンデント、自立した市民が情報をもつ

観光といえば、川崎の工場地帯は写真集が出るほど夜景に独特な美しさで知られるようになっていました。「工場夜景クルーズ」はデートコースにも選ばれ、若い女性に人気が高いのです。もちろん昼の観光でも産業観光として注目されるようになっていました。私も、観光ゼミの後輩から話を聞いて、いつか行きたいと思っていたところです。その工場地帯に、実は、東芝の原子力技術研究所があるというのを知ったのが、日鉄住金鋼管の川崎製造所の火災事故後で、すこし前におきた中国の話より笑っていられない、それ以上に危険な問題も含んでいるのだとも分かってきました。

 激しい炎と黒煙がのぼった日鉄住金の工場と東芝の原子力技術研究所は眼と鼻の先でした。何と、300メートルほどしか離れていない至近距離なのです。工場地帯は平時の時でも、ガスの匂いが鼻をつくというくらいなので、火が簡単に広がるような地域に、なぜ、原子力技術研究所なるものがあるのか不思議です。絶対なる安全神話を、むやみに信じてきたとしかいいようがないです。

 ところが、大手企業も関係する大事故で、放射能関係は主要報道機関が動けない事情はこれまでと同様です。例えば、相模原の米軍施設の爆発事故を「日米地位協定」とからめて報じたメディアはまだまだ少なく、数時間で鎮火した工場の火災事故のニュースを、近接する原子力技術研究所の存在に言及して報じたところも、インディペンデント・メディア以外はどうもないようです。国内の複数の情報源、主要メディアも読みながら、その他、国内外からもチェックする必要がある、大手の報道は一部しかされていないという事もよくよく知って対処すべきのようです。



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2015年09月02日

野田聖子さんの動向、結果ばかりではなく考えていくこと

 夏をこよなく愛する海津にいなは、蝉の鳴き声から秋の虫の声に早くも変わってしまったのには、少々残念でもあります。残暑お見舞いの間もなくなって、調子がくるってしまいます。昨日は、新学期スタート、防災の日でもありました。皆様のお宅の備蓄品はチェックされたでしょうか。

 さて、野田聖子氏出馬準備かと言われます。自民党が内部調整して、無投票再選を図っている一派も多いのでしょう。自民党総裁選の告示日は、9月8日ということですが、時間も迫っていますから、安倍総理の対抗馬も現れずと、なりそうな秋の声です。

 野田聖子前総務会長は、1日夜、立候補に意欲を示したが、総裁選挙の立候補には推薦人が必要ですから、この局面で推薦する大物党員が出てくるかどうかです。関係者によると、野田氏の事務所のスタッフが、8月31日、総裁選挙管理委員会を訪れ、立候補に必要な書類一式を受け取り、持ち帰ったことまでは明らかにされています。

報道によると、野田氏はすでに推薦人集めに入っており、自身の政治資金パーティーで、「安倍政権を見直す絶好の機会だと思った。今のわたしの心は、義をみてせざるは勇なきなり」とあいさつし、総裁選挙への立候補に意欲を示した。ただ、立候補に必要な20人の推薦人の確保は、難航していることも示唆したとのこと。.

 彼女の足跡からして、十分な資質を備えているとはいえ、やはり組織の人ですから、党内の圧力もかかるでしょうし、出馬が確定したわけでもありません。つまり、安倍さんの再選は覆らないとの予測があってなぜ動くか、そこが政治の読みです。

 大規模な国会デモ、支持率下落などの中で、問われる平和法制、解釈改憲なのですが、衆参で400名を超える国会議員を抱える自民党が対抗馬のひとりも出てこない? こんな事態でも安倍さんに無投票再選させるのは、それだけ絶大な権力の中に立っているということを示したとも言えます。

 野田さんは総務会長時代に、雑誌『世界』の2014年6月号で、集団的自衛権行使を容認する解釈改憲に対し、「集団的自衛権が行使できる、武力行使ができるとなれば自衛隊は軍になる。軍隊は殺すことも殺されることもある。いまの日本に、どれだけそこに若者を行かせられるのでしょう」とし、「国際情勢という大きな状況と、人を殺す、人が殺されるかもしれないというリアリズムを語るべきです」と問題提起したことは重要です。

 さらに、『世界』では、石破さんが集団的自衛権の行使で自衛隊員の血が流れることも政治家は覚悟しなければならないとしていることについて、「それこそが、私たちが憲法解釈で60年間超えられなかったところだったのではないでしょうか」とぴしっと指摘しています。安全保障政策の根本を「憲法の解釈変更だけで行うことは政策の安定性がなくなる」と、明晰に判断していました。

 実際には自民党議員の中にも、こうした考えを持つ議員が何人もいることはいるはずです。もし野田さんが総裁選に立候補すれば、安倍総理は、安保法案という重要法案の審議を抱えながら選挙活動にも取り組まなければなりません。党内の選挙とはいえ、有権者、メディアからから投げかけられる疑問に答えないわけにいかなくなります。

 野田事務所のスタッフが選管に行ったのが31日とは、これは30日に国会前に集まった人々の思いが、野田さんを後押ししたのかもしれません。大規模なデモの割に報道は控えめでしたが、国会前を埋め尽くした空撮写真をみれば、人々の想いを無視してはならないと、野田さんなりに心を動かされたのかもしれません。

 立候補という行為には、結果も考えなければなりませんし、組織の中での立場に影響したり、支持者の意見も考えなくてはならず、政治決断の勇気がいります。11日には、法案が通るとの見通しも強く、市民が国会前に集まるうねりや、18歳パワーをどう収拾して民主主義のプロセスを作っていけるのか、有権者はしっかりと考えていかなくてはいけません。野田さんの勇気に感じながら、海津にいなは、久々に駅頭でレポートを配りました。女性だからできる、そんなことも感じました。では、我孫子の皆様、どうぞ海津を見かけたときには「いいね!」と声をかけてください!!勇気が出ます。




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2015年09月01日

ブラタモリ、日本の別荘史を紐解く

 どうして「日本一の別荘地」になったのかをテーマに、年間830万人の観光客が訪れる軽井沢にひそむ歴史の痕跡について、8月最後の土曜日(29日)の”ぶらタモリ”で取り上げられました。その際に三人の大学教授が案内をしていたが、一番目に紹介されたのが別荘研究では第一人者の安島博幸先生、我が恩師です。修士論文で「我孫子の別荘地研究」をテーマにするようにと指導いただき、大変にお世話になりました。先生の著書『日本別荘史ノート』は、このテーマで論述した研究書としては希少本なので一冊もっていますが、既に絶版です。
 
 当初、別荘などに関心のなかった海津にいなは、我孫子を別荘地として捉えたことなどなく、それを研究するなどというのは、おこがましいと考えていたのでしたが、考えを改めさせてくれたのが安島教授でした。良い別荘地の条件としてはとハケの道、湧水、そして富士山というの条件があるのですよなどと言われて、我孫子の地形が別荘地の要件に当てはまるとお教えいただいたのでした。そこで、一度おいでくださいとご案内したことがありましたが、白樺文学館にあるオーディオセットに目を留め、このメーカーの音響製品でもこれは特注品のはずで、相当な名品ではないですか!などとと感心されておられ、小さいながらも素晴らしい文学館なのだと認識するきっかけになりました。そんなこんなで、修論完成後も我孫子の歴史・文化に関心を持ってしまい、先生が立教大学から他大学に移られるなどの折に、嘉納治五郎の顕彰碑がある筑波大学に縁があったのか、更なる研究を続けることになって、現在は博士論文に取り組むということになってきました。それからは、国内の陶芸史跡ばかりでなく、英国・セントアイブス、カナダ・オタワ、米国・NYまでも足を延ばして調査を進め、韓国、中国、米国などの研究者とも知り合うようになり、なんだか遠大な調査研究になってきています。我孫子の地域研究として、役に立つ内容にしたいと頑張っており、なんとか完成させたいと思っているところです。今や、我が家の家族、さらに娘のお婿さんのご一家も我孫子の白樺派に関心を持ってくれるようになって、応援してくれるのが有難いです。

 安島先生のお蔭で、自分には縁もゆかりもないと考えていた別荘の歴史に関心を持ち、我孫子に起きた芸術家村が、日本の歴史上でもいかに希少な時期であったか、柳宗悦・兼子夫妻について研究を深めて、実際に海外の学会でも発表するなどの機会を得て、学者たちと意見交換するチャンスも得られ、21世紀のテーマとしても非常に意義があると思うところです。

 これが公共政策にも反映できるように期待しますと、外国人女性教授にも激励され、年齢なんか関係ないやり通すかどうかですと指導教授(女性)にも叱咤され、書いてまとめる難しさに苦しみながらも、女性でもやり抜くことが出来るロールモデルを目の前にして、歴史を紐解く面白さ、論文を書くという真摯な姿勢を知るようになりました。柳宗悦と兼子夫人というまたとない夫婦が主役なの芸術家村なのですから、今や世界的にもその思想と行動が再認識されて研究される人物なのだと認識を新たにして、辞めるに止められない状況、しかし、秋にもさしかかると、今後に想定されることなどに不安も頭をもたげています。

ブラたも.JPG たもり.jpg 

 さて、旧中山道の宿場町が、明治になって参勤交代が途絶して衰退の一途をたどっていた時に訪れた大きな転機が、外国人宣教師による別荘でした。その続きは、海津にいな著『我孫子における芸術家村の形成とその変遷』に明らかにしており、図書館に寄贈本を一冊入れましたので、地域つくりの書架においてあります。論文とはいえ、読みやすく、図版、写真も多数取り入れましたので、手にとって見てみてください。

 ブラタモリの再放送は今週末の日曜日、13時05分-13時50分、再放送でもご覧になれます。
(軽井沢の放送の再放送は、NHKの都合で延期。別途、放送の予定です)


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PROFILE
ブログ製作者:海津にいな                 (KAIZU Nina、新菜)。
経歴:(株)発明工房役員、我孫子市議会議員(5期)を続行中。児童英会話インストラクター、野村総研(政策研究部所属など)勤務した。放送大卒、立教大学(観光学研究科 )修了。筑波大学大学院(博士課程後期 単位取得退学)
コミュニティ−活動:めばえ幼稚園・四小PTAの役員/青山台自治会副会長・三小・我中PTAの役員/久寺家学習指導(書道)、生涯学習推進基本計画策定委員(’99) 
NGO活動、他:NGO・ACT(我孫子カルチャー&トーク)の会、開かれた県政を進める会世話人(〜‘09)、女性のための政治スクール(10期)、千葉県ボランティアコーディネーター、千葉県観光人材育成セミナー。日本観光研究学会、eシフト、自殺対策議員有志の会、自治体ウオッチ(世話人)。
市民活動:我孫子市国際交流協会(初代理事・広報部長)、我孫子の文化を守る会、我孫子フィル後援会、我孫子地産地消協推進協議会、我孫子市消費者の会(`90〜)、エコライフ、谷津を守る会、かっぱ祭り実行委員(第1〜3回)、AYA(フィンランド劇団招聘)、きもの愛好会、湖北山の会、市史研究センター会員、まちづくり編集会議:将門プロジェクト企画。
生涯学習:オープンスクール(武蔵野美大、川村学園女子大学、中央学院大学、麗澤大学、上智大学、放送大学)にてリカレント他、国際理解活動の必要からギリシャ語、スペイン語、仏語、韓国語、英語を学ぶ。CCC(異文化コミュニケーション=英会話クラス)
Emailabkkaizu●gmail.com
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