今年は日韓国交正常化50年の年、戦後70周年談話(安倍談話)について、朴大統領が物足りなさを取り上げながらも、歴代内閣の歴史認識継承の面で肯定的な評価をしたと、日本メディアは「朴大統領が就任後、公の場で安倍首相の歴史認識を制限付きでも肯定的に評価したのは非常にまれなことで、対日関係の改善を推進する姿勢を明らかにした」との見方もあった。
西岡力教授(東京基督教大学)によれば、現在の韓国人の反日感情の原因は日本統治時代の記憶ではない。なぜなら、反日感情は統治時代を経験していない若い世代ほど高いからだと指摘。1977年に韓国に留学したが、統治時代を知る年長者の日本に対する感情は、独立を奪われていた悔しさが半分、日本から入った大衆文化などへの懐かしさが半分混在していたという。
日本の朝鮮統治は「同化政策」、すなわち朝鮮人は民族性を捨てて日本民族になればよいというレイシズムが貫かれていた。しかし、新羅の統一以来、千数百年、統一王朝の下で形成された民族性を抹殺することは不可能だった。同等に扱うという「善意」は表向きで、朝鮮の人々に逆に作用したていったのはなりゆきだ。
一方、日本の統治は近代文明をもたらした。金洛年・東国大学教授の研究によると、1910〜40年に経済は年平均3・7%成長し、人口は年平均1・3%増えたとする。さらに独立後の韓国は、日本時代に導入された近代化の諸要素を用いて国造りを進めた。
1965年、日韓基本条約を結んだ朴正煕大統領も「植民統治の収奪、ことに太平洋戦争で数十万の韓国人をいけにえにした日本は、永久に忘れることのできない怨恨を韓国人に抱かしめている」と反日感情を隠さなかったが、北朝鮮と背後にあるソ連、中国との対決に勝つため、自由主義陣営の日本と協力する必要性を認めた。前年6月3日、ソウル中心部では、「韓日交渉を中止せよ」「屈辱外交を許すな」「売国奴を殺せ」
と、催涙弾が飛び交う中、大学生ら1万5千人以上が集結し、治安当局と衝突を繰り返した。夜、戒厳令を布告したのは当時の大統領・朴正煕だった。朴正煕が主導した軍事クーデターの中心人物の一人である金鍾泌は今年、韓国紙への寄稿で、日韓国交正常化を「(クーデターに続く)第2の革命だった」と振り返っている。
朝鮮戦争(50〜53年)で壊滅的打撃を受けた韓国経済は最貧国の水準となっていた。「近代化のための資金を何としても捻出しなければならなかったのだ」と金氏は言う。朴正煕の命を受けて秘密交渉に当たった金鍾泌であったが、中央情報部(KCIA)の初代部長を務めた金は「反日より、“用日”こそ困難な道である」という話をよく朴と交わし、日本を用いて経済発展の道を探り、日韓国交正常化へ向けた。1962年に始まった経済開発5カ年計画は莫大な資金を必要としていたからだ。
朴正煕政権は条約で解決した過去の歴史問題を外交に持ち込むことはなかった。しかし、日本が朝鮮総連などの韓国の安保を脅かす活動を取り締まらなかった結果、74年、日本をテロ基地とした大統領夫人暗殺事件が起きると、韓国では反日感情が爆発し、朴正煕政権は日韓断交さえ検討した。この時こそ日韓関係は最悪だった。
全斗煥政権の反日も当初は、日本が自由主義陣営に属しながら応分の軍事費負担をしていないというものだった。当時の自民党政権と外務省は安保経済協力を拒否していた。その渦中の82年、日本マスコミの誤報から教科書事件が起きた。全政権は経済協力資金を得る便法としてそれを使った。中国共産党と日本の反日マスコミと韓国の反共政権の連携というおかしな構造がこの時にできた。歴史認識問題を外交交渉にのせるという歪んだ構造がここで生まれた。
92年、やはり日本の反日マスコミの誤報により突然、外交問題化した慰安婦問題でも、盧泰愚政権は日本からの技術移転を求める交渉の道具としてこれを使うことを決め、宮沢喜一首相の訪韓での謝罪劇が生まれた。
この歴史観に立つから、冷戦で共産陣営が敗北しても、韓国内の北朝鮮の独裁政権に従属する「従北派」は力を拡大し、2012年の大統領選挙では、従北派との連立を公約した左派候補が48%の支持を得た。そのため朴槿恵大統領はこの歴史観と正面から戦うことができないまま、反日外交を続けているのだと概観する。
心配なのは、むしろ日本人の嫌韓だと西岡教授は指摘する。韓国の反日の背後にある政治工作を見ず、互いの合意点への議論が拡散して、纏まろうとしないからだ。しかし、韓国が米国と同盟である以上、日本は安保において韓国と同じ船に乗っている。北朝鮮の独裁政権を共通の問題として、歴史観や領土問題などをお互いに譲歩し合う50年前に両国の先人が築いた日韓友好の原点に戻ることは十分可能だと主張する。すでに韓国内の自由統一を目標としている健全な保守勢力は、そのような立場から日韓関係の改善を提起していると西岡教授は語った。
参照:
産経ニュース 6月18日