下手に原因追究を始めると、人生の大切な目的を見失うことになるのです。そのために生きる意欲を失っていくことになりがちなのです。ですから、アドラーは、「原因を問うのではない。解決策を見つけ出すことに全力を傾けるべきだ」と主張するのです。
たとえば、ケンカをしたとします。お互いに、「あなたがそういうことを言うからケンカになったんじゃない」「違う。あなたの性格が悪いから、ケンカになったのよ」と言い合います。しかし、そんなふうにケンカになった「原因」を追究し合っていても無益なのです。 言い争いがますます激しくなっていって、「もうあなたの顔なんて見たくない。絶交だ」というところまでいきかねません。
この時に大切なのは、「ケンカになったら原因を追究する」ことではなく、「どうすれば仲直りできるか。どうすれば今後、もっといい関係でいられるかといった解決策を見つけ出す」ことなのです。つまり、過去より未来を重視するのです。
また、何かに失敗した時、人は、「私が悪かったから、このような結果になったのだ」と反省します。もちろん、反省することは悪いことではありません。ただし、反省することには、いいものと悪いものがあることを知っておくほうが賢明です。
「いい反省」とは、解決策を見つけ出すためにする反省です。
「悪い反省」とは、原因を追究するためにする反省です。
つまり、「私のどこが悪かったから」という反省ばかりしていても、あまり意味がないのです。
自分への自信が失われ、やる気を失っていくだけで、非生産的な精神状態に陥っていくと思います。
むしろ、「今回の失敗で、損失をもっと少なくする方法は何か。どうすれば今回の失敗を挽回できるのか」という解決策を見つけ出すためにする反省の仕方をするほうが、ずっと生産的です。
そして、思想家の唐木順三は、「自省、つまり自分自身の内にうまくいかない原因を追究するような反省の仕方をしていると、底なしの泥沼にはまっていく」という言葉を残しています。「これが悪かった」と考えた上で、「こうすれば良くなる」と考える反省の仕方が大切だというのです。
70回目の終戦記念日の今日、15日、我孫子市非核平和記念式典が行われ、市内中学校代表26人が挨拶をして、広島の平和の灯を分火してもらった報告があって、点火がされた。核のない世界が実現するまでこの灯は点火され続ける。
過去はどうやっても変えられない。 変えられないことを、いくら悔やんでも、嘆いても、変わることはない、これは現実だ。未来に向けての反省をし、これからできることを考え実行するしかない。
「原因を問うのではなく、解決策を見つけ出すことに全力を傾けること」、だからこれからのことなら打つ手は無限、解決策を探す人間関係や外交をしていかなくては、21世紀の未来は築けない。
同日、政府主催の全国戦没者追悼式が東京都千代田区の日本武道館で正午前から開かれ、天皇、皇后両陛下、遺族ら約7000人が参列した。安倍晋三首相は式辞で「戦争の惨禍を決して繰り返さない」と不戦を誓った。天皇陛下は、おことばで「さきの大戦に対する深い反省」について初めて言及された。未来へむけて解決していくのが反省であって、過去はどうしようも変えられない、世界共通認識で一歩一歩、70年から先を平和にむけて英知を絞っていく、決意の時だ。