戦後日本はGHQ、強大な先進国・米国の下に、国民の総懺悔という言葉によって、国民が戦争の責任を問うべき時期をもうやむやに逃れてしまった。国民には正確な情報を付して、戦争に向かわない国民を「非国民」だとして、とにかく戦争に向かわせた。そうした情勢を仕組んだ中枢の人々の中から先般逃れをして、戦後の政財界の黒幕となった人たちの影響力は計り知れない。どこの国も、往々にして時の権力者はは国民よりは国家(国体)を重んじる危険性を孕んでいる。戦後は、国民の多くの犠牲を無にしないように、平和国家の道を選択したはずだ。国民の叡智を刻み込む平和教育こそしなくてはならなかったが、今の状況をみているととても、そうは思えない。審議している中に、それこそ70年の平和の証に平和教育を構築して推進していくべきなのだが、刀がいつでも抜けるように準備することを先回しするような審議の明け暮れた。抜けてはならないはずは、刀の振り方ではなくて、日本人としての和を貴ぶ生き方であるべきなのに、望めない状況だ。
神々しい勅語も歴史だが、君が世とは、21世紀の今は、私たちが世界の人々と平和に生きる権利をどう伝え続けることが出来てこそなのだ。知る人ぞ知るとなってしまった、戦中戦後の不都合な真実までも、きちんと戦後21世紀に伝えて、集団の自衛権を書き加えるだけでは、大本営の発表の時代の中で多くの命を犠牲したことが無駄になってしまうと思われる。事実の継承、反省(学術的にも裏付けのある総括)が21世紀の未来が過つことなく続くのだ。
下記は、沖縄での取材記事から
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◇戦世(いくさゆ)を生きて
戸棚にしまっている10枚の便箋。そこに、田頭(たがみ)澄子さん(80)=那覇市=の沖縄戦が詰まっている。
《どこからか「天皇陛下万歳」という声がして、周囲を見渡したら斧や鎌で切り付けて子どものうなり声や泣き声やら、騒然というか、地獄というか、今でも表現ができません》
田頭さんは、沖縄本島から西へ約30キロの離島、渡嘉敷島の出身。70年前、「集団自決」の場にいた。渡嘉敷村史には「300余人」が犠牲になったと記されている。
便箋の手紙を書いたのは8年前。戦時中は4歳で、記憶がおぼろげな妹にあてたものだ。
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米軍が渡嘉敷島に上陸した翌日、1945年3月28日の夕方だった。
家族が避難していた壕に、防衛隊員だった父が飛び込んできた。「命令が出た。早く行かないと」。砲弾の音が響いていた。9歳の田頭さんと両親、祖母、兄弟ら8人。日没後、大雨の山中を夜通し歩いた。日本軍の陣地に近い谷にたどり着くと、多くの住民が集まっていた。
祖母が、着物の帯で一人ひとりの体を結んでいく。「あっちに行ってもみんな一緒だから、大丈夫だよ」。これから死ぬのかと思ったが、不思議と怖くなかった。
近くに幼なじみの「愛ちゃん」の家族がいた。父親がナタを振り上げていた。
《奥さんを先に殺し、次々に子どもたちを殺し、愛ちゃんが「父ちゃん、殺さないで」と泣き叫ぶ姿が今でも忘れられません》
色白で、まつげが長く、お人形のようにかわいかった愛ちゃん。父親は、本島から赴任していた医師で、かすり傷でも笑って手当てしてくれる優しいおじさんだった。
田頭さんの父は、軍から手投げ弾を渡されていた。それが不発だったため、一家は生き残り、現場を後にした。
《血だらけの人が水をさがして泣き叫んでいるのを見捨てて、死人の山をかきわけて命がけで逃げました》
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戦後、19歳で島を離れ、長く那覇に住む。洋裁の仕立ての仕事をしていた市場では沖縄戦の話が出ることもあったが、互いの傷を刺激し合うようで苦しかった。しだいに自分の出身地すら言わないようになった。
2007年、集団自決について「日本軍が強制した」という高校教科書の記述が教科書検定で削除され、検定意見の撤回を求めて沖縄から怒りの声が上がった。「島で何があったの」と妹に聞かれ、一気に体験を記した。「記憶に強烈に焼き付いていた。でも、あまりに残酷で書けないこともあった」
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一昨年、夫を亡くし、今春、高層の那覇市営住宅に移った。旧海軍司令部壕の跡の近く。日がな過ごす部屋の窓から壕の跡を眺めると、思いは戦時に向かう。
カツオ漁が盛んな、のどかな離島が、戦争一色に染まった。「捕虜になれば男も女も殺される」と言われ、信じた。「小さい島で軍と一心同体になり、おかしくなってしまった」
それにしても、なぜ、あれほどの地獄になってしまったのか。70年たった今も、疑問は頭の中をぐるぐると巡っている。
<「集団自決」をめぐる教科書の記述>
2006年度の高校日本史の教科書検定で、沖縄戦の「集団自決」について「日本軍の強制」の表現が、文部科学省の検定意見により削除されたことが07年に明らかになり、沖縄から強い反発が起きた。教科書会社の訂正申請を文科省が認めるという形で、「軍の関与」などによって住民が自決に追い込まれたとする記述が復活した。
出典:
2015/6/20 朝日新聞デジタル