2015年07月26日

このところの官邸前の金曜集会の様子

「なぜ日本は70年間戦争に巻き込まれずにすんだか。それは55年前、この国会を何十万人もの市民が取り囲み、安倍晋三の祖父・岸首相を退陣に追い込んだからだ。もし岸の野望通り憲法が改正されていたら、日本は間違いなく'60年代のベトナム戦争に派兵し、殺し殺される悲惨なことになっていた。これが歴史の事実であります」

ワーッと大歓声がわいた。'60年安保の体験者も少なくないのだろう。こんなシーンは若い世代のデモでは見られない。年輪を重ねた者だけが持つ歴史の皮膚感覚と、強い危機感を語り手と聞き手が共有している。

地下鉄の国会議事堂前駅の改札を抜け、地上に出たら茱萸坂(ぐみざか)の歩道がごった返していた。歩道のあちこちに設置されたスピーカーからは佐高信さんの声も大きく響く。

「私たちがこれまで外国に行くとき手にしたのは平和のパスポート。それが戦争のパスポートに変わろうとしている。それでいいのか!」

6月14日の日曜午後2時、安保法制反対の国会包囲デモ(主催者発表で2万5000人参加)の始まりである。忘れもしない。3年前の夏、週刊現代への連載はこの場所のルポから始まった。そうか、私(魚住 昭)は大事な点を見落としていた。老年主体のデモは芯が強いのだ。時代の歯車の回転をリアルタイムで見てきたから未来を見渡す力がある。子や孫の命を守る決意が強いから揺るがない。

反原発の官邸前デモが最高潮に達していた当時、歩道からあふれた人が車道を埋め尽くした。「危険だから歩道に上がって」という警察官の制止を誰も聞かない。夕闇の“解放区”に蠢く、数え切れぬほどの若い男女の姿が瞼に焼きついている。

あのころはまだ希望があった。もっと伸びやかな空気があった。アジサイ革命だなどと花を持つ手もあった。自分たちの力で社会を変えられるという実感もあった。軽快なサンバのリズムが心地よく響き、警備の警官まで「サイカドウ(再稼働)ハンタイ」と口ずさんでいた。

ところが今は同じ場所に立っても重苦しさしか感じない。参加者の大半が60代前後だからだろうか。あの3年前の若者たちのようにデモを祝祭に変え、爆発的に広げる華やかなひろがりを創る力がない。そんな企画力もない。

だいたい、国会議員が議事堂にいない日曜に、しかも新聞休刊日の前日に国会包囲デモを計画すること自体、少しピントがずれていやしないだろうか。

私がこの3年間に見てきた官邸前デモや反ヘイトスピーチ運動の中心人物たち(彼らは私より二回りほど若い)は、明確なコンセプトを持っていた。論点を一つにしぼるシングルイシュー。標的に直接働きかけるカウンター行動。そして警備当局との無駄な衝突を避け、けが人や逮捕者を出さない非暴力主義。この三つが相まって人々の共感を呼び、現実を着実に変える力になった。

事実、一昨年まで東京・新大久保や大阪・鶴橋のコリアンタウンで繰り返されていたヘイトデモが鳴りを潜めた。若い世代が集まった「レイシストをしばき隊」(現C.R.A.C)や「男組」などがカウンター行動(端的に言うとヘイトデモ参加者に罵声を浴びせることだ)で抑えこんだからである。

おかげで波及効果も大きかった。
カウンター行動を契機にヘイト本ブームに対する社会的な批判が高まった。それまで各地の書店の一角を占めていたヘイト本が次第に姿を消し、いまや「オワコン」(終わったコンテンツ)と言われるまでになった。

そんな若い世代の活躍ぶりに比べると、団塊の世代は見劣りがする。政党や組合を通じた動員型の大衆運動から抜けきれない。もちろん、それも決して悪いことではないけれど、もう少し世代を超えて人を惹きつける創意工夫があってもよさそうだ。

ちょっぴり不満を抱きながら茱萸坂を下り、皇居の手前で左折して国会正門前に向かう。歩道の混雑がひどい。国会周辺の熱気は散会してもなかなか消えなかった。ジイジとバアバたちはこれからもひたすら歩きつづける。たとえどんなに道が険しかろうと。

参照:週刊現代 7月4日

posted by Nina at 00:00| 千葉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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