多くの国民の反対を押し切り「強行採決」された安保法案が16日の衆院本会議で自民・公明両党の賛成で可決された。本会議開会と同時刻の午後1時、衆院議員の亀井静香氏をはじめ、山崎拓・元自民党副総裁ら自民党有力OBが衆院議員会館内でそろって会見。元内閣官房副長官補の柳澤協二氏らも駆けつけ、かつての政権内の“秘話”を披歴し、今の安倍政権のやり方を真っ向から批判した。
藤井裕久・元財務相は、大蔵官僚時代に仕えた岸内閣時代の秘話をこう打ち明けた。
「1957年に岸内閣が発足した後、私は椎名悦三郎官房長官の下で“下っ端”として汗を流していた。岸総理は当時、『俺が取り組んでいる日米安保改定は、世間では集団的自衛権の行使だといわれるが、それは違う。海外派兵は憲法で禁じられているからだ』と明確に言っておられました」
あたかも安倍首相は祖父の「やり残した」集団的自衛権行使を実現するため、安保法案に邁進しているように見えるが、藤井氏の発言が事実なら、それは大きな勘違い。岸氏は「やり残した」のではなく、あえて「やらなかった」のだ。祖父が戒めんとした「憲法9条」の禁を犯せば、心酔してやまない祖父の顔に泥を塗るようなものだ。
岸総理は論理的な考えの持ち主でしたが、お孫さんの安倍さんはどうも非論理的である上、非常識であると言わざるを得ない」(藤井裕久氏)
■自衛官の家族から心配の電話が
70年から40年間、防衛官僚だった柳澤氏は、山崎氏が防衛庁長官だった89年当時のエピソードをこう話した。
「あの頃の防衛庁の広報課には制服組の武官も何人か所属していました。彼らは『日本で一番、戦争をしたくないと考えているのは、実は俺たちなんだ』と言っていた。戦争をよく理解している彼らが、そう危惧するのは当然のことです」
一方、亀井氏のもとにはここ最近、自衛官の家族からひっきりなしに電話がかかってくるという。
「家族の方たちは『こんなハズじゃなかった』と心配しています。自衛官は、国のために命を捨てる覚悟を持っているでしょうが、外国で戦うことになるとは想定していません。海外で殉職者が出たら、安倍さんはどう対処するのか」
安倍首相は「自衛官のリスクは増えない」と強弁していたが、彼らを目の前にして同じことが言えるのか。任期満了で、出動の時の首相は「決められる時に決めた」結果、海外で、東アジアで、イスラム圏窮で後方という名の片棒をどこまで担ぐのか速断を迫られる窮地に立たされるのが目に見える。
元新聞記者で政治評論家の中村慶一郎氏が安保法案を巡るマスコミの姿勢を次のように断じた。
「60年に岸内閣が新安保条約案を強行採決した時は、各新聞社が『共同社説』を1面に書いていた。それが岸首相を退陣に追い込んだのです。今の言論、マスコミは腰が引けている」
会見終了後、亀井氏は日刊ゲンダイに「時間が経過すれば、国民は今の“怒り”を忘れ去ってしまう恐れがある。マスコミももっと頑張らなくてはいけない」と語っていた。
自民党や自衛隊のOBからも批判が渦巻く戦争法案。議論が「出尽くした」とはとても言いがたい。
参照:日刊ゲンダイ 2015年7月18日
2015年07月31日
2015年07月30日
31日@Kantei前:スマホをもって、うちわ(主張ビラ貼)をもって、アピールするのがスマートです
衆院の安保審議が大詰めを迎えて、行動しないと気持ちがおさまらないとするのは、今では女子学生の素直な気持ちのようだ。
そこで、ヘイトスピーチをする側は、若者たちが読むであろうツイートに「母や祖母に、昔はデモに参加したため、いい大学に入ったのに、いい会社に就職できなくなった人もいたのよ、と注意された」との話から、「就職や結婚に響く可能性」などという大学生のデモ参加をめぐる抗ツイートが次々と投稿されるようになった。
「国民の権利」を18歳からも自ら考えるよう促している時代となった。時代も変わった。昔は女性が学問を身に着けると「嫁に行き遅れる」、「男より学があると嫌われる」などとされて、知恵がつく前、男性と交際する機会もないような20代そこそこで見合い話がやってきた。結婚まで”処女でないとダメ”だとか、離婚したら”出戻り”だとか白眼視されたからだ。
そこで、良い大学を出ていい会社に就職した青年を、親たちは青田買いしようとした。なぜなら殆どの企業が終身雇用だったからで、転職などはあり得なかった。しかし、一流企業と言えども、いまやいつ社員をクビにするか分からない時代で、「社畜といわれたりもする転職なしの経歴」なども執着したくても、「正社員」でない場合が増えて「契約社員」がフツーなっている。一流企業の突然解雇の経験が出た「リーマンショック」から、自殺者の急増=鉄道の人身事故が増え⇒メトロのホームにも暫時扉が設置されるようになったほどだ。クビになる妻子を養うなどという発想の根底にあったのは、男性が彼女に働くことを求めるのが「恥」であったからだった。いまや「マイ包丁」のイクメンほどモテルる。彼女に気に入られる眉のことも気にするし、年上の彼女を射止めることも、実家に憚ることもない。男性の「恥」の概念がかわり、麻雀やたばこ、夜っぴいての付き合いで「過労死」「成人病で早死」を避けることくらいは、先輩にもNO!を言える。この点、欧米国型社会になっている。「世間体」とか「義理」とかで、大人がごまかしてきたことに、理路整然と反証する。
女性側も男性と同様に大学卒が増えて「自己責任」くらいの甲斐性を身に着けて、働くことを良しとしている。夫の財布のひもを握る人質「夫の両親」が居なくなったからだろうか、それとも、子供ひとりの三人家族がぐっと多くなり、教育費も助成されて以前のように夫の方に掛る者ががぜん減ったからだろうか。今時の若者は、叔父さん叔母さんと言うべき親類がすくないから、相続する不動産もあちこちから舞い込むようなケースも増えてきた。いずれは当てにできる親の物件が選び放題などというのがアルアルなのだ。これほど、将来に対して経済的、人的しがらみがなくなって、些細なツイートの脅し文句で、賢くなった女子学生と彼女を囲む男子たちが、学問を授かった上で、自らの価値判断をできないなどということがあるだろうか。
大学や企業側も、当然ながら今の時代と若者の風潮を察知して、次のようなコメントをしている。
「デモに行くなどの政治的表現の自由は、憲法が保障する権利の中でも価値が高いもの」と一橋大大学院の阪口正二郎教授(憲法学)は話す。
一方、企業は近年「社会問題への感度の高さを評価する傾向にある。国会前に足を運ぶのは、デモでヘイトスピーチを叫ぶのとはわけが違う。むしろ肯定的に受け取る可能性は十分ある」と感じる。
実際に採用する最前線の担当者はどう感じるのか。大手化学メーカーで採用を担当する幹部は「デモが就職に不利なんて、いつの時代の話ですか。学生がデモに参加したかどうかなんて調べるヒマもリソースもありませんよ」と一刀両断。「うちの会社には学生運動出身の役員も何人もいますし、私もキャンパスの学長室で座り込みをしていて写真を撮られました。もう30年以上も前かなあ」と笑う。
(雇用問題に詳しい成蹊大の原昌登教授(労働法)は「労働法学界では、職務内容や能力と関連がないにもかかわらず、思想信条を理由に採用拒否するような行為は公序良俗に反し不法行為になるという考えが多数派だ」と説明する。また、思想を理由に内定を取り消された場合は、労働基準法違反で無効になる。
これだけ、国民の権利、基本的権利を主張できること、自ら考えて行動する事由が明らかにされて、たじろくような若者しかいなくなっているなら、それこそ日本の未来はないが、東大だけがエリートじゃない、笑わせるセンス(ユーモア)、独創性(オリジナリティ)を発揮できる人が好まれる時代になって、お祖母ちゃんやママに言われて家をでていけないようなら、引きこもっているしかないが彼女たちはスマホ片手に、英語も翻訳して日本人の恥ずかしくないスマートぶりを書き綴って、発信していく。
多くの戦禍を経験してDNAに「平和の尊さ」を刻み込まれた日本人の子女が、いまさら「大人」ずらして政府が脅しをかけても、反論する原理原則を立ちどころに探し出してくる。戦前、女性が「知」を身に着けることが許されなかった、参政権もない、よって市民として税金も払うことも結婚の意思決定も出来なかった時代の縛りはない。戦前の女性たち、味噌、醤油をつくり、水を汲み、野菜を畑から取ってきて10人もの子供のオムツを縫い、着物を縫い、洗い張りして、無駄を出さずに家計をやりくりしなくてはならなかった。70前とは違う時代になって、就職や結婚を楯に彼女たちはどう判断するか。男女平等が戦後の憲法に刻まれて、戦前の時代の残り香、女子の美徳などに美しい日本の未来を感じるだろうか。
女子たち、男子たちは、スマホを持って、明日(7月31日)、国会前に行こう!
国会議事堂前駅にたどり着ければ、行けばわかる!!
3.11では、ママたちがベビーカーを押して、その母親世代がアジサイの花を手に、激寒の冬まで頑張った。
その後は、文化人たちが五月雨的に集会を呼びかけて多数が集まるなど、報道はされないが続いてきた。
18歳になる、またはならないか、そしてそれ以上のお年の皆さんも、70周年の戦後を迎えるこの夏を自らのアピールを持って、国会前に行こう!!!
戦争には銃がいる、しかし、平和を訴えることは、そんなことになる前に、知恵と勇気と人類愛を世界に示すことなのだ。私たちには、安倍さんが作ろうとする”憲法のオカシナおまけ”ではなくて、若き命を犠牲にして託された「平和憲法」を機能させて、誇りうる美しい国・日本を継承していけると世界に示そう、自信を持って「War was Over! 」のメッセージを掲げよう。
by Nina(*^^)v
そこで、ヘイトスピーチをする側は、若者たちが読むであろうツイートに「母や祖母に、昔はデモに参加したため、いい大学に入ったのに、いい会社に就職できなくなった人もいたのよ、と注意された」との話から、「就職や結婚に響く可能性」などという大学生のデモ参加をめぐる抗ツイートが次々と投稿されるようになった。
「国民の権利」を18歳からも自ら考えるよう促している時代となった。時代も変わった。昔は女性が学問を身に着けると「嫁に行き遅れる」、「男より学があると嫌われる」などとされて、知恵がつく前、男性と交際する機会もないような20代そこそこで見合い話がやってきた。結婚まで”処女でないとダメ”だとか、離婚したら”出戻り”だとか白眼視されたからだ。
そこで、良い大学を出ていい会社に就職した青年を、親たちは青田買いしようとした。なぜなら殆どの企業が終身雇用だったからで、転職などはあり得なかった。しかし、一流企業と言えども、いまやいつ社員をクビにするか分からない時代で、「社畜といわれたりもする転職なしの経歴」なども執着したくても、「正社員」でない場合が増えて「契約社員」がフツーなっている。一流企業の突然解雇の経験が出た「リーマンショック」から、自殺者の急増=鉄道の人身事故が増え⇒メトロのホームにも暫時扉が設置されるようになったほどだ。クビになる妻子を養うなどという発想の根底にあったのは、男性が彼女に働くことを求めるのが「恥」であったからだった。いまや「マイ包丁」のイクメンほどモテルる。彼女に気に入られる眉のことも気にするし、年上の彼女を射止めることも、実家に憚ることもない。男性の「恥」の概念がかわり、麻雀やたばこ、夜っぴいての付き合いで「過労死」「成人病で早死」を避けることくらいは、先輩にもNO!を言える。この点、欧米国型社会になっている。「世間体」とか「義理」とかで、大人がごまかしてきたことに、理路整然と反証する。
女性側も男性と同様に大学卒が増えて「自己責任」くらいの甲斐性を身に着けて、働くことを良しとしている。夫の財布のひもを握る人質「夫の両親」が居なくなったからだろうか、それとも、子供ひとりの三人家族がぐっと多くなり、教育費も助成されて以前のように夫の方に掛る者ががぜん減ったからだろうか。今時の若者は、叔父さん叔母さんと言うべき親類がすくないから、相続する不動産もあちこちから舞い込むようなケースも増えてきた。いずれは当てにできる親の物件が選び放題などというのがアルアルなのだ。これほど、将来に対して経済的、人的しがらみがなくなって、些細なツイートの脅し文句で、賢くなった女子学生と彼女を囲む男子たちが、学問を授かった上で、自らの価値判断をできないなどということがあるだろうか。
大学や企業側も、当然ながら今の時代と若者の風潮を察知して、次のようなコメントをしている。
「デモに行くなどの政治的表現の自由は、憲法が保障する権利の中でも価値が高いもの」と一橋大大学院の阪口正二郎教授(憲法学)は話す。
一方、企業は近年「社会問題への感度の高さを評価する傾向にある。国会前に足を運ぶのは、デモでヘイトスピーチを叫ぶのとはわけが違う。むしろ肯定的に受け取る可能性は十分ある」と感じる。
実際に採用する最前線の担当者はどう感じるのか。大手化学メーカーで採用を担当する幹部は「デモが就職に不利なんて、いつの時代の話ですか。学生がデモに参加したかどうかなんて調べるヒマもリソースもありませんよ」と一刀両断。「うちの会社には学生運動出身の役員も何人もいますし、私もキャンパスの学長室で座り込みをしていて写真を撮られました。もう30年以上も前かなあ」と笑う。
(雇用問題に詳しい成蹊大の原昌登教授(労働法)は「労働法学界では、職務内容や能力と関連がないにもかかわらず、思想信条を理由に採用拒否するような行為は公序良俗に反し不法行為になるという考えが多数派だ」と説明する。また、思想を理由に内定を取り消された場合は、労働基準法違反で無効になる。
これだけ、国民の権利、基本的権利を主張できること、自ら考えて行動する事由が明らかにされて、たじろくような若者しかいなくなっているなら、それこそ日本の未来はないが、東大だけがエリートじゃない、笑わせるセンス(ユーモア)、独創性(オリジナリティ)を発揮できる人が好まれる時代になって、お祖母ちゃんやママに言われて家をでていけないようなら、引きこもっているしかないが彼女たちはスマホ片手に、英語も翻訳して日本人の恥ずかしくないスマートぶりを書き綴って、発信していく。
多くの戦禍を経験してDNAに「平和の尊さ」を刻み込まれた日本人の子女が、いまさら「大人」ずらして政府が脅しをかけても、反論する原理原則を立ちどころに探し出してくる。戦前、女性が「知」を身に着けることが許されなかった、参政権もない、よって市民として税金も払うことも結婚の意思決定も出来なかった時代の縛りはない。戦前の女性たち、味噌、醤油をつくり、水を汲み、野菜を畑から取ってきて10人もの子供のオムツを縫い、着物を縫い、洗い張りして、無駄を出さずに家計をやりくりしなくてはならなかった。70前とは違う時代になって、就職や結婚を楯に彼女たちはどう判断するか。男女平等が戦後の憲法に刻まれて、戦前の時代の残り香、女子の美徳などに美しい日本の未来を感じるだろうか。
女子たち、男子たちは、スマホを持って、明日(7月31日)、国会前に行こう!
国会議事堂前駅にたどり着ければ、行けばわかる!!
3.11では、ママたちがベビーカーを押して、その母親世代がアジサイの花を手に、激寒の冬まで頑張った。
その後は、文化人たちが五月雨的に集会を呼びかけて多数が集まるなど、報道はされないが続いてきた。
18歳になる、またはならないか、そしてそれ以上のお年の皆さんも、70周年の戦後を迎えるこの夏を自らのアピールを持って、国会前に行こう!!!
戦争には銃がいる、しかし、平和を訴えることは、そんなことになる前に、知恵と勇気と人類愛を世界に示すことなのだ。私たちには、安倍さんが作ろうとする”憲法のオカシナおまけ”ではなくて、若き命を犠牲にして託された「平和憲法」を機能させて、誇りうる美しい国・日本を継承していけると世界に示そう、自信を持って「War was Over! 」のメッセージを掲げよう。
by Nina(*^^)v
2015年07月29日
夏休みの体験、さあ官邸へいこう!
東日本大震災によって発生した福島第一原子力発電所事故より原子力発電所反対デモの有志によって始まった毎週金曜夜の「反原発」首相官邸前抗議集会。2011年9月に立ち上がったネットワーク(連絡網)で、国内外の様々なグループや団体や個人と連帯し、脱原発を目指してきた。
若者たち数人がテントをはり、ライブで始まった官邸前抗議がアジサイ革命とよばれ、さらに夏に急膨張し、代表と首相が会談するに至ったのは遅ればせに報道された。最盛期の参加者は20万といわれる。このブログでも何度か取り上げてきた。
厳密に言うとこの抗議は「デモ」ではない。警察(公安委員会)に申請して許可をもらう「デモ」は車道を行進するが、官邸周辺は通常のデモ行進は許可されない。今年の3月11日は、官邸前を通るコースで車道上のデモが約4万人で行なわれたが、これは官邸近くの議員会館の前で議員に請願書を渡すための行進として許可されたものだ。こういう場合は民主党や社民党、維新、などなどの国会議員に事前連絡し、請願書を受理してもらう形で実現させる。
それでは毎週金曜の官邸前抗議は何かというと、車道ではなく歩道で抗議しているのである。永田町の車道は幅約20メートルで歩道も広い。そこにプラカードを持って立っているのだ。法律的に言えば繁華街の歩道で看板を持って立っているサンドイッチマンみたいなもので、車道を占拠しないから、デモ行進の許可は不要であるとの理解になる。ある時期の夏には人数が多すぎて車道にあふれ、解放区状態になったことがあるが、法的には隅田川の花見客が車道にはみでたようなものだから、警察がその気になれば取り締まれるというなだらかな、ゆる抗議イベントとでもいえば言える。抗議主催者もそこはわきまえていて、抗議を継続するため、うまいこと整理に努めていた、今どきの市民はスマート機器を持参しているのだから、パニックを回避しようとおもえば、回避できる。警察も、機動隊もイカツク仕掛けてはこない、つまり上からの指示がそういうことになっており、逮捕者を出すニュースにしようとはしていないということだろう。
そういう訳で、ニュース報道にはなっていないが、官邸前抗議の現状は、いまも不特定多数の参加者によって、諦めるなどということなくボランタリーにゆるゆると毎週続いている。毎週1000人か2000人くらいだろう。
何にせよ、あの年、2011年の暮れの寒さにむかって減ってしまったことは事実だが、追い詰められたような暗い雰囲気は、どのシーズンを通してない。笛や太鼓もあるし、サンバな感じの行進で粛々と人によっては手作りのプラカード、うちわや段ボールを利用して手持ちでコンパクトにお金を掛けずに工夫して、持ってくる。
官邸前抗議は政党やとある組織が仕掛けたのではなくて、デモ自体を見物がてら初体験する人、外国人までも加わって、ゆるりのんびり、延々と続けてきたのだ。おかげで、地下鉄の「国会議事堂前」は都内でも有数の乗降客数となって、内心ウハウハの儲けがでているらしい。費用対効果からすると、駅員の配備も東京メトロとしては有難い!?そこで、4番出口を出たところでーすなどと優しく教えてくれる。「再稼働反対」を歩道上で叫ぶ人々に出会うが、かつてベビーカーや子連れママがいたのだから、押し倒したりなどは4年間におきていない。鉄道当局は乗降客が増えることに歓迎(?)ムードなのだから、上手に整理人員を配置しているので、ともかく両者は和やかな雰囲気だ。
いよいよ、国会議事堂がライトアップされるころ、首相官邸から下る坂道の歩道に人々がぞろぞろといて、数百メートルと続くのだが、最初に初めた若者たちの意思をついで、だれかしらが太鼓を鳴らしたり、手持ちの楽器を吹いてみたりのエンターテイメント性を見せる参加者もいる。毎金のお祭りとなってきて、混乱ぶりは全くない、不思議なムードだ。自主的なネット中継も自撮りのカメラを操る人もいて、鉄ちゃんならぬ官邸デモちゃん風だ。
だから、この夏は子供もつれて国会前見学、官邸前に行こう!
18歳が選挙権と言われるのに、18歳になってから考えるのでは遅すぎます!!
墓場に近い人が考えるより、ゆりかごから巣立ったら、子供も国民です、重要な法案があなたの命を左右する!!! 覚悟をして、この70周年の夏を過ごそう (*^^)v by Nina
若者たち数人がテントをはり、ライブで始まった官邸前抗議がアジサイ革命とよばれ、さらに夏に急膨張し、代表と首相が会談するに至ったのは遅ればせに報道された。最盛期の参加者は20万といわれる。このブログでも何度か取り上げてきた。
厳密に言うとこの抗議は「デモ」ではない。警察(公安委員会)に申請して許可をもらう「デモ」は車道を行進するが、官邸周辺は通常のデモ行進は許可されない。今年の3月11日は、官邸前を通るコースで車道上のデモが約4万人で行なわれたが、これは官邸近くの議員会館の前で議員に請願書を渡すための行進として許可されたものだ。こういう場合は民主党や社民党、維新、などなどの国会議員に事前連絡し、請願書を受理してもらう形で実現させる。
それでは毎週金曜の官邸前抗議は何かというと、車道ではなく歩道で抗議しているのである。永田町の車道は幅約20メートルで歩道も広い。そこにプラカードを持って立っているのだ。法律的に言えば繁華街の歩道で看板を持って立っているサンドイッチマンみたいなもので、車道を占拠しないから、デモ行進の許可は不要であるとの理解になる。ある時期の夏には人数が多すぎて車道にあふれ、解放区状態になったことがあるが、法的には隅田川の花見客が車道にはみでたようなものだから、警察がその気になれば取り締まれるというなだらかな、ゆる抗議イベントとでもいえば言える。抗議主催者もそこはわきまえていて、抗議を継続するため、うまいこと整理に努めていた、今どきの市民はスマート機器を持参しているのだから、パニックを回避しようとおもえば、回避できる。警察も、機動隊もイカツク仕掛けてはこない、つまり上からの指示がそういうことになっており、逮捕者を出すニュースにしようとはしていないということだろう。
そういう訳で、ニュース報道にはなっていないが、官邸前抗議の現状は、いまも不特定多数の参加者によって、諦めるなどということなくボランタリーにゆるゆると毎週続いている。毎週1000人か2000人くらいだろう。
何にせよ、あの年、2011年の暮れの寒さにむかって減ってしまったことは事実だが、追い詰められたような暗い雰囲気は、どのシーズンを通してない。笛や太鼓もあるし、サンバな感じの行進で粛々と人によっては手作りのプラカード、うちわや段ボールを利用して手持ちでコンパクトにお金を掛けずに工夫して、持ってくる。
官邸前抗議は政党やとある組織が仕掛けたのではなくて、デモ自体を見物がてら初体験する人、外国人までも加わって、ゆるりのんびり、延々と続けてきたのだ。おかげで、地下鉄の「国会議事堂前」は都内でも有数の乗降客数となって、内心ウハウハの儲けがでているらしい。費用対効果からすると、駅員の配備も東京メトロとしては有難い!?そこで、4番出口を出たところでーすなどと優しく教えてくれる。「再稼働反対」を歩道上で叫ぶ人々に出会うが、かつてベビーカーや子連れママがいたのだから、押し倒したりなどは4年間におきていない。鉄道当局は乗降客が増えることに歓迎(?)ムードなのだから、上手に整理人員を配置しているので、ともかく両者は和やかな雰囲気だ。
いよいよ、国会議事堂がライトアップされるころ、首相官邸から下る坂道の歩道に人々がぞろぞろといて、数百メートルと続くのだが、最初に初めた若者たちの意思をついで、だれかしらが太鼓を鳴らしたり、手持ちの楽器を吹いてみたりのエンターテイメント性を見せる参加者もいる。毎金のお祭りとなってきて、混乱ぶりは全くない、不思議なムードだ。自主的なネット中継も自撮りのカメラを操る人もいて、鉄ちゃんならぬ官邸デモちゃん風だ。
だから、この夏は子供もつれて国会前見学、官邸前に行こう!
18歳が選挙権と言われるのに、18歳になってから考えるのでは遅すぎます!!
墓場に近い人が考えるより、ゆりかごから巣立ったら、子供も国民です、重要な法案があなたの命を左右する!!! 覚悟をして、この70周年の夏を過ごそう (*^^)v by Nina
2015年07月28日
イラクを体験した元防衛官僚はなぜ安保法制に反対するのか
柳宗悦の評伝を書いた鶴見俊輔さんが、23日、93歳で亡くなった。1922年、東京生まれ。父は政治家だった鶴見祐輔。母方の祖父は政治家の後藤新平。38年に渡米し、翌年にハーバード大哲学科に入学。日米開戦後の42年3月、無政府主義者の容疑で逮捕されたが、戦時交換船で帰国した。43年、海軍軍属に志願してインドネシアに赴任。 戦後の46年、雑誌「思想の科学」を都留重人、丸山真男らと創刊。
米国のプラグマティズム(実用主義)を紹介するとともに、共同研究の成果をまとめた「共同研究 転向」は戦前・戦後の思想の明暗を新しい視角からとらえた。60年5月、岸内閣の新日米安全保障条約強行採決に抗議して教授職を辞職、「思想・良心の自由」の信念から、ベトナム戦争からの脱走米兵援助や国外退去処分になった韓国人らを本国送還するまでの期間拘禁した大村収容所の廃止運動、さらに、投獄されていた韓国の反体制詩人・金芝河(キムジハ)氏への支援などに努めた。
近年も、9・11米同時多発テロ後のアフガン戦争やイラク戦争、自衛隊の海外派遣に反対し、2004年には平和憲法擁護を訴える「九条の会」設立の呼びかけ人となるなど、活発に発言を続けていた。我孫子にも何度か講演に来てくださった。
鶴見さんを悼みつつ、その反骨精神にも通じるような談話を発表された元防衛官僚・柳沢さんの発言をが注目されていたので、次に紹介する。
* * *
元内閣官房副長官補の柳澤協二さんは、官邸で自衛隊のイラク派遣の実務責任者を務めた元防衛官僚だ。3月21日付の朝日新聞で〈航空自衛隊は輸送任務でバグダッド空港まで行きました〉と振り返りながら安保法制の問題点をこう指摘していた。
〈(新法では)そこから先の戦闘部隊がいる場所まで輸送できるようになる。それは非常に緊急性の高い輸送です。政府案は戦闘が起きたら輸送を中断する仕組みになっていますが、戦闘を行っている部隊の指揮下に入ることになれば、輸送を中断するわけにはいかないでしょう〉
〈自衛隊派遣の前提だった「非戦闘地域」という概念は(略)自衛隊を戦闘部隊の指揮下に入れず、直接の戦闘に巻き込ませないという意味があった。この概念を廃止して活動範囲を広げれば、今までより確実にリスクは高まります。イラクでは何とか戦死者を出さずに済みましたが、あれ以上のことをやれば必ず戦死者が出ると思います〉
安保政策の裏も表も知り尽くした人の言葉だから説得力がある。
共産党の志位和夫委員長はこの発言をもとに5月末の衆院安保特別委で「自衛隊員に戦死者が出るのは避けがたいのではないか」と安倍首相を追及した。
これに対し首相は「柳澤さんは重大な間違いを犯している。自衛隊が輸送して届ける先の部隊の指揮下に入ることはない。柳澤さんは何でこんな初歩的なことをわからず、べらべらしゃべっているのか」と不快感をむき出しにして反論した。
私は軍事の素人だから指揮権のことはよくわからない。が、〈あれ以上のことをやれば必ず戦死者が出る〉という柳澤発言に疑問を差し挟む余地はない。
サマワの宿営地周辺にはたびたび砲弾が撃ち込まれた。空自の輸送機も携帯ミサイルに狙われていることを示す赤ランプが点灯し、警報が鳴る事態が頻発した。「非戦闘地域」ですら戦場に限りなく近かった。戦死者がなかったのは僥倖だった。
柳澤さんはそうした実情を熟知しているからこそ安保法制の危険性を訴えている。
彼はいまの安倍政権にとって最も目障りな存在、柳澤さんは危ない橋を渡っている。権力は裏切り者を許さない。どこに落とし穴があるかわからない。それは十分承知のはずだ。にもかかわらず彼が腹を括った理由は何か?
それは三九年にわたる防衛官僚としての人生の集大成〉となった「イラク」体験(柳澤協二氏の著書『亡国の安保政策』)である。
9・11同時多発テロの翌年夏、柳澤さんは防衛庁(当時)官房長から防衛研究所の所長に転出した。米国がイラク戦争へと向かうなか、彼の問題意識はブッシュ大統領の「先制攻撃」論をいかに正当化することができるかだったそうだ。
当時の柳澤さんはイラクによる大量破壊兵器の「隠蔽」を確信していた。そのうえ米国の圧倒的な軍事力を見せつけることが〈大量破壊兵器の拡散問題を事実上解決する〉と期待していたのだという。
防衛研内部には反対論もあった。主任研究官は(1)米国が軍事力で勝利すれば、目標とされる国はかえって核兵器を持とうとして世界が不安定化する(2)米国の力を背景に維持されている国際システムの信頼性が低下する、などの理由で異を唱えた。
結果、主任研究官が懸念した通りになった。「先制攻撃」の最大根拠だった大量破壊兵器も存在しなかった。
'04年4月、柳澤さんは内閣官房副長官補に任命された。すでにイラクでは自衛隊の部隊がサマワで復興支援活動を本格化させていた。同年11月、ロケット砲弾が宿営地のコンテナを貫通した。イラク全土の治安は最悪の時期を迎えていた。
柳澤さんが最も悩んだのは犠牲者の問題だ。自衛隊は〈日本が国家として達成しなければならない目標〉を持たず、米国との「お付き合い」で派遣されていた。そのために隊員が犠牲になるわけにいかない。
もし戦死者が出たら、首相に進言する立場の自分も道義的責任を免れない。'08年末、自衛隊員の撤収が完了するまでの4年半は、柳澤さんにとって緊張と不安の連続だったらしい。
幸運にも自衛隊は一人の戦死者も出さず、一発の銃弾も撃たずに済んだけれど、〈イラクへの自衛隊派遣は、自衛隊と日本社会、憲法解釈の限界であるとともに、人間として私自身が受け入れられる限界でもありました〉と真情を吐露している。
自衛隊員は命令を受ければ黙って任務を遂行する。しかし彼らには家族もある。命令を下す者には「本当に必要なことか」という悩みやためらいがあってしかるべきだが〈今の政府では「血を流すことが必要だ」と、自ら血を流す立場にない人間が軽々に主張しており、元防衛官僚として、そのことに怒りを禁じ〉得ないと柳澤さんは言う。
さらに問題なのは、安倍政権が何をしたいのか意味不明なことだ。今回の集団的自衛権の話は日本から持ち出していて、米国から日本に何を求めるのかという具体的な話がない。首相個人の願望だけが先走りする。
政府が挙げる集団的自衛権行使の事例も矛盾だらけだ。首相が会見で説明した邦人避難民を乗せた米艦の防護も、避難民は自衛隊機が救出することになっているのであり得ない。万一あっても邦人を守るのだから個別的自衛権で対処できる。
そもそも集団的自衛権とは、自国が攻撃されていない場合に他国を守るための根拠だから〈これを行使しなければ日本を守れないという「具体例」を考えだすこと自体に無理がある〉と柳澤さんは喝破している。
根本的な矛盾を抱えたまま数の力で作られた政策はやがて破綻する。民意を否定する政権は民意によって否定される。柳澤さんはそれを信じて政権批判をつづけるという。〈自衛隊が実際の戦場で最初の弾を撃つまで、我々に残された時間はあるのですから〉と呟きながら。
*参考:いずれも柳澤協二著『検証官邸のイラク戦争―元防衛官僚による批判と自省』、『亡国の安保政策―安倍政権と「積極的平和主義」の罠』(ともに岩波書店刊)、『亡国の集団的自衛権』(集英社新書)
出典:『週刊現代』魚住 昭 2015年6月20日号より
米国のプラグマティズム(実用主義)を紹介するとともに、共同研究の成果をまとめた「共同研究 転向」は戦前・戦後の思想の明暗を新しい視角からとらえた。60年5月、岸内閣の新日米安全保障条約強行採決に抗議して教授職を辞職、「思想・良心の自由」の信念から、ベトナム戦争からの脱走米兵援助や国外退去処分になった韓国人らを本国送還するまでの期間拘禁した大村収容所の廃止運動、さらに、投獄されていた韓国の反体制詩人・金芝河(キムジハ)氏への支援などに努めた。
近年も、9・11米同時多発テロ後のアフガン戦争やイラク戦争、自衛隊の海外派遣に反対し、2004年には平和憲法擁護を訴える「九条の会」設立の呼びかけ人となるなど、活発に発言を続けていた。我孫子にも何度か講演に来てくださった。
鶴見さんを悼みつつ、その反骨精神にも通じるような談話を発表された元防衛官僚・柳沢さんの発言をが注目されていたので、次に紹介する。
* * *
元内閣官房副長官補の柳澤協二さんは、官邸で自衛隊のイラク派遣の実務責任者を務めた元防衛官僚だ。3月21日付の朝日新聞で〈航空自衛隊は輸送任務でバグダッド空港まで行きました〉と振り返りながら安保法制の問題点をこう指摘していた。
〈(新法では)そこから先の戦闘部隊がいる場所まで輸送できるようになる。それは非常に緊急性の高い輸送です。政府案は戦闘が起きたら輸送を中断する仕組みになっていますが、戦闘を行っている部隊の指揮下に入ることになれば、輸送を中断するわけにはいかないでしょう〉
〈自衛隊派遣の前提だった「非戦闘地域」という概念は(略)自衛隊を戦闘部隊の指揮下に入れず、直接の戦闘に巻き込ませないという意味があった。この概念を廃止して活動範囲を広げれば、今までより確実にリスクは高まります。イラクでは何とか戦死者を出さずに済みましたが、あれ以上のことをやれば必ず戦死者が出ると思います〉
安保政策の裏も表も知り尽くした人の言葉だから説得力がある。
共産党の志位和夫委員長はこの発言をもとに5月末の衆院安保特別委で「自衛隊員に戦死者が出るのは避けがたいのではないか」と安倍首相を追及した。
これに対し首相は「柳澤さんは重大な間違いを犯している。自衛隊が輸送して届ける先の部隊の指揮下に入ることはない。柳澤さんは何でこんな初歩的なことをわからず、べらべらしゃべっているのか」と不快感をむき出しにして反論した。
私は軍事の素人だから指揮権のことはよくわからない。が、〈あれ以上のことをやれば必ず戦死者が出る〉という柳澤発言に疑問を差し挟む余地はない。
サマワの宿営地周辺にはたびたび砲弾が撃ち込まれた。空自の輸送機も携帯ミサイルに狙われていることを示す赤ランプが点灯し、警報が鳴る事態が頻発した。「非戦闘地域」ですら戦場に限りなく近かった。戦死者がなかったのは僥倖だった。
柳澤さんはそうした実情を熟知しているからこそ安保法制の危険性を訴えている。
彼はいまの安倍政権にとって最も目障りな存在、柳澤さんは危ない橋を渡っている。権力は裏切り者を許さない。どこに落とし穴があるかわからない。それは十分承知のはずだ。にもかかわらず彼が腹を括った理由は何か?
それは三九年にわたる防衛官僚としての人生の集大成〉となった「イラク」体験(柳澤協二氏の著書『亡国の安保政策』)である。
9・11同時多発テロの翌年夏、柳澤さんは防衛庁(当時)官房長から防衛研究所の所長に転出した。米国がイラク戦争へと向かうなか、彼の問題意識はブッシュ大統領の「先制攻撃」論をいかに正当化することができるかだったそうだ。
当時の柳澤さんはイラクによる大量破壊兵器の「隠蔽」を確信していた。そのうえ米国の圧倒的な軍事力を見せつけることが〈大量破壊兵器の拡散問題を事実上解決する〉と期待していたのだという。
防衛研内部には反対論もあった。主任研究官は(1)米国が軍事力で勝利すれば、目標とされる国はかえって核兵器を持とうとして世界が不安定化する(2)米国の力を背景に維持されている国際システムの信頼性が低下する、などの理由で異を唱えた。
結果、主任研究官が懸念した通りになった。「先制攻撃」の最大根拠だった大量破壊兵器も存在しなかった。
'04年4月、柳澤さんは内閣官房副長官補に任命された。すでにイラクでは自衛隊の部隊がサマワで復興支援活動を本格化させていた。同年11月、ロケット砲弾が宿営地のコンテナを貫通した。イラク全土の治安は最悪の時期を迎えていた。
柳澤さんが最も悩んだのは犠牲者の問題だ。自衛隊は〈日本が国家として達成しなければならない目標〉を持たず、米国との「お付き合い」で派遣されていた。そのために隊員が犠牲になるわけにいかない。
もし戦死者が出たら、首相に進言する立場の自分も道義的責任を免れない。'08年末、自衛隊員の撤収が完了するまでの4年半は、柳澤さんにとって緊張と不安の連続だったらしい。
幸運にも自衛隊は一人の戦死者も出さず、一発の銃弾も撃たずに済んだけれど、〈イラクへの自衛隊派遣は、自衛隊と日本社会、憲法解釈の限界であるとともに、人間として私自身が受け入れられる限界でもありました〉と真情を吐露している。
自衛隊員は命令を受ければ黙って任務を遂行する。しかし彼らには家族もある。命令を下す者には「本当に必要なことか」という悩みやためらいがあってしかるべきだが〈今の政府では「血を流すことが必要だ」と、自ら血を流す立場にない人間が軽々に主張しており、元防衛官僚として、そのことに怒りを禁じ〉得ないと柳澤さんは言う。
さらに問題なのは、安倍政権が何をしたいのか意味不明なことだ。今回の集団的自衛権の話は日本から持ち出していて、米国から日本に何を求めるのかという具体的な話がない。首相個人の願望だけが先走りする。
政府が挙げる集団的自衛権行使の事例も矛盾だらけだ。首相が会見で説明した邦人避難民を乗せた米艦の防護も、避難民は自衛隊機が救出することになっているのであり得ない。万一あっても邦人を守るのだから個別的自衛権で対処できる。
そもそも集団的自衛権とは、自国が攻撃されていない場合に他国を守るための根拠だから〈これを行使しなければ日本を守れないという「具体例」を考えだすこと自体に無理がある〉と柳澤さんは喝破している。
根本的な矛盾を抱えたまま数の力で作られた政策はやがて破綻する。民意を否定する政権は民意によって否定される。柳澤さんはそれを信じて政権批判をつづけるという。〈自衛隊が実際の戦場で最初の弾を撃つまで、我々に残された時間はあるのですから〉と呟きながら。
*参考:いずれも柳澤協二著『検証官邸のイラク戦争―元防衛官僚による批判と自省』、『亡国の安保政策―安倍政権と「積極的平和主義」の罠』(ともに岩波書店刊)、『亡国の集団的自衛権』(集英社新書)
出典:『週刊現代』魚住 昭 2015年6月20日号より
2015年07月27日
国民から支持されていないが、国会では絶対多数という目くらまし
安保法案は27日に参院本会議で審議入りしたが、礒崎陽輔首相補佐官が安全保障関連法案を巡り、「法的安定性は関係ない」とした発言について与野党から批判の声が上がっている。
菅(すが)義偉官房長官は記者会見で「(礒崎氏の発言は)法的安定性を否定したものではない。(辞任要求は)全く当たらない」と、いつもの調子で対応して野党の辞任要求には応じない考えを強調した。しかしながら同時に、「誤解される発言は慎まなければならない」とも指摘した。
平和安全法制特別委は断続的に理事懇談会を開き、28、29両日の首相出席の総括的質疑と30日の集中審議を決めた。
この案件について、これまで総括的質疑の時間配分は衆院の1(与党)対9(野党)だったものが、参院では3対7で、与党時間が増えたものの野党に配慮した格好にはなっている。実際問題、自民党が議席に占める割合は衆院で8割、参院で6割程度となっている。悲しいかな、投票率が低かったが、全体にどう支持されてきたかを問えば、各種世論調査で関連法案に対する国民の理解が深まっていなし、自民不支持が高まっていることが分かっている。国民の多数からの支持ではないことは明白だ。
解釈改憲で、しかも、国民の生命を脅かす法案を60日ルールで決めてしまうなら、民主主義の形骸化そのものだ。
衆議院で可決され参議院に送付された法案が60日以内に議決されない場合、衆議院は参議院が法案を否決したものとみなす(憲法59条4項の規定)。衆議院は再議決により法案を成立させることができる。安倍首相は衆院本会議後、記者団に「日本を取り巻く安全保障環境は厳しさを増している。日本国民の命を守り、戦争を未然に防ぐために、絶対に必要な法案だ」と法整備の必要性を強調し、最優先課題としていることを考えると、このルールで押し切る可能性は高い。自公両党は衆院では可決に必要な3分の2を超える議席を有しており、60日ルールを適用すれば法案の成立は確実な情勢だ。9月14日以降に再議決が可能となる。
前回選挙の2、3割が同意したことによって、国会の現議席が衆・参8・6割の多数をしめることになった与党によって、憲法すら議決でることになってしまう事情が目の前で起きている。これまで、憲法については、国民投票でと18歳の参加によって、国民投票がされる道筋を作っているなかで、この件は重要案件であり、看過できない。
来年になれば18歳になる世代、それ以降の若者(子供たち)が2,3割の決めた殺生与奪の決定に従うということではないか。
これに異議申し立てをしないでいると、むしろ国民のなかのハッキリした意思の少数の「思う壺」になるということだ。

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菅(すが)義偉官房長官は記者会見で「(礒崎氏の発言は)法的安定性を否定したものではない。(辞任要求は)全く当たらない」と、いつもの調子で対応して野党の辞任要求には応じない考えを強調した。しかしながら同時に、「誤解される発言は慎まなければならない」とも指摘した。
平和安全法制特別委は断続的に理事懇談会を開き、28、29両日の首相出席の総括的質疑と30日の集中審議を決めた。
この案件について、これまで総括的質疑の時間配分は衆院の1(与党)対9(野党)だったものが、参院では3対7で、与党時間が増えたものの野党に配慮した格好にはなっている。実際問題、自民党が議席に占める割合は衆院で8割、参院で6割程度となっている。悲しいかな、投票率が低かったが、全体にどう支持されてきたかを問えば、各種世論調査で関連法案に対する国民の理解が深まっていなし、自民不支持が高まっていることが分かっている。国民の多数からの支持ではないことは明白だ。
解釈改憲で、しかも、国民の生命を脅かす法案を60日ルールで決めてしまうなら、民主主義の形骸化そのものだ。
衆議院で可決され参議院に送付された法案が60日以内に議決されない場合、衆議院は参議院が法案を否決したものとみなす(憲法59条4項の規定)。衆議院は再議決により法案を成立させることができる。安倍首相は衆院本会議後、記者団に「日本を取り巻く安全保障環境は厳しさを増している。日本国民の命を守り、戦争を未然に防ぐために、絶対に必要な法案だ」と法整備の必要性を強調し、最優先課題としていることを考えると、このルールで押し切る可能性は高い。自公両党は衆院では可決に必要な3分の2を超える議席を有しており、60日ルールを適用すれば法案の成立は確実な情勢だ。9月14日以降に再議決が可能となる。
前回選挙の2、3割が同意したことによって、国会の現議席が衆・参8・6割の多数をしめることになった与党によって、憲法すら議決でることになってしまう事情が目の前で起きている。これまで、憲法については、国民投票でと18歳の参加によって、国民投票がされる道筋を作っているなかで、この件は重要案件であり、看過できない。
来年になれば18歳になる世代、それ以降の若者(子供たち)が2,3割の決めた殺生与奪の決定に従うということではないか。
これに異議申し立てをしないでいると、むしろ国民のなかのハッキリした意思の少数の「思う壺」になるということだ。
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2015年07月26日
このところの官邸前の金曜集会の様子
「なぜ日本は70年間戦争に巻き込まれずにすんだか。それは55年前、この国会を何十万人もの市民が取り囲み、安倍晋三の祖父・岸首相を退陣に追い込んだからだ。もし岸の野望通り憲法が改正されていたら、日本は間違いなく'60年代のベトナム戦争に派兵し、殺し殺される悲惨なことになっていた。これが歴史の事実であります」
ワーッと大歓声がわいた。'60年安保の体験者も少なくないのだろう。こんなシーンは若い世代のデモでは見られない。年輪を重ねた者だけが持つ歴史の皮膚感覚と、強い危機感を語り手と聞き手が共有している。
地下鉄の国会議事堂前駅の改札を抜け、地上に出たら茱萸坂(ぐみざか)の歩道がごった返していた。歩道のあちこちに設置されたスピーカーからは佐高信さんの声も大きく響く。
「私たちがこれまで外国に行くとき手にしたのは平和のパスポート。それが戦争のパスポートに変わろうとしている。それでいいのか!」
6月14日の日曜午後2時、安保法制反対の国会包囲デモ(主催者発表で2万5000人参加)の始まりである。忘れもしない。3年前の夏、週刊現代への連載はこの場所のルポから始まった。そうか、私(魚住 昭)は大事な点を見落としていた。老年主体のデモは芯が強いのだ。時代の歯車の回転をリアルタイムで見てきたから未来を見渡す力がある。子や孫の命を守る決意が強いから揺るがない。
反原発の官邸前デモが最高潮に達していた当時、歩道からあふれた人が車道を埋め尽くした。「危険だから歩道に上がって」という警察官の制止を誰も聞かない。夕闇の“解放区”に蠢く、数え切れぬほどの若い男女の姿が瞼に焼きついている。
あのころはまだ希望があった。もっと伸びやかな空気があった。アジサイ革命だなどと花を持つ手もあった。自分たちの力で社会を変えられるという実感もあった。軽快なサンバのリズムが心地よく響き、警備の警官まで「サイカドウ(再稼働)ハンタイ」と口ずさんでいた。
ところが今は同じ場所に立っても重苦しさしか感じない。参加者の大半が60代前後だからだろうか。あの3年前の若者たちのようにデモを祝祭に変え、爆発的に広げる華やかなひろがりを創る力がない。そんな企画力もない。
だいたい、国会議員が議事堂にいない日曜に、しかも新聞休刊日の前日に国会包囲デモを計画すること自体、少しピントがずれていやしないだろうか。
私がこの3年間に見てきた官邸前デモや反ヘイトスピーチ運動の中心人物たち(彼らは私より二回りほど若い)は、明確なコンセプトを持っていた。論点を一つにしぼるシングルイシュー。標的に直接働きかけるカウンター行動。そして警備当局との無駄な衝突を避け、けが人や逮捕者を出さない非暴力主義。この三つが相まって人々の共感を呼び、現実を着実に変える力になった。
事実、一昨年まで東京・新大久保や大阪・鶴橋のコリアンタウンで繰り返されていたヘイトデモが鳴りを潜めた。若い世代が集まった「レイシストをしばき隊」(現C.R.A.C)や「男組」などがカウンター行動(端的に言うとヘイトデモ参加者に罵声を浴びせることだ)で抑えこんだからである。
おかげで波及効果も大きかった。
カウンター行動を契機にヘイト本ブームに対する社会的な批判が高まった。それまで各地の書店の一角を占めていたヘイト本が次第に姿を消し、いまや「オワコン」(終わったコンテンツ)と言われるまでになった。
そんな若い世代の活躍ぶりに比べると、団塊の世代は見劣りがする。政党や組合を通じた動員型の大衆運動から抜けきれない。もちろん、それも決して悪いことではないけれど、もう少し世代を超えて人を惹きつける創意工夫があってもよさそうだ。
ちょっぴり不満を抱きながら茱萸坂を下り、皇居の手前で左折して国会正門前に向かう。歩道の混雑がひどい。国会周辺の熱気は散会してもなかなか消えなかった。ジイジとバアバたちはこれからもひたすら歩きつづける。たとえどんなに道が険しかろうと。
参照:週刊現代 7月4日
ワーッと大歓声がわいた。'60年安保の体験者も少なくないのだろう。こんなシーンは若い世代のデモでは見られない。年輪を重ねた者だけが持つ歴史の皮膚感覚と、強い危機感を語り手と聞き手が共有している。
地下鉄の国会議事堂前駅の改札を抜け、地上に出たら茱萸坂(ぐみざか)の歩道がごった返していた。歩道のあちこちに設置されたスピーカーからは佐高信さんの声も大きく響く。
「私たちがこれまで外国に行くとき手にしたのは平和のパスポート。それが戦争のパスポートに変わろうとしている。それでいいのか!」
6月14日の日曜午後2時、安保法制反対の国会包囲デモ(主催者発表で2万5000人参加)の始まりである。忘れもしない。3年前の夏、週刊現代への連載はこの場所のルポから始まった。そうか、私(魚住 昭)は大事な点を見落としていた。老年主体のデモは芯が強いのだ。時代の歯車の回転をリアルタイムで見てきたから未来を見渡す力がある。子や孫の命を守る決意が強いから揺るがない。
反原発の官邸前デモが最高潮に達していた当時、歩道からあふれた人が車道を埋め尽くした。「危険だから歩道に上がって」という警察官の制止を誰も聞かない。夕闇の“解放区”に蠢く、数え切れぬほどの若い男女の姿が瞼に焼きついている。
あのころはまだ希望があった。もっと伸びやかな空気があった。アジサイ革命だなどと花を持つ手もあった。自分たちの力で社会を変えられるという実感もあった。軽快なサンバのリズムが心地よく響き、警備の警官まで「サイカドウ(再稼働)ハンタイ」と口ずさんでいた。
ところが今は同じ場所に立っても重苦しさしか感じない。参加者の大半が60代前後だからだろうか。あの3年前の若者たちのようにデモを祝祭に変え、爆発的に広げる華やかなひろがりを創る力がない。そんな企画力もない。
だいたい、国会議員が議事堂にいない日曜に、しかも新聞休刊日の前日に国会包囲デモを計画すること自体、少しピントがずれていやしないだろうか。
私がこの3年間に見てきた官邸前デモや反ヘイトスピーチ運動の中心人物たち(彼らは私より二回りほど若い)は、明確なコンセプトを持っていた。論点を一つにしぼるシングルイシュー。標的に直接働きかけるカウンター行動。そして警備当局との無駄な衝突を避け、けが人や逮捕者を出さない非暴力主義。この三つが相まって人々の共感を呼び、現実を着実に変える力になった。
事実、一昨年まで東京・新大久保や大阪・鶴橋のコリアンタウンで繰り返されていたヘイトデモが鳴りを潜めた。若い世代が集まった「レイシストをしばき隊」(現C.R.A.C)や「男組」などがカウンター行動(端的に言うとヘイトデモ参加者に罵声を浴びせることだ)で抑えこんだからである。
おかげで波及効果も大きかった。
カウンター行動を契機にヘイト本ブームに対する社会的な批判が高まった。それまで各地の書店の一角を占めていたヘイト本が次第に姿を消し、いまや「オワコン」(終わったコンテンツ)と言われるまでになった。
そんな若い世代の活躍ぶりに比べると、団塊の世代は見劣りがする。政党や組合を通じた動員型の大衆運動から抜けきれない。もちろん、それも決して悪いことではないけれど、もう少し世代を超えて人を惹きつける創意工夫があってもよさそうだ。
ちょっぴり不満を抱きながら茱萸坂を下り、皇居の手前で左折して国会正門前に向かう。歩道の混雑がひどい。国会周辺の熱気は散会してもなかなか消えなかった。ジイジとバアバたちはこれからもひたすら歩きつづける。たとえどんなに道が険しかろうと。
参照:週刊現代 7月4日
2015年07月25日
7月31日(金)に官邸前に行こう!
「安全保障関連法案に反対する学生と学者による共同行動」にご賛集ください!
〜戦争する国」へすすむ安全保障関連法案に反対します〜
16:30 第1部開場 @砂防会館別館1階大会議室
17:00〜17:30 第1部「学生と学者の共同集会」
17:40〜 国会請願デモ(砂防会館〜日比谷公園)
18:00 第2部開場 @砂防会館別館1階大会議室
18:10〜18:30 第2部「学生と学者と市民の共同集会」
18:40〜 国会請願デモ(砂防会館〜日比谷公園)
19:30〜21:30 国会正門前抗議行動
東日本大震災以降、毎週金曜日(19:30〜21:30 )に官邸前での抗議活動には、母親、子供たち、学生たちが自然に集まるようになっていました。
最近には、SEALDs(自由と民主主義のための学生緊急行動)の国会前抗議行動で、連帯スピーチを行っています。
*フライヤーを下記HPからダウンロードしてご活用ください。
http://anti-security-related-bill.jp/
なお、100枚以上ご活用される方には発送しますので、HPのお問い合わせフォームに発送先をご連絡ください。
◎皆様からのご支援については、口座振替がいただけます
第一勧業信用組合 千駄ヶ谷支店 普通預金
店番024 口座番号6849043
口座名:安全保障関連法案に反対する学者の会
現状に大変強い危機感を募らせている学者たちは、このままでは法治国家としてのシステムが崩れてしまうと危惧している。立憲民主主義を守るために、今回の安保関連法案を廃案にしなくてはなりません。
参院へ送られた議案が審議もそこそこに多数決が行う気配です。ここに至っては、内閣支持率を20%以下に低下させ、参議院議員には国民の平和憲法への意識を伝えようと願っております。
すでに署名をされた方もおられると思いますが、以下のサイトで署名を募っております。
http://anti-security-related-bill.jp/signature.html
集会等の案内、動画もご覧ください。
〜戦争する国」へすすむ安全保障関連法案に反対します〜
16:30 第1部開場 @砂防会館別館1階大会議室
17:00〜17:30 第1部「学生と学者の共同集会」
17:40〜 国会請願デモ(砂防会館〜日比谷公園)
18:00 第2部開場 @砂防会館別館1階大会議室
18:10〜18:30 第2部「学生と学者と市民の共同集会」
18:40〜 国会請願デモ(砂防会館〜日比谷公園)
19:30〜21:30 国会正門前抗議行動
東日本大震災以降、毎週金曜日(19:30〜21:30 )に官邸前での抗議活動には、母親、子供たち、学生たちが自然に集まるようになっていました。
最近には、SEALDs(自由と民主主義のための学生緊急行動)の国会前抗議行動で、連帯スピーチを行っています。
*フライヤーを下記HPからダウンロードしてご活用ください。
http://anti-security-related-bill.jp/
なお、100枚以上ご活用される方には発送しますので、HPのお問い合わせフォームに発送先をご連絡ください。
◎皆様からのご支援については、口座振替がいただけます
第一勧業信用組合 千駄ヶ谷支店 普通預金
店番024 口座番号6849043
口座名:安全保障関連法案に反対する学者の会
現状に大変強い危機感を募らせている学者たちは、このままでは法治国家としてのシステムが崩れてしまうと危惧している。立憲民主主義を守るために、今回の安保関連法案を廃案にしなくてはなりません。
参院へ送られた議案が審議もそこそこに多数決が行う気配です。ここに至っては、内閣支持率を20%以下に低下させ、参議院議員には国民の平和憲法への意識を伝えようと願っております。
すでに署名をされた方もおられると思いますが、以下のサイトで署名を募っております。
http://anti-security-related-bill.jp/signature.html
集会等の案内、動画もご覧ください。
2015年07月24日
台湾、総統選では女性対決
台湾の与党・国民党は19日、台北市の国父記念館で党大会を開き、来年1月16日に実施される総統選の党公認候補に立法院副院長(国会副議長)の洪秀柱氏(67)を選出した。野党・民進党は蔡英文主席(58)の公認を決めている。2大政党の公認候補が決まり、総統選は事実上、台湾では史上初の女性対決となることが固まった。
国民党の候補者選びは迷走が続いた。昨年11月の統一地方選での大敗が響き、総統選も厳しい選挙戦が予想される。2期務めた馬英九総統(65)は憲法の規定により出馬できない。大敗で党主席を引責辞任した馬氏の後を継いだ朱立倫主席(54)、立法院長(国会議長)の王金平氏(74)、呉敦義副総統(67)といった党内実力者が名乗りを上げず、有力者の消極姿勢に、議会内での駆け引きが続く中で党内予備選に名乗りを上げたのが洪氏だった。洪氏の潔さが好感度を増し勢いをつけた。
ただ洪氏は、大物に比べれば知名度や組織力が劣るとされる。さらに中国との統一志向が強いとされ、5月に発表した対中政策では、党の政策より、さらに中国寄りとも受け止められかねない姿勢を示し、台湾メディアは強い統一派を意味する「最統」と報じた。
このため、本土派と呼ばれる党内の本省人(戦前からの台湾居住者と子孫)のグループを中心に、洪氏では中間票の支持を得られにくく、選挙戦に不利になるとの不満がくすぶる。総統選と同時に実施される立法委員(国会議員)選では、一部に無所属での出馬を目指す動きもある。
公認決定後の演説で洪氏は「(『一つの中国』を前提とした)1992年合意を基礎に、台湾優先を堅持する」と強調し、党の団結を強く呼びかけた。また、多くの台湾人が使う台湾語で「私は最も庶民を理解し、公平と正義を重視する総統になる」と語った。
台湾のテレビ局TVBSが7日に発表した世論調査では、洪氏の支持率は30%と蔡氏の42%を下回り、出遅れが目立つ。さらに、親民党の宋楚瑜(そうそゆ)主席(73)が出馬の可能性をにおわせており、国民党にとっては懸念材料だ。
2000年の総統選では、民進党の陳水扁氏、国民党の連戦氏に加え、国民党非主流派だった宋氏が無所属で出馬。三つどもえの戦いは連、宋両氏が保守票を奪い合って陳氏が当選し、初の民進党政権が誕生した。宋氏が再び出馬すれば、国民党にとって「悪夢の再来」となる可能性がさらに強まることになる。
ヨーロッパのみならず、アジアでも、インド、パキスタン、フィリピン、タイ、韓国と女性党首が誕生して、国家の中枢のリーダーの座を占めてきた。来年の米国大統領選ではいよいよヒラリーが、出馬とみられる。こうなると日本の女性は未だ銃後の構えにまわっている感だ。
◇洪秀柱
1948年4月7日、台北生まれ。両親は、戦後に国民党と共に台湾に渡ってきた「外省人」と呼ばれる中国大陸出身者。同党政権下で反体制派の逮捕や処刑が続いた「白色テロ」に父親が巻き込まれ、政治犯収容所に収監された。このため母親が家計を支え、一家は苦しい生活を送った。
70年に台湾の中国文化大法学部を卒業した後、中学教諭や米国留学などを経て、89年の立法委員(国会議員)選で初当選した。2012年に女性初の立法院副院長(国会副議長)に就任し、同年から今年1月まで党副主席も務めた。4人きょうだいの長女で独身。ペットは前の飼い主が飼えなくなったために引き取ったというアフリカゾウガメ。
出典:
毎日新聞 7月19日
国民党の候補者選びは迷走が続いた。昨年11月の統一地方選での大敗が響き、総統選も厳しい選挙戦が予想される。2期務めた馬英九総統(65)は憲法の規定により出馬できない。大敗で党主席を引責辞任した馬氏の後を継いだ朱立倫主席(54)、立法院長(国会議長)の王金平氏(74)、呉敦義副総統(67)といった党内実力者が名乗りを上げず、有力者の消極姿勢に、議会内での駆け引きが続く中で党内予備選に名乗りを上げたのが洪氏だった。洪氏の潔さが好感度を増し勢いをつけた。
ただ洪氏は、大物に比べれば知名度や組織力が劣るとされる。さらに中国との統一志向が強いとされ、5月に発表した対中政策では、党の政策より、さらに中国寄りとも受け止められかねない姿勢を示し、台湾メディアは強い統一派を意味する「最統」と報じた。
このため、本土派と呼ばれる党内の本省人(戦前からの台湾居住者と子孫)のグループを中心に、洪氏では中間票の支持を得られにくく、選挙戦に不利になるとの不満がくすぶる。総統選と同時に実施される立法委員(国会議員)選では、一部に無所属での出馬を目指す動きもある。
公認決定後の演説で洪氏は「(『一つの中国』を前提とした)1992年合意を基礎に、台湾優先を堅持する」と強調し、党の団結を強く呼びかけた。また、多くの台湾人が使う台湾語で「私は最も庶民を理解し、公平と正義を重視する総統になる」と語った。
台湾のテレビ局TVBSが7日に発表した世論調査では、洪氏の支持率は30%と蔡氏の42%を下回り、出遅れが目立つ。さらに、親民党の宋楚瑜(そうそゆ)主席(73)が出馬の可能性をにおわせており、国民党にとっては懸念材料だ。
2000年の総統選では、民進党の陳水扁氏、国民党の連戦氏に加え、国民党非主流派だった宋氏が無所属で出馬。三つどもえの戦いは連、宋両氏が保守票を奪い合って陳氏が当選し、初の民進党政権が誕生した。宋氏が再び出馬すれば、国民党にとって「悪夢の再来」となる可能性がさらに強まることになる。
ヨーロッパのみならず、アジアでも、インド、パキスタン、フィリピン、タイ、韓国と女性党首が誕生して、国家の中枢のリーダーの座を占めてきた。来年の米国大統領選ではいよいよヒラリーが、出馬とみられる。こうなると日本の女性は未だ銃後の構えにまわっている感だ。
◇洪秀柱
1948年4月7日、台北生まれ。両親は、戦後に国民党と共に台湾に渡ってきた「外省人」と呼ばれる中国大陸出身者。同党政権下で反体制派の逮捕や処刑が続いた「白色テロ」に父親が巻き込まれ、政治犯収容所に収監された。このため母親が家計を支え、一家は苦しい生活を送った。
70年に台湾の中国文化大法学部を卒業した後、中学教諭や米国留学などを経て、89年の立法委員(国会議員)選で初当選した。2012年に女性初の立法院副院長(国会副議長)に就任し、同年から今年1月まで党副主席も務めた。4人きょうだいの長女で独身。ペットは前の飼い主が飼えなくなったために引き取ったというアフリカゾウガメ。
出典:
毎日新聞 7月19日
2015年07月23日
全国に巡らした日本会議のネットワークとは
これまで、日本会議と安倍政権の関係について触れた記事(http://gendai.ismedia.jp/articles/-/44029) における日本会議の実態は、とくに女性議員らの仲間の中ではささやかれていた。もうその頃には男女平等の主張とは表現されなくなったいが、当時に、女性議員たちは「男女共同参画社会」の為に奔走している最中だった。するとジェンダーの偏重、男女役割の男らしさ・女らしさの些細な指摘をこの日本会議の関係団体と思われるところから突き上げをくらい、我孫子市議会には10件上に及ぶ陳情、請願がだされた。しかも、中には一字間違えたような同文の内容まで出されていて、組織性を感じる人々が市外から呼びかけを裏づけるのであって、我孫子の議会の傍聴にはせ参じた約20名はいただろうか、分からないなりにともかく内容は提出するのだという人までいたから驚いた。
さらに、彼らは、子供のための権利条例、平和条例などの議案が出てくる、従軍慰安婦に関する意見書を国に出し欲しいとの陳情が出されるなどすると、また多数で議会傍聴にくるので、議員たちは彼らの顔も覚え話題になっていた。要するに一般の市民ではできないような、近隣市民が呼びかけあってきていること、我孫子市民だけではない明らかに全国的な組織を感じさせる。提出される議案を察知して廃案にしてほしいと陳情・請願をもってやってくる、市役所前はもちろん、市内にも頻繁にチラシをつくって配布していた。従軍慰安婦の意見書を出してほしとの請願を出した人と請願の紹介議員宅前で、十数人をつらねてヘイトスピーチよろしく街宣して、それを動画サイトに投稿しているのだから、これまでのような市内の市民の手法ではないことが分かるのだ。さらに、後には、その組織によって議場に国旗掲揚をなどとの趣旨の請願を出してきた。これは、どうもおかしいとインターネットで検索すると、全国のどの議会までが彼ら組織的意図で議場での国旗掲揚がなったかと、オセロゲームのように戦果を並べていた。
日本会議なる組織は、国会議員、都議をふくめ各議会に既に組織の数を膨らまし、その動員力によって、着実に議会に影響力を浸透させていたことが読み取れてきた。男女共同参画条例は、小さな笹舟のように揺れながらも議会で否決される場面も多かったが、我孫子の場合は流石の結果で、男性議員の賛成もいただけ、相当の拮抗する場面もあったが、職員の周到な準備が功を奏して議会の理解を得て、条例制定につながった。県下初の男女共同都市宣言都市であるということも、議会の健全性を示していると私などは思う。当時には、我孫子には女性議員が全国トップクラスだったことも意味は大きかった。
そういう経緯があったので、この『週刊現代』の記事については、「やはり」の感が多く読んだ。とある商店街で、商店主が、安全保障関連法案などを批判する垂れ幕の付いた七夕飾りを設置したところ、「祭りにふさわしくない」との意見が市などに寄せられ、撤去していたことが分かったが、商店主の50代男性は「今声を上げなければと思ったが、周囲に迷惑がかかるので撤去した」と話している。千葉の美術館で朝鮮陶器の美術展があったが、「公費のでている美術館でこのような企画をするとは何事だ」の意見が寄せられた。皆様にも、行政や議会というところに様々な見方を通して意見、圧力がかかることの事情を知っていただきた。
こうした事情も兼ね合わせて気になった方は、下記もご覧ください。
:::::::::::::::
日本会議の中核メンバーが目指すのは、端的にいうと、戦前の日本の“栄光”を取り戻すことだ。彼らは何十年も前から周到な計画を練り、着実に布石を打ってきた。それは誇大妄想ではないかとおっしゃるだろう。筆者(魚住 昭)も最初はそんな大それた仕掛けがあるとは思いもしなかった。マスコミも彼らの動向をほとんど報じなかった。
でも、8年前のことだが、かつての「参院のドン」村上正邦さん(82歳・元労相)の聞き書きを1年つづけるうち、彼らが全国に巡らしたネットワークと、その戦略が見えてきた。
村上さんが日本会議結成(1997年)にいたる内幕を明かしてくれたからだ。彼は日本会議の礎を作った当事者の一人である。そしてこれが重大なポイントなのだが、生長の家の創始者・谷口雅春('85年没)の信頼が最も厚い政治家だった。
ここで生長の家について簡単に説明しておこう。教団の歴史は戦前、谷口が人生苦の解決法を説く個人誌『生長の家』を創刊した時から始まる。彼はキリスト教や仏教、神道などから種々の要素を取り入れて万教帰一、すべての教えは同じ、ただ登り口が違うだけだと説いた。また、彼は天皇を現人神として崇めた。「一切は天皇より出でて天皇に帰るなり」と説き、聖戦完遂を唱えて教団を大発展させた。敗戦後は一転して自由と平和を唱えたが、公職追放から復帰した後、右傾化・神道化を強めて教勢を拡大させた。
紆余曲折はあったにせよ、谷口は戦後の宗教界で最もラディカルな皇国思想の持ち主となった。彼は「明治憲法復元」を掲げて1964年、生長の家政治連合(生政連)を作り、教団の政治進出を本格化させる。その生政連の国民運動本部長に任じられたのが村上さんである。
それから10年後の'74年、愛国心高揚を目指す「日本を守る会」が誕生する。臨済宗円覚寺貫主・朝比奈宗源が谷口らに呼びかけて作ったものだった。そこに生長の家はもちろん神道、仏教などの宗教団体が集まり、作家の山岡荘八や思想家の安岡正篤らも加わった。事務局は明治神宮に置かれ、村上さんは谷口の意を受け、事務局の中心メンバーとして働いた。
「守る会」はまず「天皇陛下御在位50年奉祝中央パレード」を成功させ、その余勢をかって元号法制化運動に乗り出していく。もともと元号は戦前の皇室典範に定められていた。その条文がGHQの意向で削られ、法的根拠を失った。それを再び法制化しようという右派の動きは戦後三十余年、社会党・共産党の抵抗にあって阻まれていた。
結論を先に言わせてもらえば、この法制化運動の成功が、それまで少数精鋭主義だった右派の運動スタイルを広範な国民を巻き込む大衆運動に変え、日本会議を誕生させることになる。
名著の誉れ高い『増補戦後の右翼勢力』(勁草書房)の著者・堀幸雄氏の言葉を借りるなら「制服を着た右翼」から「背広を着た右翼」への変身である。その大衆運動の戦略を描いたのが、いまの日本会議を事務総長として取り仕切る椛島有三(かばしま)氏だ。彼は谷口思想の心酔者で天性のオルガナイザーだった。長崎大学在学中に全共闘や共産党系の民青に対抗して民族派学生運動を組織し、自治会の主導権奪還に成功した経歴を持っていた。村上さんの回想。
「椛島さんは長大卒業後、上京して一途に日本青年協議会(生長の家の学生OB組織)で民族派の運動をやっていた。彼は名誉栄達や金を求めず、面倒見もよかったから学生たちから尊敬されていた。彼が一声かければ動く若い人が全国にたくさんいた。その彼が『守る会』事務局に入ってくれたので、彼と二人三脚で運動を進めたんです」ちなみに当時の日本青年協議会委員長は今の安倍首相側近の衛藤晟一参院議員。書記長が椛島氏、政策部長が今の日本政策研究センター代表で首相ブレーンの伊藤哲夫氏。3人とも日本会議の中核メンバーである。
村上さんの証言によると、椛島氏は大衆運動のいろんな戦略や戦術に長けていた。各地で人手が必要なときは日本青年協議会傘下の学生らを動員した。たとえば「守る会」は'77年秋から元号法制化を求める地方議会決議運動を始め、翌年10月までに全国1016市町村の議会決議を達成して政府に圧力を加えるのだが、この「地方から中央へ」という戦略を考え出したのも椛島氏だった。
こうした地方の動きに呼応する形で'78年7月、「守る会」を中心に「元号法制化実現国民会議」が作られる。議長に石田和外・元最高裁長官が就き、音楽家の黛敏郎が代表委員の一人になった。椛島氏は事務局長として戦略を考え、さらに世論を盛り上げるため全国47都道府県にキャラバン隊を派遣した。
自民党や民社党、新自由クラブによる超党派の国会議員連盟も作られ、同年10月、日本武道館に2万人を集めて総決起国民大会が開かれた。動員の中心になったのは生長の家や佛所護念会、世界真光文明教団、明治神宮や神社本庁といった「守る会」に結集した宗教団体だった。
翌'79年6月、全国的な気運の高まりのなかで元号法案は国会を通過する。右派三十余年の宿願が「守る会」(+日本青年協議会)によるわずか2年の運動で達成されたのである。椛島戦略の効果は絶大だった。以来、椛島氏をはじめとする日本青年協議会の面々、つまり谷口雅春の思想を核に育った人々が”隠れた主役”となって右派の運動をリードしていく。彼らは政財界などへの影響力を急速に拡大させ、ついには憲法改正に王手をかける一歩手前にまで至るのだが、その過程については次でご説明したい。
出典:
『週刊現代』2015年7月18日号
さらに、彼らは、子供のための権利条例、平和条例などの議案が出てくる、従軍慰安婦に関する意見書を国に出し欲しいとの陳情が出されるなどすると、また多数で議会傍聴にくるので、議員たちは彼らの顔も覚え話題になっていた。要するに一般の市民ではできないような、近隣市民が呼びかけあってきていること、我孫子市民だけではない明らかに全国的な組織を感じさせる。提出される議案を察知して廃案にしてほしいと陳情・請願をもってやってくる、市役所前はもちろん、市内にも頻繁にチラシをつくって配布していた。従軍慰安婦の意見書を出してほしとの請願を出した人と請願の紹介議員宅前で、十数人をつらねてヘイトスピーチよろしく街宣して、それを動画サイトに投稿しているのだから、これまでのような市内の市民の手法ではないことが分かるのだ。さらに、後には、その組織によって議場に国旗掲揚をなどとの趣旨の請願を出してきた。これは、どうもおかしいとインターネットで検索すると、全国のどの議会までが彼ら組織的意図で議場での国旗掲揚がなったかと、オセロゲームのように戦果を並べていた。
日本会議なる組織は、国会議員、都議をふくめ各議会に既に組織の数を膨らまし、その動員力によって、着実に議会に影響力を浸透させていたことが読み取れてきた。男女共同参画条例は、小さな笹舟のように揺れながらも議会で否決される場面も多かったが、我孫子の場合は流石の結果で、男性議員の賛成もいただけ、相当の拮抗する場面もあったが、職員の周到な準備が功を奏して議会の理解を得て、条例制定につながった。県下初の男女共同都市宣言都市であるということも、議会の健全性を示していると私などは思う。当時には、我孫子には女性議員が全国トップクラスだったことも意味は大きかった。
そういう経緯があったので、この『週刊現代』の記事については、「やはり」の感が多く読んだ。とある商店街で、商店主が、安全保障関連法案などを批判する垂れ幕の付いた七夕飾りを設置したところ、「祭りにふさわしくない」との意見が市などに寄せられ、撤去していたことが分かったが、商店主の50代男性は「今声を上げなければと思ったが、周囲に迷惑がかかるので撤去した」と話している。千葉の美術館で朝鮮陶器の美術展があったが、「公費のでている美術館でこのような企画をするとは何事だ」の意見が寄せられた。皆様にも、行政や議会というところに様々な見方を通して意見、圧力がかかることの事情を知っていただきた。
こうした事情も兼ね合わせて気になった方は、下記もご覧ください。
:::::::::::::::
日本会議の中核メンバーが目指すのは、端的にいうと、戦前の日本の“栄光”を取り戻すことだ。彼らは何十年も前から周到な計画を練り、着実に布石を打ってきた。それは誇大妄想ではないかとおっしゃるだろう。筆者(魚住 昭)も最初はそんな大それた仕掛けがあるとは思いもしなかった。マスコミも彼らの動向をほとんど報じなかった。
でも、8年前のことだが、かつての「参院のドン」村上正邦さん(82歳・元労相)の聞き書きを1年つづけるうち、彼らが全国に巡らしたネットワークと、その戦略が見えてきた。
村上さんが日本会議結成(1997年)にいたる内幕を明かしてくれたからだ。彼は日本会議の礎を作った当事者の一人である。そしてこれが重大なポイントなのだが、生長の家の創始者・谷口雅春('85年没)の信頼が最も厚い政治家だった。
ここで生長の家について簡単に説明しておこう。教団の歴史は戦前、谷口が人生苦の解決法を説く個人誌『生長の家』を創刊した時から始まる。彼はキリスト教や仏教、神道などから種々の要素を取り入れて万教帰一、すべての教えは同じ、ただ登り口が違うだけだと説いた。また、彼は天皇を現人神として崇めた。「一切は天皇より出でて天皇に帰るなり」と説き、聖戦完遂を唱えて教団を大発展させた。敗戦後は一転して自由と平和を唱えたが、公職追放から復帰した後、右傾化・神道化を強めて教勢を拡大させた。
紆余曲折はあったにせよ、谷口は戦後の宗教界で最もラディカルな皇国思想の持ち主となった。彼は「明治憲法復元」を掲げて1964年、生長の家政治連合(生政連)を作り、教団の政治進出を本格化させる。その生政連の国民運動本部長に任じられたのが村上さんである。
それから10年後の'74年、愛国心高揚を目指す「日本を守る会」が誕生する。臨済宗円覚寺貫主・朝比奈宗源が谷口らに呼びかけて作ったものだった。そこに生長の家はもちろん神道、仏教などの宗教団体が集まり、作家の山岡荘八や思想家の安岡正篤らも加わった。事務局は明治神宮に置かれ、村上さんは谷口の意を受け、事務局の中心メンバーとして働いた。
「守る会」はまず「天皇陛下御在位50年奉祝中央パレード」を成功させ、その余勢をかって元号法制化運動に乗り出していく。もともと元号は戦前の皇室典範に定められていた。その条文がGHQの意向で削られ、法的根拠を失った。それを再び法制化しようという右派の動きは戦後三十余年、社会党・共産党の抵抗にあって阻まれていた。
結論を先に言わせてもらえば、この法制化運動の成功が、それまで少数精鋭主義だった右派の運動スタイルを広範な国民を巻き込む大衆運動に変え、日本会議を誕生させることになる。
名著の誉れ高い『増補戦後の右翼勢力』(勁草書房)の著者・堀幸雄氏の言葉を借りるなら「制服を着た右翼」から「背広を着た右翼」への変身である。その大衆運動の戦略を描いたのが、いまの日本会議を事務総長として取り仕切る椛島有三(かばしま)氏だ。彼は谷口思想の心酔者で天性のオルガナイザーだった。長崎大学在学中に全共闘や共産党系の民青に対抗して民族派学生運動を組織し、自治会の主導権奪還に成功した経歴を持っていた。村上さんの回想。
「椛島さんは長大卒業後、上京して一途に日本青年協議会(生長の家の学生OB組織)で民族派の運動をやっていた。彼は名誉栄達や金を求めず、面倒見もよかったから学生たちから尊敬されていた。彼が一声かければ動く若い人が全国にたくさんいた。その彼が『守る会』事務局に入ってくれたので、彼と二人三脚で運動を進めたんです」ちなみに当時の日本青年協議会委員長は今の安倍首相側近の衛藤晟一参院議員。書記長が椛島氏、政策部長が今の日本政策研究センター代表で首相ブレーンの伊藤哲夫氏。3人とも日本会議の中核メンバーである。
村上さんの証言によると、椛島氏は大衆運動のいろんな戦略や戦術に長けていた。各地で人手が必要なときは日本青年協議会傘下の学生らを動員した。たとえば「守る会」は'77年秋から元号法制化を求める地方議会決議運動を始め、翌年10月までに全国1016市町村の議会決議を達成して政府に圧力を加えるのだが、この「地方から中央へ」という戦略を考え出したのも椛島氏だった。
こうした地方の動きに呼応する形で'78年7月、「守る会」を中心に「元号法制化実現国民会議」が作られる。議長に石田和外・元最高裁長官が就き、音楽家の黛敏郎が代表委員の一人になった。椛島氏は事務局長として戦略を考え、さらに世論を盛り上げるため全国47都道府県にキャラバン隊を派遣した。
自民党や民社党、新自由クラブによる超党派の国会議員連盟も作られ、同年10月、日本武道館に2万人を集めて総決起国民大会が開かれた。動員の中心になったのは生長の家や佛所護念会、世界真光文明教団、明治神宮や神社本庁といった「守る会」に結集した宗教団体だった。
翌'79年6月、全国的な気運の高まりのなかで元号法案は国会を通過する。右派三十余年の宿願が「守る会」(+日本青年協議会)によるわずか2年の運動で達成されたのである。椛島戦略の効果は絶大だった。以来、椛島氏をはじめとする日本青年協議会の面々、つまり谷口雅春の思想を核に育った人々が”隠れた主役”となって右派の運動をリードしていく。彼らは政財界などへの影響力を急速に拡大させ、ついには憲法改正に王手をかける一歩手前にまで至るのだが、その過程については次でご説明したい。
出典:
『週刊現代』2015年7月18日号
2015年07月22日
「立憲主義と民主主義の破壊」に一万人超の学者が抗議
Yahoo Japanでは、今ある平和、過去の戦争に対する思いや考えについて、各界の方々から多くのメッセージを集めて、紹介している。多くの日本人が、戦争に進んでいったことによって、結果的には生命財産を失って、周辺諸国にも償いきれない多大な損害を与えて禍根を残していたと、なんらか胸に刻んでいるのだと改めて分かる。それは、戦争を体験した戦中派だけではなく、戦後に生まれた人々も身近な人々から絶望のどん底に落ちる戦争への忌避感となって、いることが分かる。戦後70年の今、平和が永く続くよう未来へ伝えたいと多数のメッセージが集められている。
一方、さまざまな専門分野の学者でつくる「安全保障関連法案に反対する学者の会」が20日、東京都内で記者会見し、「強行採決は国民の意思を踏みにじる立憲主義と民主主義の破壊だ」などとする1万1279人の共同声明を発表した。
学者の会は、ノーベル物理学賞を受賞した益川敏英京都大名誉教授ら61人が呼び掛け人となり、賛同する学者・研究者は20日時点で1万1218人。うち150人以上が会見に出席した。 益川さんは「安倍政権は憲法9条をなし崩しにしようとしている」と力説。池内了名古屋大名誉教授(宇宙物理学)は「法案は安倍政権の軍事化路線。軍需研究への動員が始まろうとしている」と危機感を表明した。
千葉真国際基督教大特任教授(政治思想)は「憲法順法義務を無視している」と強調。吉岡斉九州大教授(科学史)も「次は憲法改正を必ず狙ってくる」とし、高山佳奈子京大教授(法学)は「国際世論からは、憲法を無視して推し進めていいという意見は全く寄せられていない」と指摘した。
広渡清吾専修大教授(法学)が「国会内の雰囲気を変えるには十分時間はある」と締めくくり、全員で「廃案まで頑張るぞ」と気勢を上げた。
出典:時事通信 7月20日(月)
一方、さまざまな専門分野の学者でつくる「安全保障関連法案に反対する学者の会」が20日、東京都内で記者会見し、「強行採決は国民の意思を踏みにじる立憲主義と民主主義の破壊だ」などとする1万1279人の共同声明を発表した。
学者の会は、ノーベル物理学賞を受賞した益川敏英京都大名誉教授ら61人が呼び掛け人となり、賛同する学者・研究者は20日時点で1万1218人。うち150人以上が会見に出席した。 益川さんは「安倍政権は憲法9条をなし崩しにしようとしている」と力説。池内了名古屋大名誉教授(宇宙物理学)は「法案は安倍政権の軍事化路線。軍需研究への動員が始まろうとしている」と危機感を表明した。
千葉真国際基督教大特任教授(政治思想)は「憲法順法義務を無視している」と強調。吉岡斉九州大教授(科学史)も「次は憲法改正を必ず狙ってくる」とし、高山佳奈子京大教授(法学)は「国際世論からは、憲法を無視して推し進めていいという意見は全く寄せられていない」と指摘した。
広渡清吾専修大教授(法学)が「国会内の雰囲気を変えるには十分時間はある」と締めくくり、全員で「廃案まで頑張るぞ」と気勢を上げた。
出典:時事通信 7月20日(月)
2015年07月21日
外国人記者、日本会議は安倍政権の"黒幕“!? との指摘
怒号飛び交う緊迫の採決した安全保障関連法案は、国会審議では徴兵について質問がでると、その議員に対して「馬鹿(な)」と野次った公明党議員が謝罪問題になったり、報道機関には政府の威圧的姿勢に問題視もおきた。
110時間も辛抱した気持ちの強いから、与党でのこうした態度が目につくようになって、国民のいただけない気持ちが、支持率に表れてきた。衆議院の採決後、参議院に回されても、自民党憲法草案の骨子に近づくように「決めたい」思いが走るに違いないから、今後の審議をどう運ぶのだろうか。国民の反応、意識をどうとらえていくつもりだろうか。
ちょうど一か月前、6月15日、日本外国特派員協会での記者会見で興味深いやりとりがあった。質問者はエコノミスト誌のマクニール記者。答えたのは慶応大名誉教授の小林節さん(憲法学)である。小林さんは例の憲法審査会で安保法制を「違憲」と言い切った3学者の1人だ。もともとは憲法学会で改憲派を代表する存在だったが、今回の安倍政権の解釈改憲については、立憲主義の根幹を揺るがすものだとして真っ向から反対している。
マクニール記者「集団的自衛権行使を合憲としている憲法学者が3人(長尾一紘中央大学名誉教授、百地章日本大学教授、西修駒澤大学名誉教授)いて、彼らはみんな、日本会議に属している。それは何を意味しているのか?」
日本会議は安倍政権の”黒幕”とも噂される日本最大規模の右派団体だ。そしてマクニール記者の言う3人とは、菅官房長官が安保法制を支持する憲法学者として名を挙げた西修・駒沢大名誉教授ら3氏を指す。つまりマクニール記者はこう訊いたのである。日本の憲法学会に数えるほどしかいない”合憲派”の顔ぶれを見ると、そろいもそろって日本会議の関係者だ。これはどういうことか。単なる偶然とは思えない、と。
小林名誉教授「私は日本会議にはたくさん知人がいる。彼らに共通する思いは、第二次大戦での敗戦を受け入れがたい、だからその前の日本に戻したいということ。日本が明治憲法下で軍事5大国だったときのように、米国とともに世界に進軍したいという思いの人が集まっている。よく見ると、明治憲法下でエスタブリッシュメントだった人の子孫が多い。そう考えるとメイク・センス(理解できる)でしょ」
これは、なかなか意味深な答えである。いやそれどころか安倍首相と、彼の仲間の心情を的確に捉えた言葉だと私は思う。
■国会議員の4割、閣僚ポストの8割を占める
そう言っても、日本会議と安倍政権のただならぬ関係をご存じない読者には、すんなり了解してもらえないだろうから補足説明させていただきたい。
日本会議には国会議員懇談会という超党派の集まりがある。現在そこに
驚くべきは日本会議の構成員が閣僚に占める割合である。第一次安倍内閣では首相をはじめ12人、麻生内閣では9人だった。それが改造前の第二次安倍内閣で13人になり、現内閣では19人中15人に増えた。公明党枠の1人を除く閣僚ポストの8割強を日本会議に関係する議員が占めている。
もし小林名誉教授が言うように、日本会議に属する人たちの「共通する思い」が、70年前の敗戦を受け入れがたく、明治憲法下の「日本に戻したい」ということだとするなら、現閣僚の大半が戦前の大日本帝国の再来を望んでいることになる。 まさか、そこまで非常識な政治家はいないはず。と思われる読者も多いだろうから、日本会議とはそもそもどんな団体かということについて語りたい。
■日本会議が目指すものは何か
日本会議の特色は何と言っても、そのネットワークの全国的広がりと構成メンバーの多彩さにある。会員は全国に約3万5000人。日本会議の地方議員連盟に属する議員は約1700人と言われる。
HPの役員名簿を見ると、石井公一郎・ブリヂストンサイクル元社長、小田村四郎・元拓殖大総長、三好達・元最高裁長官、作家の石原慎太郎氏、外交評論家の田久保忠衛氏ら各方面の著名人がずらりと並んでいる。
加えてさまざまな宗教団体のトップたちが名を連ねる。神社本庁、靖国神社、崇教真光、霊友会、天台宗など数え上げるときりがない。新宗教から伝統仏教・神道まで多種多様な宗教の結集軸になっている団体、それが日本会議と言ってもいい。
では、その日本会議が目指すものは何か。HPには〈私たちは、美しい日本の再建と誇りある国づくりのために、政策提言と国民運動を推進する民間団体です〉と記されている。〈美しい日本の再建〉という言葉に注目してほしい。再建と言うからには〈美しい日本〉が過去にあったということだ。それがいつの時代を指すか、明記はされてないが察しはつく。戦前の天皇主権下の日本だろう。 それを裏付けるようにHPにこう書かれている。
〈125代という悠久の歴史を重ねられる連綿とした皇室のご存在は、世界に類例をみないわが国の誇るべき宝〉であり〈皇室を中心に、同じ歴史、文化、伝統を共有しているという歴史認識こそが、(中略)国の力を大きくする原動力になると信じています〉
言っちゃ悪いが、これはアナクロニズム(時代錯誤)だ。国民の大多数は戦前の天皇制の復活なんか望んでいない。にもかかわらず、日本会議が国会議員の4割弱と閣僚の8割を占める勢力になったのは、なぜか。 ここが思案のしどころだ。私の考えをまず言わせてもらいたい。こんな異様な現象は一朝一夕には起こらない。相当な時間と労力と金をかけた、何らかの仕掛けがなくてはならない。ちなみに私が日本会議に注目しだしたのは10年ほど前のことだ。従軍慰安婦、国旗・国歌法、教科書検定、外国人地方参政権、教育基本法や憲法の改正などの問題を取材すると、必ずと言っていいほど、背後に日本会議の勢力が蠢いていた。
どうやら日本の右傾化を演出しているのは日本会議らしい。誰がどんな経緯でこの組織を作ったのか。それを調べていくと奇妙な事実に突き当たった。日本会議を仕切る事務総長や関連団体の責任者、安倍首相の側近議員、学者などの経歴に意外な共通点があった。
彼らは青年時代、ある教団の信者だった。その教団の創始者は熱烈な天皇主義者で「敗戦した日本などない」と唱えた。敗れたのは「偽の日本」で、天皇中心の真の日本ではない。我々の使命は明治憲法を復元することだ。その言葉が青年らの心を捉えた。日本会議の歴史はそこから始まる。
(次回は2015年7月19日公開予定です)
*参考:『増補 戦後の右翼勢力』(堀幸雄著・勁草書房刊)
出典:『週刊現代』2015年7月11日号より
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歴史問題などをめぐる認識の違いにより、日中両国の溝は深まったままだ。イギリスのフィナンシャル・タイムズ紙は今回の内閣改造について、今回発表された閣僚のほとんどが夫婦別性反対や、男系天皇の正当性を主張する保守系団体「日本会議」のメンバーだと指摘。なかでも目立つのは、靖国神社を参拝するグループで、せっかく女性5人を登用しても、伝統主義的・国粋主義的理念を推進すると批判した。
ウォール・ストリート・ジャーナルも、閣僚19人中15人(78.9%)が、日本会議に所属していると下記ツイートしている。
「今回発表された閣僚19人(総理を含む)のうち15人が「日本会議」のメンバーです。日本会議のウェブサイト上には、日本会議とは「美しい日本の再建と誇りある国づくりのために、政策提言と国民運動を行っている民間団体」と説明されており、「尖閣を守れ!全国署名運動」などの言葉が踊っています。」
今回の内閣改造のなかで、代理人を通しての参拝を含めて、靖国神社への参拝を報じられているのは19人中15人。今回の内閣改造では、前安倍内閣で2014年8月の終戦の日に靖国神社参拝を行った、新藤義孝・前総務相、古屋圭司・前拉致問題相ら3閣僚の再任はなかった。ただし、稲田朋美・前行政改革担当相は自民党の政調会長に就任した。安倍首相の肝いりの起用とされる。
一方、日本会議に属しながらも、「閣僚は靖国参拝するべきではない」とする考えを持つ小渕優子氏もいる。
10月には靖国神社で秋季例大祭が行われる。毎年多くの国会議員らも参拝しており、今回選ばれた閣僚の中から参加者が出れば、今後の日中・日韓関係に影響することは必至だ。
出典:
The Huffington Post(部分)
投稿日: 2014年09月04日
110時間も辛抱した気持ちの強いから、与党でのこうした態度が目につくようになって、国民のいただけない気持ちが、支持率に表れてきた。衆議院の採決後、参議院に回されても、自民党憲法草案の骨子に近づくように「決めたい」思いが走るに違いないから、今後の審議をどう運ぶのだろうか。国民の反応、意識をどうとらえていくつもりだろうか。
ちょうど一か月前、6月15日、日本外国特派員協会での記者会見で興味深いやりとりがあった。質問者はエコノミスト誌のマクニール記者。答えたのは慶応大名誉教授の小林節さん(憲法学)である。小林さんは例の憲法審査会で安保法制を「違憲」と言い切った3学者の1人だ。もともとは憲法学会で改憲派を代表する存在だったが、今回の安倍政権の解釈改憲については、立憲主義の根幹を揺るがすものだとして真っ向から反対している。
マクニール記者「集団的自衛権行使を合憲としている憲法学者が3人(長尾一紘中央大学名誉教授、百地章日本大学教授、西修駒澤大学名誉教授)いて、彼らはみんな、日本会議に属している。それは何を意味しているのか?」
日本会議は安倍政権の”黒幕”とも噂される日本最大規模の右派団体だ。そしてマクニール記者の言う3人とは、菅官房長官が安保法制を支持する憲法学者として名を挙げた西修・駒沢大名誉教授ら3氏を指す。つまりマクニール記者はこう訊いたのである。日本の憲法学会に数えるほどしかいない”合憲派”の顔ぶれを見ると、そろいもそろって日本会議の関係者だ。これはどういうことか。単なる偶然とは思えない、と。
小林名誉教授「私は日本会議にはたくさん知人がいる。彼らに共通する思いは、第二次大戦での敗戦を受け入れがたい、だからその前の日本に戻したいということ。日本が明治憲法下で軍事5大国だったときのように、米国とともに世界に進軍したいという思いの人が集まっている。よく見ると、明治憲法下でエスタブリッシュメントだった人の子孫が多い。そう考えるとメイク・センス(理解できる)でしょ」
これは、なかなか意味深な答えである。いやそれどころか安倍首相と、彼の仲間の心情を的確に捉えた言葉だと私は思う。
■国会議員の4割、閣僚ポストの8割を占める
そう言っても、日本会議と安倍政権のただならぬ関係をご存じない読者には、すんなり了解してもらえないだろうから補足説明させていただきたい。
日本会議には国会議員懇談会という超党派の集まりがある。現在そこに
属する国会議員は自民党を中心に約280人。衆参両院をあわせた定数は717人だから4割ほどが日本会議の構成メンバー
という計算になる。驚くべきは日本会議の構成員が閣僚に占める割合である。第一次安倍内閣では首相をはじめ12人、麻生内閣では9人だった。それが改造前の第二次安倍内閣で13人になり、現内閣では19人中15人に増えた。公明党枠の1人を除く閣僚ポストの8割強を日本会議に関係する議員が占めている。
もし小林名誉教授が言うように、日本会議に属する人たちの「共通する思い」が、70年前の敗戦を受け入れがたく、明治憲法下の「日本に戻したい」ということだとするなら、現閣僚の大半が戦前の大日本帝国の再来を望んでいることになる。 まさか、そこまで非常識な政治家はいないはず。と思われる読者も多いだろうから、日本会議とはそもそもどんな団体かということについて語りたい。
■日本会議が目指すものは何か
日本会議の特色は何と言っても、そのネットワークの全国的広がりと構成メンバーの多彩さにある。会員は全国に約3万5000人。日本会議の地方議員連盟に属する議員は約1700人と言われる。
HPの役員名簿を見ると、石井公一郎・ブリヂストンサイクル元社長、小田村四郎・元拓殖大総長、三好達・元最高裁長官、作家の石原慎太郎氏、外交評論家の田久保忠衛氏ら各方面の著名人がずらりと並んでいる。
加えてさまざまな宗教団体のトップたちが名を連ねる。神社本庁、靖国神社、崇教真光、霊友会、天台宗など数え上げるときりがない。新宗教から伝統仏教・神道まで多種多様な宗教の結集軸になっている団体、それが日本会議と言ってもいい。
では、その日本会議が目指すものは何か。HPには〈私たちは、美しい日本の再建と誇りある国づくりのために、政策提言と国民運動を推進する民間団体です〉と記されている。〈美しい日本の再建〉という言葉に注目してほしい。再建と言うからには〈美しい日本〉が過去にあったということだ。それがいつの時代を指すか、明記はされてないが察しはつく。戦前の天皇主権下の日本だろう。 それを裏付けるようにHPにこう書かれている。
〈125代という悠久の歴史を重ねられる連綿とした皇室のご存在は、世界に類例をみないわが国の誇るべき宝〉であり〈皇室を中心に、同じ歴史、文化、伝統を共有しているという歴史認識こそが、(中略)国の力を大きくする原動力になると信じています〉
言っちゃ悪いが、これはアナクロニズム(時代錯誤)だ。国民の大多数は戦前の天皇制の復活なんか望んでいない。にもかかわらず、日本会議が国会議員の4割弱と閣僚の8割を占める勢力になったのは、なぜか。 ここが思案のしどころだ。私の考えをまず言わせてもらいたい。こんな異様な現象は一朝一夕には起こらない。相当な時間と労力と金をかけた、何らかの仕掛けがなくてはならない。ちなみに私が日本会議に注目しだしたのは10年ほど前のことだ。従軍慰安婦、国旗・国歌法、教科書検定、外国人地方参政権、教育基本法や憲法の改正などの問題を取材すると、必ずと言っていいほど、背後に日本会議の勢力が蠢いていた。
どうやら日本の右傾化を演出しているのは日本会議らしい。誰がどんな経緯でこの組織を作ったのか。それを調べていくと奇妙な事実に突き当たった。日本会議を仕切る事務総長や関連団体の責任者、安倍首相の側近議員、学者などの経歴に意外な共通点があった。
彼らは青年時代、ある教団の信者だった。その教団の創始者は熱烈な天皇主義者で「敗戦した日本などない」と唱えた。敗れたのは「偽の日本」で、天皇中心の真の日本ではない。我々の使命は明治憲法を復元することだ。その言葉が青年らの心を捉えた。日本会議の歴史はそこから始まる。
(次回は2015年7月19日公開予定です)
*参考:『増補 戦後の右翼勢力』(堀幸雄著・勁草書房刊)
出典:『週刊現代』2015年7月11日号より
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歴史問題などをめぐる認識の違いにより、日中両国の溝は深まったままだ。イギリスのフィナンシャル・タイムズ紙は今回の内閣改造について、今回発表された閣僚のほとんどが夫婦別性反対や、男系天皇の正当性を主張する保守系団体「日本会議」のメンバーだと指摘。なかでも目立つのは、靖国神社を参拝するグループで、せっかく女性5人を登用しても、伝統主義的・国粋主義的理念を推進すると批判した。
ウォール・ストリート・ジャーナルも、閣僚19人中15人(78.9%)が、日本会議に所属していると下記ツイートしている。
「今回発表された閣僚19人(総理を含む)のうち15人が「日本会議」のメンバーです。日本会議のウェブサイト上には、日本会議とは「美しい日本の再建と誇りある国づくりのために、政策提言と国民運動を行っている民間団体」と説明されており、「尖閣を守れ!全国署名運動」などの言葉が踊っています。」
今回の内閣改造のなかで、代理人を通しての参拝を含めて、靖国神社への参拝を報じられているのは19人中15人。今回の内閣改造では、前安倍内閣で2014年8月の終戦の日に靖国神社参拝を行った、新藤義孝・前総務相、古屋圭司・前拉致問題相ら3閣僚の再任はなかった。ただし、稲田朋美・前行政改革担当相は自民党の政調会長に就任した。安倍首相の肝いりの起用とされる。
一方、日本会議に属しながらも、「閣僚は靖国参拝するべきではない」とする考えを持つ小渕優子氏もいる。
10月には靖国神社で秋季例大祭が行われる。毎年多くの国会議員らも参拝しており、今回選ばれた閣僚の中から参加者が出れば、今後の日中・日韓関係に影響することは必至だ。
出典:
The Huffington Post(部分)
投稿日: 2014年09月04日
2015年07月20日
リスクコミュニケーション
震災、風水害や地下鉄サリン事件などのテロを経験した日本社会はマルチハザード時代に入ったといわれ、また政治行政をとりまく環境も地方分権の流れもあり、行政と専門家、企業が市民が対話し合う土壌が生まれつつある中で、リスクコミュニケーションの取り組みに対する注目が集まりつつある。そこで、常総生協での講演会を聞きにいった。そうした時に国家はどのような情報の出し方をしてくるか、むしろ、こんな難しい判断をせまられた時を経験してきたのだから、見据えていかなくてはならない。
我孫子を事例の一つに研究を進めている留学生とその講演を聞きにいった。リスクコミュニケーション (Risk Communication) とは社会を取り巻くリスクに関する正確な情報を、行政、専門家、企業、市民などの間で共有し、相互に意思疎通を図ること、その合意形成のひとつだとされる。
講師の高橋征仁教授(山口大学)と外国人研究者と

ホットスポットの地域において、事の整理も深刻さが深まる
リスクコミュニケーションが必要とされる場面とは、主に災害や環境問題、原子力施設に対する住民理解の醸成などといったリスクが関係者間での意識共有が必要とされる問題について、安全対策に対する認識や協力関係の共有を図ることが必要とされる状況が想定されます。
災害であれば発生が危惧される自然災害・事故そしてテロ、国家的有事などにより発生するNBC災害などのような場面では、行政の危機管理能力を超える事態が発生し、市民の理解や協力なくして事態の収拾が困難である場合、避難や救助、近隣住民の安否確認など、市民の協力を得ることが、被害の最小化につながると考えられる。
阪神・淡路大震災においても明らかになったように、大災害では市町村レベルにおける行政の危機管理能力にでは当初から限界があり、速やかな復旧に関しても、市民自身の情報伝達や自助能力が不可欠であった。そこで、地域及び地域の安全において不可欠な行政、専門家、企業、市民の役割を明らかにし、そのための意識共有や強力関係づくりの方策として、各主体がともに危機について意見や情報を交換し、共有し合うリスクコミュニケーションが不可欠となってくる。
しかし、今日ではリスクコミュニケーションにおいて必ずしも確立された方法は存在しない。それは、そもそもリスクコミュニケーションという概念があくまで危機に対して各主体の意識・情報の共有化が不可欠であるという問題意識から生まれたものであり、決して専門的な手段としてあるのではないからだ。
また、リスクコミュニケーションという概念は未だ一般化しているとは言いきれないものの、それに該当する取り組みとしては、行政と市民が協力して地域防災力の向上化を図る防災まちづくりという取り組みにおいて、災害図上訓練やワークショップによって合意形成手段がとられるなどの事例も見られる。
我孫子を事例の一つに研究を進めている留学生とその講演を聞きにいった。リスクコミュニケーション (Risk Communication) とは社会を取り巻くリスクに関する正確な情報を、行政、専門家、企業、市民などの間で共有し、相互に意思疎通を図ること、その合意形成のひとつだとされる。
講師の高橋征仁教授(山口大学)と外国人研究者と
ホットスポットの地域において、事の整理も深刻さが深まる
リスクコミュニケーションが必要とされる場面とは、主に災害や環境問題、原子力施設に対する住民理解の醸成などといったリスクが関係者間での意識共有が必要とされる問題について、安全対策に対する認識や協力関係の共有を図ることが必要とされる状況が想定されます。
災害であれば発生が危惧される自然災害・事故そしてテロ、国家的有事などにより発生するNBC災害などのような場面では、行政の危機管理能力を超える事態が発生し、市民の理解や協力なくして事態の収拾が困難である場合、避難や救助、近隣住民の安否確認など、市民の協力を得ることが、被害の最小化につながると考えられる。
阪神・淡路大震災においても明らかになったように、大災害では市町村レベルにおける行政の危機管理能力にでは当初から限界があり、速やかな復旧に関しても、市民自身の情報伝達や自助能力が不可欠であった。そこで、地域及び地域の安全において不可欠な行政、専門家、企業、市民の役割を明らかにし、そのための意識共有や強力関係づくりの方策として、各主体がともに危機について意見や情報を交換し、共有し合うリスクコミュニケーションが不可欠となってくる。
しかし、今日ではリスクコミュニケーションにおいて必ずしも確立された方法は存在しない。それは、そもそもリスクコミュニケーションという概念があくまで危機に対して各主体の意識・情報の共有化が不可欠であるという問題意識から生まれたものであり、決して専門的な手段としてあるのではないからだ。
また、リスクコミュニケーションという概念は未だ一般化しているとは言いきれないものの、それに該当する取り組みとしては、行政と市民が協力して地域防災力の向上化を図る防災まちづくりという取り組みにおいて、災害図上訓練やワークショップによって合意形成手段がとられるなどの事例も見られる。
2015年07月19日
74歳の大学生・欽ちゃんは、新しい笑いを探し求めつづける現役芸人
74歳の大学生・萩本欽一は、これまで、人気バラエティー番組を多く世に出し、お茶の間の笑いを独占してきた「欽ちゃん」へのインタビュー記事があった。
――お笑いの道に入ってから55年。どうしてまた、大学に?
「僕はずっと、みんなの逆を行って生きてきた。だから去年、舞台を引退したときに何か新しい荷を背負おうと思ったの。それが受験勉強だった。僕は仏教学部を『仏様の教え』なんだから、いい言葉がたくさんあるに違いない、その言葉に会いに行こうって思った。母ちゃんも大学には絶対行けといっていたし。ご免よ、ちょっと遠回りしてって感じかな」
――キャンパスでは若者と普通に会話しているんですか。
「もちろん。就活で暗い顔した4年生に喫煙所で会ってね。僕、言ったの。いろんな職業の人に会ってきたけど、半分は『好きで始めた仕事じゃねえ』って人だった。オヤジがかわいそうで家業を継いだ、とか。でも、そんな人の、いまは幸せって笑顔を何度も見たよってね。そしたら、『幅が広がった』って、うれしそうに飛んでった」
「人のお世話をする仕事をしたいっていう女子には、いいねえ、あんたがおばあちゃんの面倒なんかみたら、アイドルになるんじゃないのって言ったの。笑顔がとってもいい娘でね。そしたら泣き出しちゃった。こんなに認めてもらえたのは初めてだって」
――何が見えました?
「もしかして、僕たち大人は若者とちゃんと会話をしてないんじゃないか。親は子に重すぎる夢を負わせていないか。だから若者は働くイメージも持てず、窮屈で、生きにくい世の中になっているんじゃないかって。とにかくみんな、前へ前へと進みたがることも気になるね。でもね、人生はそんなに簡単に前には進まないよ。偉人の伝記を読めばわかるでしょ。最初は失敗だらけなんだから。だから僕はいつも言うの。まず一歩下がって、世界を広く見ろ。もっと遠回りしろ、人と違う冒険を始めろって」
――でも、萩本さんの人生は順調だったんでしょう。
「違うよお。高校を出て浅草の劇場で修業を始めたんだけど、実はあがり症でね。セリフも忘れ、本当に才能がなかった。3カ月で演出の先生に呼ばれ、やめるなら早いうちだと言われて、『やめます』って答えちゃった。しょんぼりしていたら、先輩が『どうした』と聞くの。事情を話すと、飛んで行って先生に掛け合ってくれた。それで残れたの。後で先生から言われたよお。お前みたいな下手くそを止めにきた奴がいる。こういうのが芸の世界では大事なんだ。応援したい、って周りに思ってもらうのが俺たちの仕事だから。欽坊、やめるなよ、って。もう、泣いちゃったよ」
「人生は出会いだって、よく言うけど、ちょっと違うね。出会いっていうのは、人にただ会うことじゃないんだ。苦労をして、マイナスの経験をいくつも積んで初めて、会うべき人に出会える。なぜ自分がダメだったのか、生きていくうえで何が足りなかったのか。本当の出会いなら、その答えが見えてくるもんだよ」
――運と才能。成功するには、どちらが大事でしたか。
「8割は運だね。そいつは正面からは来ない。思ってもみないところからやってくるから、なかなかつかまえられないのよ。後ろから肩をトントンやる奴がいて、うるせえなこの野郎って、振り向いたら何だ、ここにいたのか、というのが運なんだよ。坂上二郎さんとの出会いがそうだった」
「浅草では突っ込みのライバルでね。しつこくって苦手だった。好きな人100人に電話しろと言われたら、101番目に電話する人だったね。でも、その二郎さんが何と、僕に電話してきたの。テレビで大失敗した僕が、意気消沈して行った熱海のショーから戻った日だった。コントを思いついたばかりでね。話したら、2人でしたほうがきっと面白いって。それがコント55号の始まり。運は二郎さんが全部持ってきてくれた」
――飛び蹴りをして、舞台を縦横に駆け回る姿が衝撃でした。
「浅草では言葉で笑わせたりすると先輩に張り倒されたんだよ。動きや体、芝居で笑わせろって。でもね、コント55号でテレビに出始めて気付いたの。芸って深いものなのに、テレビはそれを映さない。動きも伝わらない。なのに芸をやり、動きの笑いをやってたら間抜けだろうって。それで言葉の笑いに移っていった。投稿を募る『欽ドン!』や、ドラマ仕立ての『欽どこ』につながったの」
――テレビは何が違いました?
「コント55号の練習中に、連合赤軍が人質をとって立てこもった浅間山荘事件(72年)を生中継しててね。窓に影が映ったというだけで、みんなテレビの前にすっ飛んで行ったの。ディレクターまでもが。こっちは懸命に稽古しているのに。で、気付いたわけ。テレビは何が面白いとか、何がいいとかじゃなく、次に何が起こるかわからないときに最も人を引きつけるんだ。予測不能の『いま』を撮れば面白くなるんだって」
――それがヒットの秘訣(ひけつ)?
「秘訣がわかれば、まだテレビをつくってるよ。ただ、振り返ったら、みんながやっていることはしない、という一点だけは貫いてきたね。世の中には優れものが大勢いる。僕なんかがマネしてもかなわない、とわかってたから」
「子役をどうやって選ぶかテレビ局に聞いたら、タレント事務所に電話したらなんぼでも来ます、どの局もそうしてますって言う。『じゃあ、それをやめてください』っていうだけで変わったね。あるディレクターは、何かピンとくるいい子役を求めて、全国を歩いたっていうし。遠回りすれば、人間いろいろ考える。いろんな出来事にぶつかる。もちろん、いいことばかりとは限らないよ。でも、とてつもなくいいものにぶつかることが、あるんだよ。その出会いにこそ物語が生まれる。それが大事なのよ。そういう物語に、人は心を動かされるんだから」
――時代が変わると、笑いも変わるものですか。
「変わります。昭和の笑いには、下の者が上の者をちゃかす快感があってね。偉い社長さんをごまかし、インチキするサラリーマンの姿が笑いをとっていた。すき焼きの場面で、ネギで肉を隠しながら食べる姿がおかしかった。笑いというのは貧しい大衆、ちょっとダメ扱いされている人間たちの反撃でもあったの。でも日本が豊かになると、すき焼き自体が珍しくなくなり、社長さんにも文句を言うようになって、反撃の笑いが成り立ちにくくなってきた」
――時代は巡り、いま再び、貧困と格差が広がっています。
「笑いはみんなの共感を呼ぶものに敏感だから、本当に大変な時代が来たら貧困も格差もネタにすると思うよ。笑いは必ず時代に追いついてくる。それに笑いには、直接は言えないことを遠回しに伝える大事な働きもあるんです。みんな何かヘンだなあと思っていることを、笑いが社会に広く伝えるということがあるの」
――これから、どんな新しい笑いが生まれるのでしょう。
「なんだ、こんなことが笑いになるのか、という何かでしょう。これまでのジャンルには収まりきらない何か。本当に新しい何かが生まれるときはラベルから変わるもの。僕らだって最初、コントって何ですか、漫才とどう違うんですかって聞かれて困り、さあ何ですかねえって答えてたもん」
――もしかして、その「何か」をいま大学で探しておられる?
「明日、会う人がいる、しゃべる誰かがいるっていうのが、この年になると一番幸せだと思うの。年を取ると、周りと付き合いづらくなってね。僕もいつの間にか『大将』と祭り上げられていた。大学では、20歳前後の子がみんな『欽ちゃん』と呼んでくれる。まあ、そのー、大学に通って若いのに毎日会っているうちに、僕のなかの何かが変わって、結果的に何か新しい笑いが見えてこないかなあっていう気持ちが、実はないこともないんだけど。まだ、いいことないなあ」
――いまも現役なんですね。
「もちろん。生まれ変わってもコメディアンだよ。ただ、またダメなコメディアンから出発したいね。ダメな若い奴が上を目指してもがく姿に、支えてやろうって気持ちが生まれたんだと思うから」(聞き手・萩一晶)
出典:
朝日新聞デジタル 7月11日
――お笑いの道に入ってから55年。どうしてまた、大学に?
「僕はずっと、みんなの逆を行って生きてきた。だから去年、舞台を引退したときに何か新しい荷を背負おうと思ったの。それが受験勉強だった。僕は仏教学部を『仏様の教え』なんだから、いい言葉がたくさんあるに違いない、その言葉に会いに行こうって思った。母ちゃんも大学には絶対行けといっていたし。ご免よ、ちょっと遠回りしてって感じかな」
――キャンパスでは若者と普通に会話しているんですか。
「もちろん。就活で暗い顔した4年生に喫煙所で会ってね。僕、言ったの。いろんな職業の人に会ってきたけど、半分は『好きで始めた仕事じゃねえ』って人だった。オヤジがかわいそうで家業を継いだ、とか。でも、そんな人の、いまは幸せって笑顔を何度も見たよってね。そしたら、『幅が広がった』って、うれしそうに飛んでった」
「人のお世話をする仕事をしたいっていう女子には、いいねえ、あんたがおばあちゃんの面倒なんかみたら、アイドルになるんじゃないのって言ったの。笑顔がとってもいい娘でね。そしたら泣き出しちゃった。こんなに認めてもらえたのは初めてだって」
――何が見えました?
「もしかして、僕たち大人は若者とちゃんと会話をしてないんじゃないか。親は子に重すぎる夢を負わせていないか。だから若者は働くイメージも持てず、窮屈で、生きにくい世の中になっているんじゃないかって。とにかくみんな、前へ前へと進みたがることも気になるね。でもね、人生はそんなに簡単に前には進まないよ。偉人の伝記を読めばわかるでしょ。最初は失敗だらけなんだから。だから僕はいつも言うの。まず一歩下がって、世界を広く見ろ。もっと遠回りしろ、人と違う冒険を始めろって」
――でも、萩本さんの人生は順調だったんでしょう。
「違うよお。高校を出て浅草の劇場で修業を始めたんだけど、実はあがり症でね。セリフも忘れ、本当に才能がなかった。3カ月で演出の先生に呼ばれ、やめるなら早いうちだと言われて、『やめます』って答えちゃった。しょんぼりしていたら、先輩が『どうした』と聞くの。事情を話すと、飛んで行って先生に掛け合ってくれた。それで残れたの。後で先生から言われたよお。お前みたいな下手くそを止めにきた奴がいる。こういうのが芸の世界では大事なんだ。応援したい、って周りに思ってもらうのが俺たちの仕事だから。欽坊、やめるなよ、って。もう、泣いちゃったよ」
「人生は出会いだって、よく言うけど、ちょっと違うね。出会いっていうのは、人にただ会うことじゃないんだ。苦労をして、マイナスの経験をいくつも積んで初めて、会うべき人に出会える。なぜ自分がダメだったのか、生きていくうえで何が足りなかったのか。本当の出会いなら、その答えが見えてくるもんだよ」
――運と才能。成功するには、どちらが大事でしたか。
「8割は運だね。そいつは正面からは来ない。思ってもみないところからやってくるから、なかなかつかまえられないのよ。後ろから肩をトントンやる奴がいて、うるせえなこの野郎って、振り向いたら何だ、ここにいたのか、というのが運なんだよ。坂上二郎さんとの出会いがそうだった」
「浅草では突っ込みのライバルでね。しつこくって苦手だった。好きな人100人に電話しろと言われたら、101番目に電話する人だったね。でも、その二郎さんが何と、僕に電話してきたの。テレビで大失敗した僕が、意気消沈して行った熱海のショーから戻った日だった。コントを思いついたばかりでね。話したら、2人でしたほうがきっと面白いって。それがコント55号の始まり。運は二郎さんが全部持ってきてくれた」
――飛び蹴りをして、舞台を縦横に駆け回る姿が衝撃でした。
「浅草では言葉で笑わせたりすると先輩に張り倒されたんだよ。動きや体、芝居で笑わせろって。でもね、コント55号でテレビに出始めて気付いたの。芸って深いものなのに、テレビはそれを映さない。動きも伝わらない。なのに芸をやり、動きの笑いをやってたら間抜けだろうって。それで言葉の笑いに移っていった。投稿を募る『欽ドン!』や、ドラマ仕立ての『欽どこ』につながったの」
――テレビは何が違いました?
「コント55号の練習中に、連合赤軍が人質をとって立てこもった浅間山荘事件(72年)を生中継しててね。窓に影が映ったというだけで、みんなテレビの前にすっ飛んで行ったの。ディレクターまでもが。こっちは懸命に稽古しているのに。で、気付いたわけ。テレビは何が面白いとか、何がいいとかじゃなく、次に何が起こるかわからないときに最も人を引きつけるんだ。予測不能の『いま』を撮れば面白くなるんだって」
――それがヒットの秘訣(ひけつ)?
「秘訣がわかれば、まだテレビをつくってるよ。ただ、振り返ったら、みんながやっていることはしない、という一点だけは貫いてきたね。世の中には優れものが大勢いる。僕なんかがマネしてもかなわない、とわかってたから」
「子役をどうやって選ぶかテレビ局に聞いたら、タレント事務所に電話したらなんぼでも来ます、どの局もそうしてますって言う。『じゃあ、それをやめてください』っていうだけで変わったね。あるディレクターは、何かピンとくるいい子役を求めて、全国を歩いたっていうし。遠回りすれば、人間いろいろ考える。いろんな出来事にぶつかる。もちろん、いいことばかりとは限らないよ。でも、とてつもなくいいものにぶつかることが、あるんだよ。その出会いにこそ物語が生まれる。それが大事なのよ。そういう物語に、人は心を動かされるんだから」
――時代が変わると、笑いも変わるものですか。
「変わります。昭和の笑いには、下の者が上の者をちゃかす快感があってね。偉い社長さんをごまかし、インチキするサラリーマンの姿が笑いをとっていた。すき焼きの場面で、ネギで肉を隠しながら食べる姿がおかしかった。笑いというのは貧しい大衆、ちょっとダメ扱いされている人間たちの反撃でもあったの。でも日本が豊かになると、すき焼き自体が珍しくなくなり、社長さんにも文句を言うようになって、反撃の笑いが成り立ちにくくなってきた」
――時代は巡り、いま再び、貧困と格差が広がっています。
「笑いはみんなの共感を呼ぶものに敏感だから、本当に大変な時代が来たら貧困も格差もネタにすると思うよ。笑いは必ず時代に追いついてくる。それに笑いには、直接は言えないことを遠回しに伝える大事な働きもあるんです。みんな何かヘンだなあと思っていることを、笑いが社会に広く伝えるということがあるの」
――これから、どんな新しい笑いが生まれるのでしょう。
「なんだ、こんなことが笑いになるのか、という何かでしょう。これまでのジャンルには収まりきらない何か。本当に新しい何かが生まれるときはラベルから変わるもの。僕らだって最初、コントって何ですか、漫才とどう違うんですかって聞かれて困り、さあ何ですかねえって答えてたもん」
――もしかして、その「何か」をいま大学で探しておられる?
「明日、会う人がいる、しゃべる誰かがいるっていうのが、この年になると一番幸せだと思うの。年を取ると、周りと付き合いづらくなってね。僕もいつの間にか『大将』と祭り上げられていた。大学では、20歳前後の子がみんな『欽ちゃん』と呼んでくれる。まあ、そのー、大学に通って若いのに毎日会っているうちに、僕のなかの何かが変わって、結果的に何か新しい笑いが見えてこないかなあっていう気持ちが、実はないこともないんだけど。まだ、いいことないなあ」
――いまも現役なんですね。
「もちろん。生まれ変わってもコメディアンだよ。ただ、またダメなコメディアンから出発したいね。ダメな若い奴が上を目指してもがく姿に、支えてやろうって気持ちが生まれたんだと思うから」(聞き手・萩一晶)
出典:
朝日新聞デジタル 7月11日
2015年07月18日
103歳の現役美術家
篠田桃紅は、世界で最も尊敬される現役美術家と言われる。1913年に生まれ、現在103歳。
『103歳になってわかったこと 人生は一人でも面白い』(幻冬舎)、40万部を超えるベストセラーになる
日本の租借地だった関東州大連に生まれ、5歳頃から父に書の手ほどきを受ける。その後、女学校時代以外はほとんど独学で書を学ぶ。1950年から数年、書道芸術院に所属して前衛書の作家たちと交流を持つが、1956年に渡米し、抽象表現主義絵画が全盛期のニューヨークで、作品を制作する。文字の決まり事を離れた新しい墨の造形を試み、その作品は水墨の抽象画=墨象と呼ばれる。アメリカ滞在中、数回の個展を開き高い評価を得る。
乾いた気候が水墨に向かないと悟り、帰国して以後日本で制作し、各国で作品を発表している。和紙に、墨・金箔・銀箔・金泥・銀泥・朱泥といった日本画の画材を用い、限られた色彩で多様な表情を生み出す。万葉集などを記した文字による制作も続けるが、墨象との線引きは難しい。東京芝増上寺大本堂の襖絵などの大作の一方で、リトグラフや装丁、題字、随筆を手掛けるなど、活動は多岐にわたった。
1960年代の激しい筆致はやがて叙情性をたたえ、80年代から90年代にかけては、線はより洗練された間を構成していった。 近年、面と線は寄り添い、朱はあくまで高貴に、墨は静かに鋭く、あるいは控えめに層をなしている。2005年、ニューズウィーク(日本版)の「世界が尊敬する日本人100人」に選ばれた。また同年、5メートルを超える絵画を制作するなど、年と共に洗練されていく筆勢は留まることがない。人間の可能性を引き出す線を持った人だ。
「吾(われ)唯(ただ)足(た)るを知る」、と彫られた京都の龍安寺のつくばいは有名だ。
「足るを知る」とは、満足することを知ること。
確かに 他人と比較すれば、嫉妬や不平不満が生じ、もっともっと、と欲しくなる。 幸せな人は、今ある幸せに気付ける人なのだといえる。 仕事ができてありがたい、健康でありがたい、生きていてありがたいと、今あるあたりまえの日常に感謝できる人こそ幸せなのだ。
映画監督の篠田正浩は従弟にあたり、103歳の芸術家に一目も、二目もおく。
『103歳になってわかったこと 人生は一人でも面白い』(幻冬舎)、40万部を超えるベストセラーになる
日本の租借地だった関東州大連に生まれ、5歳頃から父に書の手ほどきを受ける。その後、女学校時代以外はほとんど独学で書を学ぶ。1950年から数年、書道芸術院に所属して前衛書の作家たちと交流を持つが、1956年に渡米し、抽象表現主義絵画が全盛期のニューヨークで、作品を制作する。文字の決まり事を離れた新しい墨の造形を試み、その作品は水墨の抽象画=墨象と呼ばれる。アメリカ滞在中、数回の個展を開き高い評価を得る。
乾いた気候が水墨に向かないと悟り、帰国して以後日本で制作し、各国で作品を発表している。和紙に、墨・金箔・銀箔・金泥・銀泥・朱泥といった日本画の画材を用い、限られた色彩で多様な表情を生み出す。万葉集などを記した文字による制作も続けるが、墨象との線引きは難しい。東京芝増上寺大本堂の襖絵などの大作の一方で、リトグラフや装丁、題字、随筆を手掛けるなど、活動は多岐にわたった。
1960年代の激しい筆致はやがて叙情性をたたえ、80年代から90年代にかけては、線はより洗練された間を構成していった。 近年、面と線は寄り添い、朱はあくまで高貴に、墨は静かに鋭く、あるいは控えめに層をなしている。2005年、ニューズウィーク(日本版)の「世界が尊敬する日本人100人」に選ばれた。また同年、5メートルを超える絵画を制作するなど、年と共に洗練されていく筆勢は留まることがない。人間の可能性を引き出す線を持った人だ。
「吾(われ)唯(ただ)足(た)るを知る」、と彫られた京都の龍安寺のつくばいは有名だ。
「足るを知る」とは、満足することを知ること。
確かに 他人と比較すれば、嫉妬や不平不満が生じ、もっともっと、と欲しくなる。 幸せな人は、今ある幸せに気付ける人なのだといえる。 仕事ができてありがたい、健康でありがたい、生きていてありがたいと、今あるあたりまえの日常に感謝できる人こそ幸せなのだ。
映画監督の篠田正浩は従弟にあたり、103歳の芸術家に一目も、二目もおく。
2015年07月17日
高齢者医療
チューブで胃に栄養を投与する医療行為は、日本で高齢者にごく普通に行われている。一度導入されると実質的に後戻りできない。家族へ説明がない場合も多い。12年6月に「高齢者ケアの意思決定プロセスに関するガイドライン」を発表し、人工的な水分や栄養補給を導入した後の減量や中止について、患者や家族の同意を得ることを容認した。
医療技術が進歩し、さまざま形で延命ができるようになった。大正の頃、日本人の平均寿命は43歳にすぎなかったが、80歳を超えて世界一だ。総務省統計局によると、日本では65歳以上の20%が就労している。これは先進国の中で最も高い比率だ。 その半面、終末期ケアなど死の迎え方に関する評価は低い。エコノミスト・インテリジェンス・ユニットの調査によれば、日本の「死の質」は、先進国・開発途上国40カ国中23位にとどまる。 日本の国民医療費は国内総生産の9.6%を占める、これは米国の18%の半分だ。しかし、1955年以降に生まれた世代の年金、医療、介護の生涯純受給率はマイナス、つまり支払い超過になるとの報告を内閣府経済社会総合研究所が2012年1月に出している。国民皆保険制度は1960年代、日本人の死因の1位が結核だったときにできた。今はがんや心疾患などが死因の上位を占めている。これらは、治療が難しく医療システムに大きな負担がかかるので、政府の費用負担も増加している。米国メディケア費用の約30%は人生最後の2年間に使われている。患者一人当たりの医療費の平均は6万9947ドル(約700万円)だったとダートマス医療政策臨床研究所が報告した。
日本ホスピス・緩和ケア研究振興財団の柏木哲夫理事長は、「日本では、歴史的に病院が回復の見込みのない終末期患者の延命にも力を入れてきた。そしてそれがまだ主流だ」と言う。今は65歳以上の高齢者は4人に1人。2060年には4割を占めると推測されている。高齢化は、世界第3位の経済大国でありながら世界で2番目の巨額債務を抱えるこの国の財政を破綻させる可能性をはらんでいる。高齢者を支える勤労者や納税者が少なくなるにもかかわらず、出生率は低いままだ。私たちは日常の中で死についてほとんど話をしない。リビングウィル(生前の意思表示)を用意したり、終末期をどのように迎えたいかという話をすることは珍しい。挿入しているチューブを外して自然な死を迎えるという選択は可能か主治医に確認したところ、医師は「前の病院で鼻にチューブを勝手に付けられた。もうそれは胃ろうと一緒。鼻だろうが、胃だろうが一度チューブを付けてしまったらもう外せない」と言った。
日本人の70%以上が末期がんや重度の認知症を患った場合に胃ろうは選択しないと回答した。リビングウィル支持は70%だったが、実際に意思が施術に生かされたのは3.2%だった。その方法の一つは、カテーテルを埋め込み、高カロリーの輸液を流し込む「中心静脈栄養法」で、カテーテルを長期間、血管に留置するため感染症が起きやすい。胃腸を使わないと免疫力も下がる。消化管が機能し、栄養補給が短期の場合は鼻から管を入れる「経鼻経管栄養法」があるという。このほかに、内視鏡で腹部から胃に数センチの穴を開け、外部とつなぐキットを組み込み、管を通して直接、水分や流動食、薬剤を流し込む「胃ろう」という処置もある。胃ろうは感染症が起きても大半が傷口部分でとどまるため、より安全とされる。 自然な消化吸収が期待できる安全な最も優れた方法だという。
東京の水道橋東口クリニック理事長・院長で高齢者の在宅医療に携わる辻彼南雄医師は、「日本の老人は無理やり長生きさせられている。今の状態は医療虐待。当たった医師によって施されるケアが違う。高齢者尊厳法のような法制化や、終末期ケアに対する患者の願いを聞き取るような第3者機関をつくり、プロセス化をする必要がある」と述べる。
参照:
http://www.bloomberg.co.jp/news/123-MQBGLA6JIJUS01.html
医療技術が進歩し、さまざま形で延命ができるようになった。大正の頃、日本人の平均寿命は43歳にすぎなかったが、80歳を超えて世界一だ。総務省統計局によると、日本では65歳以上の20%が就労している。これは先進国の中で最も高い比率だ。 その半面、終末期ケアなど死の迎え方に関する評価は低い。エコノミスト・インテリジェンス・ユニットの調査によれば、日本の「死の質」は、先進国・開発途上国40カ国中23位にとどまる。 日本の国民医療費は国内総生産の9.6%を占める、これは米国の18%の半分だ。しかし、1955年以降に生まれた世代の年金、医療、介護の生涯純受給率はマイナス、つまり支払い超過になるとの報告を内閣府経済社会総合研究所が2012年1月に出している。国民皆保険制度は1960年代、日本人の死因の1位が結核だったときにできた。今はがんや心疾患などが死因の上位を占めている。これらは、治療が難しく医療システムに大きな負担がかかるので、政府の費用負担も増加している。米国メディケア費用の約30%は人生最後の2年間に使われている。患者一人当たりの医療費の平均は6万9947ドル(約700万円)だったとダートマス医療政策臨床研究所が報告した。
日本ホスピス・緩和ケア研究振興財団の柏木哲夫理事長は、「日本では、歴史的に病院が回復の見込みのない終末期患者の延命にも力を入れてきた。そしてそれがまだ主流だ」と言う。今は65歳以上の高齢者は4人に1人。2060年には4割を占めると推測されている。高齢化は、世界第3位の経済大国でありながら世界で2番目の巨額債務を抱えるこの国の財政を破綻させる可能性をはらんでいる。高齢者を支える勤労者や納税者が少なくなるにもかかわらず、出生率は低いままだ。私たちは日常の中で死についてほとんど話をしない。リビングウィル(生前の意思表示)を用意したり、終末期をどのように迎えたいかという話をすることは珍しい。挿入しているチューブを外して自然な死を迎えるという選択は可能か主治医に確認したところ、医師は「前の病院で鼻にチューブを勝手に付けられた。もうそれは胃ろうと一緒。鼻だろうが、胃だろうが一度チューブを付けてしまったらもう外せない」と言った。
日本人の70%以上が末期がんや重度の認知症を患った場合に胃ろうは選択しないと回答した。リビングウィル支持は70%だったが、実際に意思が施術に生かされたのは3.2%だった。その方法の一つは、カテーテルを埋め込み、高カロリーの輸液を流し込む「中心静脈栄養法」で、カテーテルを長期間、血管に留置するため感染症が起きやすい。胃腸を使わないと免疫力も下がる。消化管が機能し、栄養補給が短期の場合は鼻から管を入れる「経鼻経管栄養法」があるという。このほかに、内視鏡で腹部から胃に数センチの穴を開け、外部とつなぐキットを組み込み、管を通して直接、水分や流動食、薬剤を流し込む「胃ろう」という処置もある。胃ろうは感染症が起きても大半が傷口部分でとどまるため、より安全とされる。 自然な消化吸収が期待できる安全な最も優れた方法だという。
東京の水道橋東口クリニック理事長・院長で高齢者の在宅医療に携わる辻彼南雄医師は、「日本の老人は無理やり長生きさせられている。今の状態は医療虐待。当たった医師によって施されるケアが違う。高齢者尊厳法のような法制化や、終末期ケアに対する患者の願いを聞き取るような第3者機関をつくり、プロセス化をする必要がある」と述べる。
参照:
http://www.bloomberg.co.jp/news/123-MQBGLA6JIJUS01.html
2015年07月16日
ふるさと納税で、愛される街づくりに知恵比べ
奈良県王寺町は、聖徳太子ゆかりの寺として知られる達磨寺の奈良県指定文化財「方丈」を修繕するための費用を、ふるさと納税で集めている。
同寺の方丈は江戸時代に建てられ、法要などに利用されている。修繕費用は総額で1億円程度となる見通し。費用の半分を県、4分の1ずつを町と所有者である寺が負担し、町負担分は2500万円程度となる見込みで、2、3年かけて同規模の寄付金を集めたい考え。
町はふるさと納税を県内外から広く集めようと、インターネットを通じて不特定多数から寄付を募る「クラウドファンディング」と呼ばれる手法を採用した。1万円以上を寄付した人には、聖徳太子の愛犬をモチーフにした町のキャラクター「雪丸」の関連グッズを贈る。 (2015/07/01-14:30)
福島県広野町は、5ー7月に3万円以上を寄付した人に、返礼品として地元産のコシヒカリ1俵(60キロ)を贈る。町のコメのおいしさを全国に発信し、東京電力福島第1原発事故による風評払拭(ふっしょく)につなげたい考え。
返礼品は、化学肥料と農薬を50%以上減らした特別栽培米60キロと、地元産大豆で作られたみそ750グラム。コメは1ー3回に分けて発送するという。(2015/06/24-15:48)
広島県神石高原町では、ふるさと納税を通じ、町内に拠点を置く犬の殺処分ゼロを目指す認定NPO法人「ピースウィンズ・ジャパン(PWJ)」に、多くの寄付が集まっている。
町は2014年度から、ふるさと納税の使い道として「NPO法人への寄付」を加え、納税者が寄付を希望する団体を指定できるようにした。14年度の町全体の寄付金額は7860万円で、このうちPWJには7600万円が集まった。
同様の取り組みは全国でも珍しいという。まちづくり推進課の担当者は「『こういう寄付の形も素晴らしい』などとの意見も寄せられている。町のことも知ってもらえるようにPRしていきたい」と話している。(2015/06/30-15:04)
福井県は、2014年度のふるさと納税寄付金の合計が前年度比13%増の約1億240万円だったと発表した。件数は1926件で、前年度の2倍以上になった。県ブランド営業課によると、金額、件数ともに08年度の制度開始以来、過去最高。
県内17市町のうち金額と収納件数が最も多かったのは小浜市。返礼品の米が人気を博しているという。(2015/06/24-15:23)
同寺の方丈は江戸時代に建てられ、法要などに利用されている。修繕費用は総額で1億円程度となる見通し。費用の半分を県、4分の1ずつを町と所有者である寺が負担し、町負担分は2500万円程度となる見込みで、2、3年かけて同規模の寄付金を集めたい考え。
町はふるさと納税を県内外から広く集めようと、インターネットを通じて不特定多数から寄付を募る「クラウドファンディング」と呼ばれる手法を採用した。1万円以上を寄付した人には、聖徳太子の愛犬をモチーフにした町のキャラクター「雪丸」の関連グッズを贈る。 (2015/07/01-14:30)
福島県広野町は、5ー7月に3万円以上を寄付した人に、返礼品として地元産のコシヒカリ1俵(60キロ)を贈る。町のコメのおいしさを全国に発信し、東京電力福島第1原発事故による風評払拭(ふっしょく)につなげたい考え。
返礼品は、化学肥料と農薬を50%以上減らした特別栽培米60キロと、地元産大豆で作られたみそ750グラム。コメは1ー3回に分けて発送するという。(2015/06/24-15:48)
広島県神石高原町では、ふるさと納税を通じ、町内に拠点を置く犬の殺処分ゼロを目指す認定NPO法人「ピースウィンズ・ジャパン(PWJ)」に、多くの寄付が集まっている。
町は2014年度から、ふるさと納税の使い道として「NPO法人への寄付」を加え、納税者が寄付を希望する団体を指定できるようにした。14年度の町全体の寄付金額は7860万円で、このうちPWJには7600万円が集まった。
同様の取り組みは全国でも珍しいという。まちづくり推進課の担当者は「『こういう寄付の形も素晴らしい』などとの意見も寄せられている。町のことも知ってもらえるようにPRしていきたい」と話している。(2015/06/30-15:04)
福井県は、2014年度のふるさと納税寄付金の合計が前年度比13%増の約1億240万円だったと発表した。件数は1926件で、前年度の2倍以上になった。県ブランド営業課によると、金額、件数ともに08年度の制度開始以来、過去最高。
県内17市町のうち金額と収納件数が最も多かったのは小浜市。返礼品の米が人気を博しているという。(2015/06/24-15:23)
2015年07月15日
心の稽古をつむ事
茶道、華道、書道、柔道、剣道など、「道」のつくお稽古事は、続けることで、その人がもっている幼児性を直したり、わがままな性格を変えたりもできます。
日本人は、お茶の作法やお花の生け方はもとより、人を投げ飛ばしたり剣で切ったりすることまでも、「道」として精神的、哲学的に究め、また洗練された技術や作法にまで高めてしまいます。日本人の心には、そのような鍛錬をつんで奥深いものにする気質があるのです。
お稽古事は、最初は問答無用の世界です。まず先生のやることを、ひたすら真似ることからはじまります。
真似をして、体で覚える期間がしばらくく続きます。この期間を「序」といいます。
「序」は、相撲の世界では最下位の階級である「序の口」の序です。
「序の口」という言葉は、相撲の言葉が一般的に使われるようになったもので、「その道の初心者で駆け出しの段階」ということを意味します。
「序」の期間が長く充実していればいるほど、基礎固めに時間が費やされるということで、その先の世界がより深まります。多くの優れた作品を残した芸術家や役者は、この「序」の期間を大切に過ごした人たちです。
師の真似からはじまって、毎日毎日、繰り返し習作し精進した結果、自分のスタイルを確立し、成し遂げることができたのです。
「気の充実」「気を練る」「成熟」という言葉があるように、長い「序」の期間に大成する素質が醸成されるのです。その結果、その人でなければ出せない作風や芸風が確立します。
この域に達したことを「破」と呼びます。
そして、自分のスタイルが確立したら、もう迷わずにどんどんその道を進むしかありません。
そのことを「急」といいます。
芸術の世界でも、武道や稽古事の世界でも、いったん自分のスタイルが確立して、その作品や芸や試合を見る人に感動を与えたり、周りの人々を楽しく、嬉しい、幸せな気持ちにさせたりして、人から喜ばれる存在になることが、「道を究める」ということなのだと思います。
人に喜びを与え、信頼、尊敬される人になるには、まずは問答無用の世界「序」からはじめるのが第一歩です。この期間なくして、「破」や「急」には至りません。
そして、どの段階にまで達しても、自分の力や才能、努力だけでこの域まで来たのだと傲慢にならないことが大切です。 周りの人々や、目に見えない存在や力のおかげだったことを忘れない、感謝です。
そういった謙虚な気持ちで生き、人に喜ばれる存在になることを目的としながら、人として生を頂いたことにひたすら感謝し、黙々と人生を歩む人は、神様から好まれて、さまざまな支援を受けられるようです。
日本には「お稽古事は、六歳の六月六日からはじめると良い」という言い伝えがあります。
生まれたときの荒々しい心(野生のままのような心)を、幼少期から思春期にかけて行う稽古事によって、生きる道に磨きをかけることができる。このような考え方を日本人は持っていました。
さまざまな文化の神髄に、奥深さや気高さを持っている日本。この国に、日本人として生まれてきたことを幸せに思います。
仏教においては、業は、三つあるという。 身業、口業、意業だが、それには、よい面(善業)と悪い面(悪業)の両面がある。 身業とは、身体に表れるすべての行動や動作のこと。
その悪業としては、暴飲暴食、窃盗とか、暴力などがある。口業とは、口から出る言葉。悪業としては、嘘をつくこと、グチ、泣き言、不平不満、悪口、文句などがある。意業とは、心で思ったり感じたりすること。悪業としては、むやみに欲しがること、怒り、嫉妬、憤りなどがある。
これらの悪業を消すのに良い方法が、「道」のつく稽古事をすること。つまり、自分の幼児性を取り去ることによって自分勝手な心を正し、礼儀作法や、我慢すること、他人を思いやる心、弱者をいたわる心、卑怯を憎む心などを身につける、ということ。それは、品格を身につける、ということでもある。 日本人にとって、何か一つ、武道や稽古事を身につけることは、とても大事なこと。
参照:
小林正観 『嬉しく楽しく、幸せになってしまう世界へ、ようこそ』廣済堂出版
日本人は、お茶の作法やお花の生け方はもとより、人を投げ飛ばしたり剣で切ったりすることまでも、「道」として精神的、哲学的に究め、また洗練された技術や作法にまで高めてしまいます。日本人の心には、そのような鍛錬をつんで奥深いものにする気質があるのです。
お稽古事は、最初は問答無用の世界です。まず先生のやることを、ひたすら真似ることからはじまります。
真似をして、体で覚える期間がしばらくく続きます。この期間を「序」といいます。
「序」は、相撲の世界では最下位の階級である「序の口」の序です。
「序の口」という言葉は、相撲の言葉が一般的に使われるようになったもので、「その道の初心者で駆け出しの段階」ということを意味します。
「序」の期間が長く充実していればいるほど、基礎固めに時間が費やされるということで、その先の世界がより深まります。多くの優れた作品を残した芸術家や役者は、この「序」の期間を大切に過ごした人たちです。
師の真似からはじまって、毎日毎日、繰り返し習作し精進した結果、自分のスタイルを確立し、成し遂げることができたのです。
「気の充実」「気を練る」「成熟」という言葉があるように、長い「序」の期間に大成する素質が醸成されるのです。その結果、その人でなければ出せない作風や芸風が確立します。
この域に達したことを「破」と呼びます。
そして、自分のスタイルが確立したら、もう迷わずにどんどんその道を進むしかありません。
そのことを「急」といいます。
芸術の世界でも、武道や稽古事の世界でも、いったん自分のスタイルが確立して、その作品や芸や試合を見る人に感動を与えたり、周りの人々を楽しく、嬉しい、幸せな気持ちにさせたりして、人から喜ばれる存在になることが、「道を究める」ということなのだと思います。
人に喜びを与え、信頼、尊敬される人になるには、まずは問答無用の世界「序」からはじめるのが第一歩です。この期間なくして、「破」や「急」には至りません。
そして、どの段階にまで達しても、自分の力や才能、努力だけでこの域まで来たのだと傲慢にならないことが大切です。 周りの人々や、目に見えない存在や力のおかげだったことを忘れない、感謝です。
そういった謙虚な気持ちで生き、人に喜ばれる存在になることを目的としながら、人として生を頂いたことにひたすら感謝し、黙々と人生を歩む人は、神様から好まれて、さまざまな支援を受けられるようです。
日本には「お稽古事は、六歳の六月六日からはじめると良い」という言い伝えがあります。
生まれたときの荒々しい心(野生のままのような心)を、幼少期から思春期にかけて行う稽古事によって、生きる道に磨きをかけることができる。このような考え方を日本人は持っていました。
さまざまな文化の神髄に、奥深さや気高さを持っている日本。この国に、日本人として生まれてきたことを幸せに思います。
仏教においては、業は、三つあるという。 身業、口業、意業だが、それには、よい面(善業)と悪い面(悪業)の両面がある。 身業とは、身体に表れるすべての行動や動作のこと。
その悪業としては、暴飲暴食、窃盗とか、暴力などがある。口業とは、口から出る言葉。悪業としては、嘘をつくこと、グチ、泣き言、不平不満、悪口、文句などがある。意業とは、心で思ったり感じたりすること。悪業としては、むやみに欲しがること、怒り、嫉妬、憤りなどがある。
これらの悪業を消すのに良い方法が、「道」のつく稽古事をすること。つまり、自分の幼児性を取り去ることによって自分勝手な心を正し、礼儀作法や、我慢すること、他人を思いやる心、弱者をいたわる心、卑怯を憎む心などを身につける、ということ。それは、品格を身につける、ということでもある。 日本人にとって、何か一つ、武道や稽古事を身につけることは、とても大事なこと。
参照:
小林正観 『嬉しく楽しく、幸せになってしまう世界へ、ようこそ』廣済堂出版
2015年07月14日
集団的自衛権違憲説で憲法学者は一致するも、政府は「決める」ことが優先
自民党の谷垣禎一幹事長は、集団的自衛権の行使容認を含む安全保障関連法案の審議時間が100時間を超え、十分な審議を尽くしたとの認識をもって衆院の採決し、参院に送ることを党内で発表(13日)した。また、審議後半に、維新の党、民主から対案が出された。これらのこともあって、内閣支持率は、反支持が増えて支持するが少数に逆転するところとなった。野党からの激しい反発をも踏まえ、15日の衆院平和安全法制特別委員会で採決する意向なので、明確にしたというところだ。
こうした、経過を観て、憲法学者の長谷部恭男・早稲田大教授と小林節・慶応大名誉教授が、衆院憲法審査会で安全保障関連法案を「違憲」と指摘した。長谷部教授は「95%を超える憲法学者が違憲だと考えているのではないか」とも語る。
憲法学者による疑義に対し、菅官房長官は、「安保法制を合憲と考える学者もたくさんいる」と反発したが、後日、「数(の問題)ではない」と述べ、事実上前言を撤回した。
そもそも、なぜ、圧倒的多数の憲法学者が集団的自衛権を違憲と考えるのだろうか。憲法が専門の木村草太・首都大学東京准教授に寄稿してもらった。
1.集団的自衛権を合憲とする人たちの論拠
政府・与党は、従来の政府見解を覆し、集団的自衛権の行使は合憲だといろいろと反論してきた。その反論は、ある意味、とても味わい深いものである。
まず、菅官房長官は、6月4日の憲法審査会の直後の記者会見で、「全く違憲でないと言う著名な憲法学者もたくさんいる」と述べた。しかし、解釈学的に見て、集団的自衛権を合憲とすることは不可能であり、合憲論者が「たくさん」と言えるほどいるはずがない。もちろん、合憲論者を一定数見つけることもできるが、それは、「ネッシーがいると信じている人」を探すのは、ネッシーそのものを探すよりは簡単だという現象に近い。数日後の報道を見る限り、菅官房長官は発言を事実上撤回したと言えるだろう。
ちなみに、合憲論者として政府・与党が名前を挙げた人のほとんどは、憲法9条をかなり厳格に解釈した上で、「許される武力行使の範囲が狭すぎる」という理由で改正を訴えてきた人たちである。改憲論の前提としての厳格な9条解釈と集団的自衛権行使合憲論を整合させるのは困難であり、当人の中でも論理的一貫性を保てていない場合が多いだろう。 また、合憲論の論拠は、主として、次の四つにまとめられるが、いずれも極めて薄弱である。
第一に、合憲論者は、しばしば、「憲法に集団的自衛権の規定がない」から、合憲だという。つまり、禁止と書いてないから合憲という論理だ。一部の憲法学者も、この論理で合憲説を唱えたことがある。しかし、先に述べたとおり、憲法9条には、武力行使やそのため戦力保有は禁止だと書いてある。いかなる名目であれ、「武力行使」一般が原則として禁止されているのだ。合憲論を唱えるなら、例外を認める条文を積極的に提示せねばならない。「憲法に集団的自衛権の規定がない」ことは、むしろ、違憲の理由だ。
第二に、合憲論者は、国際法で集団的自衛権が認められているのだから、その行使は合憲だという。昨年5月にまとめられた安保法制懇の報告書も、そのような論理を採用している。しかし、集団的自衛権の行使は、国際法上の義務ではない。つまり、集団的自衛権の行使を自国の憲法で制約することは、国際法上、当然合法である。国際法が集団的自衛権の行使を許容していることは、日本国憲法の下でそれが許容されることの根拠にはなりえない。
第三に、「自衛のための必要最小限度」や「日本の自衛の措置」に集団的自衛権の行使も含まれる、と主張する論者もいる。憲法審査会でも、公明党の北側議員がそう発言した。しかし、集団的「自衛権」というのがミスリーディングな用語であり、「他衛」のための権利であるというのは、国際法理解の基本だ。それにもかかわらず「自衛」だと強弁するのは、集団的自衛権の名の下に、日本への武力攻撃の着手もない段階で外国を攻撃する「先制攻撃」となろう。集団的自衛権は、本来、国際平和への貢献として他国のために行使するものだ。そこを正面から議論しない政府・与党は、「先制攻撃も憲法上許される自衛の措置だ」との解釈を前提としてしまうことに気付くべきだろう。
第四に、合憲論者は、最高裁砂川事件判決で、集団的自衛権の行使は合憲だと認められたと言う。これは、自民党の高村副総裁が好む論理で、安倍首相も同判決に言及して違憲説に反論した。しかし、この判決は、日本の自衛の措置として米軍駐留を認めることの合憲性を判断したものにすぎない。さらに、この判決は「憲法がいわゆる自衛のための戦力の保持をも禁じたものであるか否かは別として」と述べるなど、自衛隊を編成して個別的自衛権を行使することの合憲性すら判断を留保しており、どう考えても、集団的自衛権の合憲性を認めたものだとは言い難い。
2.集団的自衛権はなぜ違憲なのか
6月4日の憲法審査会で、参考人の憲法学者が集団的自衛権行使容認を違憲と断じた。このことの影響は大きく、政府・与党は釈明に追われている。もっとも、集団的自衛権行使容認違憲説は、ほとんどの憲法学者が一致して支持する学界通説である。まずは、「なぜ学説が集団的自衛権違憲説で一致するのか」確認しておこう。
日本国憲法では、憲法9条1項で戦争・武力行使が禁じられ、9条2項では「軍」の編成と「戦力」不保持が規定される。このため、外国政府への武力行使は原則として違憲であり、例外的に外国政府への武力行使をしようとするなら、9条の例外を認めるための根拠となる規定を示す必要がある。
「9条の例外を認めた規定はない」と考えるなら、個別的自衛権違憲説になる。森本氏(元防衛庁)など改憲論者の多くは、この見解を前提に、日本防衛のために改憲が必要だと言う。
では、個別的自衛権合憲説は、どのようなロジックによるのか。憲法13条は「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」は「国政の上で、最大の尊重を必要とする」と定める。
つまり、政府には、国内の安全を確保する義務が課されている。また、国内の主権を維持する活動は防衛「行政」であり、内閣の持つ行政権(憲法65条、73条)の範囲と説明することもできる。とすれば、自衛のための必要最小限度の実力行使は、9条の例外として許容される。これは、従来の政府見解であり、筆者もこの解釈は、十分な説得力があると考えている。
では、集団的自衛権の行使を基礎付ける憲法の条文は存在するか。これは、ネッシーを探すのと同じくらいに無理がある。国際法尊重や国際協調を宣言する文言はあるものの、これは、あくまで外国政府の尊重を宣言するものに過ぎない。「外国を防衛する義務」を政府に課す規定は、どこにも存在しない。
また、外国の防衛を援助するための武力行使は、「防衛行政」や「外交協力」の範囲には含まれず、「軍事」活動になるだろう。ところが、政府の権限を列挙した憲法73条には、「行政」と「外交」の権限があるだけで「軍事」の規定がない。政府が集団的自衛権を行使するのは、憲法で附与されていない軍事権の行使となり、越権行為になるだろう。
つまり、日本国憲法の下では、自衛隊が外国の政府との関係でなしうる活動は、防衛行政としての個別的自衛権の行使と、外交協力として専門技術者として派遣されるPKO活動などに限定せざるを得ない。
以上のように、個別的自衛権すら違憲と理解する憲法学者はもちろん、個別的自衛権は合憲と理解する憲法学者であっても、集団的自衛権の行使は違憲と解釈している。憲法学者の圧倒的多数は、解釈ロジックを明示してきたかどうかはともかく、集団的自衛権が違憲であると解釈していた。さらに、従来の政府も集団的自衛権は違憲だと説明してきたし、多くの国民もそう考えていた。だからこそ、集団的自衛権の行使を容認すべきだとする政治家や有識者は、改憲を訴えてきたのだ。
3.「まさか」の展開
このように、政府・与党の要人の発言は、不自然なほど突っ込みどころに溢れている。なぜ、こんな穴だらけの議論を展開するのだろうか。本当に日本の安全を強化するために法案を通したいなら、「集団的自衛権」という言葉にこだわらずに、「個別的自衛権」でできることを丁寧に検証していけばいいはずだ。
まさか、わざと穴のある議論を展開し、「国内の反対」を理由にアメリカの要請を断ろうと目論んででもいるのだろうか。なんとも不可解だ。
ちなみに、集団的自衛権を行使する要件とされる「存立危機事態」の文言は、憲法のみならず、国際法の観点からも問題がある。
国際司法裁判所の判決によれば集団的自衛権を行使できるのは、武力攻撃を受けた被害国が侵略を受けたことを宣言し、第三国に援助を要請した場合に限られる。ところが、今回の法案では、被害国からの要請は、「存立危機事態」の要件になっていない。もちろん、関連条文にその趣旨を読み込むこともできなくはないが、集団的自衛権を本気で行使したいのであれば、それを明示しないのは不自然だ。
まさか、法解釈学に精通した誰かが、集団的自衛権の行使を個別的自衛権の行使として説明できる範囲に限定する解釈をとらせるために、あえて集団的自衛権の行使に必要とされる国際法上の要件をはずしたのではないか。
そんな「まさか」を想定したくなるほど、今回の法案で集団的自衛権の行使を可能にすることには無理がある。こうした「まさか」は、山崎豊子先生の小説なみにスリリングで楽しいのだが、これを楽しむには、あまりに専門的な法体系の理解が必要だ。そんなものを国民が望んでいるはずはない。いや、国民は、それもすべて承知の上で、憲法学者の苦労を楽しんでいるのか? やれやれ。
いずれにしても、これだけは憲法学者として断言しよう。「個別的自衛権の範囲を超えた集団的自衛権の行使は違憲です。」
-----------
木村草太(きむら・そうた)
1980年生まれ。東京大学法学部卒。同助手を経て、現在、首都大学東京准教授。助手論文を基に『平等なき平等条項論』(東京大学出版会)を上梓。法科大学院での講義をまとめた『憲法の急所』(羽鳥書店)は「東大生協で最も売れている本」と話題に。著書に『キヨミズ准教授の法学入門』(星海社新書)、『憲法の創造力』(NHK出版新書)、『憲法学再入門』(西村裕一先生との共著・有斐閣)、『未完の憲法』(奥平康弘先生との共著・潮出版社)、『テレビが伝えない憲法の話』(PHP新書)、『憲法の条件――戦後70年から考える』(大澤真幸先生との共著・NHK出版新書)などがある。
参照:
THE PAGE 6月17日(水)↑
安保法制「合憲」論者・百地教授の反論 ↓
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150629-00003318-bengocom-soci
こうした、経過を観て、憲法学者の長谷部恭男・早稲田大教授と小林節・慶応大名誉教授が、衆院憲法審査会で安全保障関連法案を「違憲」と指摘した。長谷部教授は「95%を超える憲法学者が違憲だと考えているのではないか」とも語る。
憲法学者による疑義に対し、菅官房長官は、「安保法制を合憲と考える学者もたくさんいる」と反発したが、後日、「数(の問題)ではない」と述べ、事実上前言を撤回した。
そもそも、なぜ、圧倒的多数の憲法学者が集団的自衛権を違憲と考えるのだろうか。憲法が専門の木村草太・首都大学東京准教授に寄稿してもらった。
1.集団的自衛権を合憲とする人たちの論拠
政府・与党は、従来の政府見解を覆し、集団的自衛権の行使は合憲だといろいろと反論してきた。その反論は、ある意味、とても味わい深いものである。
まず、菅官房長官は、6月4日の憲法審査会の直後の記者会見で、「全く違憲でないと言う著名な憲法学者もたくさんいる」と述べた。しかし、解釈学的に見て、集団的自衛権を合憲とすることは不可能であり、合憲論者が「たくさん」と言えるほどいるはずがない。もちろん、合憲論者を一定数見つけることもできるが、それは、「ネッシーがいると信じている人」を探すのは、ネッシーそのものを探すよりは簡単だという現象に近い。数日後の報道を見る限り、菅官房長官は発言を事実上撤回したと言えるだろう。
ちなみに、合憲論者として政府・与党が名前を挙げた人のほとんどは、憲法9条をかなり厳格に解釈した上で、「許される武力行使の範囲が狭すぎる」という理由で改正を訴えてきた人たちである。改憲論の前提としての厳格な9条解釈と集団的自衛権行使合憲論を整合させるのは困難であり、当人の中でも論理的一貫性を保てていない場合が多いだろう。 また、合憲論の論拠は、主として、次の四つにまとめられるが、いずれも極めて薄弱である。
第一に、合憲論者は、しばしば、「憲法に集団的自衛権の規定がない」から、合憲だという。つまり、禁止と書いてないから合憲という論理だ。一部の憲法学者も、この論理で合憲説を唱えたことがある。しかし、先に述べたとおり、憲法9条には、武力行使やそのため戦力保有は禁止だと書いてある。いかなる名目であれ、「武力行使」一般が原則として禁止されているのだ。合憲論を唱えるなら、例外を認める条文を積極的に提示せねばならない。「憲法に集団的自衛権の規定がない」ことは、むしろ、違憲の理由だ。
第二に、合憲論者は、国際法で集団的自衛権が認められているのだから、その行使は合憲だという。昨年5月にまとめられた安保法制懇の報告書も、そのような論理を採用している。しかし、集団的自衛権の行使は、国際法上の義務ではない。つまり、集団的自衛権の行使を自国の憲法で制約することは、国際法上、当然合法である。国際法が集団的自衛権の行使を許容していることは、日本国憲法の下でそれが許容されることの根拠にはなりえない。
第三に、「自衛のための必要最小限度」や「日本の自衛の措置」に集団的自衛権の行使も含まれる、と主張する論者もいる。憲法審査会でも、公明党の北側議員がそう発言した。しかし、集団的「自衛権」というのがミスリーディングな用語であり、「他衛」のための権利であるというのは、国際法理解の基本だ。それにもかかわらず「自衛」だと強弁するのは、集団的自衛権の名の下に、日本への武力攻撃の着手もない段階で外国を攻撃する「先制攻撃」となろう。集団的自衛権は、本来、国際平和への貢献として他国のために行使するものだ。そこを正面から議論しない政府・与党は、「先制攻撃も憲法上許される自衛の措置だ」との解釈を前提としてしまうことに気付くべきだろう。
第四に、合憲論者は、最高裁砂川事件判決で、集団的自衛権の行使は合憲だと認められたと言う。これは、自民党の高村副総裁が好む論理で、安倍首相も同判決に言及して違憲説に反論した。しかし、この判決は、日本の自衛の措置として米軍駐留を認めることの合憲性を判断したものにすぎない。さらに、この判決は「憲法がいわゆる自衛のための戦力の保持をも禁じたものであるか否かは別として」と述べるなど、自衛隊を編成して個別的自衛権を行使することの合憲性すら判断を留保しており、どう考えても、集団的自衛権の合憲性を認めたものだとは言い難い。
2.集団的自衛権はなぜ違憲なのか
6月4日の憲法審査会で、参考人の憲法学者が集団的自衛権行使容認を違憲と断じた。このことの影響は大きく、政府・与党は釈明に追われている。もっとも、集団的自衛権行使容認違憲説は、ほとんどの憲法学者が一致して支持する学界通説である。まずは、「なぜ学説が集団的自衛権違憲説で一致するのか」確認しておこう。
日本国憲法では、憲法9条1項で戦争・武力行使が禁じられ、9条2項では「軍」の編成と「戦力」不保持が規定される。このため、外国政府への武力行使は原則として違憲であり、例外的に外国政府への武力行使をしようとするなら、9条の例外を認めるための根拠となる規定を示す必要がある。
「9条の例外を認めた規定はない」と考えるなら、個別的自衛権違憲説になる。森本氏(元防衛庁)など改憲論者の多くは、この見解を前提に、日本防衛のために改憲が必要だと言う。
では、個別的自衛権合憲説は、どのようなロジックによるのか。憲法13条は「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」は「国政の上で、最大の尊重を必要とする」と定める。
つまり、政府には、国内の安全を確保する義務が課されている。また、国内の主権を維持する活動は防衛「行政」であり、内閣の持つ行政権(憲法65条、73条)の範囲と説明することもできる。とすれば、自衛のための必要最小限度の実力行使は、9条の例外として許容される。これは、従来の政府見解であり、筆者もこの解釈は、十分な説得力があると考えている。
では、集団的自衛権の行使を基礎付ける憲法の条文は存在するか。これは、ネッシーを探すのと同じくらいに無理がある。国際法尊重や国際協調を宣言する文言はあるものの、これは、あくまで外国政府の尊重を宣言するものに過ぎない。「外国を防衛する義務」を政府に課す規定は、どこにも存在しない。
また、外国の防衛を援助するための武力行使は、「防衛行政」や「外交協力」の範囲には含まれず、「軍事」活動になるだろう。ところが、政府の権限を列挙した憲法73条には、「行政」と「外交」の権限があるだけで「軍事」の規定がない。政府が集団的自衛権を行使するのは、憲法で附与されていない軍事権の行使となり、越権行為になるだろう。
つまり、日本国憲法の下では、自衛隊が外国の政府との関係でなしうる活動は、防衛行政としての個別的自衛権の行使と、外交協力として専門技術者として派遣されるPKO活動などに限定せざるを得ない。
以上のように、個別的自衛権すら違憲と理解する憲法学者はもちろん、個別的自衛権は合憲と理解する憲法学者であっても、集団的自衛権の行使は違憲と解釈している。憲法学者の圧倒的多数は、解釈ロジックを明示してきたかどうかはともかく、集団的自衛権が違憲であると解釈していた。さらに、従来の政府も集団的自衛権は違憲だと説明してきたし、多くの国民もそう考えていた。だからこそ、集団的自衛権の行使を容認すべきだとする政治家や有識者は、改憲を訴えてきたのだ。
3.「まさか」の展開
このように、政府・与党の要人の発言は、不自然なほど突っ込みどころに溢れている。なぜ、こんな穴だらけの議論を展開するのだろうか。本当に日本の安全を強化するために法案を通したいなら、「集団的自衛権」という言葉にこだわらずに、「個別的自衛権」でできることを丁寧に検証していけばいいはずだ。
まさか、わざと穴のある議論を展開し、「国内の反対」を理由にアメリカの要請を断ろうと目論んででもいるのだろうか。なんとも不可解だ。
ちなみに、集団的自衛権を行使する要件とされる「存立危機事態」の文言は、憲法のみならず、国際法の観点からも問題がある。
国際司法裁判所の判決によれば集団的自衛権を行使できるのは、武力攻撃を受けた被害国が侵略を受けたことを宣言し、第三国に援助を要請した場合に限られる。ところが、今回の法案では、被害国からの要請は、「存立危機事態」の要件になっていない。もちろん、関連条文にその趣旨を読み込むこともできなくはないが、集団的自衛権を本気で行使したいのであれば、それを明示しないのは不自然だ。
まさか、法解釈学に精通した誰かが、集団的自衛権の行使を個別的自衛権の行使として説明できる範囲に限定する解釈をとらせるために、あえて集団的自衛権の行使に必要とされる国際法上の要件をはずしたのではないか。
そんな「まさか」を想定したくなるほど、今回の法案で集団的自衛権の行使を可能にすることには無理がある。こうした「まさか」は、山崎豊子先生の小説なみにスリリングで楽しいのだが、これを楽しむには、あまりに専門的な法体系の理解が必要だ。そんなものを国民が望んでいるはずはない。いや、国民は、それもすべて承知の上で、憲法学者の苦労を楽しんでいるのか? やれやれ。
いずれにしても、これだけは憲法学者として断言しよう。「個別的自衛権の範囲を超えた集団的自衛権の行使は違憲です。」
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木村草太(きむら・そうた)
1980年生まれ。東京大学法学部卒。同助手を経て、現在、首都大学東京准教授。助手論文を基に『平等なき平等条項論』(東京大学出版会)を上梓。法科大学院での講義をまとめた『憲法の急所』(羽鳥書店)は「東大生協で最も売れている本」と話題に。著書に『キヨミズ准教授の法学入門』(星海社新書)、『憲法の創造力』(NHK出版新書)、『憲法学再入門』(西村裕一先生との共著・有斐閣)、『未完の憲法』(奥平康弘先生との共著・潮出版社)、『テレビが伝えない憲法の話』(PHP新書)、『憲法の条件――戦後70年から考える』(大澤真幸先生との共著・NHK出版新書)などがある。
参照:
THE PAGE 6月17日(水)↑
安保法制「合憲」論者・百地教授の反論 ↓
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150629-00003318-bengocom-soci
2015年07月13日
「違憲」学者より最高裁の「1972年時点の合憲判断」が重要だと菅氏指摘!
菅義偉官房長官は7月9日の記者会見で、集団的自衛権行使を可能にする安全保障関連法案をめぐり憲法学者件から「違憲」との指摘が相次いでいることに不快感を示した。「意見が多数派か少数派かであるかは重要ではない」と述べた。
同時に「合憲か違憲かを判断するのは憲法で違憲立法審査権を与えられている最高裁だ」と指摘。「安保法案は1972年の政府見解の基本的論理に基づいたもので、現憲法の論理の枠内に収まっていると自信を持っている」と強調した。
出典 :2015/07/09【共同通信】
参照:「TV報道ステーション」による憲法判例百選の執筆者198人にアンケート調査で、151人返信があった。 (調査期間6月6日〜12日 他界した人や辞退した人などを除き、アンケート票を送付)
下記(末尾)より、自身の見解を実名で公開してもいいとされた方々のお名前をクリックすると、解説内容もご覧になれます。
憲法学者に聞いた〜安保法制に関するアンケート調査の最終結果
:::::::::::::
法律学の世界では憲法、特に第9条を巡る研究や論争が、実際に起きている紛争をいかに裁くか、権利のぶつかり合いをいかに解決するかといった現実を対象にしたものになっていません。そのため、条文の教条的な解釈の中で研究者の主観的な思いや自制が優先してしまっているとか、現実的ではないとの声も出始めている。
例えば民法、会社法、税法といった法律に関する法律学の研究は、現実に発生した争いを裁く上で、法律の条文の解釈は如何にあるべきかというアプローチが中心になっていると言えます。
ところが、憲法第81条(「最高裁判所は一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である」)が規定するように、有権的な憲法解釈を行なう権限を有するのは最高裁判所であるにも拘らず、特に最近は、最高裁が判決の中で憲法解釈を行なった事例が非常に少ないのです。
実際、平成元年から先月末までの27年半の間の最高裁の判例は3023件ありますが、このうち判決中で憲法を参照しているのは330件(全体の10.9%)、更にそのうち憲法第9条を参照したものはわずか2件(全体の0.07%)しかありません(最高裁判例集)。
高裁から最高裁に上告できるのは、憲法解釈に絡む案件、高裁以下の判決が最高裁判例に反している案件などに限られるとはいえ、最高裁の判決で憲法解釈を行なっている事例は非常に少ないのです。
ちなみに、憲法の条文が最高裁判決で参照された案件を時系列でみると、憲法制定当初の昭和20年代には8年間で792件もありました。昭和50年代も563件と多かったのですが、平成に入ると大きく減少していることが分かります。 判例、つまり現実の争いごとを法律に従って解決する上で憲法が使われた事例は、平成に入ってからは本当に少なくなっていると言えます。
特に憲法第9条は、実際の裁判例ではほとんど使われていないと言っても過言ではありません。従って、法律学の世界での憲法第9条を巡る論争は現実を対象としたものではなくなり、唱えた学説が現実の紛争解決の上で役に立つものか否かという面から検証されることも少なってしまっているのではないでしょうか。だからこそ、憲法第9条を対象にした研究や論文も少ないのだと思います。加えて言えば、憲法の研究においては、しばしば諸外国との比較が重要性を持ちますが、第9条は日本独自のものなので、諸外国の憲法の国防規定との比較研究の対象にもなりにくいという問題もあります。
ちなみに、自衛隊が創設から60年を経過し、その間に災害救助などで実績をあげ、国民からはかなり信頼される存在になって自衛隊が国民に受け入れられているのか、という点について研究した憲法学者もほぼ皆無です。
ところで、こうした現実の下で、国会で安保関連法案を違憲と断じた憲法学者も、実は第9条の解釈には幅を持たせており、条文の字義どおりの解釈よりは柔軟な対応を許容している点には留意すべきだと思います。
例えば、長谷部恭男・早稲田大学教授は「憲法第6版」(2014年)において、「憲法9条の定める理想は理想として尊重するが、現実には、その時々の情勢判断によって、保持する軍備の水準、同盟を組む相手国等を、それらが全体として日本を危険にするか安全にするか、安全にするとしてもいかなるコストにおいてかなどを勘案しながら決定していくしかない」と述べています。
また、小林節・慶應義塾大学名誉教授は「憲法守って国滅ぶ」(1992年)において、「憲法は、本来的に、解釈の変更による柔軟な運用が期待されている。…したがって、9条の基本精神である『侵略せず』を害してはいけないが、その範囲内であれば、ある意味では何でもできるわけである」と主張しています。ちなみに、小林名誉教授は2013年には、このダイヤモンド・オンラインのインタビューの中で(2013年7月26日)、「日本は集団的自衛権を持っていると解釈を変更するべきでしょう」とも述べていました。このように、憲法学者自身も“はみ出し”の範囲については揺れているのです。
既に述べたように、最高裁での憲法解釈が非常に少ない中で、法律学の世界での憲法解釈は現実への適応という要素が薄くなっています。北東アジアをはじめとする国際的な安全保障情勢は大きく変化し、その中で国際社会が日本に期待する役割も“世界の平和に貢献する国”へと変化しています。
即ち、安倍政権が国会に提出している安保関連法案は、第9条の解釈で自分たちが許容する字義どおりの解釈からの“はみ出し”の範囲をどう整理するかの考えがみられます。一方で、多くの憲法学者が、現時点での「違憲」と判断したというのは重く受け止めねばなりません。
そうした安全保障環境の変化という現実を踏まえつつも、「違憲」と断じた専門家が多いこと、果たして第9条の字義どおりの解釈からの“はみ出し”はどこまで許容されるべきかについて参考としつつ、憲法上主権者と明示されている国民自らが主体的に考えることが必要であり、国会の数の論理では推し進めてほしくない。まして、戦前は国民の半分である女性を参政権から排除していたのも旧憲法だった。
敗戦を経験し、二度と戦争には関わらないでとの遺言とも言える「平和の国」の憲法が残された。21世紀の主権者である戦争を知らない世代の国民に、18歳の新たな有権者も加わる時でもあるから、よくよく未来にむけて憲法の”はみ出し”がどこまで許されるか目を光らせねばならない。それでは、家族、母、姉妹を思って命を捧げて戦場に逝った男たち、まだ帰ってこない幾柱もの屍が犬死となるからだ。
参照:
岸 博幸(一橋大学経済学部86年卒。通産省、総務(竹中平蔵)大臣秘書官等を経て、慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科教授)へのダイヤモンド・オンラインインタヴュー 7月10日
同時に「合憲か違憲かを判断するのは憲法で違憲立法審査権を与えられている最高裁だ」と指摘。「安保法案は1972年の政府見解の基本的論理に基づいたもので、現憲法の論理の枠内に収まっていると自信を持っている」と強調した。
出典 :2015/07/09【共同通信】
参照:「TV報道ステーション」による憲法判例百選の執筆者198人にアンケート調査で、151人返信があった。 (調査期間6月6日〜12日 他界した人や辞退した人などを除き、アンケート票を送付)
下記(末尾)より、自身の見解を実名で公開してもいいとされた方々のお名前をクリックすると、解説内容もご覧になれます。
憲法学者に聞いた〜安保法制に関するアンケート調査の最終結果
:::::::::::::
法律学の世界では憲法、特に第9条を巡る研究や論争が、実際に起きている紛争をいかに裁くか、権利のぶつかり合いをいかに解決するかといった現実を対象にしたものになっていません。そのため、条文の教条的な解釈の中で研究者の主観的な思いや自制が優先してしまっているとか、現実的ではないとの声も出始めている。
例えば民法、会社法、税法といった法律に関する法律学の研究は、現実に発生した争いを裁く上で、法律の条文の解釈は如何にあるべきかというアプローチが中心になっていると言えます。
ところが、憲法第81条(「最高裁判所は一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である」)が規定するように、有権的な憲法解釈を行なう権限を有するのは最高裁判所であるにも拘らず、特に最近は、最高裁が判決の中で憲法解釈を行なった事例が非常に少ないのです。
実際、平成元年から先月末までの27年半の間の最高裁の判例は3023件ありますが、このうち判決中で憲法を参照しているのは330件(全体の10.9%)、更にそのうち憲法第9条を参照したものはわずか2件(全体の0.07%)しかありません(最高裁判例集)。
高裁から最高裁に上告できるのは、憲法解釈に絡む案件、高裁以下の判決が最高裁判例に反している案件などに限られるとはいえ、最高裁の判決で憲法解釈を行なっている事例は非常に少ないのです。
ちなみに、憲法の条文が最高裁判決で参照された案件を時系列でみると、憲法制定当初の昭和20年代には8年間で792件もありました。昭和50年代も563件と多かったのですが、平成に入ると大きく減少していることが分かります。 判例、つまり現実の争いごとを法律に従って解決する上で憲法が使われた事例は、平成に入ってからは本当に少なくなっていると言えます。
特に憲法第9条は、実際の裁判例ではほとんど使われていないと言っても過言ではありません。従って、法律学の世界での憲法第9条を巡る論争は現実を対象としたものではなくなり、唱えた学説が現実の紛争解決の上で役に立つものか否かという面から検証されることも少なってしまっているのではないでしょうか。だからこそ、憲法第9条を対象にした研究や論文も少ないのだと思います。加えて言えば、憲法の研究においては、しばしば諸外国との比較が重要性を持ちますが、第9条は日本独自のものなので、諸外国の憲法の国防規定との比較研究の対象にもなりにくいという問題もあります。
ちなみに、自衛隊が創設から60年を経過し、その間に災害救助などで実績をあげ、国民からはかなり信頼される存在になって自衛隊が国民に受け入れられているのか、という点について研究した憲法学者もほぼ皆無です。
ところで、こうした現実の下で、国会で安保関連法案を違憲と断じた憲法学者も、実は第9条の解釈には幅を持たせており、条文の字義どおりの解釈よりは柔軟な対応を許容している点には留意すべきだと思います。
例えば、長谷部恭男・早稲田大学教授は「憲法第6版」(2014年)において、「憲法9条の定める理想は理想として尊重するが、現実には、その時々の情勢判断によって、保持する軍備の水準、同盟を組む相手国等を、それらが全体として日本を危険にするか安全にするか、安全にするとしてもいかなるコストにおいてかなどを勘案しながら決定していくしかない」と述べています。
また、小林節・慶應義塾大学名誉教授は「憲法守って国滅ぶ」(1992年)において、「憲法は、本来的に、解釈の変更による柔軟な運用が期待されている。…したがって、9条の基本精神である『侵略せず』を害してはいけないが、その範囲内であれば、ある意味では何でもできるわけである」と主張しています。ちなみに、小林名誉教授は2013年には、このダイヤモンド・オンラインのインタビューの中で(2013年7月26日)、「日本は集団的自衛権を持っていると解釈を変更するべきでしょう」とも述べていました。このように、憲法学者自身も“はみ出し”の範囲については揺れているのです。
既に述べたように、最高裁での憲法解釈が非常に少ない中で、法律学の世界での憲法解釈は現実への適応という要素が薄くなっています。北東アジアをはじめとする国際的な安全保障情勢は大きく変化し、その中で国際社会が日本に期待する役割も“世界の平和に貢献する国”へと変化しています。
即ち、安倍政権が国会に提出している安保関連法案は、第9条の解釈で自分たちが許容する字義どおりの解釈からの“はみ出し”の範囲をどう整理するかの考えがみられます。一方で、多くの憲法学者が、現時点での「違憲」と判断したというのは重く受け止めねばなりません。
そうした安全保障環境の変化という現実を踏まえつつも、「違憲」と断じた専門家が多いこと、果たして第9条の字義どおりの解釈からの“はみ出し”はどこまで許容されるべきかについて参考としつつ、憲法上主権者と明示されている国民自らが主体的に考えることが必要であり、国会の数の論理では推し進めてほしくない。まして、戦前は国民の半分である女性を参政権から排除していたのも旧憲法だった。
敗戦を経験し、二度と戦争には関わらないでとの遺言とも言える「平和の国」の憲法が残された。21世紀の主権者である戦争を知らない世代の国民に、18歳の新たな有権者も加わる時でもあるから、よくよく未来にむけて憲法の”はみ出し”がどこまで許されるか目を光らせねばならない。それでは、家族、母、姉妹を思って命を捧げて戦場に逝った男たち、まだ帰ってこない幾柱もの屍が犬死となるからだ。
参照:
岸 博幸(一橋大学経済学部86年卒。通産省、総務(竹中平蔵)大臣秘書官等を経て、慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科教授)へのダイヤモンド・オンラインインタヴュー 7月10日
2015年07月12日
観光人気都市、2年連続で日本(京都)が世界一
米国の有名旅行雑誌「Travel+Leisure(トラベル・アンド・レジャー)」は7日、同誌が行う2015年の世界人気都市ランキングで、京都市が昨年に続いて1位になったと発表した。
世界の観光動向にも影響があるとされる同誌のランキングで、2年連続の「世界一」を獲得したことにより、国際的な注目度の高まりや外国人観光客の増加につながりそうだ。
同誌は北米の富裕層向けに月100万部発行。ランキングは読者投票を基に「風景」や「文化・芸術」、「レストラン・食べ物」など6項目で採点しており、京都市は計91・22点でトップだった。もっとも、予備知識をえられるようになって、当初のような感動からは減じていることが、アンケート調査の昨年比からみられる。 市は「感動は期待以上のことがあった場合に起きるが、事前に伝わっている情報によって期待値が高くなっているのでは」と分析。
今最も注目を集めているのは「旅館」。テレビドラマなどの影響でロマンチックなカップル旅行としてのイメージが広がった。今年4月の日本旅行に関するネット検索は約4万7千件あり、うち約3割で「旅館」というキーワードが入っていた。特にグルメと温泉と和室がセットになった旅館が人気を集めている。京都の旅館の予約は「温泉がない」「予約困難のイメージがある」などで、九州などに流れているといることも起きているので、旅館専門の予約サイトも相次いで開設されているという。
門川大作市長は「社寺や事業者、市民と一丸で観光振興策を展開した。こうした成果を今後、経済活性化や市民生活の向上、安定した雇用に結びつけたい」と話している。市は、再度の第一位の高評価について、屋外広告物の規制による街並み改善や、公衆無線LAN拡大など外国人観光客の受け入れ環境整備が要因の一つとみている。 表彰式は23日に米国ニューヨークであり、市幹部が出席する予定。
参照:
京都新聞 7月7日
世界の観光動向にも影響があるとされる同誌のランキングで、2年連続の「世界一」を獲得したことにより、国際的な注目度の高まりや外国人観光客の増加につながりそうだ。
同誌は北米の富裕層向けに月100万部発行。ランキングは読者投票を基に「風景」や「文化・芸術」、「レストラン・食べ物」など6項目で採点しており、京都市は計91・22点でトップだった。もっとも、予備知識をえられるようになって、当初のような感動からは減じていることが、アンケート調査の昨年比からみられる。 市は「感動は期待以上のことがあった場合に起きるが、事前に伝わっている情報によって期待値が高くなっているのでは」と分析。
今最も注目を集めているのは「旅館」。テレビドラマなどの影響でロマンチックなカップル旅行としてのイメージが広がった。今年4月の日本旅行に関するネット検索は約4万7千件あり、うち約3割で「旅館」というキーワードが入っていた。特にグルメと温泉と和室がセットになった旅館が人気を集めている。京都の旅館の予約は「温泉がない」「予約困難のイメージがある」などで、九州などに流れているといることも起きているので、旅館専門の予約サイトも相次いで開設されているという。
門川大作市長は「社寺や事業者、市民と一丸で観光振興策を展開した。こうした成果を今後、経済活性化や市民生活の向上、安定した雇用に結びつけたい」と話している。市は、再度の第一位の高評価について、屋外広告物の規制による街並み改善や、公衆無線LAN拡大など外国人観光客の受け入れ環境整備が要因の一つとみている。 表彰式は23日に米国ニューヨークであり、市幹部が出席する予定。
参照:
京都新聞 7月7日
2015年07月11日
映画「ひろしま」の上映会
制作 1953年(原爆被爆後8年) 監督 関川秀雄 上映時間 104分
キャスト 月丘 夢路、岡田 英次、加藤 嘉、山田 五十鈴
第5回ベルリン国際映画祭長編映画賞を受賞
自らも広島で被爆した教育学者・長田新が編纂した文集「原爆の子〜広島の少年少女のうったえ」を広島の市民、教職員組合などの全面的な協力のもとで映画化、多数の広島市の中学生・高校生と父母も加わり、約8万8500人が手弁当のエキストラとして参加した。戦時中の服装や鉄カブト等は、広島県下の各市町村の住民から約4000点が寄せられた。これらの広島県民の協力なくしてはあり得なかっただろう。
上映日時: 2015年7月25日(土)
@ 10:00 A 14:00 B 18:00
■会 場: けやきプラザ 2階 ふれあいホール
■チケット: 大人/大学生 1,000円 高校生 500円 中学生以下 無料
■主 催: あびこで映画「ひろしま」を観る会
■後 援: 我孫子市 我孫子市教育委員会 我孫子市社会福祉協議会
我孫子市原爆被爆者の会 他
※ 詳細については、http://peace-abiko.blogspot.jp/をクリックするとチラシが出ます。
★女優・吉永小百合さんからの推薦メッセージ(クリックで拡大)
上記の上映会については、とても内容が良いので、どうぞお誘いあわせでいらしてくださいと下記のようにメールが相次いでいます。
-----Original Message-----
Sent: Monday, July 06, 2015 8:48 PM
Subject: 再び映画「ひろしま」のご案内
今年は終戦70周年ということで、我孫子市の中学生の広島派遣も昨年から倍増して24名の子どもたちが行ってきます。その際、「平和の灯」を我孫子市に運んでくる予定です。
この点火式は8月15日(土)9時半より手賀沼公園内原爆慰霊碑前で行われます。
ぜひこちらにもお運びください。
お子様お孫様にも映画を見ていただけたらと願っています。
上映は朝、午後、夜と3回あります。当日券も十分にありますので、お待ちしています。
-----Original Message-----
Sent: Sunday, July 05, 2015 10:50 AM
Subject: 映画「ひろしま」のご紹介をお願いします
今回、映画「ひろしま」の上映会を我孫子市で開催することはご存知かと思いますが、ご連絡いただければありがたいと思いメールさせて頂きました。外国の方にもぜひ見ていただきたいと思いますので、ご紹介の程、よろしくお願いいたします。映画チラシを添付しておきます。
お問合せ
あびこで映画「ひろしま」を観る会 小林博三津
Tel 090−8051−4048
2015年07月10日
映画「アンブロークン」 意味は「不屈」。
戦後70年、1本の映画が、日本の過去への向き合い方を問うている。人気俳優アンジェリーナ・ジョリーさんが監督した映画「アンブロークン」の日本公開をめぐり揺れている。米国でヒットし50カ国以上で公開されながら、国内では配給会社すら未定。旧日本軍の捕虜虐待を描いた内容に、ネットなどで「反日映画」とボイコット運動が起きているためだ。
■「阻止を」ネットで連日批判
「日本貶め映画」「どんどん抗議の声を上げていくべきだ」――。
フェイスブック上に不穏な言葉が躍る。「アンジェリーナ・ジョリーの反日映画を阻止しよう!」と名付けられたページには1200人以上が参加し、連日、映画批判が投稿される。
「アンブロークン」は米国で昨年末から3千館以上で上映。興行収入は1億ドルを超えた。
日本では映画化が報じられた昨夏ごろからネットで批判が始まった。署名サイト「Change.org」ではジョリーさん宛ての上映反対キャンペーンに約1万人が賛同。「東京裁判史観を変えない限り、第2のアンジェリーナは現れる」と内容は歴史認識へも波及。捕虜を虐待する伍長を演じたギタリストMIYAVI(石原貴雅)さんに対しても「売国奴」などの中傷が繰り返された。原作にある「捕虜が生きたまま食べられた」との根拠が不確かな記述も反発の理由になっているが、映画にその場面はない。
配給元のユニバーサル・ピクチャーズの作品を国内で上映してきた東宝東和の八代英彦取締役は「いざという時に矢面に立つのは劇場。簡単に踏み切れない」と話す。同社にも「公開するな」との電話が数本あったという。一方、「Change.org」では日本公開を求める東宝東和宛ての署名も1200人集まっている。
中国や韓国では既に公開され、日本の動きは欧米など海外メディアも注目。日本の歴史修正主義や「右傾化」と絡めて報じられている。海外メディアの取材を何度か受けた「史実を世界に発信する会」(東京)の茂木弘道事務局長は「映画は見ていないが、事実無根の思い込みや決めつけによる作品で、上映の必要はない。日本人性悪説に基づいた人種差別だ」と語る。同会は渡部昇一・上智大名誉教授らが顧問に就く。
ジョリーさんは、複数の取材に対し「反日映画ではなく許しの物語だ。映画を見てもらえればわかる」と強調している。(石川智也)
■日本不信招く/目、背けたいだけ 上映ボイコット運動、危ぶむ声
実際に見た人の感想はどうか。ニューヨークに住む映画監督、想田和弘さんは「虐待場面が長い割に伍長の内面や暴力の理由が分からない。日本人が感情移入するのは難しい」と内容への評価は厳しい。ただ、「ホロコーストを扱った映画がドイツで公開できないとしたら、世界はどう見るか。日本の戦後の取り組み自体に不信感を抱かれかねない」と上映阻止運動を危ぶむ。
英インディペンデント紙のデイビッド・マクニール記者も「見もせずに攻撃している人たちは、不都合な真実から目を背けたいだけでは」。元伍長は98年、ザンペリーニ氏の来日を機に米CBSテレビの取材に、捕虜への暴力を認めている。
マクニールさんは、同様に日本軍の捕虜虐待を扱った映画「戦場にかける橋」(57年)や「戦場のメリークリスマス」(83年)を挙げ、「これらの公開が問題になっただろうか。日本の変化は危うい」と話した。
日本では数年前、中国人監督の「靖国」(07年)や和歌山のイルカ漁を糾弾した「ザ・コーヴ」(09年)の封切りが、抗議活動で中止に追い込まれた。自ら「靖国」の上映会を開いた右翼団体代表の河原博史さんは「見もせずに反日と決めつけるなど論外だ。見た上で論理的に批評すべきだ」。
ユニバーサル・ピクチャーズ・インターナショナルのダンカン・クラーク社長は、朝日新聞の取材に「アンブロークンを通じていかなる政治的メッセージも広める意思はない。日本での公開は未定だ」と答えた。
MIYAVIさんは「国境や人種の壁を越えて、ザンペリーニ氏のいち人間としての『赦(ゆる)し』という心の境地に至るまでの過程や、生命の強さ、尊さを、映画を見て下さる全ての方々が一緒に考えるきっかけの一助になれれば本望です」とコメントした。
◆キーワード
太平洋戦争で旧日本軍の捕虜となった米国の元五輪陸上選手ルイス・ザンペリーニ氏(1917〜2014)の半生を描く。原作は全米ベストセラーのノンフィクション。爆撃機が太平洋に不時着し、捕らえられたザンペリーニ氏は、東京・大森や新潟・直江津の収容所で2年にわたり虐待を受けた。竹刀やベルトのバックルで殴られ、捕虜同士で殴り合いもさせられた。戦後は復讐心に苦しんだが、キリスト教の「許し」の教えに救われ、1998年の長野五輪で80歳の聖火ランナーとしてかつての敵国を訪れる。
http://digital.asahi.com/articles/DA3S11653749.html?iref=comkiji_txt_end_s_kjid_DA3S11653749;
asahi shinnbunn dejitarl 3/17
■「阻止を」ネットで連日批判
「日本貶め映画」「どんどん抗議の声を上げていくべきだ」――。
フェイスブック上に不穏な言葉が躍る。「アンジェリーナ・ジョリーの反日映画を阻止しよう!」と名付けられたページには1200人以上が参加し、連日、映画批判が投稿される。
「アンブロークン」は米国で昨年末から3千館以上で上映。興行収入は1億ドルを超えた。
日本では映画化が報じられた昨夏ごろからネットで批判が始まった。署名サイト「Change.org」ではジョリーさん宛ての上映反対キャンペーンに約1万人が賛同。「東京裁判史観を変えない限り、第2のアンジェリーナは現れる」と内容は歴史認識へも波及。捕虜を虐待する伍長を演じたギタリストMIYAVI(石原貴雅)さんに対しても「売国奴」などの中傷が繰り返された。原作にある「捕虜が生きたまま食べられた」との根拠が不確かな記述も反発の理由になっているが、映画にその場面はない。
配給元のユニバーサル・ピクチャーズの作品を国内で上映してきた東宝東和の八代英彦取締役は「いざという時に矢面に立つのは劇場。簡単に踏み切れない」と話す。同社にも「公開するな」との電話が数本あったという。一方、「Change.org」では日本公開を求める東宝東和宛ての署名も1200人集まっている。
中国や韓国では既に公開され、日本の動きは欧米など海外メディアも注目。日本の歴史修正主義や「右傾化」と絡めて報じられている。海外メディアの取材を何度か受けた「史実を世界に発信する会」(東京)の茂木弘道事務局長は「映画は見ていないが、事実無根の思い込みや決めつけによる作品で、上映の必要はない。日本人性悪説に基づいた人種差別だ」と語る。同会は渡部昇一・上智大名誉教授らが顧問に就く。
ジョリーさんは、複数の取材に対し「反日映画ではなく許しの物語だ。映画を見てもらえればわかる」と強調している。(石川智也)
■日本不信招く/目、背けたいだけ 上映ボイコット運動、危ぶむ声
実際に見た人の感想はどうか。ニューヨークに住む映画監督、想田和弘さんは「虐待場面が長い割に伍長の内面や暴力の理由が分からない。日本人が感情移入するのは難しい」と内容への評価は厳しい。ただ、「ホロコーストを扱った映画がドイツで公開できないとしたら、世界はどう見るか。日本の戦後の取り組み自体に不信感を抱かれかねない」と上映阻止運動を危ぶむ。
英インディペンデント紙のデイビッド・マクニール記者も「見もせずに攻撃している人たちは、不都合な真実から目を背けたいだけでは」。元伍長は98年、ザンペリーニ氏の来日を機に米CBSテレビの取材に、捕虜への暴力を認めている。
マクニールさんは、同様に日本軍の捕虜虐待を扱った映画「戦場にかける橋」(57年)や「戦場のメリークリスマス」(83年)を挙げ、「これらの公開が問題になっただろうか。日本の変化は危うい」と話した。
日本では数年前、中国人監督の「靖国」(07年)や和歌山のイルカ漁を糾弾した「ザ・コーヴ」(09年)の封切りが、抗議活動で中止に追い込まれた。自ら「靖国」の上映会を開いた右翼団体代表の河原博史さんは「見もせずに反日と決めつけるなど論外だ。見た上で論理的に批評すべきだ」。
ユニバーサル・ピクチャーズ・インターナショナルのダンカン・クラーク社長は、朝日新聞の取材に「アンブロークンを通じていかなる政治的メッセージも広める意思はない。日本での公開は未定だ」と答えた。
MIYAVIさんは「国境や人種の壁を越えて、ザンペリーニ氏のいち人間としての『赦(ゆる)し』という心の境地に至るまでの過程や、生命の強さ、尊さを、映画を見て下さる全ての方々が一緒に考えるきっかけの一助になれれば本望です」とコメントした。
◆キーワード
太平洋戦争で旧日本軍の捕虜となった米国の元五輪陸上選手ルイス・ザンペリーニ氏(1917〜2014)の半生を描く。原作は全米ベストセラーのノンフィクション。爆撃機が太平洋に不時着し、捕らえられたザンペリーニ氏は、東京・大森や新潟・直江津の収容所で2年にわたり虐待を受けた。竹刀やベルトのバックルで殴られ、捕虜同士で殴り合いもさせられた。戦後は復讐心に苦しんだが、キリスト教の「許し」の教えに救われ、1998年の長野五輪で80歳の聖火ランナーとしてかつての敵国を訪れる。
http://digital.asahi.com/articles/DA3S11653749.html?iref=comkiji_txt_end_s_kjid_DA3S11653749;
asahi shinnbunn dejitarl 3/17
2015年07月09日
佐藤幸治・京大名誉教授◇「立憲主義の危機」と批判
日本国憲法に関するシンポジウム「立憲主義の危機」が先月6日、東京都文京区の東京大学で開かれ、佐藤幸治・京大名誉教授の基調講演や憲法学者らによるパネルディスカッションが行われた。出席した3人の憲法学者全員が審議中の安全保障関連法案を「憲法違反」と断じた4日の衆院憲法審査会への出席を、自民党などは当初、佐藤氏に要請したが、断られており、その発言が注目されていた。
基調講演で佐藤氏は、憲法の個別的な修正は否定しないとしつつ、「(憲法の)本体、根幹を安易に揺るがすことはしないという賢慮が大切。土台がどうなるかわからないところでは、政治も司法も立派な建物を建てられるはずはない」と強調。さらにイギリスやドイツ、米国でも憲法の根幹が変わったことはないとした上で、強い調子で日本国憲法の根幹にある立憲主義を脅かすような改憲の動きを批判した。
戦後作られた日本国憲法はGHQ(連合国軍総司令部)の押し付けだと言う声もあるが、佐藤氏は「日本の政府・国民がなぜ、軍国主義にかくも簡単にからめとられたかを考えれば、自分たちの手で、日本国憲法に近いものを作っていたはずだ」と述べた。
佐藤氏は、神権的観念と立憲主義の両要素を含んでいた明治憲法下の日本が、憲法学者、美濃部達吉の「天皇機関説」の否定を契機に「奈落への疾走を加速させ」、太平洋戦争に突入していった歴史を説明。終戦の日の1945年8月15日は、明治憲法下の日本が、大正デモクラシーのような一定の成果を上げながら、どうしてひたすら戦争に突き進んでいったかについて、根本的な反省を加え、日本のかたちの抜本的な再構築に取り組むスタートとなるべき日だったと指摘した。また、アジアの人々に筆舌に尽くしがたい苦しみを与えたことも踏まえ「悔恨と鎮魂」を伴う作業が必要だったと話した。
第二次世界大戦後、各国では、大戦の悲劇を踏まえ、軍国主義を防げなかった憲法の意義をとらえ直す動きが起こったという。佐藤氏はその結果、(1)憲法制定権力として国民が、統治権力による権力の乱用を防ぐ仕組みを作る(2)基本的人権の保障を徹底する(3)「戦争は立憲主義の最大の敵」という考えから、平和国家への志向を憲法に明記する−−などの原則が強調されることになり、日本国憲法にはその特質がよく表れているとした。
パネルディスカッションでは、違憲とは言えないかもしれないが、憲法の精神には反していることを示す「非立憲」という言葉が話題になった。これまで、特に政治家の行動を戒めるために使われてきた言葉という。樋口陽一・東大名誉教授は、憲法改正の要件を定める憲法96条を改正し、国会発議のハードルを下げる「96条改正論」や、政府・与党による安保法制の提案の仕方そのものが「非立憲の典型」と批判した。
出典:毎日新聞6/6
基調講演で佐藤氏は、憲法の個別的な修正は否定しないとしつつ、「(憲法の)本体、根幹を安易に揺るがすことはしないという賢慮が大切。土台がどうなるかわからないところでは、政治も司法も立派な建物を建てられるはずはない」と強調。さらにイギリスやドイツ、米国でも憲法の根幹が変わったことはないとした上で、強い調子で日本国憲法の根幹にある立憲主義を脅かすような改憲の動きを批判した。
戦後作られた日本国憲法はGHQ(連合国軍総司令部)の押し付けだと言う声もあるが、佐藤氏は「日本の政府・国民がなぜ、軍国主義にかくも簡単にからめとられたかを考えれば、自分たちの手で、日本国憲法に近いものを作っていたはずだ」と述べた。
佐藤氏は、神権的観念と立憲主義の両要素を含んでいた明治憲法下の日本が、憲法学者、美濃部達吉の「天皇機関説」の否定を契機に「奈落への疾走を加速させ」、太平洋戦争に突入していった歴史を説明。終戦の日の1945年8月15日は、明治憲法下の日本が、大正デモクラシーのような一定の成果を上げながら、どうしてひたすら戦争に突き進んでいったかについて、根本的な反省を加え、日本のかたちの抜本的な再構築に取り組むスタートとなるべき日だったと指摘した。また、アジアの人々に筆舌に尽くしがたい苦しみを与えたことも踏まえ「悔恨と鎮魂」を伴う作業が必要だったと話した。
第二次世界大戦後、各国では、大戦の悲劇を踏まえ、軍国主義を防げなかった憲法の意義をとらえ直す動きが起こったという。佐藤氏はその結果、(1)憲法制定権力として国民が、統治権力による権力の乱用を防ぐ仕組みを作る(2)基本的人権の保障を徹底する(3)「戦争は立憲主義の最大の敵」という考えから、平和国家への志向を憲法に明記する−−などの原則が強調されることになり、日本国憲法にはその特質がよく表れているとした。
パネルディスカッションでは、違憲とは言えないかもしれないが、憲法の精神には反していることを示す「非立憲」という言葉が話題になった。これまで、特に政治家の行動を戒めるために使われてきた言葉という。樋口陽一・東大名誉教授は、憲法改正の要件を定める憲法96条を改正し、国会発議のハードルを下げる「96条改正論」や、政府・与党による安保法制の提案の仕方そのものが「非立憲の典型」と批判した。
出典:毎日新聞6/6
2015年07月08日
憲法学者、研究者が集団的自衛権行使容認に抗議
集団的自衛権の行使容認を盛り込んだ「安保関連法案」に反対する憲法学者・研究者たちが7月3日、東京・永田町の国会議事堂前でリレー形式の演説をおこなった。時おり雨に見まわれながらも、10人以上の学者・研究者らが安保関連法案を廃案にするよう訴えた。
安倍政権が成立を目指す安保関連法案をめぐっては、多くの憲法学者が「憲法違反だ」という意見を表明している。また、10代、20代の若者を中心したグループなどが「戦争法案だ」と反対する国会前デモを起こすなど、これまでの「護憲運動」を超えた動きが起きている。
リレートークでは、清水雅彦・日本体育大学教授は「憲法のどこをどう見ても、集団的自衛権は認めれない。安倍政権は無理なことをしようとしている」と述べた。また、三輪隆・埼玉大学名誉教授は「正確に言うと、戦争法案じゃなくて、人殺し法案だ」と強調した。
呼びかけ人の一人である石崎学・龍谷大学教授は「樋口陽一先生(東京大学名誉教授)の国会前アピールに心を打たれた。私でもやれることはないかと研究室を飛び出してきた」と述べた。登壇者の一人は「こんなところで話すのは恥ずかしいが、我慢できずにやって来た」と語った。
荒天でときどき雨が降りかかる国会前には、学者や研究者、弁護士のほか、メディアや市民50人近くが集まった。また、社民党の福島みずほ参議院議員や、生活の党の山本太郎参議院議員ら国会議員も数人駆けつけて、改めて安保関連法案に反対していた。
出典:
弁護士ドットコムニュース 7月3日
安倍政権が成立を目指す安保関連法案をめぐっては、多くの憲法学者が「憲法違反だ」という意見を表明している。また、10代、20代の若者を中心したグループなどが「戦争法案だ」と反対する国会前デモを起こすなど、これまでの「護憲運動」を超えた動きが起きている。
リレートークでは、清水雅彦・日本体育大学教授は「憲法のどこをどう見ても、集団的自衛権は認めれない。安倍政権は無理なことをしようとしている」と述べた。また、三輪隆・埼玉大学名誉教授は「正確に言うと、戦争法案じゃなくて、人殺し法案だ」と強調した。
呼びかけ人の一人である石崎学・龍谷大学教授は「樋口陽一先生(東京大学名誉教授)の国会前アピールに心を打たれた。私でもやれることはないかと研究室を飛び出してきた」と述べた。登壇者の一人は「こんなところで話すのは恥ずかしいが、我慢できずにやって来た」と語った。
荒天でときどき雨が降りかかる国会前には、学者や研究者、弁護士のほか、メディアや市民50人近くが集まった。また、社民党の福島みずほ参議院議員や、生活の党の山本太郎参議院議員ら国会議員も数人駆けつけて、改めて安保関連法案に反対していた。
出典:
弁護士ドットコムニュース 7月3日
2015年07月07日
プレミアム商品券
1万円で商品券を購入するとプラスアルファのお買い物ができるプレミアム商品券が、全国各地で売られた。
昭島市に転居していた小学校以来の友人から昨日メールが来て、「今、商品券を買うので並んでいる!1万円払うとおまけに2千円おまけで買い物ができる」などとメールがきた。1人10冊(10万円)まで購入可能ということだったので6日には完売したらしい。白井市に住む高校の友人のブログでは、往復はがきで申し込む方法であったようで、売れ残りを更に纏め売りしているようだ。
この商品券の販売方法は、各自治体の采配で異なっており、購入者が殺到して即日完売、長蛇の列で大混乱、長時間待った挙句買えなかったとかの事態がおきた自治体も多かったが、そうかと思うと往復はがきで申し込む方法をとった自治体は、どこも売れ残って、自治体により対応の良し悪しが見られたようだ。
当市では、普通ハガキで申し込むめばいいので、今年は年賀状が多数残った為、我が家では二人分(一人一枚の制限なので)を書いて応募してみた。数が多かった場合は抽選という事であったが、2枚とも当りとなった。他市のような不公平感、長時間並んで買わなければならない混乱を招かなかったのは、賢い選択として流石の我孫子市の先見の明ではないか。こうした手順の良さは、市の職員のきめ細やかさに感心させられる。「夏休み中はお子様のお小遣いにも最適です! 」とうな吉さんら、ゆるキャラを浸透させるのにも余念がない。
商品券1万円の内容は自治体によってこれも違いがあるが、当市の場合は
大型店・中小店共通券 1000円×10枚
中小店専用券 500円×6枚
ただ、政府が予算投入してプレミアムを付けた商品券がどれだけ意図したような地域経済の活性化に役立つのか、ここからは自治体の意気込みが問われる。人口の減少が続く我孫子市の活性化に少しでも繋がってほしい★ 市民の地域参加度が高いと評価されることが多く、そうした市民に鍛えられてきた職員は行政マン(ウーマン)として中々のお手並みを見せる、となるとリーダーシップの問題、地域の事業者との連携が残る課題という事か・・・・?
我孫子市の場合は、商店が少なく、セブンイレブンホールディングスでばかりのお買い物になっては、単なるばらまきとなってしまう。財源が国庫からとはいえ、市民(納税者)がお得になる?と考えれば、税金払った働く世代は交換のついでにスーパーで買い物、子供たちと食事、そして年金生活者が紙おむつをスーパーで買って、とかいうことがほとんどのパターンとなったとしたら、地元の商業活性にどれほど貢献するのか、一極集中や逆ピラミッドの悲哀とはならないのか。ばらまきになっていないか、政府はしっかりと事後検証も大事だ。
今回、初めて商品券に申し込んだ我が家では、2セット全部つかえば6000円得した勘定にはなる。交換して買い物しながら、そんなこんな、地域経済にどんな余剰がうまれるのかと考えを巡らしたり、色々考えさせるきっかけを作ったことには間違いない。11月までしか商品券での買い物はできないそう。夫に、高田純二のようなお洒落な夏の帽子を地元ブティックで探してプレゼントしてみようかな・・・。

七夕の短冊に、猫(22歳)とおばあちゃん(91歳)のご長寿および家族の無病息災を願った。
昭島市に転居していた小学校以来の友人から昨日メールが来て、「今、商品券を買うので並んでいる!1万円払うとおまけに2千円おまけで買い物ができる」などとメールがきた。1人10冊(10万円)まで購入可能ということだったので6日には完売したらしい。白井市に住む高校の友人のブログでは、往復はがきで申し込む方法であったようで、売れ残りを更に纏め売りしているようだ。
この商品券の販売方法は、各自治体の采配で異なっており、購入者が殺到して即日完売、長蛇の列で大混乱、長時間待った挙句買えなかったとかの事態がおきた自治体も多かったが、そうかと思うと往復はがきで申し込む方法をとった自治体は、どこも売れ残って、自治体により対応の良し悪しが見られたようだ。
当市では、普通ハガキで申し込むめばいいので、今年は年賀状が多数残った為、我が家では二人分(一人一枚の制限なので)を書いて応募してみた。数が多かった場合は抽選という事であったが、2枚とも当りとなった。他市のような不公平感、長時間並んで買わなければならない混乱を招かなかったのは、賢い選択として流石の我孫子市の先見の明ではないか。こうした手順の良さは、市の職員のきめ細やかさに感心させられる。「夏休み中はお子様のお小遣いにも最適です! 」とうな吉さんら、ゆるキャラを浸透させるのにも余念がない。
商品券1万円の内容は自治体によってこれも違いがあるが、当市の場合は
大型店・中小店共通券 1000円×10枚
中小店専用券 500円×6枚
ただ、政府が予算投入してプレミアムを付けた商品券がどれだけ意図したような地域経済の活性化に役立つのか、ここからは自治体の意気込みが問われる。人口の減少が続く我孫子市の活性化に少しでも繋がってほしい★ 市民の地域参加度が高いと評価されることが多く、そうした市民に鍛えられてきた職員は行政マン(ウーマン)として中々のお手並みを見せる、となるとリーダーシップの問題、地域の事業者との連携が残る課題という事か・・・・?
我孫子市の場合は、商店が少なく、セブンイレブンホールディングスでばかりのお買い物になっては、単なるばらまきとなってしまう。財源が国庫からとはいえ、市民(納税者)がお得になる?と考えれば、税金払った働く世代は交換のついでにスーパーで買い物、子供たちと食事、そして年金生活者が紙おむつをスーパーで買って、とかいうことがほとんどのパターンとなったとしたら、地元の商業活性にどれほど貢献するのか、一極集中や逆ピラミッドの悲哀とはならないのか。ばらまきになっていないか、政府はしっかりと事後検証も大事だ。
今回、初めて商品券に申し込んだ我が家では、2セット全部つかえば6000円得した勘定にはなる。交換して買い物しながら、そんなこんな、地域経済にどんな余剰がうまれるのかと考えを巡らしたり、色々考えさせるきっかけを作ったことには間違いない。11月までしか商品券での買い物はできないそう。夫に、高田純二のようなお洒落な夏の帽子を地元ブティックで探してプレゼントしてみようかな・・・。
七夕の短冊に、猫(22歳)とおばあちゃん(91歳)のご長寿および家族の無病息災を願った。
2015年07月06日
「明治日本の産業革命遺産」の登録、外国人強制労働の過去への認識も
「明治日本の産業革命遺産」の世界遺産登録に反対していた韓国は、尹炳世(ユン・ビョンセ)外相を、ドイツへ向かわせた(6/13)。ドイツは21か国でつくる世界遺産委員会の議長国だからだ。
韓国の尹外相は、ドイツ・ベルリンにある強制労働記念館を訪れ、第二次大戦中、ナチスドイツによってヨーロッパ各地から集められた人々が軍需工場などで働かされた歴史の展示を見学した。
韓国は「明治日本の産業革命遺産」の世界遺産への登録について、「朝鮮半島出身者が強制労働させられた場所だ」と明記するように求めていた。ドイツ訪問は、「歴史と向き合って戦争責任を償っている」と言われるドイツと日本の違いをアピールする狙いがあったのだ。
韓国側が問題視していたのは、官営八幡製鉄所や三菱長崎造船所、端島炭坑など7施設。第二次大戦中の1944年〜1945年の7カ月間に、強制徴用された約5万7900人の朝鮮人労働者が送られたと主張し、世界遺産の精神に反するのだと主張を明確に唱えた。
今回、日本が推薦した産業革命遺産の内容は、黒船が来航した1853年から、一定の近代化を成し遂げた1910年にかけてと限定し、第二次大戦中は含まれない。政府は「(韓国の主張は)植民地政策をとった後もふくむ歴史的背景が異なっており、本件で申請する遺産の世界遺産の価値を覆すような時期にない」と反論していた。
5月、ケリー米国務長官が、訪問中のソウルで、朴槿恵(パク・クネ)大統領や、尹炳世外相と会談し、冷え込んだ日韓関係の改善を強く促したが、韓国側は「明治日本の産業革命遺産」の世界文化遺産登録阻止に動くなど、「反日」姿勢を示したままの状況だった。「日韓両国が敏感な歴史問題に自制心をもって対処し、直接対話を継続しつつ、互いが受け入れられる解決策を見いだすことを望む」とケリー氏は、尹氏との米韓外相会談後、共同記者会見でこう語っていた。日韓双方に関係改善を促した形だが、発言の場所や経緯を考えると、事実上、韓国に「外交圧力」をかけたといえる。
オバマ米大統領は昨年3月、日米韓首脳会談を主催して、日韓両国の歩み寄りを迫ったが、その後も韓国の「反日」姿勢は変わらなかった。最近、韓国は米国が称賛した安倍晋三首相の米上下両院合同会議での演説や、「明治日本の産業革命遺産」を世界文化遺産に推薦しようとする日本政府の行動に、韓国国会はわざわざ韓国国会が安倍晋三首相の米議会演説を糾弾する決議を採択した。佐々江賢一郎駐米大使は、「米議会の重鎮も電話をかけてきて、『素晴らしい演説だった』と言っていた。米国の大勢においては、歴史問題で韓国のような見方は共有されていない」と伝えていたのにだ。
それでも、韓国・聯合ニュース(日本語版)は18日、ケリー氏の発言について、「問題解決のためには日本の努力が必要であることをあらためて表明したと受け止められる」との記事を配信するなど、さらに日本に責任転嫁している。
韓国情勢に精通するジャーナリストの室谷克実氏は「ケリー氏が外交圧力をかけても、韓国の反日攻勢は簡単には収まらないだろう。日本としては冷静に証拠を示して、諸外国に事実を訴えていくしかない。安倍首相の就任2年半で、オバマ政権も日韓関係の真実がやっと分かってきた。最後には事の正否が分かれ目」という。
こうしたなか、日本政府も世界遺産問題で反撃に転じる事になった。ユネスコ(国連教育科学文化機関)世界遺産委員会委員国に、副大臣や政務官を事実上の「首相特使」として派遣し、世界遺産登録支持の働きかけを強めている。韓国や中国の歴史問題を絡めた策謀を阻止する狙いという。そこで、韓国側としては尹外相を派遣して、シュタインマイヤー外相との会談で韓国の主張に理解を求めた。この問題で、韓国と日本は、「落としどころ」を探る協議を進める一方で、それぞれ世界遺産委員会の委員国への説得を続けている。朴槿恵大統領自身も、ユネスコの事務局長に直接、反対の立場を伝えた。
その後は、尹氏の訪日となった。これは2013年2月の朴政権発足後初めて。韓国外相の来日は11年の金星煥(キム・ソンファン)外相(当時)以来、4年ぶり。岸田文雄外相は6月21日、韓国の尹炳世外相と東京都内で会談した。両外相は、韓国が反対していた「明治日本の産業革命遺産」(計23施設)の世界文化遺産への登録について、韓国側の主張を一部反映し、韓国が登録を求める推薦案件と合わせて登録が実現するよう協力することで一致した。安倍晋三首相と朴大統領との初の首脳会談については「適切な時期」に開催することで一致したほか、日中韓首脳会談を年内に行うことを確認した。
産業革命遺産の世界遺産登録を巡って、韓国側は「戦時中、朝鮮人が強制徴用された」と負の遺産も明確にし、登録対象施設での強制徴用に関する経緯を訪問客に何らかの形で説明するよう求めていた。会談では、韓国側の主張を一部反映することを確認したとみられ、同じく国連教育科学文化機関(ユネスコ)の諮問機関による登録勧告を受けた韓国の「百済歴史遺跡地区」と合わせて、登録に向けて協力することになった。
会談終了後、岸田氏は記者団に「両案件が共に登録されるよう協力することで完全に一致した」と明言。尹氏も「円満に解決しようという共通認識をもって、緊密に協力することにした」と述べ、反対の撤回を検討していることを示唆した。
従軍慰安婦問題については、解決に向けて局長級協議などで議論を続ける方針を確認した。また岸田氏は、韓国の裁判所で戦時中に日本に動員された元徴用工の個人請求権を認める判決が相次いでいる問題について「解決済み」と主張する日本側の立場を改めて伝えた。
尹氏はまた、国会で審議中の安全保障関連法案について「日本側から透明性をもって説明の努力をしていただいていることは評価している」と言及。北朝鮮の非核化に向け、具体的な行動を引き出すために日韓や日米韓の連携が重要であると確認した。このほか、日本側は韓国が東京電力福島第1原発事故を機に実施している東北などからの水産物の輸入制限の解除を要求している。政治折衝にまで影響をみせている。
朝鮮人労働者の強制労働に関しては、日本政府関係者からは一部の施設で行われていたその表現や扱いを巡って韓国側の要求が高く、そのため、交渉が難航したという。日本のユネスコ関係者は、日本と韓国はいったんは登録に向けて合意したが、その後、韓国側は委員会のなかで、「強制労働」に関して意見陳述を行うという方針を打ち出したということだ。 世界遺産への登録の可否を委員会で決めるため、日韓の協議が不調に終わった場合は、投票での決着に持ち込まれることになった。
先月22日は、一年でもっとも日が長い夏至であると同時に、両国の国交正常化50周年の日でもあった。記念式典では、「国交正常化50周年の今年を、韓日両国が新たな協力と共存共栄の未来を目指してともに歩んでいく転機にすべきで、私たちの責務だ」との韓国の朴槿恵大統領からのメッセージも披露された。「20世紀前半にあった不幸な関係を乗り越え、和解と共生の新しい時代への大きな一歩を」と前向き、未来志向に転換していかなければならない。
幸い5日(現地時間)、日韓両国の調整は曲折の末に辛うじて決着し、「明治日本の産業革命遺産」(福岡など8県23施設)は世界文化遺産登録されると決定した。これによって「富士山」(山梨、静岡)、「富岡製糸場と絹産業遺産群」(群馬)に続いて3年連続で、日本の世界遺産は文化15件、自然4件の計19件となった。2017年の正式な認定までに、日本は韓国側にも理解されるよう各施設の説明内容を明確にして、委員会にレポートを提出することになるという。
備考:
足尾銅山、朝鮮人労働者の墓は人目につかない場所に
田中正造が天皇に直訴して捕えられた、鉱毒事件の闘争には志賀直哉の父も経営者の一人として連なっていたため、父との『和解』を書いてからの志賀は表立って社会批判はしていない。今後、この銅山の歴史を踏まえての世界遺産登録では、朝鮮人労働者の過酷な労働への実態を含む渡良瀬川周辺の農民たちの生命が公害で失われた事実も克明にしていくことが、予想される。
つづき
韓国の尹外相は、ドイツ・ベルリンにある強制労働記念館を訪れ、第二次大戦中、ナチスドイツによってヨーロッパ各地から集められた人々が軍需工場などで働かされた歴史の展示を見学した。
韓国は「明治日本の産業革命遺産」の世界遺産への登録について、「朝鮮半島出身者が強制労働させられた場所だ」と明記するように求めていた。ドイツ訪問は、「歴史と向き合って戦争責任を償っている」と言われるドイツと日本の違いをアピールする狙いがあったのだ。
韓国側が問題視していたのは、官営八幡製鉄所や三菱長崎造船所、端島炭坑など7施設。第二次大戦中の1944年〜1945年の7カ月間に、強制徴用された約5万7900人の朝鮮人労働者が送られたと主張し、世界遺産の精神に反するのだと主張を明確に唱えた。
今回、日本が推薦した産業革命遺産の内容は、黒船が来航した1853年から、一定の近代化を成し遂げた1910年にかけてと限定し、第二次大戦中は含まれない。政府は「(韓国の主張は)植民地政策をとった後もふくむ歴史的背景が異なっており、本件で申請する遺産の世界遺産の価値を覆すような時期にない」と反論していた。
5月、ケリー米国務長官が、訪問中のソウルで、朴槿恵(パク・クネ)大統領や、尹炳世外相と会談し、冷え込んだ日韓関係の改善を強く促したが、韓国側は「明治日本の産業革命遺産」の世界文化遺産登録阻止に動くなど、「反日」姿勢を示したままの状況だった。「日韓両国が敏感な歴史問題に自制心をもって対処し、直接対話を継続しつつ、互いが受け入れられる解決策を見いだすことを望む」とケリー氏は、尹氏との米韓外相会談後、共同記者会見でこう語っていた。日韓双方に関係改善を促した形だが、発言の場所や経緯を考えると、事実上、韓国に「外交圧力」をかけたといえる。
オバマ米大統領は昨年3月、日米韓首脳会談を主催して、日韓両国の歩み寄りを迫ったが、その後も韓国の「反日」姿勢は変わらなかった。最近、韓国は米国が称賛した安倍晋三首相の米上下両院合同会議での演説や、「明治日本の産業革命遺産」を世界文化遺産に推薦しようとする日本政府の行動に、韓国国会はわざわざ韓国国会が安倍晋三首相の米議会演説を糾弾する決議を採択した。佐々江賢一郎駐米大使は、「米議会の重鎮も電話をかけてきて、『素晴らしい演説だった』と言っていた。米国の大勢においては、歴史問題で韓国のような見方は共有されていない」と伝えていたのにだ。
それでも、韓国・聯合ニュース(日本語版)は18日、ケリー氏の発言について、「問題解決のためには日本の努力が必要であることをあらためて表明したと受け止められる」との記事を配信するなど、さらに日本に責任転嫁している。
韓国情勢に精通するジャーナリストの室谷克実氏は「ケリー氏が外交圧力をかけても、韓国の反日攻勢は簡単には収まらないだろう。日本としては冷静に証拠を示して、諸外国に事実を訴えていくしかない。安倍首相の就任2年半で、オバマ政権も日韓関係の真実がやっと分かってきた。最後には事の正否が分かれ目」という。
こうしたなか、日本政府も世界遺産問題で反撃に転じる事になった。ユネスコ(国連教育科学文化機関)世界遺産委員会委員国に、副大臣や政務官を事実上の「首相特使」として派遣し、世界遺産登録支持の働きかけを強めている。韓国や中国の歴史問題を絡めた策謀を阻止する狙いという。そこで、韓国側としては尹外相を派遣して、シュタインマイヤー外相との会談で韓国の主張に理解を求めた。この問題で、韓国と日本は、「落としどころ」を探る協議を進める一方で、それぞれ世界遺産委員会の委員国への説得を続けている。朴槿恵大統領自身も、ユネスコの事務局長に直接、反対の立場を伝えた。
その後は、尹氏の訪日となった。これは2013年2月の朴政権発足後初めて。韓国外相の来日は11年の金星煥(キム・ソンファン)外相(当時)以来、4年ぶり。岸田文雄外相は6月21日、韓国の尹炳世外相と東京都内で会談した。両外相は、韓国が反対していた「明治日本の産業革命遺産」(計23施設)の世界文化遺産への登録について、韓国側の主張を一部反映し、韓国が登録を求める推薦案件と合わせて登録が実現するよう協力することで一致した。安倍晋三首相と朴大統領との初の首脳会談については「適切な時期」に開催することで一致したほか、日中韓首脳会談を年内に行うことを確認した。
産業革命遺産の世界遺産登録を巡って、韓国側は「戦時中、朝鮮人が強制徴用された」と負の遺産も明確にし、登録対象施設での強制徴用に関する経緯を訪問客に何らかの形で説明するよう求めていた。会談では、韓国側の主張を一部反映することを確認したとみられ、同じく国連教育科学文化機関(ユネスコ)の諮問機関による登録勧告を受けた韓国の「百済歴史遺跡地区」と合わせて、登録に向けて協力することになった。
会談終了後、岸田氏は記者団に「両案件が共に登録されるよう協力することで完全に一致した」と明言。尹氏も「円満に解決しようという共通認識をもって、緊密に協力することにした」と述べ、反対の撤回を検討していることを示唆した。
従軍慰安婦問題については、解決に向けて局長級協議などで議論を続ける方針を確認した。また岸田氏は、韓国の裁判所で戦時中に日本に動員された元徴用工の個人請求権を認める判決が相次いでいる問題について「解決済み」と主張する日本側の立場を改めて伝えた。
尹氏はまた、国会で審議中の安全保障関連法案について「日本側から透明性をもって説明の努力をしていただいていることは評価している」と言及。北朝鮮の非核化に向け、具体的な行動を引き出すために日韓や日米韓の連携が重要であると確認した。このほか、日本側は韓国が東京電力福島第1原発事故を機に実施している東北などからの水産物の輸入制限の解除を要求している。政治折衝にまで影響をみせている。
朝鮮人労働者の強制労働に関しては、日本政府関係者からは一部の施設で行われていたその表現や扱いを巡って韓国側の要求が高く、そのため、交渉が難航したという。日本のユネスコ関係者は、日本と韓国はいったんは登録に向けて合意したが、その後、韓国側は委員会のなかで、「強制労働」に関して意見陳述を行うという方針を打ち出したということだ。 世界遺産への登録の可否を委員会で決めるため、日韓の協議が不調に終わった場合は、投票での決着に持ち込まれることになった。
先月22日は、一年でもっとも日が長い夏至であると同時に、両国の国交正常化50周年の日でもあった。記念式典では、「国交正常化50周年の今年を、韓日両国が新たな協力と共存共栄の未来を目指してともに歩んでいく転機にすべきで、私たちの責務だ」との韓国の朴槿恵大統領からのメッセージも披露された。「20世紀前半にあった不幸な関係を乗り越え、和解と共生の新しい時代への大きな一歩を」と前向き、未来志向に転換していかなければならない。
幸い5日(現地時間)、日韓両国の調整は曲折の末に辛うじて決着し、「明治日本の産業革命遺産」(福岡など8県23施設)は世界文化遺産登録されると決定した。これによって「富士山」(山梨、静岡)、「富岡製糸場と絹産業遺産群」(群馬)に続いて3年連続で、日本の世界遺産は文化15件、自然4件の計19件となった。2017年の正式な認定までに、日本は韓国側にも理解されるよう各施設の説明内容を明確にして、委員会にレポートを提出することになるという。
備考:
足尾銅山、朝鮮人労働者の墓は人目につかない場所に
田中正造が天皇に直訴して捕えられた、鉱毒事件の闘争には志賀直哉の父も経営者の一人として連なっていたため、父との『和解』を書いてからの志賀は表立って社会批判はしていない。今後、この銅山の歴史を踏まえての世界遺産登録では、朝鮮人労働者の過酷な労働への実態を含む渡良瀬川周辺の農民たちの生命が公害で失われた事実も克明にしていくことが、予想される。
つづき
2015年07月05日
梅雨に咲く、ナデシコに期待大!!!
サッカー女子ワールドカップ連覇をかけて6日早朝(日本時間)、アメリカとの決勝に臨むなでしこジャパン。運勢占いが得意な那須どうぶつ王国(栃木県那須町)のヨウム「オリビアちゃん」(10歳)が3日、注目の1戦の勝敗を占った。
飼育員の手に乗って約100人の観客の前に登場したオリビアちゃんは、サッカー場に見立てた人工芝の上を歩いて2本のミニ国旗の前へ。息を詰める観客の前で、ためらわずに日の丸の旗をくわえて抜き取った。
会場から大きな拍手を浴びたオリビアちゃんは、羽を広げて「バンザイ」も披露。家族で訪れた福島県伊達市の会社員、佐藤和幸さん(39)は「選んだのが日の丸でよかった。占いの通りなでしこに勝ってほしい」と話していた。
あした、ナデシコが勝利の旗の下で開花するのを応援するカナダ人も多いのではないか!
参照:
毎日新聞 7月3日
飼育員の手に乗って約100人の観客の前に登場したオリビアちゃんは、サッカー場に見立てた人工芝の上を歩いて2本のミニ国旗の前へ。息を詰める観客の前で、ためらわずに日の丸の旗をくわえて抜き取った。
会場から大きな拍手を浴びたオリビアちゃんは、羽を広げて「バンザイ」も披露。家族で訪れた福島県伊達市の会社員、佐藤和幸さん(39)は「選んだのが日の丸でよかった。占いの通りなでしこに勝ってほしい」と話していた。
あした、ナデシコが勝利の旗の下で開花するのを応援するカナダ人も多いのではないか!
参照:
毎日新聞 7月3日
2015年07月04日
「戦後史証言プロジェクト」(NHK)
皆様、知人のメール情報につきお知らせです。
堂本暁子氏(元千葉県知事)のメルマガから、NHK教育テレビ「戦後史証言プロジェクトシリーズ 日本人は何をめざしてきたのか 未来への選択」で貴重なドキュメンタリー番組があることを教えてくれました。
-----Original Message-----
Sent: Friday, June 26, 2015 12:04 AM
To: domoto@list.jca.apc.org
Subject: [Domoto] 堂本あき子なの花日記 No.194
◆堂本暁子のメールマガジン◆━━*━━*━━*━━*━━*━━*━
┏━┳━┳━┳━┳━┳━┳━┳━┳━┳━┓No.194
┃堂┃本┃あ┃き┃子┃な┃の┃花┃日┃記┃2015年6月26日発行
┗━┻━┻━┻━┻━┻━┻━┻━┻━┻━┛info@domoto.jp
━*━━*━━*━━*━━*━━*━━*━━*━━*━━*━━*━━*━
●「戦後史証言プロジェクト」のご案内
NHK教育テレビ「戦後史証言プロジェクトシリーズ 日本人は何をめざしてきたのか 未来への選択」の取材を受けました。
福祉や教育、医療など様々な分野において、戦後日本でどのような政策が議論され決定されてきたのかを、当事者の証言で明らかにしていく番組です。
私は、1999年に施行された「男女共同参画社会基本法」に関して証言しています。自社さ連立政権当時で、自民党総裁は橋本龍太郎氏、社民党党首は土井たか子氏、そして新党さきがけ代表は私と、連立3党のうち2党の代表が女性ということもあり、男女共同参画政策の推進ができました。当時のことを語りました。
放送は夜遅い時間ですが、興味のある方はご覧ください。
●番組内容の紹介●
http://www.nhk.or.jp/postwar/program/schedule/
第2回 男女共同参画社会 〜女たちは平等をめざす〜(仮)
Eテレ2015年7月11日(土)午後11時〜翌0時29分
Eテレ【再放送】2015年7月18日(土)午前0時00分〜午前1時29分(金曜深夜)
戦後、女性の参政権が認められ、新憲法に男女平等が掲げられた。しかし、家事育児は女性の役割とされ、職場では結婚退職制や若年定年制が行われていた。60年代に入り、こうした雇用差別に裁判を起こす女性たちが現れる。
70年代、世界的なブームとなったウーマンリブが日本にも広がって、男性中心の社会を批判し、女性の解放をめざしていく。
国連の女子差別撤廃条約を批准するため、1985年に男女雇用機会均等法が制定される。労働省婦人少年局長の赤松良子さん(85)は、労使の狭間で苦渋の選択をした当時を振り返る。「財界や企業の猛反対で妥協せざるを得なかった。労働者側からは腰抜けだと、激しい非難の的になった」。均等法施行後も男性社員との格差はなかなか埋まらず、昇進を求める女性たちの裁判などが相次いだ。
1999年、仕事も家庭も男女が協働して担い、女性があらゆる分野で社会参画することをめざす男女共同参画社会基本法が制定された。参議院議員の堂本暁子さん(82)は、「当時は連立政権で、土井たか子さんと私、政治の中枢に二人の女性がいたことが法制定の強力な後押しとなった」という。堂本さんはその後、DV防止法にも深く関わった。
番組では、男女平等を進めてきた女性たちの姿を、職場の問題を中心に取材、世界の動きや政策決定の過程をまじえながら、証言で描いていく。
::::備 考 欄、::::::::
第一回目(上記、同時間帯)は本日からで、高齢化社会の対応について検証します。
<概要>
1973年、国はこの“老人医療費無料化”を制度化⇒1980年代から「寝たきり老人」の社会問題化⇒1989年に「ゴールドプラン」で医療から介護への転換。その頃「核家族化が進み、老老介護の時代が来る。“嫁、娘”に介護を頼るだけでは無理。社会全体で介護を支えるべきだ」と評論家・樋口恵子さん(83)が指摘した。⇒2000年、介護保険が導入。少子高齢化が急速に進み、今後激増すると予想される認知症の高齢者には対応が追い付きそうにない。⇒2015、介護保険制度改定。
堂本暁子氏(元千葉県知事)のメルマガから、NHK教育テレビ「戦後史証言プロジェクトシリーズ 日本人は何をめざしてきたのか 未来への選択」で貴重なドキュメンタリー番組があることを教えてくれました。
-----Original Message-----
Sent: Friday, June 26, 2015 12:04 AM
To: domoto@list.jca.apc.org
Subject: [Domoto] 堂本あき子なの花日記 No.194
◆堂本暁子のメールマガジン◆━━*━━*━━*━━*━━*━━*━
┏━┳━┳━┳━┳━┳━┳━┳━┳━┳━┓No.194
┃堂┃本┃あ┃き┃子┃な┃の┃花┃日┃記┃2015年6月26日発行
┗━┻━┻━┻━┻━┻━┻━┻━┻━┻━┛info@domoto.jp
━*━━*━━*━━*━━*━━*━━*━━*━━*━━*━━*━━*━
●「戦後史証言プロジェクト」のご案内
NHK教育テレビ「戦後史証言プロジェクトシリーズ 日本人は何をめざしてきたのか 未来への選択」の取材を受けました。
福祉や教育、医療など様々な分野において、戦後日本でどのような政策が議論され決定されてきたのかを、当事者の証言で明らかにしていく番組です。
私は、1999年に施行された「男女共同参画社会基本法」に関して証言しています。自社さ連立政権当時で、自民党総裁は橋本龍太郎氏、社民党党首は土井たか子氏、そして新党さきがけ代表は私と、連立3党のうち2党の代表が女性ということもあり、男女共同参画政策の推進ができました。当時のことを語りました。
放送は夜遅い時間ですが、興味のある方はご覧ください。
●番組内容の紹介●
http://www.nhk.or.jp/postwar/program/schedule/
第2回 男女共同参画社会 〜女たちは平等をめざす〜(仮)
Eテレ2015年7月11日(土)午後11時〜翌0時29分
Eテレ【再放送】2015年7月18日(土)午前0時00分〜午前1時29分(金曜深夜)
戦後、女性の参政権が認められ、新憲法に男女平等が掲げられた。しかし、家事育児は女性の役割とされ、職場では結婚退職制や若年定年制が行われていた。60年代に入り、こうした雇用差別に裁判を起こす女性たちが現れる。
70年代、世界的なブームとなったウーマンリブが日本にも広がって、男性中心の社会を批判し、女性の解放をめざしていく。
国連の女子差別撤廃条約を批准するため、1985年に男女雇用機会均等法が制定される。労働省婦人少年局長の赤松良子さん(85)は、労使の狭間で苦渋の選択をした当時を振り返る。「財界や企業の猛反対で妥協せざるを得なかった。労働者側からは腰抜けだと、激しい非難の的になった」。均等法施行後も男性社員との格差はなかなか埋まらず、昇進を求める女性たちの裁判などが相次いだ。
1999年、仕事も家庭も男女が協働して担い、女性があらゆる分野で社会参画することをめざす男女共同参画社会基本法が制定された。参議院議員の堂本暁子さん(82)は、「当時は連立政権で、土井たか子さんと私、政治の中枢に二人の女性がいたことが法制定の強力な後押しとなった」という。堂本さんはその後、DV防止法にも深く関わった。
番組では、男女平等を進めてきた女性たちの姿を、職場の問題を中心に取材、世界の動きや政策決定の過程をまじえながら、証言で描いていく。
::::備 考 欄、::::::::
第一回目(上記、同時間帯)は本日からで、高齢化社会の対応について検証します。
<概要>
1973年、国はこの“老人医療費無料化”を制度化⇒1980年代から「寝たきり老人」の社会問題化⇒1989年に「ゴールドプラン」で医療から介護への転換。その頃「核家族化が進み、老老介護の時代が来る。“嫁、娘”に介護を頼るだけでは無理。社会全体で介護を支えるべきだ」と評論家・樋口恵子さん(83)が指摘した。⇒2000年、介護保険が導入。少子高齢化が急速に進み、今後激増すると予想される認知症の高齢者には対応が追い付きそうにない。⇒2015、介護保険制度改定。
2015年07月03日
介護による離職者の増加にドローンなどロボットの対策も検討
介護で仕事を辞めざるを得ない人が増えていることを耳にする。海津にいなの周辺も、昨年の今頃までは自ら車のハンドルを握っていた気丈な母親が90歳を超えて、今年の春に風をこじらせてから弱気になっているし、何しろ22歳になっている白猫が日がな一日お昼寝で二階にも上がってこれなくなって、身につまされる事態だ。それで、なんだか両者から呼び出しをくらう。居るの返事してーっと思うのか携帯が長いことなり続ける電話が頻繁に来たり、ニャーととてつもなく大声で呼ばれることが増えた。心優しい娘たち(他県及び他国に嫁にいきました)によると、哺乳動物はアテンションが大事なそうで、ちょっとでも目をみて話をしたり、手で撫でたりが安心するのだそう。母親業を終えて、しばしだったが久々に家庭人の役割で引っ張りだこの感だ。もっとも、大学院での博士論文執筆は佳境にきており、その上に介護保険料、相続税の改定についても差し迫っての実地勉強も必要であり、更には真夏の柏の選挙の応援も頼まれて、片や我孫子のまちづくりにも益々の想いがあるからとにかく元気に頑張るしかない!母とのこのところの対話で、心は決まってきた、みんなの幸せになる方向を目指すことだ!!
総務省の調べでは11年10月〜12年9月に介護や看護で仕事を辞めた人は10万1千人。介護離職防止を呼びかけるワーク&ケアバランス研究所の和氣美枝さん(43)は「これまで介護をしてきた人たちの経験が情報として共有されていくことが、離職を減らしていく上で大事だ」と話す。
企業にとっては介護と仕事を両立しやすい制度を作ったり、介護経験者のノウハウを蓄積したりすることが大切になりそうだ。経験豊富な40〜50代の幹部社員の退職は日本経済全体にも影を落とすからだ。年間10万人が辞める影響を内閣府が計算したところ、国内総生産(GDP)を0・1ポイント押し下げるという。経済の実力を示す潜在成長率が0%台前半にとどまるとされる日本経済にとっては痛手だ。しかし、経済成長が受ける影響はそれにとどまらない。
内閣府の試算によると、13年に6577万人だった労働力人口は、今以上に女性や高齢者が働きに出ないと30年に5683万人まで減るおそれがあり、その後も減り続ける。野口悠紀雄・早大ファイナンス総合研究所顧問(日本経済論)の分析によると、介護・医療分野の従事者が労働力人口に占める割合はこの先増え続け、増え方が最も激しい場合、30年代半ばには約20%を突破し、50年には約25%を占めるようになる。実に4人に1人の割合だ。野口氏は「これから医療・介護分野で働く人が増えていくが、こうした分野は生産性が高くはない。労働力人口のうち生産性が低い分野が占める割合が増えれば、経済成長が停滞する」と語る。
成長の底上げには、少ない人手でももうかるように生産性の改善が必要だ。まず期待されるのは、ロボットの活用だ。警備会社のセコムがドローンによる警備を始めるほか、銀行では案内ロボットの設置が試みられた。ロボットが接客するホテルも開業する。「労働力人口の減少で起きる影響は、生産性向上こそが解決策になる」と、熊野英生・第一生命経済研究所首席エコノミストは言う。
■「認知症予防を」
ただ、医療・介護分野で生産性の向上は厳しい。お年寄りを楽に抱えられるパワーアシスト機器の普及が期待されてはいるものの、自動化には限界がある。労働力人口の減少の悪影響を埋めきれないとして「根本的に問題を解決するには、移民の受け入れしかない」(野口氏)との意見もあるが、これとて先々に問題を残す。
翁邦雄・京大院教授(マクロ経済学)は「介護支援が必要になる人を増やさないため、今後10年間は集中的に認知症の予防と治療に力を入れるべきだ。こうした対策が今後の日本経済の命運を握っている」と話す。
高齢者の介護は家族だけでなく、日本経済にも深刻な影響を与えそうだ。少子高齢化で働き手が減る一方、介護の担い手は増えていく。その結果、経済の実力が低下するとの指摘が相次いでいる。
参照:
朝日新聞デジタル 6/17
総務省の調べでは11年10月〜12年9月に介護や看護で仕事を辞めた人は10万1千人。介護離職防止を呼びかけるワーク&ケアバランス研究所の和氣美枝さん(43)は「これまで介護をしてきた人たちの経験が情報として共有されていくことが、離職を減らしていく上で大事だ」と話す。
企業にとっては介護と仕事を両立しやすい制度を作ったり、介護経験者のノウハウを蓄積したりすることが大切になりそうだ。経験豊富な40〜50代の幹部社員の退職は日本経済全体にも影を落とすからだ。年間10万人が辞める影響を内閣府が計算したところ、国内総生産(GDP)を0・1ポイント押し下げるという。経済の実力を示す潜在成長率が0%台前半にとどまるとされる日本経済にとっては痛手だ。しかし、経済成長が受ける影響はそれにとどまらない。
内閣府の試算によると、13年に6577万人だった労働力人口は、今以上に女性や高齢者が働きに出ないと30年に5683万人まで減るおそれがあり、その後も減り続ける。野口悠紀雄・早大ファイナンス総合研究所顧問(日本経済論)の分析によると、介護・医療分野の従事者が労働力人口に占める割合はこの先増え続け、増え方が最も激しい場合、30年代半ばには約20%を突破し、50年には約25%を占めるようになる。実に4人に1人の割合だ。野口氏は「これから医療・介護分野で働く人が増えていくが、こうした分野は生産性が高くはない。労働力人口のうち生産性が低い分野が占める割合が増えれば、経済成長が停滞する」と語る。
成長の底上げには、少ない人手でももうかるように生産性の改善が必要だ。まず期待されるのは、ロボットの活用だ。警備会社のセコムがドローンによる警備を始めるほか、銀行では案内ロボットの設置が試みられた。ロボットが接客するホテルも開業する。「労働力人口の減少で起きる影響は、生産性向上こそが解決策になる」と、熊野英生・第一生命経済研究所首席エコノミストは言う。
■「認知症予防を」
ただ、医療・介護分野で生産性の向上は厳しい。お年寄りを楽に抱えられるパワーアシスト機器の普及が期待されてはいるものの、自動化には限界がある。労働力人口の減少の悪影響を埋めきれないとして「根本的に問題を解決するには、移民の受け入れしかない」(野口氏)との意見もあるが、これとて先々に問題を残す。
翁邦雄・京大院教授(マクロ経済学)は「介護支援が必要になる人を増やさないため、今後10年間は集中的に認知症の予防と治療に力を入れるべきだ。こうした対策が今後の日本経済の命運を握っている」と話す。
高齢者の介護は家族だけでなく、日本経済にも深刻な影響を与えそうだ。少子高齢化で働き手が減る一方、介護の担い手は増えていく。その結果、経済の実力が低下するとの指摘が相次いでいる。
参照:
朝日新聞デジタル 6/17
2015年07月02日
日本人の生活意識の変化
厚生労働省の国民生活基礎調査で2013年の1世帯当たりの平均所得が前年比1.5%減(8万3000円減)の528万9000円となったことが7月2日、分かった。そのため、生活が「苦しい」と感じている世帯の割合は14年7月時点で過去最高の62.4%に上り、同省は、同年4月に消費税率を8%に引き上げたことなどが影響していると分析している。
1世帯当たりの平均所得はここ10年で最も低く、データが残る1985年以降では4番目の低さ。非正規雇用の増加などが背景にあるとみられる。
世帯種類別の平均所得は、65歳以上の人のみか、65歳以上と18歳未満で暮らす「高齢者世帯」は2.8%減の300万5000円。18歳未満の子供のいるすべての世帯で見た場合は3.4%増の696万3000円だった。
生活意識は、「大変苦しい」が29.7%、「やや苦しい」が32.7%。両者の合計が「苦しい」で、今回までの最高は11年7月時点の61.5%。一方「普通」は34.0%で、「ややゆとりがある」3.2%、「大変ゆとりがある」0.4%だった。
一方で、内閣府が20歳代と30歳代の男女を対象に実施した結婚に関する意識調査の結果を紹介。未婚で恋人がいない男女に恋人が欲しいかを尋ねたところ、「欲しい」は60.8%、「欲しくない」は37・6%だった。調査は全国の20〜39歳の男女7000人を対象に、14年12月〜15年1月にインターネットと郵送で実施。有効回答率は37.8%だった。
未婚で恋人がいないと答えた人の割合は男女全体で28.8%。このうち恋人が「欲しくない」と答えた人を性別にみると、女性39.1%、男性36.2%と女性の方が高かった。また、男女とも収入が低い人ほど恋人を求めていない傾向が表れた。
欲しくない理由を複数回答で聞いたところ、男女全体で最も多かったのは「恋愛が面倒だから」46.2%で、「自分の趣味に力を入れたい」45.1%、「仕事や勉強に力を入れたい」32.9%と続いた。
そういえば、福山雅治は収入も仕事も、才能にもめぐまれ、洋の東西からも愛されるエンターテイナーとして大活躍するが結婚はしていない。人間は社会的な生き物で一人では生きにくいのだという定説を覆し、まるで、結婚しない方が自由でのびのびできるかのようにも見える。あらたな生き方を示しているのだが、20代、30代の女性に与える影響も少なくないのではないかしらん。
そこへいくと団塊の世代の女性に結婚しなくてはと思わせたのは、サー・ポール・マッカートニーかもしれない。彼は子供が大好きで、最初の結婚は子連れの女性とだった。再婚相手は地雷撤去のNPO活動家で自身も片足を失うという障がい者だったが、二人にはポールの5人目の子供が授かった。もっとも、大変な離婚劇のあとにも3度目の結婚をして、70歳を超えて10代のティーンエイジャーの子育てを楽しみながら、世界中でコンサートをしてまわって、往年のビートルズファンばかりか、次世代ファンをも沸かせている。
結婚観が世代の違いに影響しているのではないかとの気もする。世界中、男女助け合って結婚しなければならないと考えたのが世代が団塊の世代の前だったが、敗戦直後の日本は若い男性の多くが戦死して、トラック一台の女性に男一人の割合だったとも言われるほどに、適齢期の男女比率がアンバランスになった。結婚しないままで生涯を終える女性たちが多くいた。戦勝国はともかく、世界を相手に戦争して敗戦していた日本であるから、結婚をしない女性が多くなる未曽有の経験をしたということだ。それでも、三無世代に属するはずの石田純一は、3回目の結婚で3人目の子供の子育てにいそしんでいる。彼は、今後、再度イクメンの新たなトレンディー俳優になるかもしらない。2番目の結婚で生まれた長女のすみれは、米国の有名私立大で演劇を学んだキャリアが功を奏してハリウッド映画に登用されるというし、長男も芸能界にカムバックで、それぞれの結婚んでできた子供にそれなりの目配りをしている、流石にマメな男性だ。「不倫は文化」との言葉を有名にしただけはある、と妙になっとくしてしまう。
敗戦の時期の混乱が、多くの人々のDNAに刻まれたことは考慮しなくてはならない。育児放棄もどころか、混血児の捨て子、浮浪児などが多く排出された日本だったことを覚えている人はどれだけいるだろう。苦しくても社会から見放されなければ、成長した時に社会を敵に回すことはないのではないか。もし、敵意に満ちた人が多くなっているとしたら、暴力を誘発する戦後処理が出来ていなかったことの影響も考えなくてはいけない。戦争責任を問われなかった社会のツケをどうカバーするか、戦後70周年という時期に、憲法の改正に血道をあげるばかりでなく、政府は人々の真の幸福を探っていただきたい。
参考:
時事通信7/2 時事ドトコム6/22
1世帯当たりの平均所得はここ10年で最も低く、データが残る1985年以降では4番目の低さ。非正規雇用の増加などが背景にあるとみられる。
世帯種類別の平均所得は、65歳以上の人のみか、65歳以上と18歳未満で暮らす「高齢者世帯」は2.8%減の300万5000円。18歳未満の子供のいるすべての世帯で見た場合は3.4%増の696万3000円だった。
生活意識は、「大変苦しい」が29.7%、「やや苦しい」が32.7%。両者の合計が「苦しい」で、今回までの最高は11年7月時点の61.5%。一方「普通」は34.0%で、「ややゆとりがある」3.2%、「大変ゆとりがある」0.4%だった。
一方で、内閣府が20歳代と30歳代の男女を対象に実施した結婚に関する意識調査の結果を紹介。未婚で恋人がいない男女に恋人が欲しいかを尋ねたところ、「欲しい」は60.8%、「欲しくない」は37・6%だった。調査は全国の20〜39歳の男女7000人を対象に、14年12月〜15年1月にインターネットと郵送で実施。有効回答率は37.8%だった。
未婚で恋人がいないと答えた人の割合は男女全体で28.8%。このうち恋人が「欲しくない」と答えた人を性別にみると、女性39.1%、男性36.2%と女性の方が高かった。また、男女とも収入が低い人ほど恋人を求めていない傾向が表れた。
欲しくない理由を複数回答で聞いたところ、男女全体で最も多かったのは「恋愛が面倒だから」46.2%で、「自分の趣味に力を入れたい」45.1%、「仕事や勉強に力を入れたい」32.9%と続いた。
そういえば、福山雅治は収入も仕事も、才能にもめぐまれ、洋の東西からも愛されるエンターテイナーとして大活躍するが結婚はしていない。人間は社会的な生き物で一人では生きにくいのだという定説を覆し、まるで、結婚しない方が自由でのびのびできるかのようにも見える。あらたな生き方を示しているのだが、20代、30代の女性に与える影響も少なくないのではないかしらん。
そこへいくと団塊の世代の女性に結婚しなくてはと思わせたのは、サー・ポール・マッカートニーかもしれない。彼は子供が大好きで、最初の結婚は子連れの女性とだった。再婚相手は地雷撤去のNPO活動家で自身も片足を失うという障がい者だったが、二人にはポールの5人目の子供が授かった。もっとも、大変な離婚劇のあとにも3度目の結婚をして、70歳を超えて10代のティーンエイジャーの子育てを楽しみながら、世界中でコンサートをしてまわって、往年のビートルズファンばかりか、次世代ファンをも沸かせている。
結婚観が世代の違いに影響しているのではないかとの気もする。世界中、男女助け合って結婚しなければならないと考えたのが世代が団塊の世代の前だったが、敗戦直後の日本は若い男性の多くが戦死して、トラック一台の女性に男一人の割合だったとも言われるほどに、適齢期の男女比率がアンバランスになった。結婚しないままで生涯を終える女性たちが多くいた。戦勝国はともかく、世界を相手に戦争して敗戦していた日本であるから、結婚をしない女性が多くなる未曽有の経験をしたということだ。それでも、三無世代に属するはずの石田純一は、3回目の結婚で3人目の子供の子育てにいそしんでいる。彼は、今後、再度イクメンの新たなトレンディー俳優になるかもしらない。2番目の結婚で生まれた長女のすみれは、米国の有名私立大で演劇を学んだキャリアが功を奏してハリウッド映画に登用されるというし、長男も芸能界にカムバックで、それぞれの結婚んでできた子供にそれなりの目配りをしている、流石にマメな男性だ。「不倫は文化」との言葉を有名にしただけはある、と妙になっとくしてしまう。
敗戦の時期の混乱が、多くの人々のDNAに刻まれたことは考慮しなくてはならない。育児放棄もどころか、混血児の捨て子、浮浪児などが多く排出された日本だったことを覚えている人はどれだけいるだろう。苦しくても社会から見放されなければ、成長した時に社会を敵に回すことはないのではないか。もし、敵意に満ちた人が多くなっているとしたら、暴力を誘発する戦後処理が出来ていなかったことの影響も考えなくてはいけない。戦争責任を問われなかった社会のツケをどうカバーするか、戦後70周年という時期に、憲法の改正に血道をあげるばかりでなく、政府は人々の真の幸福を探っていただきたい。
参考:
時事通信7/2 時事ドトコム6/22
2015年07月01日
簡単に水に流せない問題:水道水
日本の良さのひとつが「水道水をそのまま飲める」こと。そんな国は世界に十数カ国しかないといわれており、実にありがたい環境で暮らせる日本なのに、ペットボトルのミネラルウォーター、家庭用ウォーターサーバー、浄水器など、「水」に+αのお金をかける人は増加の一途をたどっています。
たしかに、放射能の影響が大きくありました。みなさんが水道水のどこが嫌なのか、 そこで、20〜30代の社会人男女200人(男女各100人)にアンケート調査をご紹介してみます。
〈水道水をそのまま飲むことに抵抗感はある?〉
・「抵抗感がある」派 55.5%
・「抵抗感はない」派 44.5%
ミネラルウォーターが出回る時代に育ったためか、僅差ながら水道水をそのまま飲むことに抵抗を感じる人が多数派という結果。続いてその理由を見ていきましょう。
●「抵抗感がある派」の意見
「以前は普通に水道水を飲んでいたが、ミネラルウォーターに慣れてしまったので」(38歳・女性/広島県)
「昔、テレビなどで、トリハロメタンなどの悪い話を聞いた気がするから」(38歳・女性/山口県)
「一度沸騰させないと匂いが気になります」(31歳・女性/兵庫県)
「浄水器を通さないと心配になる」(27歳・女性/兵庫県)
「原発の影響」(33歳・男性/千葉県)
「汚いような気がするので」(30歳・男性/福岡県)
「マンション住まいなので、タンクは綺麗なのか…等と不安はある」(36歳・女性/埼玉県)
「塩素が気になって、美味しくないので」(30歳・男性/茨城県)
「体に悪い余計なものが入っていそうだからです」(32歳・女性/埼玉県)
●「抵抗感はない」派の意見
「最近でこそミネラルウォーターだが、成人して暫くまで 水道水で過ごしていたので」(33歳・女性/沖縄県)
「基準を満たしているとされている水道水に対して、むしろ何に抵抗があるのかがわからない」(33歳・男性/京都府)
「今まで水道水を飲んできて、問題はないから」(34歳・女性/神奈川)
「東京水は高度処理がされてるし安全だと思う。特にカルキくささも感じないので」(33歳・女性/東京都)
「水道水については、ある程度浄化されているものと信じているから」(31歳・男性/東京都)
「人工的な感じがせず、自然な味わいが楽しめるので」(39歳・男性/神奈川県)
「日本の水道水なら安心しているから」(29歳・女性/神奈川県)
地域差もあるかもしれませんが、それ以上に目につくのは「風評」や「習慣」による影響。また、「抵抗感はない」と答えた人のなかにも「最近、ミネラルウォーターにした」という人がいることをふまえれば、「水道水をそのまま飲まない人」の割合は、実際にはもっと多いのかもしれません。
とはいえ、(水道料金を除けば)「タダ」で飲める水に、余計なお金をかけるのはもったいない…と思う人も少なくないでしょう。みなさん、そのあたりはどう思っているのでしょうか?
〈お金をかけてまで水を飲むのはもったいないと思う?〉
・「もったいないと思う」派 44.0%
・「もったいないとは思わない」派 56.0%
「水道水に抵抗感があれば、水にお金を払うのをもったいないとは思わない」こう考えるのが一番ストレートですよね。先ほどの結果から想像できるとおり、「もったいないと思わない」派が多数派になりました。ちなみに「抵抗感がある」と答えた人のうち「もったいないと思う」と回答した人…つまり、「水道水をそのまま飲むのはイヤだけど、お金をかけるのもバカバカしい」というジレンマを感じている人が30%いました。
いずれにせよ、水道水を飲む人(=使用量)が減ると、水道料金収入が減り、水道インフラ維持のために「一人当たりの水道料金」を上げざるを得なくなるという問題が指摘されています。既に地域による水道料金格差も大きく、今後の人口減少により、この問題がさらに深刻化する可能性も…。水道水に抵抗がある人が増えれば増えるほど、「安全な水がタダで(※安く)飲める時代」の終焉が近づくとは、なんとも皮肉な結果というべきでしょうか…。
たしかに、放射能の影響が大きくありました。みなさんが水道水のどこが嫌なのか、 そこで、20〜30代の社会人男女200人(男女各100人)にアンケート調査をご紹介してみます。
〈水道水をそのまま飲むことに抵抗感はある?〉
・「抵抗感がある」派 55.5%
・「抵抗感はない」派 44.5%
ミネラルウォーターが出回る時代に育ったためか、僅差ながら水道水をそのまま飲むことに抵抗を感じる人が多数派という結果。続いてその理由を見ていきましょう。
●「抵抗感がある派」の意見
「以前は普通に水道水を飲んでいたが、ミネラルウォーターに慣れてしまったので」(38歳・女性/広島県)
「昔、テレビなどで、トリハロメタンなどの悪い話を聞いた気がするから」(38歳・女性/山口県)
「一度沸騰させないと匂いが気になります」(31歳・女性/兵庫県)
「浄水器を通さないと心配になる」(27歳・女性/兵庫県)
「原発の影響」(33歳・男性/千葉県)
「汚いような気がするので」(30歳・男性/福岡県)
「マンション住まいなので、タンクは綺麗なのか…等と不安はある」(36歳・女性/埼玉県)
「塩素が気になって、美味しくないので」(30歳・男性/茨城県)
「体に悪い余計なものが入っていそうだからです」(32歳・女性/埼玉県)
●「抵抗感はない」派の意見
「最近でこそミネラルウォーターだが、成人して暫くまで 水道水で過ごしていたので」(33歳・女性/沖縄県)
「基準を満たしているとされている水道水に対して、むしろ何に抵抗があるのかがわからない」(33歳・男性/京都府)
「今まで水道水を飲んできて、問題はないから」(34歳・女性/神奈川)
「東京水は高度処理がされてるし安全だと思う。特にカルキくささも感じないので」(33歳・女性/東京都)
「水道水については、ある程度浄化されているものと信じているから」(31歳・男性/東京都)
「人工的な感じがせず、自然な味わいが楽しめるので」(39歳・男性/神奈川県)
「日本の水道水なら安心しているから」(29歳・女性/神奈川県)
地域差もあるかもしれませんが、それ以上に目につくのは「風評」や「習慣」による影響。また、「抵抗感はない」と答えた人のなかにも「最近、ミネラルウォーターにした」という人がいることをふまえれば、「水道水をそのまま飲まない人」の割合は、実際にはもっと多いのかもしれません。
とはいえ、(水道料金を除けば)「タダ」で飲める水に、余計なお金をかけるのはもったいない…と思う人も少なくないでしょう。みなさん、そのあたりはどう思っているのでしょうか?
〈お金をかけてまで水を飲むのはもったいないと思う?〉
・「もったいないと思う」派 44.0%
・「もったいないとは思わない」派 56.0%
「水道水に抵抗感があれば、水にお金を払うのをもったいないとは思わない」こう考えるのが一番ストレートですよね。先ほどの結果から想像できるとおり、「もったいないと思わない」派が多数派になりました。ちなみに「抵抗感がある」と答えた人のうち「もったいないと思う」と回答した人…つまり、「水道水をそのまま飲むのはイヤだけど、お金をかけるのもバカバカしい」というジレンマを感じている人が30%いました。
いずれにせよ、水道水を飲む人(=使用量)が減ると、水道料金収入が減り、水道インフラ維持のために「一人当たりの水道料金」を上げざるを得なくなるという問題が指摘されています。既に地域による水道料金格差も大きく、今後の人口減少により、この問題がさらに深刻化する可能性も…。水道水に抵抗がある人が増えれば増えるほど、「安全な水がタダで(※安く)飲める時代」の終焉が近づくとは、なんとも皮肉な結果というべきでしょうか…。