さて、そのバンドン会議では、第二次世界大戦後に独立したアジア・アフリカ諸国が反植民地主義や民族自決、世界平和などを掲げ1955年より開催されてきた。インドネシアのスカルノ大統領、インドのネール首相、中国の周恩来首相、エジプトのナセル大統領が中心となり後の非同盟運動のきっかけになった。
日本は60年前のその会議にも招かれた縁があり、今回は安倍首相が出席した。ところが、韓国は「日本は侵略国で韓国を支配した植民地主義の国だったはずなのに」との意識をここでも譲らない。
東南アジアや中東、アフリカ諸国には、日本はアジアが欧州の植民地支配から解放されるきっかけを作ったと評価する声もあるとの説明を聞いて、むしろ韓国人は驚いた表情で「そんなはずはないだろう」と返したという。さらに「日本はアジアを侵略、占領した」というので「いや日本による占領は数年間で、アジア諸国にとっては欧州諸国による長期の植民地支配から解放されたことの意味は重要だったからだ」とも説明したが、結局は認めようとしなかった。
知識人に属する韓国人でもこうなので、一般的に韓国では「日本は今もアジアの国々から恨まれている」との意識が強固だ。韓国が「アジア」というときは、イコール韓国と中国ということでほかの国は視野に入っていない、ということのようなのだ。
そういう日本も、百年ほど前には、開国を迫られ、不平等条約を結び、江戸城が皇居となり、富国強兵の先兵となって日本女性たちが「からゆきさん」と呼ばれる、外貨を稼ぎのお先棒を担がされた。維新後の流通経済が解体されて、疲弊する農漁村社会から石減らしに人身売買されたとも言える状況が、続いた。山崎朋子の『サンダカン八番娼館』などにも悲惨な女性の末路を告発したが、従軍慰安婦が訴追されるように、戦後の日本ではパンパンと呼ばれる戦争未亡人など、GHQの将兵を相手にする女性が手賀沼周辺でも見受けられたというのを土地の古老にきいて驚いたことがある。実は、我孫子ゴルフは戦後の接収でGHQのお気に入りのリゾート地となっていて、お土産品にとメロンの生産もされたというのだ。
「からゆきさん」の多くは、長崎県島原半島・熊本県天草諸島出身者で、その海外渡航には斡旋業者(女衒)が介在していた。「唐」は、ばくぜんと「外国」を指す言葉である。最近に、台湾でも戦前の日本から少女たちが「からゆきさん」のことが紹介されて、話題になったという。
バンドン会議60周年会議で、安倍首相の演説に過去の歴史に対し反省だけがあって謝罪が入っていないと批判したのは、参加もしていない韓国だけだったという。先に日本の外務省が戦後日本の対外協力の実績を紹介した映像の広報資料を発表したときも、韓国だけがデタラメだといって非難した。とくに韓国のことを取り上げたわけでもないのに映像の一部に韓国の製鉄所や地下鉄、ダムなどの写真が入っているのを見て韓国だけが反発した。さすがに政府は何も言わなかったが、マスコミは準国営のKBSテレビや最大手の朝鮮日報が先頭に立って「韓国の経済発展は日本のおかげとはとんでもない!」「妄言だ!」と意地になって日本を非難したのはさもありなんだが、人類が女性たちから搾取したいったとの視点を持つ学者は、男性の学会では起こりえなかったのと同じだ。女性の発想は、21世紀を平和裏に融合していこうとの意識を打ち立てるかと思えば朴大統領はどうもそうならない。
アジアの他の国は何もそうしたことは言っていない。しかも実際は韓国が経済・技術援助をはじめ最も日本の影響を受けて発展したことは国際的には理解されているのだ。韓国政府が日本との国交正常化(1965年)の際に、過去の支配に対する補償として受け取った対日請求権資金5億ドルは、韓国の経済発展の基礎になったことは韓国政府発行の『請求権資金白書』(76年刊)に詳述されている。国交正常化50周年の今年、記念事業としてこの白書を日韓双方で復刻出版してはどうなのか。教科書問題では、歴史を正確に見直すべしと韓国も吹聴してきた、両者の政治家ではなく学者レベルで物事を普遍的に見て見直すべきだろう。
国の繁栄のために名もなき人々の犠牲が積み重なってきたことは、どの国もどうようである。
どの国でも発展の途上で、女性たちが犠牲や若者が命を捧げて逝ったことの事実を認識し、忘れてはならない。
台湾で展示されたという「漢(から)行きさん」とされる少女たちの写真はもの悲しい。
参照:
産経新聞 5月16日