中国の共産党で最高指導部の一人だった周永康・前党政法委員会書記(72)が、汚職事件で無期懲役の判決を受けた。
トップ級の高官でも罪に問うたことは前進ではあるが、司法手続きには多くの不透明さが残る。そもそも政治的な色合いが濃い訴追劇であり、正常な法治国家とは言いがたい。周前書記は国有石油会社を経て国土資源相、公安相、さらに治安担当の党常務委員まで上り詰めた。薄熙来・元重慶市党委書記ら政治局員クラスが汚職で裁かれた例はあるが、さらに上の常務委員経験者が裁きを受けるのは極めて異例だ。
党機関紙の人民日報は判決の後、「どんな人も憲法・法律を超える特権はない」と論じた。それ自体はもっともだが、周前書記の裁判は明らかに特別扱いされていた。4月に起訴されてから、公判が開かれているかどうかさえも不明だった。非公開だったのは「国家機密」にかかわるからとされたが、中国でも裁判は公開が原則のはずだ。起訴からわずか2カ月での判決というのも異常だ。
実は先に長い時間をかけて党中央規律検査委員会が調べを進めていた。党が司法に優先している以上、罪に問う範囲などが事前に固められ、裁判は単なる儀式に堕していた可能性がある。習近平(シーチンピン)政権には最初から政治的な狙いがあったはずだ。周前書記の後ろ盾は江沢民・元国家主席だったとされ、薄元書記と共に党を分裂させかねない情勢をつくったともいわれる。
ただ、そんな生々しい権力争いを表沙汰にはできないのかもしれない。結局確定した罪名は収賄、職権乱用と、国家機密の漏洩にとどまった。政府を批判した知識人が国家分裂罪で重刑に処せられることに比べれば、明らかにバランスを欠く。
周前書記は、判決で認定されただけでも400億円超という利益を一族らにもたらした。これほど巨額の財産を得たのは、個人的な犯罪というより、権力が集中する一党独裁の統治体制そのものに構造的な問題があるからだ。ところが、いまの中国では、国有企業や関連する政府部門が汚職をしないよう、にらみを利かせられるのは、その党自身の指導部でしかない。
言い換えれば、社会の公正さを担保する仕組みが、法の支配という原則に基づいておらず、ときに恣意的な判断が幅を利かすことを意味する。
中国の法治国家への道のりは、まだ遠そうだ。
出典:
朝日新聞デジタル 6月14日