スポーツ、政治ではどう続投するか去就が注目される点で似ています。
ハーフハーフかなと言っていた、浅田真央は再度氷上に戻ってくることが歓迎され、片や橋下徹は、マイクを向けられ、政界から去ると宣言しました。
「大阪都構想が実現しなければ大阪はダメになる」とまで主張していた行列ができる弁護士から転じての、政治の寵児が、縦横無尽に全国を奔走して、「本当に悔いがない」「幸せな7年半だった」と語ったのが住民投票の惜敗結果を受けての弁でした。
言葉通りならばダメになってしまうはずの大阪なのでしょう。住民は都構想によって大阪市がなくなるのは淋しい、だから反対した人というが多かったようです。カラ出張で悪名を馳せた大阪市、大阪府の放漫行財政については市民も呆れ、ダメとは思っていたのです。横山ノック府知事もタレント議員出身で、府知事二期の選挙戦でウグイス嬢にセクハラが有罪となり、辞職したのでした。当時には関西国際空港二期工事に絡み利権問題が発生し、これにノック知事が猛反対したので裏で仕組まれたことなど加味してか裁判所が執行猶予をつけていた。一期目就任当初は議会のほとんどが野党というオール野党状態でしたが、同年8月30日には当時不良債権が大幅に膨らんで事実上死に体であった信用組合に対して業務停止命令を発し、また行政改革への積極的な取り組みなど、一定の実績は積み上げていました。大阪人に愛されるキャラクターと知名度から府民の人気は高く、加えてAPEC首脳会議の成功など実績も評価されたことで、1999年の二期目選挙では自民党など主要政党が対立候補の擁立を見送らざるを得ない状況となり、235万票という大阪新記録の得票によって事実上の信任投票となる形で、学歴のハンディをものともせず二期目の就任をして、しばらくして訴えがでたことから、スキャンダルとなって、辞任劇につながり、もとの木阿弥となっていました。それほど、大阪にはつもりつもったものがあり、橋下元府知事は橋下流でメスをいれて「キレ」まくって、大阪維新を見せてくれました。
橋下市長が、政治プロセスを勝負事と誤解しているようなのは気になります。本来、自立した個人が利害や価値観の違いを認めつつ、時間をかけて、それぞれが妥協をしながら合意形成を図ることこそが民主主義です。最終的には多数決になりますが、大事なのは少数派の権利が守られることで「敗者」にしないことを目指すものでしょう。
会見では民主主義を「すばらしい政治体制」と語り、「報道の自由は絶対に守らないといけない」と述べました。独裁が必要だと発言し、報道にたいしても攻撃的に対してきたこれまでの姿勢を知る者からすれば変身です。それが無批判に受け入れられるならば、橋下氏の弁舌の巧みさだけでなく、民主主義に対する理解が日本人にどう広がっているか、ではないでしょうか。
「民主主義は感情統治」と橋下氏はかつてつぶやきました。
支持者に伝染するキャッチフレーズやコピーとなるような言葉は、人々が抱いている怒りや猜疑心を刺激し、ネガティブな感情に火をつけます。敵味方をはっきり分ける橋下手法を、安倍晋三首相や日本中の政治家が模倣し始めてもいるようです。それは民主制の危機をいずれ意味しかねません。
橋下引退表明について、一喜一憂している場合ではないのです。「橋下的なるもの」に対して、「民主主義の蹂躙」といった言葉では対抗できなくなってきます。政治家の言を選んで投票して、お任せで仕方ないと諦めるような、これまでの政治家による政治手法にごまかされず、一人一人が政治家になったつもりで、自分の言葉を紡ぎ、デモクラシーについての本質的な理解を深める必要があるのではないでしょうか。
週明けに向けて、また一緒に考えてみてほしいのです。
また、どうぞよろしくお願いします。