スウェーデンの首相だった故パルメ氏は若さと雄弁で「スウェーデンのケネディ」といわれた人だ。1981年に広島を訪れる。原爆資料館に入ると次第に無口になったという▼展示に衝撃を受けて、ひとつの言葉を残した。「どの国の政府であれ、責任ある地位に就く者には、すべて広島を訪れることを義務づけるべきだ」。核戦争には敗者しかいないとも語っていた▼反核平和のリーダーで知られたその人は、何を思うだろう。国連本部で先日、核軍縮を扱う最終文書の素案から、世界の指導者らに被爆地を訪ねるよう日本が提案した部分が削除された。中国の求めによる▼「日本政府が第2次大戦の加害者でなく被害者として日本を描こうとしていることに同意できない」と言う。しかし、加害の立場から目をそらさずに、「悲劇は自分たちを最後に」と訴えてきたのが被爆地だった。被爆した詩人、故栗原貞子さんの一節を引く▼「〈ヒロシマ〉というとき/〈ああヒロシマ〉と/やさしくこたえてくれるだろうか/〈ヒロシマ〉といえば〈パール・ハーバー〉/〈ヒロシマ〉といえば〈南京虐殺〉……」。やさしいこたえが返ってくるためには、私たちは汚れた手を清めねばならないと詩は続く▼被爆地に限らず多くの人が共有する思いであろう。パルメ氏の言葉も、加害と被害を超えた人道の深みに根ざすものだ。核廃絶の願いまで歴史認識につなげるのは筋が違う。提案を復活させてほしい。
出典:
2015年5月15日 天声人語