2015年03月23日

「マッサン」に、シベリア復員の甥が

先週、朝ドラ『マッサン』では、マッサンの甥の悟がシベリアより帰還して、工場の人々とのトラブルが発生する場面だった。早々に他の復員兵に「シベリア帰りは性根が腐っている」と軽蔑された挙句、時計泥棒呼ばわりされて、ひと騒動になりました。

戦時中、当時のソ連と日本は同盟を結んでいたましたが、終戦直前にこれを一方的に破棄され、満州の日本軍に向かってきたのです。さらに、満州の日本軍を中心に約65万人もの人々がソ連の捕虜になり、シベリアや酷寒の地へ強制労働で送られました。シベリアでは、鉄道や道路の建設や炭砿での採鉱などの重労働を強いられ、食事も不十分なもので、豆が数粒しか入っていないスープが食事だったこともあったというのでした。。

満州の日本軍がソ連の捕虜となったのが、終戦前後の1945年(昭和20年)の8月です。
満州も夏の季節だったことから、たいていの人は夏服しか着ておらず、そのまま極寒のシベリアに送られたのです。シベリアは、マイナス50℃にもなる極寒の地。そんなことから、シベリアの日本兵の間では盗みも横行したというのですが、悟が語るところによると、排泄した消化されていない大麦までも再度食したとの話を語ったとまでいうのです。盗みも始終起きたのに違いない、そのような極限状態において、人間らしく生きる事が出来ないでいた。悟はドラマではそうした事を声に出して言いますが、本当の当事者はあのように語ることも、忍ばれて出来なかったはず。

公式な見解ではシベリアに送られた約6万人が死亡したとされていますが、実数はそれよりはるかに多いようです。約34万人の日本人がシベリアで死亡したとの説もあり、実際のところ定かではありません。

帰ってきた悟が、美味いとおもったという「酒」には本物も偽物もなといったセリフも、地獄のようなシベリアの拘留生活を抜け出せて、生きて味わえる味だったからでしょう。その言葉が、マッサンを三級ウイスキーに販路を拡大していく、転機をつくります。

戦後、70周年という今年に、知らないままに過ごしてきた戦後世代も、そうした時代があって、今があるということに感謝しなくてはと思います。



posted by Nina at 09:08| 千葉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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