日本は歴史の長い分、複雑な国で、日本人は多様化している。
とくに欧米と比較すると、一神教のキリスト教、イスラム教を背景にする価値観は原理主義的だが、日本は多神教、神様はいくらいても善いのであり、手を合わせて感謝する。
江戸時代、武士よりもずっと多かった庶民は寺子屋で学ぶ機会を持て、庶民に浸透していたのは石門心学だった。 石門心学というのは、江戸時代中期に思想家の石田梅岩が開いた実践道徳である。
庶民に向けて正直の徳を説き、私心をなくして自分を取り巻く社会全体に貢献しなさいという教えだった。
とくに、商業の意味と大切さを説いて、商人にも商人道があるとした。そこで、 日本中に石門心学の塾が自然発生的に何百もできた。
江戸時代、石門心学が日本中で流行ったのは、日本人みんなが「自分たちはどう生きるべきか」というこに興味があったからだ。
徳目の部分の口語訳:
「親に孝養を尽くし、兄弟姉妹は仲良く助け合い、夫婦は仲睦まじく、友人は胸襟を開いて信じ合い、自分の言動を慎み、すべての人々に愛の手を差し伸べ、勉学に励み、仕事に専念し、知識を養い、人格を磨き、世のため人のために貢献し、法律や秩序を守り、非常の事態では勇気を持って戦いましょう」
今読んでも、もっとも当然なことだと思うだろう。
明治時代の国民も、面食らったりはしなかった。日本の大衆はそれぐらい程度が高かった。
昔から、日々の生活で日本人は多様な神を仰ぎ善きことを実践しようと心がけてきたのである。
彼岸に参り、日々仏壇、神棚に手を合わせる。
祈りをささげる神はともかく、少年少女をとらえて戦闘員にさせてしまう武装集団があっていいわけがない。しかし、戦わずして撲滅させる方法があるのだろうか、とさえ思えるニュースが続いているのは日本にとっても難問だ。