2015年02月28日

お・も・て・な・し

米国の著名な自己啓発家ジグ・ジグラーの言葉
「人の望みを叶えるために十分力を尽くせば、不思議と自分の望みも何でも叶うものだ」

成功する人はもともと人の役に立ちたいという欲求がある。
そして、心から望んで誰かのために力を発揮しているとき、自分は正しい行いをしていると感じるのである。

心から人のために働くことで生まれる喜びは、自分が抱くどんな望みよりも尊いものだ。
人の役に立ちたいという思いは、成功の代償というよりはむしろ喜びであり、特別な恩恵なのである。

知識を増やし、批判などどこ吹く風、心から人のために尽くそう。
いつか望みはきっと叶う。

世の中は、他人を喜ばした人が勝つ仕組みになっていると語る。
商売とは「他喜力」そのものだ。
誰かを喜ばせようとするからこそ、そこに様々なアイデアが生まれてくる。
「誰かのために力を尽くすこと」は、誰かを喜ばすこと。

来た人を喜ばせる、おもてなしの街となれるよう真剣に考えたい。

西田文郎『十の分かれ道』アルファポリス

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2015年02月27日

御礼:アビィ・カフェでご意見

 昨日のアビィ・カフェは結構な雨だったが、並木の近隣センターへ足を運んでくださった方には、主宰した当方も恐縮至極、感激でした。
 当日来られないのでと、電話でご意見をくださった方もいたのですから、やはり我孫子の中高年男性(!?)は良く資料を読んで、優秀な学生だったのだろうと想像したりでした。
 ご自身の意見を纏めて、しかも人生経験に照らし、建設的に話をしようとするまじめな方が多いので、これはやはり、市民が我孫子の宝なんだなァと改めて思ったところです。

「手賀七作」についてのご意見をいただいたのでご紹介したい。
・商業圏でない以上、このまま住宅都市でやっていくことになる姿しか見えてこないが、IT産業などの誘致はできるのではないか。
・成田へさらには、皇居前、議事堂、東京、上野へもJR、千代田線で直結している地の利を生かせる。
・外国語の素養のある市民力を生かせる
・国際交流、ホームステイなどのソフトパワーを使って、外国人にも多く来てもらえる潜在力がある
・若い農業就労者が働ける場を提供できる
・信用金庫、京葉銀行など地域密着の金融機関とも上手く連携してPRに一役かってもらうように働きかけていく
・学生がNPOを立ち上げて社会貢献する機会をもっと増やす、AKOBAだけでなく複数あった方が事業も活性する
・今後、高齢化社会が進めば、これまでの社会では問題にならなかった事故などに対してリスク管理、訴訟対策も必要になることが考えられる
・手賀カフェの意図は賛成。気楽にいろいろな人と語り合える場所はあったらいい。スリッパに履き替えてというようなのではなくて、靴のままやってきて、気楽に腰かけて話せる。そういう空間は大事。既に市内の近隣センターでも並木のように、理にかなった作りにできているところもある。考えてほしい。
・若い世代、子供たちのためにも市民会館がなくてもいい状況であれば、標準的な行政対応も追いつかない街になっていくのは必須なので、打開の必要性を考える必要はある。今すぐというのではなくて、30年先を見据えてなど、時期やコストなど再建への検討はすべきだ。他方、ハコモノ行政ははやらない、市民会館に代わる野外コンサートステージも不要ではないかという、子育てから遠のいた人からの痛烈な批判も出た
・七作は一つ一つを個別に進めるのではなくて、上手く連携させるといろいろな可能性がみられるのではないか。この案をたたき台に、市民の様々な意見を取り入れる余地を持っているなら賛成したい。これで、どうだというのはいささか大上段に立たれた気がして、違和感をもつ。我孫子の市民には、その世界の一流人、賢者がおおくいる、市民の声を上手く聞き取ってほしい
・世界遺産を目指すというのは面白いと思ったが、実際に観光がされているのかというとおこがましい状況ではないか。他方、結構、リュックを背に歩こう会の人々が常時見かけられるようになっていて、そのことを市民はまだ十分に認識できていない為にこの町の観光の可能性の大なるところを把握できていないのではとの観測もされた。
・我孫子手賀沼駅と「改名」して話題作り、手賀沼のある我孫子を印象付けられるのではないか
・我孫子市民は、これまでの我孫子にある種の”うぬぼれ”がある。北の鎌倉だって実態はない。鎌倉市と姉妹都市にでもするとか、具体的な試みもない。
・さびれた街になっている状況をしっかり見た方がいい。ボート乗り場もそれを象徴しているのではないか、カッコよくないところに今どき人は集まらない。
・水上スキーなどでもいい、明るいイメージをつくる、水がキレだった頃に戻す部分的でも沢蟹をよみがえらせるなど取り組んでイメージアップをしていく
・手賀沼の景観を上げるが、実のところゆっくりコーヒーを飲めるような憩える場もない。人々が求めていることに応えようとする気持ちがない。温かみを感じる、温もりを感じさせるまちになって欲しい。食事をする所も知る人ぞ知るで、わかりにくい。
・友達を連れて行ける場所がある街になってほしい。80歳から子供、孫までも繋がれる、たとえば、学校や幼稚園にデイケアセンターがあるとか、いろいろな誰でも参加できるイベントを継続的に提供していく。
・我孫子から布佐までの市内を縦断する観光バスを運行する
・何にもしないのではダメ、金儲けもできるまちになって欲しい。
・安くて料金が分かりやすいレストラン、カフェが増えるといい。公園の近くに気楽に利用できるところが欲しい。靴のまま入れるカフェが望ましい。
・我孫子として何をうちだせるのか・・・有名別荘地だった景観の良さは凄い財産のはず。

3月14日(土)6-8時は、いいな・カフェです。こちらにもお気軽にどうぞ、お待ちしています。
詳細は2月23日のブログの項をご覧ください。



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2015年02月26日

統一地方選挙、住民との対話図る

 4月の統一地方選挙が始動している。
 そこで、朝日新聞のアンケートが行われ、全国の地方議会の52%が、議案に対する個々の議員の賛否を公開していることがでわかった。住民との対話を図る議会報告会も42%が開催。いずれも4年前の約3倍にのぼる。
 もっとも住民との距離を縮める取り組みが広がる一方で、閉鎖的な議会も少なくない
 アンケートは1月中旬以降、都道府県と市区町村の全1788議会を対象に実施。2月中旬までに全議会から回答やデータを得て、4年前の全1797議会の回答と比べた。

 各議員の賛否を公開している議会は、都道府県・政令指定都市で11%から39%、市区で17%から65%、町村で14%から43%に増えた。

 ところで議会報告会を年1回以上開いている議会の割合は、都道府県・指定市で8%から19%に、市区で13%から51%に、町村で16%から36%に増えたという。

 議員提案により政策条例を定めた議会数は、この4年で266。前回調査よりも107増えた。

 議会での議論を活性化させるルールを定め、賛否公開や議会報告会の導入を盛り込むことの多い議会基本条例。制定している議会は41%で、4年前の3倍近くにのぼった。

 賛否公開、議会報告会、議員提案の条例制定、議会基本条例が全て「あり」の議会は9から87に増えた。全て「なし」の議会も27%ある。都道府県・指定市はゼロだというのは驚きが、町村議会は38%、市区議会は17%が「なし」だった。

参照:朝日新聞26日
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2015年02月25日

それでも、女性議員が少ない日本の中の千葉

議員というと「偉そうにしている人」=男性、ということが相場だった時代が長かった。
しかし、最近はスカートの裾を踏まれて困るなどということもなく、議会の壇上で丁々発止に活躍する女性議員も数は増えてきた。女性総理も実現する日もありそうだ。それでも、今だに女性は意思決定の場において少数派ではある、が、最近、少数精鋭であり、経験や語学、専門知識を蓄えて、志高く日本の未来をグローバルに語れるような人材を有するように変化が見られる。

さすがに米国では女性大統領が誕生する期待も強くなり、英国では既にサッチャーのような有力な女性首相も誕生した。ドイツ、フィンランド、インド、パキスタン、フィリピンなどなど、さらには隣国でも女性大統領が誕生した。

ところで、わが千葉の県議会を覗いてみると、旧態依然である。そんな中で、我孫子は、その少ない女性県議を選出してきた歴史があるのは誇らしいと思っていた。今回、女性県議を目指して水野ゆうき氏が立候補を表明した。各地に美人過ぎる市議といわれる女性市議が話題になるが、水野氏もその一人だとされる。

議員になると悩みの一つにストーカー行為があるが、特に一期目に遭遇する。神奈川の知り合いの男性議員がストーカー行為がうけて、ブログで駅頭活動の予定を入れないなど対策している話を聞いて、海津にいなも同様の悩みを抱え、3年目にしてようやく警察に相談に行った、笑えないが本当の話だ。幸い、私の場合はその青年の親と相談するなども出来て解決し、そのご家族の問題解決にもつながって感謝もされたが、たが議員になるとはある種、個人情報を公開することにもなるので、立候補するとリスクも負うわけだ。議員になることによって、反発もくらう。選挙では候補者となる他議員ともやすやすとお友達ともいかない。ほかの職場とは全く違う環境で当選した駆け出しの時から「先生」と呼ばれたりするが、面従腹背というのが相場だ。

前回の県議選は、東日本大震災の年だった。千葉県は被災地でもあり、選挙ができない事情も生じていた。自粛ムードの中でそれでも我孫子は県内でも投票率が高かった。過去には、30%を割るような県議選もあったほど、指定席化の弊害もみせることもあったが、海津にいなは、2003年県議選では公開討論会を率先して、投票率の向上に努めたという経緯もある。そういう意味でも、準備の期間はかなりあるし、インターネットも期間中に使えるようになり、女性県議が誕生するチャンスは大きいのではないか。県議選に数少ない女性候補が加わるのだから応援したいと思う。


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2015年02月24日

韓国女性教授からの提案

23日、夕方のNHKのニュースを見ていたら、韓国のパク・ユハ教授が韓国で、いわゆる従軍慰安婦の問題を巡って、「わが国では誤解が定着している」と主張する書籍を出版して論議を呼んでいる。都内で会見を開き、和解に向けて日韓の専門家らが慰安婦の実態や解決策について、協議をする場を持つべきだと訴えました。

この書籍は、おととし韓国で出版された「帝国の慰安婦」で、朝鮮人慰安婦の被害を生んだのは日本の植民地支配に原因があるなどと強調する一方、韓国社会に定着している「20万人の少女が日本軍に強制連行された」という認識は実態とは異なると主張し、韓国内で論議を呼んでいます。

執筆したセジョン(世宗)大学のパク・ユハ(朴裕河)教授は23日、都内の日本記者クラブで明治大学の大沼保昭特任教授と共に記者からの質問に答え、「政治的に決着しても両国の葛藤は解消されない。解決に向けた過程を共有することが必要だ」と述べ、日韓の専門家らが公開の場で慰安婦の実態に迫る議論をし、解決の道筋を見いだすべきだと訴えました。もちろん、朝鮮人女性への性的暴力がなかったという立場での表明ではなく、解決のための歩み寄りを探るべく研究の成果を提示したものです。

そのうえで、「どちらか一方が正しいということはない。どのような決着がよいのか、皆で考える時に来ている」と述べて、和解に向けた取り組みを急ぐべきだと韓国側の女性教示が主張したというのは非常に勇気のいる行為だったはずです。

この問題を巡っては、日韓両国が外務省の局長級協議などで話し合っていますが、パク・クネ(朴槿恵)大統領は、日本側が先に歩み寄るべきだという立場を崩しておらず、ソウルの日本大使館の前には従軍慰安婦像とされる少女の像が置かれて何年にもなり、さらに海外にまで設置される状況に拍車をかけてこう着状態が続いています。

今回の呼びかけで、何か進展するようになってほしい。


http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150223/k10015686651000.html
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2015年02月23日

春のカフェにお誘い

春の兆しを感じる候となってきました。

一月の選挙後初の企画です。
どうぞ、お気軽にご参加ください。(申込み不要・無料 但し,お茶は各自お持ち寄りで) 

A アビィ・カフェ…気楽になんでも話題にしましょう
    日程2月26日(木)午後1時半−3時
      我孫子北近隣センター(ロビー/調理室@並木)

B いいな・カフェ…我孫子について語り合います 
    日程 3月14日(土)午後6−8時
       市民プラザ(第一会議室@旧エスパ)

【連絡先】NINAの会(明日の我孫子をつくる会)
     電話1(プッシュホン)04-7184-9828(Fax共)
       ninakaizu●gmail.com
        


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2015年02月22日

学者らが日本国憲法草案に関わった

現行日本国憲法は、GHQ占領のなかでGHQ草案で作られたと言われることがある。そこで戦後半世紀以上もたって、日本国憲法改正の必要性があると主張も出てくるようだ。

もっとも、そのGHQ草案には、日本人学者らの呼びかけた民間の憲法制定研究団体「憲法研究会」が発表した「憲法草案要綱」が採用されたことも知られるようになってきている。つまりGHQ草案には、高野岩三郎、森戸辰男や鈴木安蔵らが加わった「憲法草案要綱」を重視したコートニー・ホイットニー准将らGHQによる憲法案の作成に大きな影響をあたえており、少なからぬ点で共通する部分を有しているとされるのだとわかってきている。

その経緯は、敗戦後1945年の秋、社会統計学者の高野岩三郎(元東大教授、後に初代NHK会長)杉森孝次郎らの提唱で結成された「日本文化人連盟」に、森戸辰男らも参加。「新生」という雑誌を出すと共に、内部で新憲法の研究を始めた。その10月末には、法律に詳しい鈴木安蔵や今中次麿を加えて「憲法研究会」を発足すると、同年11月5日、杉森孝次郎(元早大教授)、森戸辰男(元東大助教授で後に片山・芦田内閣の文部大臣)、室伏高信(評論家・元朝日新聞記者)、岩淵辰雄(政治評論家・元読売新聞政治記者)ら当時日本を代表する言論人も加わった。「憲法研究会」では二ヶ月もの激論を重ね、鈴木が憲法草案「第3案」をまとめると、会はこの案をベースに「憲法草案要綱」を作成、1945年12月26日に発表した。この要綱がGHQに大きな影響をあたえたことから、それをまとめる中心となった鈴木安蔵は、日本国憲法の間接的起草者と認められている。

政府部内では、帝国憲法による国体の護持を目指してつつ改正作業を進めていたが、どの政党よりも一足先に出た民間の「憲法草案要綱」は大きな反響を呼ぶことになったのだ。鈴木は、発表翌日の12月29日、毎日新聞記者の質問に対し、起草の際の参考資料に関して「明治15年に草案された植木枝盛の「東洋大日本国国憲按」や土佐立志社の「日本憲法見込案」など、日本最初の民主主義的結社自由党の母体たる人々の書いたものを初めとして、私擬憲法時代といわれる明治初期、真に大弾圧に抗して情熱を傾けて書かれた廿余の草案を参考にした。また外国資料としては1791年のフランス憲法、アメリカ合衆国憲法、ソ連憲法、ワイマール憲法、プロイセン憲法である」と述べている。

鈴木安蔵は、大日本帝国憲法の制定史を研究、1933年(昭和8年)、著書『憲法の歴史的研究』として刊行(発禁処分)している。また、1937年にはやはり尾佐竹の推薦で衆議院憲政史編纂委員に就任した。これ以後彼は、戦前期において実に20作以上に上る著作を発表し、また研究活動の過程で明治期の民権運動家による私擬憲法(憲法案)を発掘したことは戦後の活動につながることになった。しかし、戦時中は「即ち日本が大東亜共栄圏建設の指導、中核国家たるべきことは、あらゆる点よりみて絶対的客観性を有している」(『政治文化の新理念』、1942年、利根書房)、「東亜共栄圏の確立、東洋永遠の平和の確保と云うも、なお目的の究極を尽せるものとは云い難い。八紘一宇の大理想を以て皇道を全世界、全人類に宣布確立するにあると云わねばならないのである」(『日本政治の基準』、1941年、東洋経済新報社出版部)という大東亜共栄圏のイデオローグであったし、 『進歩的文化人 学者先生戦前戦後言質集』全貌社、昭和32年)は、侵略戦争の世界史的意義を説くとの副題がついている著書もあるという。

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2015年02月21日

ボランティアは自己重要性も高める

アドラーという世界的に有名な精神科医が次のようにいっています。
「うつ病やノイローゼなどの患者は、私のいうとおりにすれば、二週間で治ってしまう。
それは、人をどうやったら喜ばせることができるか?ということを考え始めることである」

自己重要感がうまく充足されないで、その弊害が嵩じていくより、「人を喜ばそう」とする行為が秘策なのだそうです。これこそ、人間の五大本能の中でもっとも重要と思われる自己重要感を高めるための最高の技術(敢えて技術といいます)だといっても過言ではない。

他人の顔に喜びの微笑を浮かべることができれば、あなたの顔にも微笑が浮かぶことでしょう。
そして、あなたの心身はより一層若やぐであろうことは疑いありません。
すなわち、長生きのための最高の秘訣がここに示されているのであります。

自分の自己重要感が高い人は、人の自己重要感も高めることができる。
自己重要感の高い人は、人から感謝の言葉をもらっている人、愛情やあたたかい言葉をたくさんもらっている人。ボランティアなどで「人を喜ばそう」とするからこそ、人から感謝や、愛やあたたかい言葉をもらうことができるのだというものです。



『君の霊格を高めよ』竹井出版


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2015年02月20日

成功と失敗の評価は平等ではない

私たちは、何か問題が起きるまでは、考えることも気にかけることもしない。

それを示すように、プラグマティズム哲学の創始者であるC・S・パースは1878年の論文で、「人が何かを考えるのは問題を解決するときだ」と述べている。
それからちょうど100年後、ある実験でパースの学説を立証した。

一方の学生グループにはボタン操作でライトの点滅がコントロールできる状態を、もう一方にはボタンの操作ではコントロールできない状態を設定して、それぞれのメンバーに、どの程度まで点滅をコントロールできたと思うかを自己申告させたのである。

気分が落ちこんでいる学生の調査結果は予想のとおりだった。
彼らはコントロールできたかできないかの判断を正確に申告した。

ところが、ハッピーな学生の調査結果は予想外だった。
コントロールできたときの判断は正確だが、まったくコントロールできなかったときでも、35%の学生はコントロールできたと判断したのだ。

つまり、気分が落ちこんでいる学生はハッピーな学生よりも、失敗の経験を冷静に記憶し学習するというわけだ。ハッピーな人は、良いことは実際に経験した以上に覚えているが、悪いことはすぐに忘れる。

成功と失敗の評価は平等ではない。
成功したら、それを最後まで何もかも上手に遂行し、失敗してもさっさとあきらめて、大したことではなかったと考える。 幸せな人が能天気に見えるのはこのためだ。
幸せ者=能天気という見解には根拠があったのだ。
他方、うつ状態の人は、成功と失敗を平等に評価し、良いことも悪いことも正確に覚えてしまう癖があるというのだった。

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2015年02月19日

健康クッキング

我が家の夕食は、基本シンプルです。 ご飯、野菜料理、魚料理もしくは肉料理です。野菜料理はほうれん草か小松菜お浸し、煮浸し、ポテトサラダが好きです。魚料理は焼き魚が多いです。アジ、さんま、ぶり、鮭になりますか。肉料理は豚肉のソテー、牛肉はすき焼き、ビーフシチューやポトフ、ジャガイモ入りのおでん、それとボルシチも好物なので時折作ります。
ステーキは夕食ではオイリーなので最近はめったにしないですが、それでもこの季節のカキフライはレモンを絞って、やはり美味しいです。

そこで、カロリーを気にしている方のために揚げない牡蠣の春巻きを教えてもらいました。
レシピを紹介しましょう。
カキはざっと洗ってペーパータオルで水気を取ります。シロネギを細かく刻みます。春巻きの皮を広げて手前3分の1くらいのところに大さじ1杯程度の刻んだネギをおきます。その上にカキを2個、大きければ1個載せます。ネギの上に乗せるのはカキの水分で春巻きの皮が破れないためです。その上にすりおろしたパルメザンチーズを小さじ1杯ほど振ります。市販のカキはコクがないためです。後は手前を折って左右を折って薄い長方形に仕上げます。次に皿にサラダオイルを取り全体に油をオーブンで200度のオーブンで約15分焼いて出来上がりです。この辺はお使いのオーブンによって調整してください。

さらにオーブンの簡単クッキングがカブのローストです。
カブをよく洗い、皮のまま上下を切ります。塩胡椒してこれにオリーブ油を塗り、クッキングシートの上に並べ、オーブンで20分ほどローストします。シンプルですがおいしいです。ナスを魚焼き器で焼き、皮をむいて生姜醤油で食べるのもシンプルです。その時、竹串であらかじめ穴を空けておかないと破裂します。キャベツのアンチョビとニンニクの炒め物も簡単でよいです。野菜料理は、ラタトゥイユも好きです。

さて、26日は久々のクッキングの会です。1-4時で並木の近隣センターです。ご参加の場合は、2日前までに、電話1(プッシュホン)7184-9828へ
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2015年02月18日

善き教えに従う国であってこそ

日本は歴史の長い分、複雑な国で、日本人は多様化している。
とくに欧米と比較すると、一神教のキリスト教、イスラム教を背景にする価値観は原理主義的だが、日本は多神教、神様はいくらいても善いのであり、手を合わせて感謝する。

江戸時代、武士よりもずっと多かった庶民は寺子屋で学ぶ機会を持て、庶民に浸透していたのは石門心学だった。 石門心学というのは、江戸時代中期に思想家の石田梅岩が開いた実践道徳である。
庶民に向けて正直の徳を説き、私心をなくして自分を取り巻く社会全体に貢献しなさいという教えだった。
とくに、商業の意味と大切さを説いて、商人にも商人道があるとした。そこで、 日本中に石門心学の塾が自然発生的に何百もできた。

江戸時代、石門心学が日本中で流行ったのは、日本人みんなが「自分たちはどう生きるべきか」というこに興味があったからだ。

徳目の部分の口語訳:
「親に孝養を尽くし、兄弟姉妹は仲良く助け合い、夫婦は仲睦まじく、友人は胸襟を開いて信じ合い、自分の言動を慎み、すべての人々に愛の手を差し伸べ、勉学に励み、仕事に専念し、知識を養い、人格を磨き、世のため人のために貢献し、法律や秩序を守り、非常の事態では勇気を持って戦いましょう」

今読んでも、もっとも当然なことだと思うだろう。
明治時代の国民も、面食らったりはしなかった。日本の大衆はそれぐらい程度が高かった。
昔から、日々の生活で日本人は多様な神を仰ぎ善きことを実践しようと心がけてきたのである。
彼岸に参り、日々仏壇、神棚に手を合わせる。
祈りをささげる神はともかく、少年少女をとらえて戦闘員にさせてしまう武装集団があっていいわけがない。しかし、戦わずして撲滅させる方法があるのだろうか、とさえ思えるニュースが続いているのは日本にとっても難問だ。


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2015年02月17日

マイナスの情報から心を守るために

新聞や雑誌に限らず、テレビで流れるこのところニュースは嫌なニュースが多い。
以前、アメリカのジャーナリストが行った調査によると、ニューヨーク・タイムズやワシントン・ポストをはじめとするアメリカの新聞のおよそ8割はマイナスの情報だとのことだ。
こうしたマイナスの情報に満ちた環境の中で暮らしていたらどうなるか。
マイナスの情報が他者暗示という形となって、その人の心にどんどんインプットされる。しかし、よく考えてみれば、暗いニュースが多いのは、本当は暗くない話題、明るい情報が大半だということでもあるのだ。
事件があった、ということは、それ以外のところでは起きていない、ということになるわけです。
事件が起きていないところはニュースにはならない。

こうした重苦しい気分になったときに、それを相殺、もしくはプラスのエネルギーに転じさせるためには、
にこっとする事をいつも思い出す習慣をつけておくのが良いのだそうです。
小さな写真であれば、定期入れなどに入れて、通勤電車の中やどこかで人と待ち合わせているちょっとした空き時間に眺めるのもいいでしょう。花や新緑を見るとすがすがしくなるのもそのせいです。
いい絵や写真を貼っておくのは、精神的に優れた効果につながるわけです。
いずれにしても、自分の願望に関係する写真や絵を手元に置いて、いつもそれを眺めるようにすれば、イメージの世界で自分が本当にそうなったかのような体験をすることができます。
そうなれば、快適で楽しい気分にもなれます。心が明るくなり、プラスのエネルギーが宿るのです。

参照:
植西聡 『運気をつかんで離さない人の習慣』徳間書店
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2015年02月16日

なくなる職業についての研究

10年後に「なくなる職業と仕事」という研究がある。英オックスフォード大学でAI(人工知能)が専門のマイケル・A・オズボーン准教授の研究だそう。702の職種すべてについて、コンピュータに取って代わられてしまう確率を研究したものだ。その消えてなくなる確率は90%以上だという。

それは例えば、「銀行の融資担当者」、「スポーツの審判」、「不動産ブローカー」、「レストランの案内係」、「保険の審査担当者」、「電話オペレーター」、「レジ係」、「チケットもぎり係」、「電話販売員」、「時計修理工」、「図書館員の補助員」、「データ入力作業員」等々。

また、米労働統計局のデータに基づいて行われた別の調査で、10年後に姿を消す可能性の高い職業が発表された。例えば、「メーターの計測係」、「郵便配達員」、「印刷業者」、「税務調査官」、「フライトアテンダント」、「旅行代理店の社員」、「新聞記者」、「木材伐採人」等々だ。

コンピュータやインターネットの出現で仕事や、考え方がとてつもなく大きく変わった。
そして、それは今後もますます、様々な分野に広がり加速していく。
時代の列車に乗り遅れてはならないからこそ、列車の最後尾でもいいから乗っている必要がある。
新しい技術、特にインターネットに関することは、 無理やりにでもキャッチアップしよう。


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2015年02月15日

白樺派芸術家村の活躍があった我孫子時代

柳宋悦について書かれた本の読書会に参加した。
2013年に新書版がでた「柳宋悦 複合の美の思想」の最終章にこぎ着けた。
なんと著者の中見真理教授も参加してくださるというおまけつきだった。

白樺派の人々は、トルストイに関心が強かったとは研究がされているが、中見教授の「柳宋悦 時代と思想」(東大出版会)によって、思想史の研究によって、クロポトキンについても関心が強かったこともわかってきている。

我孫子にやってくるころと前後して、日本は軍事色を濃くしていく時期にあたり、政府は人心の統制に厳しくなっていく。1913年の警視庁官制の改正によって特別高等課は、特別高等警察・外事警察・労働争議調停の三部門を担当する課として位置づけられた。特別高等警察では、特に、社会主義運動、農民運動などの左翼の政治運動や、右翼の国家主義運動などを取り締まった。

いよいよ、柳夫妻が我孫子に転居してくる1914年には、6月にサラエボ事件が起きて、これを契機に人類史上初の世界大戦(1914-1918)となっていく。日本の参戦で国際社会において認識されると同時に、ヨーロッパの文化もまた大量に日本に流入し、人道主義や民主主義といった思想も入ってきた。民主主義思想の流入とともに、この元老政治、軍部・官僚を攻撃する動きが知識人の間に広がり(憲政擁護運動)、天皇機関説(美濃部達吉)、民本主義(吉野作造))、普通選挙の実施を求める声が強まった。

ロシア革命が起きる(1917年)のに続いて、日本共産党が結成(1922年)されると、1922年から1926年にかけて警察部にも特別高等課が設けられ北海道・神奈川・愛知・京都・兵庫・山口・福岡・長崎・長野などの主要府県におかれた。特高として略称される、思想統制を行う非情な組織だ。

柳宋悦が朝鮮独立運動を鑑みて「朝鮮人を想う」との論文を発表したのが、1919年であったので、特高の監視も受けていたとのことだった。柳は、1921年に我孫子を去るが、その前年の1月に帝大経済学部森戸辰男教授が起訴され有罪判決となる「森戸事件」が起きている。大学教授へも言論弾圧がされるようになった、この事件を白樺派の同人が知らないわけがなかった。

森戸教授は、経済学部機関誌『経済学研究』創刊号にロシアの無政府主義者・クロポトキンの「パンと奪取」という論文を翻訳し「クロポトキンの社会思想の研究」として発表した。学内の興国同志会から「学術の研究に非ず、純然たる無政府主義の宣伝」と攻撃を受けて、雑誌は回収処分となった。さらに、当時の新聞紙法第42条の朝憲紊乱罪にあたると指摘がされて、森戸教授は起訴され、文部省に従った当時の東大総長山川健次郎によって休職処分となる。

もちろん、各大学の学生団体も森戸と大内を擁護し新聞・雑誌も大きく取り上げ、言論界は大論争となった。裁判では今村力三郎を主任弁護士に原嘉道、花井卓蔵、鵜沢総明、特別弁護人に三宅雪嶺、吉野作造、佐々木惣一、安部磯雄ら錚々たるメンバーが揃い、「社会理想としての無政府主義」と「実行方針としての無政府主義」は峻別すべきと主張した。10月2日、大審院(当時の大審院検事局検事総長は平沼騏一郎で、立ち上がれニッポンの代表だった平沼はその甥。1月11日に興国同志会の訪問を受けてる)は上告を棄却して有罪が確定。禁錮刑となって、巣鴨監獄の独房で3ヶ月を過ごした。弁護団ばかりでなく、有島武郎や長谷川如是閑、後藤新平ら多くの文化人が森戸らを擁護し、有島とは終生変わらぬ交友を持った。有島は生前のクロポトキンに会った数少ない日本人の一人であり、白樺派に参加していたことでも知られる作家である。白樺文士たちは、クロポトキンに傾倒していたのであるから、身の危険も感じるようになっていたことだろう。おりしも、柳邸内のリーチ窯の工房が焼失するのが1919年であった。農家ような戸締りのしにくい家の作りはなく、都会の住まいかたに変えようとしたのかもしれないなどと、我孫子にやってきて10年もしないうちに次々に去っていく彼らの去就の理由を思いめぐらすことになった。



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2015年02月14日

パッチアダムス

「パッチアダムス」という実在の医師が、笑いとユーモアで人の心と体を癒すことが治療に有効であると、奇想天外な治療を実践して、小児病棟を明るく元気にして、患者の心を引き立て、周りに希望を与える。映画になって、ロビン・ウィリアムズが主演した話だ。

 笑いは、体も心も癒し、病気を治す効果になる。
この「笑いの渦に人を巻き込むその頭の使い方」こそが、若々しい頭脳の秘密ではないかいう見方があります。

そして、ご長寿双子姉妹の「金さん銀さん」がいろいろなところでその長寿の秘密を聞かれたとき、答えは「笑い」に関するものだったのです。そのうちのいくつか紹介させていただきます。

@よくしゃべり、よく笑うこと。これも長生きの秘訣だと思うにゃ。
A笑う門には福来る、そういうじゃろ。犬や猿は笑わん。
B感謝を忘れたら、人間はだめになる。ああ、有難や、有難や。
C悲しいことは、考えんほうがええ。楽しいことを夢みることだよ。
D人間、大事なのは気力。自分から何かをする意欲を持つことだね。

「一笑一若一怒一老(いっしょういちじゃく いちどいちろう)」
一つ笑えば一つ若くなり、一つ怒れば一つ老いる。


『100歳になっても脳を元気に動かす習慣術』日文新書
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2015年02月13日

ゆっくりやってみよう

心理カウンセラー、金藤晃一 『つまずいたら、いつもの逆をやってみよう』大和出版

金藤氏は「スランプのときは実力以下でいこう」という。

つまり、スランプである現時点のエネルギ―を10とすると、それを20のレベルでやろうとするからなかなか行動できない。あえて、今のエネルギーの10を出し切らないで、6とか7でできることをする、というものだ。

そうすると、気分が楽になって行動することができる。
人は、たとえほんの少しであろうと、何らかの行動を起こすことができれば、そこから徐々に解決の糸口が見つかる。とにかくも前に動き始めることだ。

完璧を求めず、気楽に始めれば、人生はきっと何とかなる。
「プレッシャーがあるほど燃える」という人もいるでしょう。
私など爪の垢を煎じて飲みたいぐらいです。
とくに私のように黙っていても「あれもこれもやらなきゃ」と自分を追い詰めてしまうタイプは、プレッシャーを感じやすいのです。

「やらなければならないことがあるのに、なかなかやる気が出ません。気合が入らないというか。」
意志が強すぎて、かえって麻痺してしまっているのです。

緊張が続きすぎて、気持ちが硬いゴムのようになっているのです。
「モチベーションは上げるものではなく、勝手に上がるんです」ということだ

13日の金曜日、ゆっくりやりましょう
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2015年02月12日

認知症は防げる

その人の顔はよく知っているのに、名前が思い出せない。
それで、つい「あれ」「あの人」などと言ってしまう…という状態は、単純な記憶力の問題とは区別して考えた方がいい面があります。その原因と考えられるのは、多くの場合、次のどちらかです。

●普段しゃべる機会が少ない。
●(よくしゃべっているものの)自分の言いやすい言葉ばかり使っている。

認知症と発語量の関係を調べるため、発語カウンターという計測器を使って、人が1日にどのくらいしゃべっているのかを調査し、そのときによくわかったのは、「人は案外しゃべっていない」という事実でした。

この研究で、認知症状に向かっていきにくい発語量の基準として「1日2000語」という仮の結論を出したのですが、毎日それくらいしゃべっている人は多くなく、挨拶や返事以外の言葉を1語も話さず生活している人も珍しくありませんでした。

若い世代にもそうなっている人がたくさんいると思います。
英語の単語ならともかく、母国語である日本語を忘れるはずがないと思われるかも知れませんが、完全には忘れなくても、「概念と語彙を結びつける力が弱くなる」ということは起こるのです。

まずは、できるだけ発語する機会を増やすよう心がけていくことです。
会話する相手に恵まれていない場合には、とりあえず音読を毎日の習慣にして下さい。

続いて、2つめのケースです。

こちらの方がより一般的だと思いますが、しゃべってはいるものの、自分が言いたい言葉、言いやすい言葉ばかり使っている。その結果、普段あまり使わないような言葉が思い出しにくくなっているというパターンです。これは一言でいえば、 意志的に言葉を選択して使う力が落ちているということだと思われます。

会話をする相手が限られている場合には、第三者を交えることを心がけるといいと思います。
その第三者というのは、人ではなく、本や雑誌の記事でもかまいません。
それを傍らに置いて、たとえば、「この『生物と無生物のあいだ』という本は面白かったよ」
「へぇ、どんなことが書いてあったの?」「『動的平衡』という言葉がキーワードになっているんだけど…」
という風に、普段使わない言葉を使ってしゃべってみる。
映画やDVDを見た後に、感想を話し合うのも良いでしょう。

誰でも学生時代までは、自分の興味のない分野でも必修で勉強し、幅広い語彙に触れ、それを使っているものですが、社会人になると、自分の専門分野しか勉強しない、興味があることしか話さない、という風になっていきがちです。そうすると、自由に使える語彙も限られていってしまう。
そういう硬直した状態を変えていこうとする意識を持つようにして下さい。

脳神経外科医、築山節
『脳から自分を変える12の秘訣』新潮文庫

職業別の寿命では、僧侶が1位だという。
その大きな理由の1つが、読経(どきょう)ではないか、と言われている。
読経という「音読」は、脳を活性化し、言葉を忘れにくくする。
そして、声を出すことにより、呼吸法が自然とできることも大きい。

また、普段使わない言葉を使うには、読書が一番だ。
それは、それを誰かに話したり書いたり、というアウトプット型の読書だ。
読書もいくら冊数を読んだからといって、インプットだけに終わってしまっては脳は活性化しない。

普段より、読経や素読(そどく)をしたり、祝詞(のりと)をあげたりする。
そして、多くの本を読み、それを誰かに語る。
いつまでも、脳を活性化させておく習慣を身につけておくといいようです。
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2015年02月11日

脳は老いない

1万人近い人たちの脳画像を分析したところ、脳に関する“ある事実”がわかったのだそうです。
その事実とは、「チャンスを与えれば、脳はいつまでも成長し続ける」ということでした。

一般的には、身体の機能は10代から20代にかけて発達し、30代、40代から穏やかに衰えていくと考えられています。そして、脳も同じような成長の軌跡をたどると思われています。しかし、これは必ずしも正しくありません。実は人の脳には未開発の部分がたくさん残っていて、そうしたエリアでは成長前の多数の脳細胞が情報や経験を吸収しようと待機しています。この成長前の脳細胞に適切な刺激を適切なタイミングで与えれば、脳はみるみる新しい姿に変わっていくのです。脳を鍛えるには、できるだけ多くの「経験」を積まなければいけません。

脳にとっての「経験」とは、神経細胞にどんな情報が届けれられたか、どのように栄養を摂取したか、また、環境の変化にどう対応したかなどですが、これらが豊かであればあるほど脳は個性的になります。脳が経験を積むためには、実際の生活でもさまざまなことに挑戦しなければいけません。

人は、失敗を語るときは謙虚になる。 恥ずかしい体験やつらかった体験を語るとき、人格そのものがにじみ出る。死に臨んで、もっとも後悔することの一つが、失敗を恐れて挑戦をしなかったことだという。
挑戦を恐れない人は、「絶対に成功する」という根拠のない自信や夢や希望を持っている。

100歳まで元気に活動している人たちをつぶさに観察していると、「ときめき脳」を刺激するために、さまざまなチャレンジをし、それがまた、「ときめき脳」を刺激していることに気づきました。

たとえば、1年に100日以上スキーを楽しんでいた三浦敬三さん。三浦敬三さんはスキーをしたいという思いから、食事に注意し、運動を心がけ、それが100歳になっても元気でいられることにつながっていったのです。
スキーが「ときめき脳」を刺激して、大きなモチベーションになったのです。

100歳を過ぎても元気で自活している昇地(しょうち)三郎さんは105歳になるが、中国語を95歳からはじめ、100歳を過ぎてから3年連続して世界一周を果たしている。

122歳まで生き、世界一長生きしたとしてギネスブックに掲載されているフランス人女性ジャンヌ・カルマンさんは、85歳でフェンシングをはじめたり、100歳を超えて自転車を乗りまわしていたという。

ひょんなことから出会ったマスターズ陸上というものを知ったのは92歳のときでした。
20歳で結核を患って以降、運動などやってこなかったのですが、初めからすんなりと競技に入り込むことができ、その後『走る』ということの面白さにのめり込んでいったのです。
競技を通じて、多くの友人ができたのも長く続けられた一つの要因かもしれません。

歳を取ってくると、独りきりになることが一番つらいことですから、友人と共に成績を競うということは、何歳になっても楽しく、人生を豊かなものにしてくれます。100歳のときに、100メートル走で29秒83という100歳の部での世界記録を出したのです。

趣味の世界で日本一を取りたいという目標は、日本を飛び越えて世界で一番という余禄付きで達成できたのです。多くのテレビや新聞からの取材を受け、大学からは研究対象に選ばれ、京都府からは毎年表彰を受けています。そして最近は陸上競技の103歳の『最高齢スプリンター』として、ギネスワールドレコーズにも公認されたのです。

世間の年寄り衆に言いたいことは、別にマスターズ陸上でなくてもいいのだが、生きているうちにコレをやったというような『何か』を残そうと思い、そういった何かを見つけることが、人生を充実させ、それが長生きの秘訣となるということだと思います。

人は、いくつになっても何かにときめいていれば、若くいられる。

参照:
宮崎秀吉『103歳世界最速のおじいちゃんスプリンター』日本文芸社

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2015年02月10日

ケネディーが尊敬した日本人

アメリカの35代大統領ジョン・F・ケネディは、日本人記者団に尊敬する日本人は誰かと質問されて、上杉鷹山と答えたエピソードがある。「為せば成る、為さねば成らぬ何事も、成らぬは人の為さぬなりけり」の言葉を残したのが鷹山だ。

上杉鷹山は、幼いころから細井平洲(へいしゅう)という学者について学んだ。
藩主たるもの、どういう考え方と行いをしなければならないかを教わり、人格を磨いた。

上杉謙信以来の名門米沢藩は、財政赤字で借金が膨れ、収入の15万石すべてを返済にまわしても百年以上はかかる状態だった。明和元(1764)年、ついに藩主上杉重定は、幕府へ版籍を奉還したいと尾張藩主徳川宗勝に相談した。どうにもやっていけないから、いっそ領地をすべて返上すると前代未聞の話を持ち込んだ。
驚いた宗勝は、考え直すように説得したうえで重定を隠居させ、九州の遠縁の高鍋藩から養子を入れ、藩政改革を進めようとした。その養子が上杉治憲(はるのり・鷹山)だった。

鷹山は改革を進める。だが小藩出身の養子であることから改革方針は軽んじられて、格式にこだわる家老たちの反対にあう。重臣らの非協力のなか、自ら倹約を徹底した。粗末な木綿の服を着て、一汁一菜の食事で通した。さらに華美な儀式や慣習を質素にした。荒地の開墾を行い、漆(うるし)やこうぞなどの特産物の育成をした。人を派遣して学ばせ、織物や紙すきの技術導入も図った。

不要な組織の整理で、藩士たちの無駄な城勤めからの解放を進めた。手が空いた下級藩士たちは、開墾や特産物の栽培に力を注ぎ、武家の婦人たちは織物や紙漉きに精を出した。やがて藩内の産物や加工品が藩外や江戸でも売れるようになった。ようやく財政改革の成果が出そうになってきたとき、武士が百姓町人の真似をするなどもってのほかと、改革を快く思わない重職7名が連署して改革阻止の行動に出た。しかし改革に期待を寄せる下級武士団から鷹山は支持され、この改革妨害を乗り切った。

「できない」と諦めるか、 「できる」と考えられるか、リーダーシップを発揮するうえで、決定的な違いが出る。「できる」という意識に立つ。

何か問題に突き当たったとき、「これは無理だ、できない」と思うのか、「もしかしたら何とかなるかもしれない」と思うのかで、道は大きく分かれる。無理だと思えば、そこから先に一歩も進むことはないが、できるかもしれないと思えば、いつか問題を解決できるチャンスを得たことになる。

「できるかもしれない」、という根拠のない自信や、ばくぜんとした思いこみは、人生においてはとても大事だ。この意識は、その人の人格から現れるのだという。
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2015年02月09日

大丈夫と三回唱える

朝のNHKドラマ「マッサン」を見ていますが、そこで、初の外国人ヒロインのエリーがよく「大丈夫、大丈夫、大丈夫」と夫のマッサンに言っています。国産の本格ウイスキーを作る話であり、国際結婚、二人の人生は波乱万丈で、上手くいかないことも多かったことがわかるのですが、それを乗り越えられたのは「大丈夫」というエリーの言葉だったのかもしれません。

長いこと上手くいかないでいる場合には、気持ちを明るい方へ向けようとしても、萎えた心がついていかず、限界があります。そんな中で、とくに効き目のある言葉が「大丈夫」という言葉なのだそうです。

禅でいう「大安心(だいあんじん)」が大丈夫そのものの意味。大安心とは、不安のひとかけらもない状態、つまり、心の底から安心しきっている状態をいうといいいそう。こんな逸話があるそうです。

一休禅師は、亡くなる前に弟子達に三巻の遺言を残しました。
もしお寺でどうにもならないほど、困ったことがあったら、この三巻の遺言を開けなさい、と。
一休禅師が亡くなって何年かして、お寺にほんとうに困ったことが起こり、その遺言書を開けることにしました。すると…一巻目には「大丈夫」、二巻目には「心配するな」、三巻目には「何とかなる」と書かれていたというのです。

頑張れと励ますのではなく「安心させる」こと。
ポイントは、3回唱えるということ。 「大丈夫、大丈夫、大丈夫」。

声に出して言うことで 効き目は倍増するとのこと。
それから、首を縦に頷くのが効果的だそうです。
心の中で呟きながら、て首を縦に2度振って頷く。

つらいことがあったとき、悩み事があるとき、「また、上手くいかない」「ダメな人間なんだ」、「誰にも認められない」などと、自分自身の存在を否定しがちになります。そんなとき首を縦に頷くと、心にポジティブに自分に届く、脳科学でも認められるそうなのです。

なるほどだ、私も心配性の母にやってみよう。


参照:
志賀内泰弘 『「ポジティブ練習帳」』同文館出版
聖路加国際病院小児総合医療センター長、細谷亮太『きっと「大丈夫。」』致知出版社


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2015年02月08日

ニューギニアの話・・・

我孫子の文化を守る会の講演会にパプアニューギニア、サウジアラビアなどで公使をされていた方が講師でお話があるからと誘われて、イスラムの話も気になりますが、ニューギニアについて知りたいとの気持ちがあり、行ってきました。

1941年からの太平洋戦争で、日本軍が1942年1月22日、ニューブリテン島ラバウルに上陸、ニューブリテン、ニューアイルランド、ブーゲンビルなどの島嶼部やニューギニア本島の北岸を占領し、次にポートモレスビー攻略を狙った後、翌年8月にはソロモン海岸からオーエン・スタンレー山脈越えでポートモレスビーを陸路攻略する作戦とられました。飢えとマラリアの為に多くの死者を出して撤退し、その後、制海権、制空権を失い補給を絶たれ凄惨な戦場となったのでせう。ニューブリテン島の先端の港町、それがラバウルです。もと日本海軍司令部があり、山本五十六連合艦隊長官はラバウルと飛び立ち、ブーゲンビル島で撃墜され亡くなりました。ゲゲゲの鬼太郎で有名なマンガ家、水木しげる氏もニューギニア戦に従軍してそこで左腕を失っていて、そこでの体験などが漫画のもとになったと言われています。

先の戦争では約20万人の旧日本軍部隊が投入され、以後3年間にわたり戦場となり、実に18万人の将兵が亡くなったのでした。この生存率は他の戦場と比べ極めて低く、その実態は食糧、弾薬の補給がないままに無謀な行軍を継続したことにあったといわれています。実は、私の父はここから生還できた2万人の兵の一人でした。行軍についていけないほど体を壊して野戦病院に残されていたことが、生死の分かれ目になったのだということは聞かされていましたが、まさかその飢えとマラリアで亡くなるという戦場の実態を父は語りませんでした。常に亡くなった戦友の叫びを感じていたのか、夜も眠れない日々があったように思い出します。

日本の戦争の最大の敗因の一つは、兵士を天皇の赤子として切りすてるような、無謀な作戦を多々とってきたそれも浅薄な感情で忘れ去られるということではないか。米国の兵士は、数か月おきに休暇が与えられて母国に戻る余裕があったが、日本兵は行ったら死ぬまでご奉公でした。米戦死者の遺骨は放置されることがなく、葬られる措置に比べ、日本の戦後はあらゆることで戦後処理が不十分だったと言わなくてはならないです。

旧日本軍は連合軍に補給路を断たれ配給もなく、現地調達できるのは原住民が栽培する芋くらいで、他に食べ物は全くありませんでした。気温の高い中でジャングルを行軍しながら、飢えを凌ぐにも蛇やトカゲ、クモ、毛虫の類しかないありさま、中には兵士の人肉を食したのも実話としてあったというのも書物で知りました。心身の衰弱でマラリアなどの伝染病に罹りましたが、薬もなく、体力と気力が尽きた人から次々と亡くなってゆきました。つまり、戦死者の大半がこうした飢えからきた病死であり、語る戦果も空しい、遺族、関係者の中で語られるのがせいぜいでした。

今も残る遺骨は遺族、関係者の収集団が赴いていますが、その遺骨引き渡しは千鳥ヶ淵墓苑で行われ、墓苑の中にある厚生労働省の霊安室に一旦安置され、ご遣骨は年に一度、日本政府主催の納骨式をもって、墓苑に納骨されるのだということます。ニューギニアだけでなく日本国外で亡くなった旧日本軍将兵のご遺骨はいまだ多くが放置されたまま、という侘しい現実です。約240万人の戦死者のうち100万人以上のご遺骨が、放置を余儀なくされたままだとすると、現地の人々に白骨ロードと呼ばれ野ざらしにされていることは日本の人々はほとんど知られないままできたということも、せめて教科書に記すべきで、70年を節目そうしたこととも取り組んでほしいと思ったところです。70年の昔とはいえ、夫であり、兄であり、父であったその人が、異国の地で亡くなり放置されて年月を待ち続け、山と放置されたままであっていいはずはありません。

http://www.mhlw.go.jp/jigyo_shiwake/gyousei_review_sheet/2014/h25_pdf_saisyu/7-5-2.pdf#search='%E5%8E%9A%E7%94%9F%E7%9C%81+PNG+%E9%81%BA%E9%AA%A8%E5%8F%8E%E9%9B%86'
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2015年02月07日

マザーテレサと政治とお金

マザー・テレサは、ご存知のとおり、コルカタ(カルカッタ)の貧民街で、誰からも手を差しのべてもらえない人たちを受け入れ、献身的な奉仕を続けてきた素晴らしい女性です。そのマザー・テレサが、いつもお金のことを考えていたというのです。

多くの人を救うためには、確かに多くのお金が必要です。そのため、彼女はどうすればたくさんのお金を教会に集められるだろうか、と考えていたのだそうです。この話を聞いて、「あぁ、お金のことを考えるのは悪いことではないんだ。必要なところに使えばいいんだな」と思えるようになりました。お金自体が悪いことではなく、お金をどう使うのかが大切なのだと思います。マザーテレサが集めたお金は、自分のために使うのではなく、貧しい人々のために正しく使おうとしていたことがはっきり示されていました。自分のためではなく、ほかの人のために使おうとすると、人が集まってくるという例です。目的が明確なほど、それは顕著に表れるし、そのためにお金を扱うことをマザーテレサはいとも楽しげに、独特のユーモアも交えて世界を巻き込んで考えさせた稀代の女性でした。政治家をも上手く使う、楽しい聖女でした。

お金儲けの亡者になることは醜いが、さりとて、お金やお金儲けを忌み嫌うことも能がない。
お金を嫌えば、お金は汚いものという意識が心の奥底に深く刻まれてしまう。
会社でも、家庭でも、政治でも、経済でも、あと少しのお金の出し方が違ったらなんとかなった、ということは多いものです。ほんとうは、どんなところでもお金は必要。特に、組織においては、その組織のリーダーやトップにある人のお金儲けが下手だと、その組織そのもの活動が低下してしまい、やがて最後には活動が停滞してしまう。 大事なことは、お金儲けは悪いことではなく、儲けたお金で皆の利益になるように循環させるよう使うかなのです。自然環境を保全するためにも、お金がかかります。

 昨年の総選挙の最低の投票率、我孫子においても市長選での最低の投票率。これからは、憲法改正へ向けての準備が始まり、18歳からの選挙になるというのに、政治を忌避するようでは先進国の教育の根幹がお粗末だったということになります。

 地方創生の掛け声で、地域のアイデアを盛り込んでお金儲けをスマートにする、雇用を増やせるところには若い世代が定住するようになる。よって、高齢者も安心して暮らせる。そういう、暮らしのための政治力学を各人が想いを馳せ、ちょっとでいいからかかわろうとしないといけない時代になってきているのです。政治は皆の生活を良くするためにかかわるのだという、市民意識を高めていくことをまずはやらなくてはならないのだと、年末年始にかけての選挙を通して感じています。


参照:
『毎日をハッピーにする90の方法』ディスカヴァー



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2015年02月06日

行動すること

言葉による自己暗示はとても有効だが、鏡の中の自分を見ながらそれを言うと、視覚的なイメージも加わり、それはさらに強固なものとなる。自分の口で言って、自分の耳を使い、さらに目も使うという五感をフルに使うということだ。ミラートレーニングはとても大事。

今であろうと昔であろうと、時代を変えてきたのは、その時その時の「変な人」だ。
世の中には二つの姿勢の人しかいない。 1つは現状維持の姿勢の人であり、もう1つは現状打破の姿勢の人。

しかし、歴史が証明するように、現状維持の姿勢の人はいつか必ず、世の流れから置いていかれる。
時代は変化し続けるからだ。

逆にいうなら、批判されやすい人は、真のリーダーか、
世を変革しようとしている人、だということ。
人を本気にさせる人がいる。


視点を広げる際にさまざまな選択肢が生まれますが、どんなものであれ、問題の解決につながるものはすべて正解。答えが多ければ多いほうが望ましく、あらゆる案に対して、「それもアリだね」という態度をとる思考法。要するに、問題を解決するときに、ロジカルシンキングで問われるのは「過程」であり、ラテラルシンキングで問われるのは「結果」です。
今も昔も、商売や事業、あるいは物事の成否は、ロジカルシンキングより、ラテラルシンキング的発想。
異質なもの同士を組み合わせたり、欠点を逆手に取ったりする、あっと驚くような手法。

「世の中は本気になった人から成功していく」とは、本気になるには、誰かを本気で幸せにしたいと思うこと。「批評家になるな。いつも、批判される側にいろ」
現状打破の姿勢の人は、現状を少しでもよくしようとする、向上心のある人。
どんなに正論をいい、理屈を並べようが、それが現状打破の具体的行動に結びつかなければ、それは結果として現状維持となる。行動がなければ何事も一歩も動かない。



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善き目標に向けて、再スタート

2月も一週間が過ぎ、週末となります。
『何のために生まれてきたの?』(PHP研究所)に次のようなことが書かれていた。

「運」は、自分でつかまなくてはいけない、
仕事がこなくても、絶えず続けていなと、運は巡ってきません。
やめてしまえば、そこで終わり。すると、何かしら運というのはやってくると言われます。

つまり、やっている人のところには、なぜかくるんだそう。
何もしてない人のところにはきません。
困ったと言っているだけじゃ、何も始まらない。
絶えず、自分がやっていないとダメなんです。
どんな状況になっても、やり続ける。

その場を楽しむように。
それと根気。根気がないとダメなんだそうです。
若い頃に世に出るのもいいが、遅く出てきた人というのは、いきなりダメにはなりにくいという。
こんなことをしていていいのかと思っていたことが、みんな勉強になり、役に立っていく。

人生にムダなことなんて一つもないです。
皆様もきっとそう思うでしょう。
ともかく、生まれてこれて、いろいろなところを巡り、
いい人たちにお会いできたのですから、私も頑張ります!

目下の悩みはダイエットに弾みが付きすぎて、6キロ減量で行きすぎになってます。
筋トレ、糖質ダイエットですから、体力は問題ないのですが、もう少し太りた〜い、という気分です。



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2015年02月05日

「1万時間の法則」、失敗を灰にする

「1万時間の法則」と呼ばれるものがある。これは、マルコム・グラドウェル氏が提唱した法則で、一流の人のほとんどが、その分野で努力してきた時間の総計が1万時間を超えていたという調査で明らかだ。一流のスポーツ選手や音楽家、成功を収めた企業家など、何らかの分野で天才と呼ばれる人たちに共通するのだという。

 つまり、1日に3時間練習や勉強するとして1年では約1000時間、10年で1万時間となる。プロと呼ばれ、お金がもらえるようになるのも同じで、その分野での研究や練習、あるいは情報収集等に、この「1万時間の法則」が必要となる。

 ジョン・C・マクスウェル『その他大勢から抜け出す成功法則』(三笠書房)で、常に創造的なアイデアはないかと目を光らせていると、自分自身も創造的な考え方ができるようになる。オリジナリティとは、今あるさまざまなアイデアの組み合わせつづける。だからこそ、たくさんのアイデアを継続して集める。ほかの人がしていない分野、創造性を身につけるにも、他の人たちの創造的なアイデアを調べて尽くしておくことだ、そして人が到達しない分野に躍り出る。

 偉大なる発明家トーマス・エジソンも、「オリジナリティとはアイデアの出所を隠す技だ」と言っている。
トーマス・エジソンも決して不幸に屈服せず、逆境を有利な状況へ転化する術を心得ていた人物だ。晩年のエジソンも、不屈の精神で繰り返し、繰り返し新たなことに向かっていた

 1914年12月、ニュージャージー州ウエストオレンジにあるエジソン研究所は火事によってほぼ全壊した。
エジソンは一夜にして、再び手に入れるのは絶望的と思われるほどの設備とライフワークである研究記録のほとんどを失った。エジソンの息子チャールズは父親を見つけようと狂ったように周囲を走り回った。ついに彼は火のそばに立ちつくしている父親を見つけた。その顔は炎を受けて赤々と輝き、白い髪が冬の風になびいていた。

「私の胸は強く痛んだ」チャールズ・エジソンは語っている。父はもう若くはないのに、すべてを失ってしまったのだから。だが、驚いたことに父はチャールズを見つけると大声で叫んだ。

「母さんはどこだい?すぐに見つけてここに連れてきなさい。こんな光景は生きている間に二度と見られるものじゃないからね」

次の朝、希望や夢が黒焦げになったたくさんの燃えさしの間を歩きまわりながら、67歳のエジソンは言った。
「災害には大変なありがたみがあるね。われわれの失敗はすべて灰になったよ。これから真っさらでスタートできることを神に感謝しなければ」

 行く手をはばむ大きな岩をも敷石に変えてしまうこの天賦の才は、どんなタイプの困難にもどんな人々の間にあっても大きな力を発揮することだろう。

 カーネルサンダースがケンタッキー・フライド・チキンを創業したのは、65歳の時だった。

 田中久重が現在の東芝の前身「田中製作所」を銀座につくったのは、75歳の時。


 東芝元社長、岩田弌夫氏の名言がある。「平凡の凡を重ねよ、いつかは非凡になる」
こうした遅咲きの成功者の共通点は、一つの分野を何歳になってもあきらめずにコツコツと探求したことだ。
要するに、簡単に諦めずに、様々な経験、そして失敗、知識を蓄積し、動き出すこと、数多くやり出してみることだろう。

参照:
A・マグギニス『今できる事から始めよ!』三笠書房

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2015年02月04日

成長のための選択 

 次にすべきことを考えるのに、著名人の金言集をくくってみたりしています。 
 
 詩人ロバート・ブラウニングは、「成長以外に、この世にとどまる理由はあるか」と書いています。
ほとんどの人は成長は良いことだと考えているにもかかわらず、成長するために努力している人はあまりいないのかもしれません。やはり、変化を嫌がる人が多いからで、成長は変化を伴うもの、変化なくして成長はあり得ない、そのための努力も必要だからです。

 ドストエフスキーは、「新しい一歩を踏み出すこと、新しい言葉を使うことを、多くの人は非常に恐れている」のだといいます。どんよりとよどんだ生活など嫌だと思っても、自分に影響が及ぶとなると、たいていの人は変化の方をいやがるものだというのです。

 トルストイは、「人はみな世界を変えたいと思うが、自分自身を変えたいとは思わない」と言っています。

  イギリスの自然科学者、チャールズ・ダーウィンの有名な言葉があります。「最も強い者が生き残るのではなく、最も賢い者が生き延びるでもない。唯一生き残るのは、変化できる者である」というものです。

 これを成長し、変化できる街、変化できる地域とも言い換えることができるでしょう。
 つまり、成長することを止めてしまえば潜在能力を伸ばすことはできないということです。
 成長するには選択を迫られます。子供の成長の過程は選択の連続です。つまり、成長することを選べば、善きにしろ悪しきにしろ、変化がもたらされるのです。それを善き変化にするように多くの人の知恵を使うのが、その例のひとつとしては、まちづくりだと思うのです。

参照:
ジョン・C・マクスウェル 『夢を実現する戦略ノート』三笠書房


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2015年02月03日

少しずつでも前に進める

 今日は節分だ。日本は四季の変化の多い国、変わることを余儀なくされる土地柄だ。つまりは、いつまでも同じではいられない状況にあるし、季節が変わっていくたびにそれを乗り越える技を身につけなくてはならない。とにかく、最初は下手でも、見よう見まねして始めることを求められる。
 
 小説家のアン・ラモットは「どんなに優れた文章も、たいていはひどい出来から始まる」と言たのだそう。
つまり、まずは行動を起こす、する行動するエネルギーは高まる、その行動の質も上がる、とにかく始めることだという。人は、上手くできるという保証がなければ、怖くて実行することができないもので、その結果、何もしないで終わることになる。

G・Kチェスタトンは、この状況を憂慮して、「やる価値のあることなら、下手であってももやった価値もある。」といっている。

 また、あるセルフモチベーションのセミナーでは、実は驚くほどたくさんの人が、次の目標を書くのにペンが動かない。それも、「来年の目標」というテーマだったが、書いた目標が一生を決めるかのように悩んでしまうのか、一文字も書くことはできなかった人も多かったという。そこで 「とにかく何か書いてください。嘘でもい、それが自分の目標でなくたってかまいません。とにかく何かやりたい目標を書けばいいのです」、どうしようもないくらい固まってしまう人が意外と多っかたのだという。

 間違えるのを恐れ、上手く行かない事を思い描くから書けないのだ。 「上手くやれるだろうか」とか、「失敗したらどうしよう」というように、自意識が過剰になったり、不安になったりするものだ。しかし、何かを良くしたいと目標をもてば、何もしないでいる状態に陥ることはない。しなければならないとわかっているけれど、試みていないことがあるのなら、「あえて上手くいかなくてもやる」と決心してみたい。 笑ってしまうほど下手にでもいい「やる!」と決める。

 もちろん、実際に行動に起こした後には反省も必要になってくる、出来なかった点も分かる、資金もいれば、周囲との兼ね合い、調整などなど悩みもつきなく起きるだろう。「やる!」ということは、とらなくてはならない責任が生じることだ。しかし、明確になった分ともかく前進する。最初からきちっとやろうとか、すべてをやり切ろうと思わずに、とにかく目の前の一部分でもいいから取組み始める。 「あえて下手にやる」でもいい、 一度行動を起こせば、どんなことも少しずつ前に動き始める。

 明日は立春、1月の取組が下手だったかもしれないが、それでも行動を起こすことを選択できた。とりもなおさず一人では決してできない選挙という大事を支えてくれた仲間がいたことがありがたいし、やる価値はあったのだと総括している。


参照:
スティーヴ・チャンドラー『自分を変える89の方法』(ディスカヴァー)


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2015年02月02日

日本人の宗教への寛容性

外交評論家、加瀬英明が、『ジョン・レノンはなぜ神道に惹(ひ)かれたのか』祥伝社新書でジョン・レノンは、従姉・小野洋子(オノ・ヨーコ)の夫だったと明かしている。ジョン・レノンは日本人の心と、神道に魅せられていた。

ジョンは1971年に、有名な『イマジン』という歌を発表した。
「天国なんてないと、想像してごらん。
  地獄も ない
 そして、宗教もない。
 そしたら、みんな平和に生きられるってさ」

という歌詞がある。

『イマジン』は、神道の世界を歌っているにちがいないと、思った。
そして、そうジョンにいった。

ジョンとヨーコは靖国神社、さらに足を延ばして、伊勢神宮を参拝している。
ヨーコは明治の女のやさしい気性(きだて)と、凛とした男勝(おとこまさり)の気質を、受け継いでいる。

日本では、多くの家に神棚と仏壇が同居している。
だが、誰もそれを不思議に思うことがない。
神々が仲よく、共生しているのだ。

今日でも、日本人はこの世のことは神に、あの世のことは仏に頼んで、若い男女が結婚式をキリスト教のチャペルで挙げるというように、神々の棲み分けを行っている。

私はこのような風習を、けっして軽佻浮薄だと思わない。
日本人にとって、神々にはそれぞれ備わった霊威があって、ご利益を授かれるのだ。

ほとんどの日本人が、外国人から「あなたの宗教は何ですか?」とたずねられたら、すぐに答えることができないものだ。それも日本人の長所の一つだと、思う。

宗教を闘いの原点にしてしまうことがない、グローバルな時代になって、かつて日本人の宗教の曖昧性が揶揄されることもあったが、今や見習うべき長所でもあると認識が改められているだろう。
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2015年02月01日

卑怯な手口で脅かされる国際社会

2億ドルを支払わなければ、日本人の人質を殺害するとイスラム教スンニ派の武装勢力「イスラム国」はビデオ声明を発表、テレビでもニュース放映された。日本政府は期限は23日(金)午後2時50分ごろだとの認識を示した。一人は千葉市の湯川氏とされる。卑怯な手口だが、回答期限が短い中で、政府は手を尽くすが大交渉は難航して殺害されたとの認識にいたり、そして、2月になったばかりの今朝ほど、後藤さんも「イスラム国」の処刑の手にかけられたという更なる人命の犠牲を払うことになってしまった。

ご家族はいかに大変な思いをされていたか、悔しくも残念な結果だ。
また、政府はニュース取材で彼の地への渡航を控えるように報道機関に勧告を出したという。

イスラム教徒の方々は、大変な迷惑を被っていると思う。
宗教としての聖戦を装ってのテロ組織だからだ。
これ以上の犠牲者が出ないように国際社会の連携が下もられるが、目には目をであってほしくない。
後藤さんの平和的な貢献がいかに現地の地域の人々に歓迎されていたかをもっと知るべきであろう。
手を合わせて、お二人の想いに合掌するのみです。

posted by Nina at 14:38| 千葉 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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