お正月の三が日に、下記のようなニュースがあった。戦争が巻き起こした人間関係の亀裂の一コマ、知らないシベリアの事とはいえ、もし当事者だったら、親戚、縁者であったら見過ごせない事だろう。地域のことに世界の事象が関係ない時代は、江戸時代までのことだ。地球サイズに目配りして、どう判断して、佳き結果につなげるかが21世紀の課題と思う。
第2次世界大戦末期、旧ソ連侵攻後にシベリアなどに抑留され帰国できなかったり、戦後も樺太(現サハリン)に残ったりして、ソ連崩壊の1991年度以降に永住帰国を果たした邦人のうち、少なくとも2人が旧ソ連やサハリンに戻っていたことが、読売新聞の取材でわかった。
高齢で日本の生活になじめないことなどが理由で、戦後70年近くがたち、帰国した邦人支援の在り方が課題になっている。
45年8月9日、旧ソ連は満州(現中国東北部)や日本領だった南樺太などに侵攻し、計約60万人を抑留。多くは日ソの国交が回復した56年までに帰国したが、帰国の手段がなかったり、現地にできた家族の事情があったりして、残留を余儀なくされる人もいた。
厚生労働省によると、91年まで同国内に残っていた邦人のうち、これまでに計108人(サハリン85人、旧ソ連本土23人)が政府の支援などで永住帰国した。
樺太生まれで60年以上、旧ソ連・カザフスタンで過ごした阿彦哲郎さん(84)は、現地で結婚した妻(78)と2012年から札幌市に住んだが、昨年6月、同国に戻った。同12月、現地で読売新聞の取材に「湿気の多い日本の気候が合わなかった」などと語ったが、知人の一人は「日本語を話せない奥さんが、生活になじめなかったのが原因では」と話す。
また、残留邦人の帰国を支援する「日本サハリン協会」(東京)によると、04年にサハリンから北海道函館市に永住帰国した女性(97)も、近所にいた別の永住帰国者が亡くなるなどして孤独感を募らせ、13年、親族のいるサハリンに戻ったという。
厚労省では、永住帰国した残留邦人がその後、旧ソ連領内に戻ったケースについて統計がないという。
同協会の斎藤弘美会長は、「高齢でも永住帰国を願う残留邦人は多いが、頼れる日本の親戚は高齢化し、生活環境への適応も難しいのが現実。日本にずっと住めるよう支援を見直す時期に来ている」と指摘している。
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出典:読売新聞 1月2日