「ありがたい」という言葉は、日本人ならごく当たり前のように使っている言葉ですが、ほかの国の言葉では同じようなニュアンスに訳すことができない、いわば日本独特の言葉なのです。 例えば、英語なら「サンキュー」が該当しますが、実際にはニュアンスが少し違ってきます。
日本語の「ありがとう」は漢字では「有り難う」という字になりますが、読んで字のごとく、「有ることが難しい」という意味であり、深い感謝の思いだけでなく、祈りの気持ちに近い感情すら感じられる言葉だと思います。 誰かが、何かをしてくれたことに対して「ありがとう」と言うときには「サンキュー」と同じように使えますが、「ありがたいことに、仕事は順調なんです」「いいお天気で、ありがたい」というような表現を英語で訳すのは大変難しい。 英語圏でこうした言い方をすると、「誰に対してサンキューと言っているのか?」と質問されます。
「ありがとう」以外にも、外国語では直訳できない日本語がいくつもあります。「いただきます」は、料理を作ってくれた人への感謝の言葉としての使われ方をしていますが、実は動植物の命をいただくことに対して「いただきます」という意味があります。「いただきます」には、私たち日本人が自分の命のために、ほかの動植物の命を「いただいている」ことを、食事のたびに意識し、感謝する言葉でもあるのです。
「おかげさま」という言葉も、外国人に言うと「ありがたい」と同じように「なんのおかげ?誰のおかげ?」と質問されます。また、「もったいない」という言葉は、ノーベル平和賞を受賞したケニア人のワンガリ・マータイ氏によって、環境保護の合言葉として広めることを提唱され有名になりました。そこには、常に「私」以外の他者へのまなざしや思いやりが透けて見えます。
自分が損をする得をする、ということではなく、他者が悲しむべき状態に置かれること、つまり、自分と他者との「調和」が損なわれることに対し「もったいない」と述べているのが分かります。このような考え方と情緒を表現する言葉は、ほかのどの国の言語にも見当たりません。
他人だけでなく、相手が自然の草木や言葉を発しないモノであったとしても、悲しませるようなことはしたくないという日本人の気持ちの発露が、こうした言葉を育てたのではないでしょうか。その感覚は、まるで、そこには見えない「命」が宿っているかのような扱いだと思います。日本人は、古来から草木の一本から、火水風土あらゆる万物に神霊が宿り、そうした「ありがたい」大自然の恵みによって生かされていると考えられてきました。
キリスト教の考え方では、大自然の上に神が君臨していますが、日本人にとっては「八百万(やおよろずの)神」、つまりあらゆるものが神だったのです。それ故我々は、どこにいても、どんなときでも、あらゆる「命」とのつながりの中で生かされているという幸せや感謝を表す、まさにありがたい「魔法の言葉」も使ってきました。
そのことを、今こそ再確認したいと思うのです。
「ありがたい」「おかげさま」という言葉。今、生かされていることに感謝したい。
村上和雄氏 『奇跡を呼ぶ100万回の祈り』(筑波大学名誉教授、ソフトバンククリエイティブ)より…