手賀七策・・・・手賀沼、手賀川を活用する観光施策で、交流人口を増やし、税収増に繋げていく。
我孫子の観光にステップアップをもたらすよう、2020年東京オリンピックに照準を合わせる。
手賀沼の自然環境の多様性、成田や東京に近い地の利を生かした国際的な観光策であり、我孫子の自然を生かして田舎民宿ステイ、クラインガルテン(別荘型市民農園)、修学旅行、合宿などの受け入れにも目を向けていく。東葛エリアは、東日本大震災以降には特に若い世帯の転出が相次ぎ、著しい人口減となったが、既に4年前の人口に戻し、人口増加に転じている。そこで、相変わらずに下げ止まらない我孫子市の人口減の傾向の歯止め策、人口のリカバリー策になるように観光政策に力をいれて、我孫子の発展的未来へ招福できるように交流人口の増加、税収増策を提案し経済活性化を進めていく。現状では、観光宿泊施設が殆どないため、市民の理解と協力が求められる。幸いに、自然愛好家、アウトドア派、農業への関心が高い市民や国際派が多いようであり、国際的な観光(友好)策を強化する下地は十分にある。さすが、柳宗悦が「地上でもっとも美しい場所のひとつ」と感心しただけのことがあり、現在の市民も継承していこうとの想いが多い。ドイツリート(ドイツ歌曲を専門とする)を得意とした優れた声楽家であった夫人・兼子は沼辺にその歌声を響かせて周囲に新しい女性の生き方を示してみせた。2015年は、手賀七策で新たな時代の幕を明けていきたい。
@水の館、親水広場の活用:
県から移譲されることが本決まりになったものの、水の館は県の規制が多いため、利用案は検討中だ。そこで、嘉納治五郎(講道館柔道、日本の留学生受け入れ、日本の体育教育の祖。戦前の東京オリンピック誘致にアジア人初のIOC委員として力を発揮、英語スピーチで感銘を与え、開催決定に成功。東京音楽学校(現東京藝大)、東京師範学校(現筑波大)などの校長を歴任した日本の教育者としても著名。我孫子の別荘人の一人であり、農園経営ではブランド野菜を手がけた)が手賀沼に英国の私立学校を手本にした学校開設を計画していたことをヒントに、子どもから大人までを含めた国際人スクールを展開する。英国のドラマセラピーなどの演劇(表現)活動も取り入れた英語体験の出来る場にする。手賀沼ディズニーランド計画があったことを海外の方も知れば、なるほど富士が見える光景に、何かを感じるだろう!
A野外音楽ステージによる旧市民会館再建の試み:
旧市民会館の再建への声は当然ながらあるが、東日本大震災による被災もあり、実現が遠のいていた。震災から4年近くがたち、我孫子の子どもたちが一同に会して、音楽の感性を養う場をもてる状況を取り戻したい。具体的には、1000人規模の市民、学生が集まれる場を確保し、広域での利用を前提に巨額の予算を立てずに出来る工夫を凝らし、市民の夢を叶えたい。柳兼子(柳宗悦夫人、国際的な声楽家)が我孫子に到来して100年の記念に、適地調査などを積極的に進める。小澤征爾のタングルウッド音楽祭のような森の中の野外ステージという環境にも似合っている我孫子は、かつては舟遊びのできる避暑地、別荘地として全国に有名だった。外国人が多く集まる成田から皇居周辺にも通じるので、音楽好きの観光客も呼び寄せられ、我孫子の小中学生、青少年の音楽的で清涼な心の響き(力量)を持つことを知ってもらえる可能性がある。近年の音楽ホールはアウトリーチ活動にも熱心であるので、様々なハコモノ行政の悪習は排除した精神性・音楽性の重要な面を当地の子どもたちの優れた感性を育むために使う、そうした教育的機能の拠点を取り戻したい。そのためには東京藝大、地域貢献に積極的な一流企業からの理解および支援が必要で、これを取り付けていく。
B我孫子市の世界文化遺産登録の可能性を調査:
白樺派の人々は大正時代、手賀沼の絶景ポイントに住み、芸術家村を形成し、英国人バナード・リーチ、ドイツ人フォーゲラーなど、欧米の芸術家や評論家とも交流していた。此処での可能性を追求するために、市民が国内の世界遺産を調査しながら世界遺産登録への可能性を検討する。その過程において、子供の保養(放射能ホットスポットであるので、超短期に他の世界遺産の地域へ宿泊していくことで、蓄積した低濃度被曝などのリセット作用があるとされる)目的も加味して調査宿泊に助成する。こうした認証活動は市民の結束力を高め、沼浄化へも相乗効果を発揮しよう。
C平和使節の派遣、受け入れ:
当地のみならず千葉県各地から、70年前に広島原爆の被災地復旧支援に派遣された人たちも、被ばく被害にあった。手賀沼公園入口の平和記念碑は、その事実を風化させない為に、当地の元軍人が主導して建立、千葉の各地にも同時に運動を真摯に展開された。戦後70周年の節目には国際的な平和発信を当市からも行い、さらに海外の友好的市民とも連携する我孫子市平和条例を世界的な友好施策にしていく。柳宗悦は、手賀沼を眺められる書斎から海外に向けて平和友好の発信をしており、そのグローバルな視野を次世代に伝え、国際派都市に転換する可能性を見つけていく。
D手賀マルシェ:
我孫子の地元農家とさらに連携を強め、地産地消の取り組みを拡大して、「収益性のある美味しい健康な農業」に転換していく。新規就農は、既に我孫子でも若い人たちが集まってきていて、農家でない人が農業を仕事としようと励んでいる現況である。現在、我孫子は農地の占める面積が比較的広い都市であり、首都圏の購買層に至近でもあるのは、今後に開ける可能性、潜在力が秘められていると考えられる。
E手賀カフェ:
手賀沼公園に憩う場所を開設してほしいとの声が多いが、公的施設利用には千葉県からの規制がからむので、規制緩和策を進める。まずは、規制にかからないパラソルやイスを配置するなどで、日曜画家などがアートする空間が生まれたり、ストリートミュージシャン、音楽の広場が創出されるようになり、手賀カフェのパラソルが花咲く光景が生まれる。まずは賑わいを生み出し、地方創生の活性化策にもつなげる。
F手賀観光ウエルネス:
障がいのある人もない人も、老若男女(外国人富裕層含む)も、健やかに元気に美しく歳を重ねられるように、環境に合う癒し系(健康、美容、介護等)に関わる事業者、起業家を誘致、奨励する。このことから観光にも連携して、税収増加にもつなげていく。
* 2014年9月は、我孫子で、柳宗悦・兼子夫妻が新婚生活をスタートさせて百年目の記念の年であった。14年夏、日本民藝館、日本民藝協会は恒例の民藝夏期学校を我孫子で開催。その際に手賀沼遊覧も行われて、柏、沼南の岸部にも船を回して沼から岸辺を眺めることができた。百年前には、白樺派の芸術家、武者小路実篤、志賀直哉の家族も舟に乗り合わせて、賑わしく行き来して日々交友し、沼べりの生活を楽しんでいたというが、なるほどの観であった。英国人・バーナード・リーチが陶芸を世界のアートに昇華させるのも、柳邸に陶芸窯を築くことが出来たことによる。それぞれが「我孫子芸術家村」の交流を生涯の佳き日として心に残していると知れば知るほど、もっと多くの人にも、豊かな水生環境のある自然との調和、水生生物・鳥のいる環境を感じてもらい、我孫子に来てもらいたい。