この市長選挙は、インターネット解禁だという。
しかし、そうは言っても、動画配信にしてもビデオ撮りをしなくては、それも不可能だ。
しかし、その割には、選挙が終わってからの方がアクセス件数が伸びるのだというような話がある。
それよりはやはり、ポストに落とされる事前ビラ(場合によっては事前運動になる)が、影響するのかなとも思う。
「新聞に市長選に立候補の記事見たわよ、応援してまーす。」と明るい声で知りあいの女性から、お昼ごろに電話があったので幾らか、海津新菜の気持ちも和らいだ。丁度、新木野のレストラン“裕”でランチをしていたので、留守電で聞いた。
今日は、27日、事務所のオープンデーにしている ニイ・ナ(ナ)の日だったが、新聞に海津にいなの記事が載ったのが、27日だというのは偶然だったか、必然だったか、と思う。
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海津にいなは、節減財政でいく星野市政の先導では、この先暗くなるばかりではないかと思うようになりました。そこで、明るい未来をメッセージする我孫子のまちづくりにと立候補の意思を表明します。
東日本大震災の2か月前での前回の熱戦の市長選の展開、市長は再任となりました。4年後の今回は、人口減で停滞する我孫子の市民から、「我孫子はこれでいいのか!」との声をいくつも聞きました。私も我孫子への思いをため込んできていたので、基本政策を提示し、更に「手賀七策・・・徹底的に手賀沼の周辺の環境多様性、利便性をアピールして活用し、交流人口を呼び込むようにして、事業者や若者の定住を増やす、2020年にむけた国際展開をしながらの施政提案です」と強調した。
首長の職務を遂行するには、市民ばかりでなく、議会、職員の支持を得なくてはなりません。これからの選挙戦では動画によるインターネットの利用も可能になりますので、多分にその手法を生かし、選挙戦で訴えていきたいと考えます。
1991年我孫子の市長選のスローガン「日本初の女性市長を誕生させよう!」というもので、我孫子に住んだことで、女性が政治の場に少ないということに気づいて、まだまだ日本は発展途上でした。長寿な女性は人口の半分以上を占めるが意思決定の場にその数は少なく調べてみれば、県議会に女性が極端に少ないこと、また市長になる女性が極端に少ないこと気づかされました。幸い当地は比較的女性を議会に送るという選択がかなり目立ってある土地柄です。つまり、行商の女性たちが地域を支えてきた事情も、女性の議員への支持、信頼にもつながる土地柄にならしめたのではないかと思われました。私自身が推薦を受けて立候補する機会があり、市議を二期務め、県議選にチャレンジもしました。その後は、政治にかかわりなく、大学院での学生生活で論文、学会発表して「我孫子研究」に取り組むという日々を過ごしていました。その中で、益々「この地上で、もっとも美しい場所のひとつだ」と柳宗悦(民芸運動の創始者。哲学者)が我孫子を評していたのを認識するようになりました。白樺の芸術家が活躍した時代には、そこにも女性の芸術家・柳兼子の存在が燦然と輝いてみえます。100年後の我孫子は、益々、そうした歴史ある我孫子の良さを活用して、発展させていかなくてはならない、そう考えて立候補をいたします。
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記者会見ではなしたことのようには、記事は詳細な書かれ方はしないし、またきちんと伝えるのはこれからの時間のなかでたと思うが、兎も角も、来年に向けて頑張ってまいりますので、どうぞよろしくお願いいたします。