これまで、市議を辞してから4年近くになる。その間には放射能ホットスポットの対応を考えるために、非電化の生活を推奨されて、放射能から子供を守ろうとの活動を早々と立ち上げた藤村靖之氏、放射能被災者支援法を成立させた川田龍平議員らを講師にお願いして講演会をするなど、被災した我が街を含み、被災地へも物品支援品を有志で送る活動や福島での観光復興プロジェクトの一員として学会発表にも加わった。当地の放射能被害に心配をぬぐえないままでいる保護者とのミーティングに加わったりもしてきた。つまり、3.11で受けた心的被害も、私は切実にわかる。
当時、海津にいなは県議選候補者としてようやく活動をスタートしたばかりだったので、選挙活動の自粛を公認をだした党から言われ、前途多難な時期であったのは子供たちを抱えて悩む保護者同様に何をどうすることがいいのか、悩ましい状況だったからだ。
議会人ではなくなった、時間に大学(博士課程)に再入学した。公共政策に付する視野を広げる機会になるのではと考えた。我孫子研究をテーマにして、修士論文を書き上げて、現在は博士課程後期にて新たな論文に取り組んでいる。
そんな時、市長選挙にはどうも現職以外には立候補者が出ていないとのことを聞いた。
あれ、我孫子市議会は、「このままで、いい」と考えているのだろうかと、気になりだした。
そうこうしていると市民からも「議会はどうなってるんだ!」との声を耳にするようになった。
14日に総選挙の投票が終わって、投票率の低さが問題にされるようになったが、どうも我孫子は、1月から立て続けに選挙が予定されるけれど、立候補者の予想数からすると無投票になる可能性が非常に高いのだと噂が飛んでいた。市民が、議会に対して疑問を投げかけるのも分かるような気がしたが、研究活動で忙しかったこともあって、海津にいなが選挙に出馬なども、自身からは遠ざかり、忘れられていたと思うが今後どうするのかと問われることもなくは無かった。有難いというか、悩ましいことになってきた・・・。
大河ドラマ「軍師 黒田官兵衛」を見ながら、闘いには参謀がいなくては勝てないものだなぁなどと、親身になってみてしまった。我孫子研究をするとやはり歴史に興味が強くなってくるし、世の中を知るには一つの方向からではなく、色々な観点から総合してみていくことが大事だと教えられる。