2014年10月12日

鹿児島、知覧への旅

台風18号が去った直後に、屋久島での自然・環境ツアーを満喫したものの、その後には台風19号が迫ってきた。一時は、荒れる海路を高速船の方が確実ではなどと、不安な状況もあったが、幸いに予定通りの便で鹿児島空港へ。

空港から、タクシーで薩摩焼の窯元「龍門司焼」の十二代目河原氏を訪ねる。本物が手に入れられる希少な釜場は、ひっそりと分かりにくい小高い山の上にあるのです。民藝の柳宗悦はここの黒もん(照りの美しい黒薩摩)を絶賛している釜場です。

匠は、険しいところがなく、穏やかに丁寧に窯焼きの説明もしてくださって、ファンになってしまいました。
陶工の先祖は朝鮮半島から連れてこられた歴史も知ることが出来ました。日本の陶芸が世界に名を馳せる過程には、秀吉の朝鮮出兵がなみなみならぬ陶磁器への執着で起きたことも理解できます。各藩が競い合って、釜場も技術を門外不出にしていたのです。
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次に向かったのは、鹿児島市にある教育文化研究所です
鹿児島駅で下車して、桜島を背景(といっても噴火の煙灰がかすむ)に数分行くと赤羽王郎(白樺派)の遺品を保存展示しています。 
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柳宗悦のところに仮寓したバーナード・リーチの釜場の手伝いもしていたことのある赤羽王郎は、信州白樺の中心人物。そのため、志賀、武者小路とも手紙のやり取りを行っていたことが分かります。

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鹿児島中央駅に降り立つと、若き薩摩の群像が迎えてくれました。
直行バスで、一時間十九分、知覧にも足を延ばしてみました。
特攻隊の半数(約500人)がここから飛び立って若い命を散らすことに。
『ホタル』の映画の舞台になった福屋食堂を営んでいた島濱トメさんの遺言で食堂は記念館になって「ホタル館」の名称になっているので、まずはそこを訪ねることにしました。
http://www.chiran.co.jp/

ホタル館は撮影できないので、写真はご覧にいれられませんが、上記のホームページでアクセスの仕方がわかります。展示には石原慎太郎がトメさんの功績に敬服して始終、健康を気遣っていたというのを知りました。他に、航空隊の跡地に建つ知覧特攻記念館もありますが、時間が足りないこともあって見ることはしませんでしたが、記念館については内外・周辺の様子が幾つもの動画で十分に分かります。記念館の参道には我孫子の三樹荘の現在の主人である村山さんが建立した「アリラン」碑があり、検索すると動画でも見られるので探してみてください。

ホタル館の他に、武家屋敷の面影を保つ伝統建築物保全地区の史跡、薩摩英国館も至近なので寄ってきました。
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posted by Nina at 00:00| 千葉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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