2014年10月07日

香港の今昔物語

我孫子に住んでいた柳宗悦に誘われて、常住するようなことになったリーチは、実は香港生まれだった。生まれて直ぐにおに母がなくなり、母方の祖父母が日本で英語教師として赴任してきていたことで、預けられていたのだった。その後に再婚した父の赴任地シンガポールでの暮らし、10歳になったリーチは、英国での教育を身につけさせようとした父の計らいで、寄宿学校に入学する。が、海外の異文化のことなど何も知らずに、ヴィクトリア朝末期の大英帝国の繁栄の中に育つ生徒からは、アジアでの暮らしが長かったリーチは「Chink」などと呼ばれていた。日本人でいう「Jap」に等しい中国人の蔑称。いわゆるイジメを受け、阻害感を感じて育つが、アジアへの憧憬の念は消えない。ついに、ロンドンの美術学校で知り合った高村光太郎に掲示を受け日本に向かうことになる。白樺派の柳も2歳になったばかりで父を亡くしていたこともあってか、グループの中でもっとも親しく交流(同居)、理想主義者/芸術家という性格は共通する。

さて、その香港が学生たちが民主化を求めて大デモを敢行している。
香港中心部を占拠する若者のリーダーの一人は8月まで高校生だった大学1年生。今月4日夜、路上の演説で「武装革命じゃない。制度改革を求める民主運動だ。暴力に反対しよう。平和的に闘おう」と呼びかけ、大歓声を浴びた。

9月26日夜は、政府庁舎内に突入しようとしたグループの先頭に立ち、警察に逮捕された。2日後に釈放され、再び活動に合流している。おかっぱ頭に黒ぶち眼鏡。演説のうまさと行動力で参加者の心をつかむのが巧みだと言われる。早熟な柳宗悦は白樺グループの中で最年少だったし、リーチも美術学校では最年少だったという。

17歳の中国人学生も15歳から政治活動にかかわっている。2年前、愛国心を育てる「国民教育科」の導入を巡り、中学・高校生によるグループ「学民思潮」の世話人の一人として保護者団体と反対運動を繰り広げ、導入延期を勝ち取った。生徒たちが政治に関心を持つきっかけとなり、今回の運動にもつながった。

「占拠で経済的損失があるという批判は分かるが、真の普通選挙はそれと引き換えるに値する」。
17歳の学生は、5日夜、朝日新聞の取材に対して、「香港政府が民意に応えなかったり、再び催涙弾を使ったりすれば、参加者はますます増える。北京は局面を収拾できなくなるだろう」と指摘したという。中国政府を牽制した。

参照:
朝日デジタル10/7(香港=小山謙太郎)
posted by Nina at 19:00| 千葉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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