2014年09月02日

日本の技術力は、着物の文化に込めれた細緻な職人芸に表れていた

日本について研究すると、いろいろな展開が生まれる。今、日本は世界中に注目される存在だからだ。その技術力を評価されるが、これはひとつに江戸の着物文化があったのではないかと思う。

江戸時代には、各藩が地元の産業を奨励したことにより、各地にその地方特有の産物や工芸品が生まれた。型紙を使用した染物のうち、一般に柄の細かい着物を指して「小紋」といい、特に細かい文様を総文様で表すものは遠目には無地のように見える。武士の裃に使われて、手の込んだ職人の技の良しあしを競いあうように普及した。

このように染織工芸は、着物の絞り染め、型染め、絣などが各地で作られ、名産品として知られるようになった。江戸時代の染織工芸はこのように染め物を中心に展開し、型染めでは型紙を用いた小紋や中形(ちゅうがた)、糊防染の一種である筒描きは友禅の糸目糊と同じで、筒から絞り出した防染用の米糊で図柄を描いた染物もある。

江戸時代中期に京都で始められた友禅染の技法は、限りなく絵画に近い文様表現を可能にし、日本染織史に新たな時代を画すものとなった。友禅の技法は元禄(1688 - 1704年)頃に完成した。友禅という名称は、京都知恩院の門前通りで扇の絵付けをしていた絵師の宮崎友禅という人物にちなむものだが、友禅の生没年は不明で伝記もはっきりしない。天和2年(1682年)刊行の井原西鶴『好色一代男』など、当時の著作物に、友禅の絵付けした扇が当時の流行であったことが記され、友禅が実在の画工であったことは確かである。貞享3年(1686年)刊行の『諸国ひいながた』という小袖雛形本(衣装デザイン見本帳)には「ゆふぜんもよう」(友禅模様)の文字がある。こうしたことから、友禅染とは、宮崎友禅という一人の人物が発明したものではなく、染料や染色技術の進歩によって生み出された新しい技法、新しいデザインの染物に、当時評判の絵師であった宮崎友禅の名を冠したものと考えられている。友禅染の技術的特色は、糊防染と色挿しにある。古い時代の染物は、布自体を染料の液に漬けて染める漬け染めであったが、江戸時代になって、刷毛で布面に色を塗る、引き染めが可能な染料が開発されたことにより、絵画的な模様染めが可能となった。伝統技法による手描き友禅の製作は、下絵描き、糸目糊、地入れ、色挿し、蒸し、伏せ糊置き、引き染めという複雑な工程を経る。まずは仮縫いした布地に青花という、水洗いすれば完全に落ちる青色の色素で模様の下描きをする。この下描き線に沿って、糸目糊を置く。糸目糊とは、もち米を主材料とした糊を、渋紙で作り、口金を付けた細い筒の先から絞り出して線を描くことで、これによって模様を区切り、染料が隣の区画に流れ出さないようにする。次の地入れとは、布海苔と豆汁(ごじる)を混ぜたものを布面に塗って、染料の定着を良くし、色のにじみを防止する作業である。そのあと、色挿しといって、模様に染料で色付けをする。色挿しした布を高温で蒸した後、今度は伏せ糊といって、さきほど色挿しした模様面に糊を置く。これは後ほど地の部分を染める際に模様部分を防染するためである。地色は以上の作業が終わった後、刷毛で引き染めとする。生地は、江戸時代中期になると、綸子地に替わって、友禅染に適した縮緬地が多く用いられるようになる。

しかし、明治以降、化学染料の導入とともに、手間のかかる植物染料の使用は急速に衰退していった。明治時代初期、当時の日本政府は化学研究のため舎密局(せいみきょく)という役所を設置したが、早くも明治5年(1872年)には、化学染料の導入のため、フランスのリヨンに舎密局の役人を派遣している。友禅染などにも化学染料が導入されて、それまでになかった色が出せるようになった。明治時代の末期には天然染料は化学染料に完全に圧された形となっていた。

型染めは、日本における多彩な染色技法の中でも古い伝統を持ち、豊かな文様表現と日本人特有の精緻な手技が集約された世界に冠たる技法だと考えられる。日本の風土ではぐくまれ、鎖国によって他国へ全く流出することなく長い年月をかけて高い技術に発展していった染色文化だ。

平安時代以降臈纈染めに代わり、新たな防染法が必要な状況になったと考えられ、米作地帯日本ならではの防染材料、米糊の使用が始まったとされる。防染糊による型染めの最も古い遺品は奈良春日大社伝来 「義経の籠手」である事から平安末期から鎌倉初期、遅くともI2世紀には型染技法は完成していたと云える。武士が政権を担うと同時に型染めは盛んになり重要な位置を占めていく。室町には上杉謙信の小紋帷子、徳川家康の胴服、小袖、武士装束として、江戸には武士の裃に小紋が多く使用され大名家によって柄が決められていた。また狂言において型染めは大胆でモダンな模様として施されていく。中期には一般庶民の衣料に拡大し量産を目論んでさらに発展し、草花、鳥獣、故事、風物、物語など優雅な日本文化をすべて集約され世界に類を見ないものとなっていった。さらに明治以降化学染料の開発により型友禅に応用され大正、昭和初期と衣装に彩りを施していく。しかしそれ以降様々な技術が拡大していく中で型染めは後退し姿を消しつつある。

最終工程の水の中で糊が布から浮き上がる瞬間にやっと図柄が明確になるという非常にドラマチグクな行程の技法であるといえる。型染めの「防染」という行為から生まれる際、間、空間は絵筆を使う絵画の様に塗り重ねていく方法から生まれるものとは明らかに異なっている。染料が布の内奥までしみこみ防染した際で止まる。その際は刀で彫ることから生まれたシャープな線をなし、際の生み出す線や空間は筆で描くものより遙かに強い。技法的な制約、必ず経なければならないプロセスの中で新しい表現を見いだせることに絵画では得られない染めと言う分野の可能性、存在理由があるのではないだろうか。染まらないところから形成する。空間から所謂余白から攻めて形を生み出していくという高度な考え方、方法に東洋独特の思想が存在している。染色の持つ深遠な色彩世界。誇るべき日本文化だといえる。

参照:鳥羽美香オフィシャルサイト
http://toba-mika.net/katazome.html

posted by Nina at 19:12| 千葉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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