今日は何の日、9/1は防災の日です。関東大震災で東京は地震の後に火災が発生して、広範囲に炎上して、多くの人が亡くなった。そこには朝鮮人について根も葉もないうわさから各地で虐殺までも起きたというのは、我孫子、柏、流山でも起きたのだということのようだ。
別次元でいうと、世界的な指者・小澤征爾さんの誕生日(79歳)。世界のトップで活躍する日本人で 真っ先にあげられるべき偉大な西洋音楽界のマエストロ。満洲国奉天市(中国瀋陽市)生まれ。父小澤開作は歯科医師、満州国協和会創設者の一人で、同志で満州事変の首謀者となった板垣征四郎と石原莞爾から一字ずつ貰って第三子を「征爾」と命名したのだという。当時はピアニスト志望だったが、ラグビーの試合で大怪我をしたためピアノの道を断念、齋藤が教授を務める桐朋学園大学短期大学(現在の桐朋学園大学音楽学部)へ進学、1957年夏に同短期大学を卒業。4月に卒業できなかったのは、肺炎で卒業試験が受けられなかったためであり、のちに追試を受けて卒業が認められたが、療養期間中には仲間がどんどん仕事をしたりマスメディアに出演したりするのを見て焦りと嫉妬に苦しんだ時期を過ごしたこともあったのだそう。
2008年、世界の音楽界に多大な影響を与えたことや、若手音楽家育成に尽力した功績が認められ、文化勲章を受章した。
しかし、2010年1月、人間ドックの検査で食道癌が見つかり治療に専念するために、同年6月までの活動を全てキャンセル。食道全摘出手術を受け、同年8月に復帰。同年開催のサイトウ・キネン・フェスティバル松本は一部プログラムで代役を立て総監督として出演。
2010年11月、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団により、名誉団員の称号を贈呈された。
2011年1月、悪化した腰の手術を受ける。
2012年3月7日、体力回復のため、1年間の指揮活動の中止を発表、その後復帰。
2014年、実行委員会は2015年から名称を『セイジ・オザワ松本フェスティバル』に変更することで合意した。名称変更後も小澤は総監督として続投し、楽団名は「サイトウ・キネン・オーケストラ」のまま変更しない