2014年08月05日

男女雇用機会均等法の制定前、女性のみがキャリアダウンは社会の損失

旧住友銀行や野村証券では1987年に採用した女性総合職1期生から、初の女性執行役が誕生したと話題だ。

 邦銀初の女性トップとなった野村信託銀行社長の真保(しんぽ)(旧姓・鳥海)智絵さん(48)はフェリス出身で、同様に住友で女性執行役役員になった工藤さんの一つ後輩だ。

 野村証券に入社の女性総合職2期生だ。300人以上の同期で女性は7人。男性ばかりの世界に飛び込むことにちゅうちょはなかった。「女子校育ちだから、男性に頼るということを知らなかった」

 でも仕事では葛藤の連続だった。初めて課長を務めたとき、部下2人が会社を辞めた。管理職に向いていないと悩んだ。仕事を正当に評価してもらいたいと思うものの、ポストを誰かと争うことにはためらいを感じながら、ここまできた。

 均等法の恩恵を受けたとの思いがある。自分より上の世代は、女性というだけで総合職になれなかった。

 5月、安倍晋三首相も参加した会合で「男性が変わる必要がある」と訴えた。総合職の女性が出産や介護で仕事を諦めざるを得ない現実は相変わらずだから。「男性と同化することで生き延びてきた。私自身も、変わらないといけない」

 社長就任が発表されるとネットを通じて同級生たちから「おめでとう」のメッセージが次々に届いた。「率直に言うと悔しい」。中にはそんな声もあった。


 ■子持ちの気配消している

 ともにフェリスに通い、それぞれ大学へ進み、社会に出た均等法第1世代がみな、工藤さんや真保さんのようなキャリアを歩んできたわけではない。

 「あの智絵が社長になるなんて。強くなったんですね」。フェリスで真保さんと器楽部に所属し、早大でも一緒だった女性(49)は感慨深げに言う。朝の礼拝を抜け出し、教室でおしゃべりしたことも。「智絵は強いリーダーシップというより、自然と周りに人が集まるタイプだった」

 女性も総合職として金融系コンサルタント会社に入社した。男性なら2年目から行く海外出張の機会がなかなか与えられなかった。理由は「海外は危ない」。結婚すると「辞める?」と上司に問われ、「続けます」と即答した。専門性を積むことに限界を感じるようになり、入社10年を前に退職。別の研究機関に移った。

 女子大に進み、民間の調査会社に入った女性(48)はいま、「子持ちであることの気配を出来るだけ消している」という。

 市場調査を担当し、残業も多かったが、バリバリ働けることがうれしかった。何かが違うと思い始めたのは出産してから。入社15年目の管理職に昇格するタイミングと育休が重なった。半年後に復帰したが同期に3年遅れ、責任ある仕事は任されなくなった。

 社内報で家族を紹介する記事の掲載も断った。「子どもがいると企業の中ではマイナス50点だから」


 ■主婦選択、娘は社会で可能性を

 主婦という生き方を選んだ人もいる。テニス部で三井住友銀行の工藤さんと一緒だった小粥(おかい)育子さん(48)は東大で応用物理を学んだ。大手IT企業に入り、ソフトウエア開発を担当。入社3年目に結婚、出産後に夫が海外転勤に。一緒に英国へ行き、まもなくして会社を辞めた。「専業主婦になるとは考えてもみなかったが、子育ては思った以上に面白かった」。2人目、3人目が生まれ、両親の介護も重なった。「私が働いていたら3人育てるのは無理だったし、子育てが私の天職だと思う」

 やはりフェリスから東大へ進んだ長女に「あれだけ勉強して、スパッと専業主婦になるなんて、お母さんて変わってる」と最近言われた。「娘には、社会で可能性を試してもらいたい」

 井谷美穂子さん(49)は慶大を出て大手飲料メーカーに10年勤め、結婚を機に退職した。「働きながらせわしなく子育てをするよりはと、けじめをつける気持ちだった」。翌年、子どもに恵まれたが、突然、母でしかなくなってしまったことがつらかった。粉ミルクのスプーンは消毒するのか、考え込んだ。「今思えば、育児不安でした」

 下の子が小学校に入ってから、フェリスの同級生に誘われ、子育て支援のNPOで働く。「働くことも大事だけど、親であることはもっと大事。出産で辞める選択肢もあっていい。落ち着いたらまたきちんと働ける環境が整うことが大切」


 ■「夫婦とも80点のキャリアで」

 井谷さんをNPOに誘ったのは、横浜を拠点に街づくりを手がけるNPO法人の理事、宮島真希子さん(48)。元は新聞記者だ。大学卒業後、地方紙に入った。同期7人のうち女性は1人。「買春」と書いたら、「需要と供給。ビジネスなんだ」とデスクが「売春」に書き直した。

 36歳のとき出産し、1年の育休。子どもと2人の孤立感と、母親になった自分の閉塞(へいそく)感。欲しい情報は新聞にはなかった。記事を書くだけでなく、人のつながりをつくりたい。そんな思いが大きくなり、2010年に新聞社を退職した。

 「週刊朝日」の長友佐波子編集長(48)はフェリスから早大卒業後、朝日新聞に入った。同期約100人のうち女性は10人。初任地で男性の先輩から言われた。「女なんていらない。お前が辞めれば男が来る」。当時は女性に泊まり勤務をさせない決まりがあったためだ。

 4年間の地方勤務のあと東京本社学芸部に。当時は上司から女性の社会問題を書くなと言われた。週刊誌アエラに移り、女性をめぐる様々な企画を担当した。

 総合職女性のキャリアを研究する関西学院大の大内章子准教授も同級生。慶大卒業後、日商岩井(現・双日)に総合職で入社したが、もう一度、経営の勉強をしたいと3年で退職。大学院に進んだ。

 均等法成立から来年で30年。時短や育休などの制度も以前よりは整い、仕事を続ける女性は増えたが、平日に男性が育児を担うことはまだまれだ。「女性だけに選択肢が増えているのが問題。『100点満点のキャリアを追求する夫とあきらめる妻』ではなく、『夫婦ともが80点のキャリアを目指す』という考え方がもっと広がってほしい」


出典:
 朝日新聞8/2(高橋末菜、岡林佐和)


 ■子が生まれても共働きできるように

 筒井淳也・立命館大教授(家族社会学)の話 日本型雇用の総合職はいつでも、どこでも、どんな仕事でも、会社の命令に従って働く「無限定社員」だ。家事や育児を担う専業主婦かパートの妻がいて初めて可能になる。均等法はそんな働き方に女性を組み込んだに過ぎず、夫婦ともに総合職の場合、育児や家事の多くを誰かに委託しなければ生活は成り立たない。 総合職から一般職などへの転換制度は根本的な解決にならない。本来、男女で能力差はないのに、女性ばかりがキャリアダウンすれば、組織全体の生産性が落ち、企業にとってもデメリットだ。必要なのは、子どもが生まれても共働きが当たり前にできるように変えることだ。仕事のやり方を見直し、労働時間を減らす。転勤は将来経営を担う層に限り、多くの社員は地域限定にする。そんな工夫が求められている。


 ◆キーワード

 <男女雇用機会均等法> 1985年に成立し、翌86年施行。企業に対して採用や昇進、職種の変更などで男女で異なる取り扱いを禁じている。妊娠や出産を理由に退職を強要したり、不当な配置換えをしたりすることも禁止している。今年7月の施行規則改正で、採用、昇進などで転勤を条件にすることは、実質的に女性が不利になる間接差別にあたるとして禁止。セクハラについて、性別による役割分担意識に基づく言動をなくすことが防止につながると明記した。
posted by Nina at 00:00| 千葉 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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