2014年05月23日

「米空軍柏通信所」、トムリンソン通信基地:1950年代の事実

県立柏の葉公園はじめ、最先端の研究教育施設が建設され、つくばエクスプレス柏の葉キャンパス駅の周辺地区は、米軍の柏通信所(キャンプ・トムリンソン)が日本側に全面返還(1979年8月14日)された広大な188ヘクタールは、大きく変貌しています。

 柏の葉キャンパス駅周辺には、国立がんセンター、科学警察研究所、財務省税関研修所、東葛テクノプラザ、東京大学といった官公庁、大学などの研究施設や柏の葉公園などとなった。

 柏飛行場の農地転換作業がほぼ完成した1950年(昭和25年)に朝鮮戦争が勃発するや、1952年(昭和27年)には日米合同委員会が米空軍通信基地の設置を決定、1955年(昭和30年)、「米空軍柏通信所」、トムリンソン通信基地が開拓地内に建設されたという。基地には200mの大アンテナをはじめ、アンテナが林立し、日本の国土でありながら朝鮮、ベトナムに駐留する米軍に対してアメリカ国防総省の命令を伝達する通信基地となったのである。トムリンソン通信基地では、旧軍の柏飛行場を一部改変し、道路の付替えを行っている。その後、農民の強い反対運動にもかかわらず、米軍基地は拡大、昭和38年(1963)施設拡充のための国による買収問題を契機に開拓農民に動揺が起き、結局ほとんどの開拓地は国に買収されて農民は去り、わずかな民有地を残して中十余二開拓部落は消滅した。


 これは国会でも取り上げられ、大きな反対運動が起こったた。国民運動におされて、日本政府も基地返還についてアメリカ政府と交渉せざるを得ず、関東での基地返還があいつぎ、柏のトムリンソン通信基地についても昭和50年(1975)に返還の動きが出てきた。そこで県と地元市町村(松戸市、野田市、柏市、流山市、我孫子市、鎌ヶ谷市、関宿町、沼南町)は、1976年(昭和51年)2月23日に「米空軍柏通信所跡地利用促進協議会」を設置して、基地の早期全面返還と跡地の公共的利用について、更に積極的な活動を進めることになった。一時は、アメリカは1977年(昭和52年)に基地の半分を返還すると通告してきたが、同時に残り半分を原子力潜水艦へ核攻撃の指令を出すための通信基地「ロランC」を新設するとの通告がされた。千葉県議会、柏市・流山市議会においても早期返還の決議がなされ、また、地元協議会などの幅広い活動の結果、1977年(昭和52年)と、1979年(昭和54年)の二度に渡りほぼ半々ずつの面積で返還が行われ、米軍は新たな基地建設を断念、1979年(昭和54年)の跡地188 ha全面返還となったのである。

 こうした事情は全く知らなかったが、ある人に誘われて、戦前にあったという柏の軍事施設跡巡りをしたことがあったので、そうした太平洋戦争にまつわる歴史的遺物が柏にあることは見分していた。米軍基地施設が作られる事態に直面、それを市民が反対運動をおこして、喰い止めることができたというのは知らなかった。

 鎌ヶ谷に自衛隊施設があるだけではなくて、柏においては米軍基地という歴史的な事実ももっと学習していくべきだろう。

参考:
http://www.city.kashiwa.lg.jp/soshiki/280400/p009140.html
posted by Nina at 14:42| 千葉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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