2014年05月22日

ドイツの戦後賠償について、お金での賠償ではない

戦後、ドイツは東西に分断し、西ドイツはNATOに加盟。米ソ冷戦下で、もと対戦相手であったこと、東半分はドイツ民主共和国として、「ナチスと戦ってきた共産主義者が中心となって建設した国家」として自らを定義し、ナチス及びその行為に対しては一切無関係であるという立場をとった。東西に分断された事情と、第1次大戦の反省から、大二次大戦後の賠償金はなしで現物(列車や工場の機械など)を接収することで、西ドイツは合意。東ドイツは、ナチズムの歴史として関与していないの立場をとっていたそうです。

なお、1994年、月刊誌『噂の真相』に「シンドラーのリストが訴えたホロコースト神話への大疑惑」と題した記事が木村愛二より寄稿された。木村は、政治的には護憲派ジャーナリストと認識されるが、1995年には著書『アウシュヴィッツの争点』(リベルタ出版)を発表した。木村の問題提起に触発された本多勝一は、一時的にではあるがホロコースト見直し論に関心を抱き、当時、本多が編集長を務めていた『週刊金曜日』に木村による連載を企画した。

1995年、マルコポーロ誌事件と世界を震撼させる事態があった。当時厚生省職員であった医師の西岡昌紀が「ナチ『ガス室』はなかった」という記事を『マルコポーロ』誌に掲載したことが国際的非難を呼び、内科医・岡直後、文藝春秋社は、ユダヤ系人権団体サイモン・ヴィーゼンタール・センターとイスラエルからの抗議を受けた(記事で、「アウシュビッツの「ガス室」を捏造したと名指しされたポーランド大使館は抗議していない)。特に、サイモン・ヴィーゼンタール・センターの抗議は、文藝春秋社全体に対する物に発展した。この結果、文藝春秋社は、著者である西岡に相談しないまま、記事の内容を撤回・謝罪した上、マルコポーロを廃刊にし、編集長であった花田紀凱を解任した。これは、出版界では「マルコポーロ事件」として記憶される。西岡は、文藝春秋社のこの決定に抗議し、1997年には、単行本『アウシュウィッツ「ガス室」の真実・本当の悲劇は何だったのか』(日新報道、1997年)を発表し、再反論している。(ホロコースト否認参照)。

このマルコポーロ事件の際には、厚生省(当時)の職員であった為、厚生省上層部から記者会見中止を求められた。それを拒否して記者会見を開いた為、厚生省上層部と険悪な関係に陥った(m9 Vol.2 (晋遊舎ムック) (単行本) の西岡へのインタビュー参照)。マルコポーロ事件が起きた全く同時期に阪神大震災が起きており、西岡はマルコポーロ事件を理由に、直属の上司から、震災現場での医療ボランテフィア参加を許可されなかった。
「アウシュビッツにガス室はなかった」「ユダヤ人絶滅計画は存在しなかった」とする自説を寄稿したのは、広瀬隆の著作を読む過程で、その近現代史への見直しに影響を受け、第二次世界大戦についての見方を改めたからだと言う。(広瀬は『危険な話』や『億万長者はハリウッドを殺す』などで、ナチスが台頭する背景にアメリカの銀行の意向があったことなどを論じている。)つまり、ソビエトのドイツ非難のプロパガンダの最たるものとして「ガス室」ねつ造がされたのだとか、まるで南京大虐殺があったか否か、殺戮の人数が5万から数十万などの終わりのない論争と似た過程になっていたのを今回、Wikiなどを調べて初めて知り驚愕しました。

日韓の問題、日中の問題、日露の問題など、政治家でもないと付き合いきれない利害関係で、この因縁試合に巻き込まれては、友好も平和も遠のきます。よく見て、より良い方向性を一般市民の考えよう。

posted by Nina at 00:00| 千葉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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