2014年05月15日

沖縄の戦後の歴史的な基地問題の解決策を願う

 沖縄の普天間基地問題は昨年末27日に一応の決着をみた。復帰42年となっても、沖縄の想いと政治の乖離は開いたままだ。

 これまで宜野湾市に設置されてきたアメリカ海兵隊普天間飛行場の機能を果たす基地・施設を名護市に移転させ、どのような条件で安全を配慮して設置していくか、安倍政権はこれにあらゆる配慮をするとの宣言をして、知事も苦渋の選択で受け入れのである。つづいての新しい年は名護市長選では、初当選以来の地元の声を代弁する稲嶺市長の再選で始まった。

 それ以前の3年を振り返ってみると、本当にいろいろなことがあった。自民ー民主の政権交代の行戻りが短期間にあって、その間に千年に一度ともいう東日本大震災の大津波と放射能被災までが重なった。それらに耐えながらの日本国民、沖縄、福島の県民の賢明さを思う、2014年が進みだした。

 政治は二流(亜流じゃなくて良かった)と言われ続けた日本だったが、経済がナンバーワンにも届いたということがあったとするなら、政治機構も国民の可視化しやすいように、秘密をふやすことはしてほしくないものだ。特に、沖縄のことは日米の力の駆け引きも大きく影響するし、中国・韓国、北朝鮮とも関係改善を計るべし!
 
 その時、歴史が動いた、第45回衆議院議員総選挙を振り返ってみる。
 民主党は県外移転、最終的には国外移転を求める考えを明らかにした。米軍再編や基地問題について見直すことを公約とした選挙活動でも、普天間基地の海外移設を目指す意思を表明し、鳩山由紀夫も2009年、7月19日に那覇市で開催された集会において、移設先は「最低でも県外」にすると宣言した。また、すでに選挙後連立を組むことを表明していた社民党は、マニフェストにおいて「普天間基地の閉鎖・返還を求め、辺野古への新基地建設など、基地機能の強化に反対」し、「グアム移転協定」の廃棄を求めていた。

 選挙の結果民主党は勝利し、社民党・国民新党との連立政権鳩山由紀夫内閣が成立することになった。3党連立政権合意書には普天間問題は明記されなかったが、選挙戦において民主党や社民党の責任者から、普天間基地の現行移設案に対する反対論が繰り返し述べられた。 一方自民党もマニフェスト違反だと追求をしたが、それに対し、岡田外務大臣は「公約というのはマニフェストです。ですから、総理も、望ましいという言われ方はしました。私たちも、それは県外、国外移転ができれば望ましいという思いは強くあります。しかし、あえてマニフェストの中では普天間という言葉も書きませんでしたし、「米軍再編や在日米軍基地のあり方についても見直しの方向で臨む。」という表現にとどめたわけで、そこは違うということを、我々の公約というのはこのマニフェストですから、私たちの思いの話と公約、マニフェストの話、それをあえて混同して、そして質問されるのは私はおかしいと思います。」と普天間移設問題はマニフェストではないと説明したものの、事実上の政権公約として捉えられたことが、後の連立政権を揺るがす大きな問題となっていった。

 2010年1月22日、衆院予算委員会で「昨年末までに結論を出していたらどうなっていたかと考えたとき、5月末まで(に決める)という形にして、今は良かったと思う」と述べ、結論の先送りを正当化した。同年1月24日の名護市長選挙では、辺野古への移設反対を公約とする稲嶺進が当選した。これに対して平野博文官房長官は「そのことを斟酌しなければならない理由はない」と発言。「理解は求めなくてはいけないが、合意が取れないと物事を進められないものなのか。日本の安全保障にかかわってくる問題だ」と述べ、沖縄県民の同意の必要性はないとの認識を示した。2月24日には沖縄県議会は県内移設反対・県外国外への移設を求める旨の決議が全会一致でなされた。

 この頃になると、マスメディアなどで「鳩山首相のブレーン」と称される人物が連日日替わりで紹介され、思い思いの案や見通しを口にするようになり、議論は極度に錯綜していった。この前後にブレーンとして名前が上がった人物は寺島実郎、田岡俊次、孫崎享、橋本晃和、橋本晃和、岡本行夫、小川和久などがいる。鳩山は3月5日に政府案をまとめること約束したが実現できなかった。そのため、3月18日に政府案をまとめること約束したがまたしても実現できなかった。3月下旬になると、3月末までに政府案をまとめると約束したが果たすことができずに、自身で目標を設定したにも関わらず、「いつまでに全部やらなきゃいけないという話ではない。今月中じゃなきゃならないとか、別に法的に決まっているわけではない」と述べて、政府案の成立に期限を設けると発言した自身の発言を全て反故にした。

2010年3月、移設先の有力な候補地として徳之島が検討されていることが報道された。同島の3自治体の首長はいずれも移設反対の立場であり、4月18日には同島で移設反対の島民大会が行われ、1万5千人(主催者発表)が集まった。一方4月25日には沖縄県でも県外・国外移設を求める県民大会が行われた。主催者は9万人が参加したと発表したが、実際の参加人数については政府筋より疑問も出されており、都内のある警備会社が航空写真を元に計量したところ、視認可能なのは1万1569人、木陰などに隠れている人を加えても9万人には程遠いとの結果を得たという。ただ、そもそも徳之島案は米側が容認しなかった。元々この問題において、どのような決着を図るにしろ、地元の合意が前提と米側が執拗に歴代政権に念を押してきたのは太平洋戦争終戦後、米側占領下になった徳之島において本土復帰を求める地元住民の強い抵抗を受けた事が1つの根拠になっており奄美群島アメリカ占領時代、国防総省は強行策以外において徳之島の現地合意は取れないと判断していた。

 3月31日、鳩山は自民党総裁の谷垣禎一との党首討論において、「五月の末までに必ず政府の考え方を、政府の方針というものを沖縄を初め日本の国民の皆様方にも理解を求め、さらにはアメリカの皆様方にも理解を求めたものをつくる」と、5月末決着を改めて強調し(後述のようにこれも達成できず、首相辞任に追い込まれた)、「その腹案を持ち合わせている」とした。しかし「腹案」の内容は明かされず、閣僚が「腹案」と理解しているものにもニュアンスの差が見られた。各閣僚と対談した仲井眞は「『腹案』って本当にあるのか。皆言うことがばらばらで」と不信感をあらわにした。3月頃から移設候補地として徳之島が浮上し、徳之島ではたびたび反対集会が相次いで開かれた。4月19日に開かれた集会では1万5千人が集まった。4月28日には鳩山が徳之島出身の元衆院議員徳田虎雄(徳洲会グループ)と会談し、移設案への協力を要請した。

 鳩山は沖縄を訪問して仲井眞と会談し、日米同盟の関係の中で抑止力を維持する必要があるとして「(選挙前に掲げた)すべてを県外にというのは現実問題として難しい」として事実上の県外全面移設の断念を明らかにした。また、かねてから問題となっていた徳之島についても「沖縄にも、徳之島にも、普天間移設で負担をお願いできないかとお詫びしてまわっている」とし、徳之島が分散移設の建設候補先であることを明らかにした。また、2009年7月19日の「最低でも県外」発言は当時の党代表としての発言であり、民主党の公約ではなかったとした。また、地元住民との対話集会で「(沖縄の基地負担の軽減について)オバマ大統領として、あるいは米国がどこまで理解しているか、まだ判断がつかない」と述べ、決着が遅れている責任は米国にあるとの見解を示した。

 アメリカ国防総省で日米間実務者協議が開催された。この席で日本側は辺野古周辺への移設を中心とし、キャンプ・シュワブ沿岸地域にくい打ち桟橋 方式で滑走路を建設する具体的な計画を初めて提示した。一方アメリカ側はくい打ち桟橋式が環境に良いとは限らない点、さらに桟橋はテロによる攻撃に脆弱である点を指摘した上で、地元と連立与党の合意が必要であると強調、5月21日、辺野古地区の行政委員会は現行計画の環境アセスメントのやり直しを必要としない範囲や振興政策実施を条件とした移設容認を決議した。

 首相の鳩山由紀夫は沖縄を訪問して仲井眞弘多知事と会談し、自公政権時代に合意した辺野古移設で米国政府と合意文書を交わす方針を説明した。これにより、自身の掲げた「最低でも県外」という公約は達成されないこととなった。仲井眞は辺野古移設の方針について「大変遺憾」「極めて厳しい」と述べた。ただし、地元の代表者である沖縄県知事や名護市長との間との十分な話し合いはなかった。

 辺野古崎地区とこれに隣接する水域とした。鳩山は、この日米合意の閣議決定に反対し署名を拒否した福島みずほを罷免した。社会民主党は5月30日の幹事長会議で連立を離脱し、政権離脱することを決定した。離脱した社民党は参議院での首相の問責決議案に賛成すると発表し、改選を控えた民主党参議院議員も同調する動きを見せた。政局の迷走は地元の振興活動にも影響を与え、辺野古現行案を前提としていた地元の社団法人CSSは、移転計画が進まないことを理由に一時休業を決定した。6月2日、鳩山首相は民主党両院議員総会を開き、基地問題による社民党離脱と自らの資金問題による混乱の責任をとるとして辞任を発表し、腹案どころではなかった。

 後継首相となった菅直人は「普天間基地の移設・返還と一部海兵隊のグアム移転は、何としても実現しなければならない。先月末の日米合意を踏まえつつ、同時に閣議決定でも強調されたように、沖縄の負担軽減に尽力する覚悟」と2010年5月28日の日米合意を遵守する考えを示した。また"第22回参議院議員通常選挙"第22回参議院議員通常選挙のマニフェストには米軍基地見直しが明記されないことになり、民主党の方針は大きく転換し<、沖縄選挙区では候補者の擁立を避けた。2010年沖縄県知事選挙においても候補擁立を見送っている。そこへ、追い打ちをかける大震災後の民主党のどの後の党の敗退ぶりでは、沖縄の基地移転に何らの示唆も示せなくなった。

 これらのめまぐるしく変化してきたものの、政府が沖縄に寄り添ってきたとは言えない。それでも、仲井眞知事が2014年1月10日、沖縄県議会の本会議において 米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設に向けた埋め立てを承認した。公約違反だとして、知事の辞任を求める決議が可決されたが、決議に拘束力はなく仲井眞は辞任しない意向を明らかにした。

 復帰42年を祝う歳月を重ねた、これまでの苦渋をしいられてきた沖縄の人々に、すこしでも納得がいく解決策を探していただきたい。自民党・安倍政権が「知事から承ったご要望について私は最大限実現するよう努力をしたい」との言葉は千金の重みがある。


posted by Nina at 00:00| 千葉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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