2014年04月13日

魯迅と「白樺」の関係

今年は柳夫妻が我孫子にきて100周年の記念の年になるということで、白樺文学館に兼子さんの愛用のピアノが寄贈され、里帰りした。それで、都内の知り合いにそのことを伝えたら、わざわざ我孫子に見に来てくれて、旧別荘地なども散策、かつての白樺の拠点を実際に見て回って勉強になり、楽しかったと話してくれた。
 昨年、中国近代文学の文豪・魯迅(1881〜1936年)の短い手紙が発見されて、北京で行われたオークションで、655万5000元(約1億500万円。手数料を含)の高値がついた。

 手紙は1934年6月、中華民国時代の著名な編集者陶亢徳氏に宛てて出したとされ、計220字。「日本語を学び小説を読めるようになるまでに必要な時間と労力は、決して欧州の文字を学ぶのに劣らない」などと書かれている。(中国嘉徳国際拍売有限公司提供 時事通信社2013年11月22日) 魯迅の実弟・周作人も中国で知らない人はいない学者であるが、二人とも日本に留学して、アジアの危機的状態を知って覚醒し、自国の独立を真剣に立ち向かうようになる。その過程では、嘉納治五郎の留学生の受け入れへの理解、『白樺』の影響が非常に大きかったとも言われる。
 
 日本の近代化の最中で白樺周辺の人々が果たした役割はかなり大きいといえそうで、その白樺の拠点が我孫子であったということは、しかし、意外に内外にも知られていないと思える。そこで、現在、論文に取り組んでいるのだけれど、STAP論文以来、論文の容易ならざる事をいよいよ実感するところです!

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posted by Nina at 00:00| 千葉 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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