昨秋より、観光復興の研究プロジェクト加わっている。被災地での観光インバウンドの盛り返しをどのようにしていけるか、情報交換をしながら、調査をしているが、多くを失い環境も激変したなかで観光を再開できるかどうかは、放射能の状況によっては再興が危ぶまれるケースがある。しかし、長期的に見ていくならば、復興ツアーの取り組みによって新たな東北の姿も確認できるのではないかという意見も出てきた。さらに、これまでには起きえなかった人材の活発な流入もみられるのは好ましい現象ではないかとの視点も出ていた。復興支援のマンパワーが、企業派遣で行った場合もあったが、期間が終了してもそこに残って活動を継続しようと、派遣先の企業を辞めて、現地において復興支援の目的で仕事を起して活動を続けている。
そこで、私も外国人の知人らから被災地支援に行って、外国人がそこで住込みのボランティアをしている話なども耳にしていたので、Web検索しながら、少し調べてみた。すると、震災3か月後に石巻において、外国人ボランティアについて菅原理沙氏がレポートをしていた。そこには、「日本人の私でさえ、被災地に行くことに多少の不安を抱いていたし、震災により国外に避難した外国人が多くいたということを知っていたので、外国人がボランティアのために被災地に来ていることに驚いた。」と記してあった。
東日本大震災の際に、多くの国・地域から被災地に寄せられた支援が続いていたが、外国人のボランティアも入っていたということだ。被災地に団体および個人も少なくなかったのだ。確かに、一時期に帰国しようとする在日外国人が増えており、菅原氏のレポートによると17 日には東京入国管理局に早朝から殺到、正午時点で2,500 人以上が施設外にまで長い列をつくった。震災発生前の1 週間は、約14 万人であった外国人出国者数が、震災発生の翌週には約24 万4 千人に急増した。しかし、その翌週には約14 万9 千人、その翌週には7 万5 千人とだいぶ落ち着いた。
その様な外国人の国外退避が増えた中で、ボランティア活動をするために日本に残り、被災地入りする外国人もいたことが1年後の日経新聞の記事としてもレポートしたものがあったので、転載して紹介したいと思う。
「自分のできることで、できるだけ長く被災者をサポートし続けたいと思った」。米カリフォルニア州からやってきたバートン・スーさん(39)とキャサリン・スーさん(32)夫妻は、今年1月から岩手県一関市でフラダンスや絵で被災者の心をケアする活動を続けている。きっかけは昨年5月にボランティアとして日本を訪れたこと。被災した人々の心が深く傷ついているのを実感し、1年間の予定で日本に戻ってきた。
■経済損失約2500万円
簡単な決断ではなかったはずだ。バートンさんはソフトウエアエンジニア、キャサリンさんは企業の人事担当者の仕事を辞め、車も売った。夫妻が日本に来なかった場合に得ていた年収と、来日中の出費をあわせると、経済的損失は約30万米ドル(約2460万円)にもなるという。しかも日本語は話せない。
それでも「経済的には厳しいが、1人でも多くの人を励ますことができるなら、何よりうれしい」と屈託がない2人。絵やフラダンスを被災者たちに教え寄り添い続けることが、何よりの支えになると信じている。
「たくさんの災害を見てきたが、東日本大震災の被害ほど、ひどいものは見たことがない」。こう話すのは、家族ぐるみで被災地での支援活動を続けている米ジョージア州のグレッグ・トンプソンさん(57)。妻(57)と、震災直後の昨年3月下旬に被災地を訪れ、12日間の支援活動に参加。その後も9月に10日間、10月にも1週間、被災地を訪れた。息子のウィルさん(23)も大学の休みに3週間、岩手県でボランティア活動を行ったという。
世界中の被災地を訪れた経験があるグレッグさんは、人手が不足する活動も心得ている。昨年3月の訪問時には、原子力発電所の事故の影響でボランティアの希望者が少ない福島県での活動を志願。いわき市の避難所に食料などを届け続けた。
「私たちの力は小さいかもしれないが、1人でも助けられればと思う。まだまだ支援は必要。米国の人々にも決して忘れてほしくない」とグレッグさん。今年9月にまたボランティアに訪れるつもりだという。
■すでに今夏のボランティア殺到
被災地の復興の支え手として存在感を増す外国人ボランティアたち。その実数はどれくらいだろうか。被災3県の社会福祉協議会によると、震災ボランティアの延べ人数は宮城県が45万9063人(3月11日時点)、福島県が14万6943人(同)、岩手県が33万6840人(同9日時点)。「その少なくない割合を外国人が占め、今もサポートを続けている」と多くのボランティアセンターは口をそろえる。
被災地支援のボランティア派遣を手掛ける非政府組織(NGO)クラッシュジャパン(東京都東久留米市)の場合、これまでに活動した約2400人の震災ボランティアの半数を外国人が占める。しかも、今なお海外からの問い合わせやボランティアの申し出はひっきりなし。年明けからは今年6〜9月の夏休みに被災地で活動したいという申し出が増えており、調整に追われているという。
震災から1年たち、受け入れ体制が充実したことが大きい。当初、ボランティアは4人以上の団体に限っていたが、昨年10月ごろから個人での参加も受け入れ始めた。その結果、新たな参加者だけでなく活動を繰り返す外国人も増え、今も確実に一定数のボランティアを被災地に派遣できるという。
■安全確保を徹底
原発事故で避難区域が設定されていることもあり、ボランティアの安全確保も進めている。今年1月、米海軍に勤務経験のあるナタン・ウィリアムスさん(41)を安全管理を担うセーフティーチーフとして採用。ボランティア派遣先の放射能測定などリスク管理の体制を整えた。
もっとも、個別の組織が体制を整えるだけでは不十分との見方もある。クラッシュジャパンのエグゼクティブアシスタント、鈴木りべかさん(25)は「日本でのボランティア活動では、政府と非営利組織(NPO)の連携など課題が多い。今後も外国の人々から助けを受けるため、日本側でやるべきことも多い」と指摘する。たとえば地域ごとの放射能の汚染レベルなどは国レベルで対外的に情報発信することが不可欠とみる。既に多くのボランティアが放射能などのリスクを承知の上で、日本を訪れている。その覚悟に何もせず甘えることは許されないのも確かだろう。
「放射能拡散の不安を感じながら暮らす被災地の人々を思えば、私たちが短期間の支援活動をするのは大したリスクではない」。そう話すのは米ミシガン州に住むケビン・クロースさん(38)。今夏、ボランティアとして初めて来日する予定だ。
こうした「これからも忘れない」海外の人々の友情と善意に応えるためにも、日本人は彼らの安全を全力で確保しつつ、より一層復興に力を注いでいく必要がある。復興を陰から支え続ける外国人ボランティアの日々の献身を決して忘れてはならない。
出典:日経新聞
12012/3/14
(電子報道部 岸田幸子)