韓国系米国人の母国との結びつきは強い。多くは70年代以後の移民であり、1世がマジョリティーだとされる。
彼らは韓国の親戚や友人とのつながりを維持し、米国にいながらも韓国語を日常的に使って暮らしている人びとであり、ロサンゼルス・タイムズやニューヨーク・タイムズを読むより、ソウルで発行された韓国の新聞の「美州(米国)」版を手にして朝を迎えるのが大方だとさえ言われる。ワシントンよりソウルの政治に関心があるという人者も珍しくはない。
2010年の統計によれば、韓国系米国人146万人に対して日系米国人は84万人(数字は混血を含まない)。かつてアジア系最大の集団であった日系人は、今日では中国系、フィリピン系、インド系、ベトナム系、韓国系に次ぐ6番目の集団となったという。減少傾向にあれば、母国との紐帯つながり意識も弱くなっていくのは無理はない。要するに日系を除く他のアジア系米国人は、いずれも母国との強い絆で結ばれた、急速に成長中の集団であり、彼らを通して実はアジアの政治が米国に持ち込まれているのだとの指摘である。
そんな中で、米国における慰安婦問題を考えるときの最重要人物が、マイク・本田という日系3世の下院議員なのだ。カリフォルニア州議会議員時代から日本批判で知られていた本田議員はやがて米下院議員になると、慰安婦決議案を4回提出し、その4回目に同法案は2007年に可決されたのだから、辣腕議員だ。
慰安婦を日本軍の「性的奴隷」とする決議に功があったのは、皮肉にも日系3世議員だった。その反日活動を突き動かしていたものとはなにかといえば、中国系反日組織である抗日連合会(世界抗日戦争史実維護連合会)とのつながりが言われるのであり、その共闘を実践する思想的準備が議員にはあったのだろう。もっとも、票が動く構造を握ったとみることもできるし、米国議会に与える印象としても手ごわい存在なのである。パール・ハーバーでもっとも苦境に立たされたのは、米国にいた日系人だったのは、言うまでもない。故国が日系人の立場を考慮することもなく、宣戦布告なしに米国へ奇襲をかけたことで卑怯者の子孫として攻撃の対象になったのだから、日系人としても複雑な事情となっているのだ。