「キムチのルーツは日本だと分かった」と英国人の東洋史学者ホールデン教授(日本・中国の歴史専攻)の研究結果があるそうです。キムチに不可欠の唐辛子は、15世紀 にポルトガルから南蛮貿易で日本の長崎にもたらされ、その後、九州で栽培に成功し薬剤として普及します。
16世紀後期になり、豊臣秀吉の朝鮮出兵の際、日本水軍の九州兵が保存食・滋養食として携行し、この戦争において、日本水軍兵が白菜漬けにして、朝鮮兵と朝鮮の人達に伝わり、その保存性・滋養が 注目され、朝鮮でも食されるようになったということです。秀吉の朝鮮出兵の頃に、白菜はまだ日本に存在してはいませんでした。
本州に白菜がもたらされたのは意外と遅く明治初期でしたが、本格的に白菜が栽培されるようになったのは、日清、日露戦争の際に種を持ち帰った後とされています。つまり、唐辛子が日本から朝鮮半島に伝わり、そこで白菜と出遭い、美味しいキムチになっていた。
英語名で Chinese Cabbage と言われる白菜は、その名が示す通り中国北部が栽培種の原産地です。2000年以上前にヨーロッパから中国へと伝わった菜種が、蕪と漬け菜に分化し、更に中国南部原産のチンゲン菜と交雑して誕生したと考えられています。その後、「唐辛子を白菜と漬け込んだ食品」が、九州の漁師達の保存食として用いられるようになり、漁師や漁民たちの持病である脚気の防止に大変効能があったといわれます。最近のような、韓国食のブームになる前は日本では匂いが嫌われていましたが、欧米ではむしろ納豆の臭みとネバネバよりは好まれる傾向でした。日本では、それまで韓国の料理と言えば焼肉のみが名称でビビンバやチゲスープなども売られていませんでした。それが一大変化をするきっかけは、FIFAワールドカップの同時開催です。スポーツと韓流ブームが、ワッと日本に押し寄せて、韓国の安いエステや整形美容、美容大国などとマスコミでもてはやされて、ファッション性も知れていきました。おかげで、日韓の文化交流は本格化しました。
そうして、臭いと言われたキムチは発酵食品の王者として健康食品にはなくてはならない売れ筋になってきたというわけです。
美味しいもの、健康にいいもの、嬉しいものは垣根はありません。お互いに、汗をかいて、一緒に食べて、笑って泣いて、感動できれば、必ず乗り越えられる歴史の襞を私たちの知恵で一緒に作り上げる、そういう年にしたいものです。