2013年12月30日

歴史の解釈 歴史考10

崔基鎬(チェ・ケイホ。韓国の大学教授)著『日韓併合/韓民族を救った「日帝36年」の真実』 (祥伝社・2004年 19〜23ページより)

  李朝は1897年、国号を「大韓帝国」にあらため、年号を「光武」とした。
王を皇帝と称し、表面的には五百十余年ぶりに明・清の束縛を脱し、独立国家を形成したが、実態は、変わるところがなかった。

 1904年、日清戦争に次いで日露戦争を控えた日本は、こうした朝鮮の惨状をみかねて、目賀田種太郎(めがたたねたろう:1853〜1926)を財政顧問として派遣し、日本からの財政支援をもとに、李朝をまともな国として建て直すという態勢がようやく緒につくことになった。

 目賀田財政顧問と統監府は、朝鮮の歳入不足を補填するために、日本国民の税金から、大韓帝国政府に無利子、無期限の資金「立替え」を実施したほか、直接支出で援助した。たとえば1907年度で、朝鮮の国家歳入は748万円しかなく、必要な歳出は3000万円以上であったから、その差額は全額日本が負担した。1908年度にはこれがさらに増えて、合計3100万円という巨額の資金を日本は支出した。統監府時代の4年間に、日本政府が立て替えた朝鮮の歳入不足分は、1428万円にのぼった。そればかりでなく、司法と警察分野などに日本政府が直接支出した金額は、立替金の数倍、9000万円に達している。

  現在の朝鮮・韓国の歴史では、日本の特恵的支援には一言も言及がなく、侵略だけを強調しているが、これがいかに偏狭な史観であるかを自覚しなければ、将来は開けない。1910年8月29日には、明治天皇から臨時恩賜金として3000万円が与えられ、旧韓国が日本政府から借用していた2651万円は、そっくり棒引きにされた。

 前述したとおり、李朝には元々、予算の編成能力などはなく、目賀田顧問の指導、監督の下で初めて予算が編成された。いかに李朝が非社会的な存在であったか、わかろうというものである。飢餓には食料と金が必要であって、名義と暴力では解決しない。

 日韓併合後の補充金と称する日本政府の持ち出し(日本人の税金)は、1911年が1235万円で、それ以前の平均2500万円の半額に減った。これは残りの半分を日本政府発行の公債と、日本からの借入金で補っており、毎年日本から約2000万円前後を調達するという状況は変わっていなかった。これは朝鮮自体の税収入の倍額に及んでいる。つまり朝鮮は、財政の過半から三分の二を日本人の税金によって賄った結果、ようやく近代化に向かって出発することができたのである。日韓併合によって、搾取され、呻吟(しんぎん)したのは、韓国・朝鮮国民ではなく、日本国民であった事実を認めるべきであると主張する人がいるのは何故だろうか。
 
 

  さて、現在、韓国軍が南スーダンで国連南スーダン派遣団(UNMISS)に参加している。国連を通じて日本へ銃弾の提供を要請したことについて、魏副報道官は、銃弾について、後続の軍需支援が行われ次第、返還する方針だと説明した。日本政府が韓国軍への銃弾提供を過剰に広報したことや、安倍首相が韓日関係に悪影響を与える靖国参拝という行為を強行したことに対し強い不快感を示したとみられる。安倍首相の靖国参拝について触れ、「信頼が構築されていない日本の態度をみると、一体どのような軍事交流が可能なのか問いたい」と述べた。来年上半期(1〜6月)中に両国間の軍事交流が行われるかどうかについては「何も予定されていないと承知している」と述べた。
posted by Nina at 00:00| 千葉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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