2013年12月21日

時代を見ると千葉の政治が見えてくる

千葉の政治史を調べて行くうちに、いろいろなことも分かって来た。戦後日本にあって、統治システムが暴力によって機能不全に陥った希有なケースだと言える。

更に悪い事に、千葉は京浜工業地帯の一角でもあった。日本の暴力団がバブル時代に銀行とともに地上げを謀り、その莫大な資金を元手にあらゆる業界へと進出して企業化していったのも、政界との繋がり、国際資本による日本のバブル経済の演出、そしてバブル崩壊と無縁ではない。

土地収用委員の自宅や車が放火されたり日常的な嫌がらせやいたずらが行われ、委員達は警察に何度も相談したが警察は助けてくれなかった。新聞やテレビ等の各マスコミも無視して取り上げなかった。孤立無援な状態が続いた果てに、1988年9月21日、千葉県千葉市祐光(現・千葉市中央区祐光)1丁目の路上で、数人の襲撃者が帰宅途中の千葉県収用委員会の会長の小川彰(当時57歳)を自宅付近で襲い、鉄パイプやハンマーで全身を殴打し、両足下腿部や両肘部を複雑骨折させるなど重傷を負わせた後、逃走するという事件がおきた。小川や目撃者の通報を防ぐために、事件現場の電話線が予め切断されていた。

事件後、中核派は「革命軍軍報」なる犯行声明文を出した。このことから、公安警察は中核派による個人テロ事件と断定した。「収用委員会解体闘争」と称して収用委員全員の住所と電話番号を機関紙『前進』に掲載して、「家族ともども処刑台に乗っていると思え」などと収用委員に組織的に脅迫じみた手紙、電話などを送り続け、遂には収用委員の親族にあたる小学生の誘拐未遂事件まで起こした。

1988年10月24日に収用委員全員が沼田武千葉県知事(当時)に辞表を提出し、千葉県収用委員会は機能停止に陥った。

日本弁護士連合会は、同年11月9日付けで、「この事件は、千葉県収用委員会の機能を停止させることを企図した目的でなされたものであることは明白であるが、いかなる目的であれ、それを暴力又は脅迫などの行為をもって達成しようとするのは許しがたい行為であって、民主主義に対する挑戦であり、法治主義社会に対する許すべからざる暴挙である。」(抜粋)と意見を表明している。

当然のことながら、公共事業に用地取得が必要な局面において、全国で唯一の土地収用法が機能しない事情のために、公共事業進行の大きな足かせとなった。公共事業においても、必要な用地の任意取得のための補償金額の高額化、事業停滞、結果としてインフラ整備水準が低くなるという具合に負の連鎖が生じた。千葉県の道路事情がよくないと一部悪評を受けていることも、千葉県収用委員会会長襲撃事件と決して無関係でない。

その後、千葉県は収用委員を選任できずにいたが、ついには小川彰元会長は事件の際の負傷の後遺症で治療入院していたが、入院先の北九州市で2003年7月に入水自殺する最悪な結末になった。沼田知事時代の積み残しであった土地収用委員会の不在は県内のインフラ整備に著しく支障を来たていたこと、新左翼のテロも沈静化したとの判断から、堂本暁子知事の時代になって、約16年ぶりの2004年に委員会は再開された。

成田空港よりも羽田空港の存在感が高まっているが、千葉県収用委員会が機能していないことが、成田空港の少なからず影響していることは考えられる。成田空港関連の土地収用に関しては、依然として、土地収用法を適用しないことを内容とする限定的な再開であり、いまなお、機能は全快していないということは各所にみられる。こうした背景を抱えて、全国で鉄道運賃が高いと有名な北総線鉄道も、任意取得の手段しかなかったがために用地取得に多額の補償金が必要であったことが原因となっていると指摘がされている。

土地収用法では収用委の審理は原則公開とされているが、これまで千葉県では反対勢力の過激な報復を防ぐために異常事態が続いていた。2007年12月、千葉県は収用委員会7名の氏名を公表するようになったた。道路建設などのインフラ整備に限り土地収用法が再開し適用しているが、ただし、収容委員会の氏名を非公開とし、成田空港には適用しないこととしている。こうした適用外見直しも検討はされるようになってはきているという。

 

参考:
千葉県収用委員会のはなし〜失われた16年
http://blog.livedoor.jp/yukilaw/archives/24970704.html
posted by Nina at 00:00| 千葉 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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