2013年12月14日

日中関係、関係改善への努力 歴史考6

 日本軍の蛮行がとりたざされるようになったのは、南京での虐殺行為が大きい。どの国の戦争においても 整然とした殺戮などの表現はありようもないだろう。近代戦において空から絨毯爆撃、果ては原爆を投下したが、一瞬にして灰にしてしまうか、日数をかけて陸上から襲っていくかということだ。戦後、日本人が懺悔ともいえる戦場での日本兵の状況を告発する。
  
  そこでというのも難だが、今や欧米の研究者などはWikipediaも閲覧して一応の参考にしているので、それを見てみると、驚くことに、社会党当時の幹部が虐殺のあった南京のことを記憶するようにと中国共産党幹部に進言して、相当な予算を渡したのだと記している。そこで、社民党が旧社会党のあったビルを引き払うという時に、念のために、事実だったのかどうか、確認しておこうとメールで問い合わせたことがあった。しかし、未だに何の返信もない。
 
 
 
 南京で虐殺の数々をしたとは言え、その虐殺数は5万人から30万人ともあまりに開きがある。この虐殺行為をもって、日本軍を徹底した裁こうとしたと言われる極東裁判は、連合軍側として米国が主要な裁定をしていったのも、異例だった。どさくさまぎれと言えば言えるが、この裁判は日本人を好戦的な民族だとして、裁こうと思ったのに違いない。そういうシナリオで裁判が行われていったことに対して、インド人の判事が疑義を呈した。戦争が行われるように追い詰められた過程にも問題を指摘、それがパール判事だった。A級戦犯として死刑判決が下った人々にも弁明の機会が与えられた。
 中国は、中華民国が一時的な覇権を握るけれど、共産党の革命がおきて中華人民共和国となると、国交は途絶えて、そうこうするうちに共産党幹部に社会党幹部が会合するわずかな時間に、日本の悔悟の念を伝えたということなのだろうか、そう聞かせられて、共産党支配下の中国の上海市長となった江沢民は特段に日本軍の蛮行を突き上げた。その間にも虐殺者数の確定をしようとあらゆる媒体の数字を積み上げて、かつ反日思想が国民に刷り込まれた。
  日本と中国は、漢字を通して、文化を吸収して、国家制度、農業までもお手本にしてきたのに、取り返しのつかない禍根を残してしまった。男には命を奪うほどの強制労働、女には慰安婦、レイプということが押し付けられるのが被支配側だ。

  振り返ってみれば、戦後しばらく、日中は国交断絶だった。キッシンジャーという名うての政治学者が国務長官になると、米国は中国をパートナーとした新しい東アジア秩序の形成を模索して急接近していったが、その東アジア新秩序構想において日本抜きで事を運ぼうとしていることを察知した日本政府及び当時の首相・田中角栄が、先手を打ってでき得る限り早く日中国交正常化を果たすことを決断する。そしてニクソン訪中宣言からわずか1年2ヶ月という異例の早さで日中共同声明1972年9月29日)に持ち込んだ。そして、今年は国交正常化40周年を祝うはずの年になるはずだった。
  1972年、ニクソンショックを引き金に、共産党中国と日本はようやく国交を回復したのだ。それでも、一般の人同士が交流するには限りがあった、外交努力、ODA、政治家の舌禍事件が繰り返されながら、それでも多くの人の希望によって行き来がされて、シルクロード、敦煌の史跡、「大地の子」などのTV番組やドラマの影響などで、日本側からの歩み寄りは続けられた。中国でも、アニメ「鉄腕アトム」、テレビドラマ「おしん」は大人気になった。
  日中間の人々の好悪感情の隔たりは時折の世論調査に示されていて、いつも揺らいでいた。ついに、天皇の訪中までに漕ぎつけたが、その後も一般の中国人には愛国教育のもとに反日思想が喧伝されいたので、簡単に全幅の信頼や友好関係には進めない。それらを示す文書が最近に出てきた。
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日中外交当局が1992年、旧日本軍の慰安婦問題を大きくしないよう互いに抑制的に対応すると合意していたことが、朝日新聞が情報公開で入手した外交文書や政府関係者の証言で分かった。日中国交正常化20周年の同年秋に予定されていた初の天皇訪中などへの影響を懸念したためとみられる。

日本外務省中国課長と在京中国大使館の担当者との会話を記録した同年2月19日付極秘文書によると、日本側は「慰安婦の問題が韓国から中国にも飛び火して頭を悩ませている。重要な要人往来を控え、この話が日中関係の大局に影響を及ぼさないようにしたい」と伝えた。中国側は「プレー・アップを望まないのは中国側も同様。中国の国民感情に直接響いてくる問題であるので、慎重に取り扱う必要があろう」と答えた。

この10日余前、中国人慰安婦がいたことを示す資料が旧防衛庁で見つかったことが報道されていた。「プレー・アップ」は外交官らが「大きく扱う」「強調する」といった意味で使う。

江沢民・中国共産党総書記(当時)が同年春に訪日し、秋には天皇が初訪中する方向が固まっていた。中国側は天皇訪中を、89年の天安門事件以降続いていた国際的孤立を解消していく好機ととらえていた。
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朝日新聞社http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131210-00000004-asahi-pol

朝日新聞デジタル 12月10日(火)6時3分配信
posted by Nina at 00:00| 千葉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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