2013年12月01日

近代日本の歴史を理解する 歴史考1

来年、1月にハワイの国際学会に参加することになった。今週末の観光学会での発表とだいたい同じテーマで我孫子芸術家村について、話してくる予定だ。どんな反応があるのか、ないのか、期待半分、緊張半分。

12月8日は真珠湾攻撃のあった日にあたる。今もハワイではこの日のことを忘れないと戦艦アリゾナは記念館になって語り継いでいる。ちなみに、戦争回避で攻撃中止の場合の電文は「ツクバヤマハレ」だった。(攻撃命令の暗号は「ニイタカヤマノボレ」)

山本五十六は「悲劇の提督」とも言われている。 不戦平和を求め、最後の最後まで戦争に反対しながら、いざ開戦のご聖断が下るや、連合艦隊司令長官としてハワイ真珠湾奇襲攻撃を成功させ、その2年後、ソロモン諸島で戦死した。

五十六は旧長岡藩士・高野貞吉の6男として生まれる。 風変わりな名前は、父が56歳のときの子供であったことから名づけられた。 猛勉強の末、1901年、難関の海軍兵学校に2番の成績で合格する。1919年、アメリカの駐在武官として渡米。ハーバード大学に入学している。

アメリカの国情、国力を熟知しており、それだけに五十六は最後の最後まで米開戦に反対するのだった。
真珠湾奇襲作戦は大勝利をおさめたが、五十六の戦略としては真珠湾で勝利したあと、すぐに和平交渉に入るというものだったが、戦勝気分に酔った軍部も国民もそれを許さなかった。長引けば負ける…という五十六の読み通りの展開になった。

1924年12月、五十六は霞ヶ浦海軍航空隊に副長として就任するが、厳しい訓練について、隊員たちにこう訓示する。

苦しいこともあるだろう
云い度いこともあるだろう
不満なこともあるだろう
腹の立つこともあるだろう
泣き度いこともあるだろう
これらをじっと古らえてゆくのが修行である

また、五十六はこういうことも言っている。
やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ。
話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。
やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず。


向谷匡史 『「生き地獄」脱出法』東邦出版
posted by Nina at 06:17| 千葉 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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