2013年12月31日

本年のお礼とご報告(「みんなの党」正式離党)

この12月の国会審議の経過をみて、私は正式に離党の届けをしました。千葉県のみんなの党の在り方には問題の点が多く見られて、具申するも、反映されずの点が多くなっていたこと、党として当初に掲げた理念とは違ってきたことの二点が主な理由ですが、意を表明しなくてはと考えたものです。

IMG.jpg

2012年末に衆議院選が行なわれて、政権が自民に戻り、年明けすぐには千葉県知事選挙で、対抗馬は共産党のみという選挙で現知事が二期目に就任。夏の参議院選挙では、いくつもの党の再編がされて、さらには都知事の辞職。消費税8%が決まった一方で、秘密保護法が審議不足を言われながら成立しました。このことで、久々の国会前デモがニュースになり、政治も色々なことがあった一年でした。

思い返せば、2007年参院選で川田龍平氏が無所属で当選後、2009年12月にみんなの党・江田氏の進めで、入党、念願の厚生委員会に所属することが叶ったということでした。それが、2013年12月 みんなの党が分裂、江田議員らと共に離党届けを出した議員のひとりでした。

私は無所属からみんなの党で活躍する、以前から川田氏の活動に共感することも多くあって、2011年4月の県議選に立候補した際には、みんなの党の公認となった訳でした。震災直後、率先して被災地の窮状を確認して物資支援の道をつけ、こんな中での統一地方選挙は中止すべきと国会にも決議を出した渡辺代表の姿勢にも感心したものでした。選挙の結果としては、二人区での候補者の当選は、江田氏のいた神奈川のみで、海津にいなも落選しました。(二人区には党三役は応援には入らないとのルールがあるとは後日知る)県議選後は、千葉のみんなの党から距離をおくようになっていましたが、それでも各地で活動する政治に関心の強い女性たちとのネットワークは広がりました。

政治をより生活者に近づける必要を感じて、自分なりに誠実に考え、実践してきましたし、それだから見えてきたものもあります。地域にかかわる政治を具体的に自分たちの場に見えるようにしていきたいし、新しい年に向けて、粘り強く取り組み、チャレンジしていこうと思っています。

お世話になった皆様に十分にお話しする機会もないままではありましたが、私が目指してきた我孫子での活動は変わりありません。皆さまと折々に勉強会を開いたり、皆さまの会に参加したりと楽しくもタメになるように心がけて参ります。

本年のお礼と共に、今後ともよろしくお願い致します。

海津にいな


 
posted by Nina at 05:12| 千葉 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月30日

歴史の解釈 歴史考10

崔基鎬(チェ・ケイホ。韓国の大学教授)著『日韓併合/韓民族を救った「日帝36年」の真実』 (祥伝社・2004年 19〜23ページより)

  李朝は1897年、国号を「大韓帝国」にあらため、年号を「光武」とした。
王を皇帝と称し、表面的には五百十余年ぶりに明・清の束縛を脱し、独立国家を形成したが、実態は、変わるところがなかった。

 1904年、日清戦争に次いで日露戦争を控えた日本は、こうした朝鮮の惨状をみかねて、目賀田種太郎(めがたたねたろう:1853〜1926)を財政顧問として派遣し、日本からの財政支援をもとに、李朝をまともな国として建て直すという態勢がようやく緒につくことになった。

 目賀田財政顧問と統監府は、朝鮮の歳入不足を補填するために、日本国民の税金から、大韓帝国政府に無利子、無期限の資金「立替え」を実施したほか、直接支出で援助した。たとえば1907年度で、朝鮮の国家歳入は748万円しかなく、必要な歳出は3000万円以上であったから、その差額は全額日本が負担した。1908年度にはこれがさらに増えて、合計3100万円という巨額の資金を日本は支出した。統監府時代の4年間に、日本政府が立て替えた朝鮮の歳入不足分は、1428万円にのぼった。そればかりでなく、司法と警察分野などに日本政府が直接支出した金額は、立替金の数倍、9000万円に達している。

  現在の朝鮮・韓国の歴史では、日本の特恵的支援には一言も言及がなく、侵略だけを強調しているが、これがいかに偏狭な史観であるかを自覚しなければ、将来は開けない。1910年8月29日には、明治天皇から臨時恩賜金として3000万円が与えられ、旧韓国が日本政府から借用していた2651万円は、そっくり棒引きにされた。

 前述したとおり、李朝には元々、予算の編成能力などはなく、目賀田顧問の指導、監督の下で初めて予算が編成された。いかに李朝が非社会的な存在であったか、わかろうというものである。飢餓には食料と金が必要であって、名義と暴力では解決しない。

 日韓併合後の補充金と称する日本政府の持ち出し(日本人の税金)は、1911年が1235万円で、それ以前の平均2500万円の半額に減った。これは残りの半分を日本政府発行の公債と、日本からの借入金で補っており、毎年日本から約2000万円前後を調達するという状況は変わっていなかった。これは朝鮮自体の税収入の倍額に及んでいる。つまり朝鮮は、財政の過半から三分の二を日本人の税金によって賄った結果、ようやく近代化に向かって出発することができたのである。日韓併合によって、搾取され、呻吟(しんぎん)したのは、韓国・朝鮮国民ではなく、日本国民であった事実を認めるべきであると主張する人がいるのは何故だろうか。
 
 

  さて、現在、韓国軍が南スーダンで国連南スーダン派遣団(UNMISS)に参加している。国連を通じて日本へ銃弾の提供を要請したことについて、魏副報道官は、銃弾について、後続の軍需支援が行われ次第、返還する方針だと説明した。日本政府が韓国軍への銃弾提供を過剰に広報したことや、安倍首相が韓日関係に悪影響を与える靖国参拝という行為を強行したことに対し強い不快感を示したとみられる。安倍首相の靖国参拝について触れ、「信頼が構築されていない日本の態度をみると、一体どのような軍事交流が可能なのか問いたい」と述べた。来年上半期(1〜6月)中に両国間の軍事交流が行われるかどうかについては「何も予定されていないと承知している」と述べた。
posted by Nina at 00:00| 千葉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月29日

ベトナムに日本料理

TV番組で、ベトナムのストリートチルドレンの保育・教育施設「ヴェトナムの子どもの家」、で和食レストランが人気だと紹介があった。
この活動を立ち上げた小林道夫氏は、2012年 国際社会で顕著な活動を行い世界で『日本』の発信に貢献した業績をもとに、外国人プレス関係者により構成される、世界で活躍し『日本』を発信する日本人プロジェクトより、内閣府から世界で活躍し『日本』を発信する日本人の一人に選ばれたのだという。自らの貧しい生活を幼児体験しながらも、美味しいうどんを家族と一緒に食べたことは豊かな思い出としていつも蘇ってくるという。小野氏は私財を投げ打って、フェ市内に複数の児童施設を立ち上げて、しかも日本ODA事業を導入することに成功し、地元の信頼を勝ち得た。
そこから育った子どもたちから感謝状をもらって、感涙をぬぐう日本人の頑張る姿、嬉しい顔で働くストリートチルドレンがあった。
posted by Nina at 21:57| 千葉 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月28日

靖国の事実認識 歴史考9

太平洋戦争(大東亜戦争)後の極東国際軍事裁判(東京裁判)において処刑された人々(特にA級戦犯。ただし、合祀問題における「A級戦犯」には、判決前に死去した、つまり無罪の推定を受ける人物も含まれる。この点については昭和天皇は判決前に病死した松岡洋右と有罪判決後に獄中で病死した白鳥敏夫を同列に問題視している)が、1978年(昭和53年)10月17日に「昭和殉難者」(国家の犠牲者)として靖国神社に合祀されていた事実が、1979年(昭和54年)4月19日朝日新聞によって報道され、国民の広く知るところとなったが、決着を見ない。

戦前に軍国主義の立場から利用されたと国会答弁でも指摘された靖国神社が、A級戦犯を「昭和殉難者」と称して祭神として合祀しており、「国策を誤り、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人びとに対して多大の損害と苦痛を与えた」とした1995年(平成7年)8月15日の日本社会党の村山富市内閣総理大臣(首相)談話(村山談話)に基づいた政府見解に反するとして問題視する意見がある。

靖国神社は国家機関ではなく一宗教法人であり、靖国神社自体が政府見解に従う義務はないが、政府高官が靖国神社に参拝することを村山談話との関係で問題視する者もいる。靖国神社そのものを問題視しない立場でも、戦死者を祀るのが本義である靖国神社に東条英機ら戦争責任者が合祀されるのをよしとしない者もいる

また、天皇の靖国神社親拝は昭和天皇による1975年(昭和50年)11月21日が最後となっている。この理由については、昭和天皇がA級戦犯の合祀に不快感をもっていたとの意見が指摘されていた。

昭和天皇が合祀に不快感をもっていたことを記録した「富田メモ」や、内容を裏付ける『卜部亮吾侍従日記』の発見によって、A級戦犯の合祀が天皇の参拝を妨げていることが明らかになった。天皇の靖国神社への親拝は行われなくなった後も、例大祭の勅使参向と内廷以外の皇族の参拝は行われている。

そもそもは、幕末維新期の戦没者を慰霊、顕彰する動きが活発になり、その為の施設である招魂社創立の動きも各地で起きた。それらを背景に大村益次郎が東京に招魂社を創建することを献策すると、明治天皇の勅許を受けて1869年(明治2年)旧暦6月12日に現社地での招魂社創建が決定され、同月29日(新暦8月6日)に五辻安仲が勅使として差遣され、時の軍務官知事仁和寺宮嘉彰親王を祭主に戊辰の戦没者3,588柱を合祀鎮祭、「東京招魂社」として創建された新しい神社だ。

1970年(昭和45年)に靖国神社の崇敬者総代会でA級戦犯の合祀が決定された。ただし、当時の宮司預かりとなり、合祀はされていなかった。合祀強行派の中には、「戦争責任者として合祀しないとなると神社の責任は重いぞ」と主張する者がいたが、当時の宮司であった筑波藤麿は「ご方針に従う。時期は慎重に考慮したい」と引き取り、結局任期中に合祀を行わなかった。

ところが、1978年(昭和53年)になって新宮司が就任。A級戦犯の受刑者を「昭和殉難者」と称して合祀した。それまでに、政府の出した名簿が全て合祀された訳ではなく、2002年(平成14年)7月の国会答弁では「国として靖国神社の行う合祀には関わりを持っていない」事が確認されている。

その後、靖国神社は、東京裁判の有効性や侵略の事実を否定するなど、「A級戦犯は戦争犯罪者ではない」として名誉回復の方針を見解として打ち出している。A級戦犯合祀問題の背景には、靖国神社などによる「A級戦犯は戦勝国による犠牲者」とする意見と、侵略戦争を認めた政府見解や、国民への多大な犠牲などから「侵略・亡国戦争の責任者である」と一般の犠牲者である軍人・軍属などと一緒に祀り、顕彰することを問題視する意見の対立があるのも事実だ。国戦没者追悼式は追悼であり、靖国神社は顕彰しているという立場に捉えるのも苦肉の策だ。

「筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが・・・
松平の子の今の宮司がどう考えたのか 易々と
松平は平和に強い考があったと思うのに 親の心子知らずと思っている だから私 あれ以来参拝していない」との天皇の独白が記録として残っていたことが明らかになる。「松平」とは終戦直後の最後の宮内大臣であった松平慶民、「松平の子」とは慶民の長男で1978年にA級戦犯を合祀を決断した当時の靖国神社宮司、松平永芳(1915-2005 元海軍少佐・一等陸佐)を指すと検証委員会による推察がされて、宮内庁長官・富田メモ第一級の貴重な記録と認識されるものだ。

posted by Nina at 00:00| 千葉 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月27日

中国の近現代 歴史考8

激動の中国近代史を背景に、清朝末期の錦州で祖母の誕生からユン・チアン「ワイルド・スワン」を夜っぴいて読んだ事がある。1978年のイギリス留学までの一族の苦難の歴史を冷静な目でとらえたベストセラーだ。

文化大革命の混乱と狂気なかに青春を過ごし一族への迫害に耐え毛沢東の真実の姿に目覚めていく自分自身を描いている。
イギリスから中国へ里帰りし母と家族のことを話し合って泣き明かしたことが執筆のきっかけとなった。

イギリスでは1991年、出版されて以来三十週にわたってベストセラーの三位以内にとどまり権威あるNCR文学賞のノンフィクション部門賞を獲得した。またイギリス作家協会からも、ノンフィクション部門の年間最優秀賞を受賞を与えられ、BBCによってこの作品を基にしたドキュメンタリー番組が製作され1993年に放送された。

祖母は纏足(てんそく)を強いられた最後の世代で15歳で軍閥将軍の妾になった。母親は日本の占領政策を体験した世代で、夫とともに共産党で昇進したが、文化大革命のさいには拷問されても、迫害されても、意志を貫き、最後には、精神もおかされ目にもも合う。結局は下放させられ、不遇な環境に陥る。そんな環境で
最終的に留学を果たした著者が家族ともどもイギリスへ渡るという三代にわたる数奇な実話。

この時代の科挙の制度で官吏になると「三跪九叩頭の礼」という挨拶の仕方に従って、世界で最も偉いと考えられていた清朝の皇帝に対して、その臣下たちが作法に従ってお辞儀をする。

跪は文字通り「ひざまづく」の意で、「叩頭」は額を地面に打ち付けるという意味だ。つまり、「三跪九叩頭の礼」では、跪き、3回額を地面に打ち付け、起立するというのを1セットとし、3セット行う。だから、合計で3回跪いて、9回頭を打ち付けるので、「三跪九叩頭の礼」と呼ばれる。これが、1000年以上の長きにわたり中国の属国であった朝鮮でも、清の勅使に対して「三跪九叩頭の礼」で出迎えをしていた。

纏足や叩頭の礼など、いかに悪習によって近代化を阻んだ中国が問題を抱えていたかも分かる。いよいよ中国共産党が勢力をもって、近代的な社会を目指すが、ここでも大きな過ちが繰り返されていた実態などがつづられている



posted by Nina at 00:00| 千葉 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月26日

ソチ冬季五輪がまぢかに

posted by Nina at 06:17| 千葉 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月25日

「近いうちに」は、スピード感が3倍速の感じに

  去年の12月初めまで民主党が政権を担っていたのだとは、一年が早く回った感じだ。2012年11月-衆議院解散、12月選挙で民主は大敗し、 野田内閣は12月26日午前の臨時閣議で総辞職した。 

  現政権を担う安倍晋三首相は本日(25日)午後、沖縄県の仲井真弘多知事と首相官邸で会談した。
沖縄の米軍基地の負担軽減について、
(1)普天間飛行場(同県宜野湾市)の返還時期の前倒しと米軍新型輸送機オスプレイの訓練移転に向け、防衛省にチームを設置して検討する(2)日米地位協定を補足する新たな協定締結に向け、米国と交渉に入ることを伝えた。

  これに対し、仲井真知事は「いろいろ驚くべき立派な提案を提示していただいた。県民を代表し、感謝申し上げる」と高く評価。普天間飛行場の移設に向け、政府が申請した名護市辺野古沿岸部の埋め立てについて、27日に承認するかどうかを判断すると表明した。

時事通信 12月25日(水)14時16分配信 12月26日

posted by Nina at 19:33| 千葉 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月24日

ゲームで平和構築を目指す

posted by Nina at 03:58| 千葉 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月23日

沖縄では、八重山を二分する教科書問題

 今日は、天皇誕生日だけれど、”だからこそ”日本の近代史を振り返るのも大事かと思います。

>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>

 沖縄は、太平洋戦争で激しい地上戦を経験し、住民をはじめ20万人もの犠牲者を出した。「反戦平和教育」には全国でもとりわけ熱心に取り組んできた県でもある。しかし、それがひとたび米軍や自衛隊に矛を向ける時、常軌を逸した憎しみのエネルギーに変身することがある。そのことを、教科書問題を通じて痛切に感じた。

「沖縄タイムス」や「琉球新報」は、育鵬社版の教科書について、「米軍基地被害にほとんど触れていないから、教科書として不適格だ」と主張。尖閣列島、竹島、北方領土の問題に詳しく触れ、自衛隊の役割を高く評価する記述は「軍国主義的で、戦争につながる。子供を戦争に導く」、行き過ぎた男女平等をたしなめる記述は「男女差別を助長する」などと攻撃した。

 ある教育関係者は「この教科書は、子供に与えるようなものではない」と断言。現場教員の組織である沖縄県教職員組合のトップも、「育鵬社の教科書が採択されたら、沖縄は全国に恥をさらす」と言い切った。

 しかし、沖縄本島から遠く離れた八重山には、米軍基地も自衛隊基地もない。その代わり国境に接していて、例えば尖閣諸島をうかがう中国の脅威を、本島の住民よりも肌で感じている。八重山の住民の立場になってみれば、育鵬社や同じく保守系の著者が執筆した「自由社」の記述が特に異常とは思えなかった。

 八重山教科書問題が過熱した背景の1つに、与那国町で進む自衛隊配備計画がある。与那国町は日本最西端にある国境の島だが、警備力といえば警察の巡査がいるだけで、いわば丸裸に近い。しかし自衛隊配備反対派は、自衛隊に好意的な記述がある自由社、育鵬社版の採択を「自衛隊配備への地ならしだ」と猛反発した。

実は、育鵬社版採択の反対派の顔ぶれを見ると、「反自衛隊」を訴える人たちと同じなのである。それは育鵬社版を批判するパンフレットが、自衛隊の記述について槍玉に挙げていることからも十分うかがうことができる。

与那国島は現在でも、自衛隊配備の是非を巡って島が二分されている。与那国のみならず八重山諸島への自衛隊配備反対派にとっては、育鵬社や自由社の教科書が採択されては「都合が悪い」のである。

私は「逆転不採択」の現場に立ち会った。そこは、育鵬社版の教科書を何としても阻止するという反対派の常軌を逸した熱気に満ちていた。県教委職員は逆転不採択を露骨に主導した。そして翌日の紙面で、マスコミは逆転不採択を「平和と人権を貫く勝利」とたたえた。言論の自由が保障されている時代に、堂々と魔女狩りが行われたのだ。

結局、竹富町はいまだに育鵬社版を採択することなく、東京書籍版を使い続けている教科書無償措置法によると、3市町は同一の教科書を採択しなくてはならないが、違法状態が八重山で起きているのだ。育鵬社版の採択を覆そうとした動きは、法治国家に対する一種のクーデターだったと言えるだろう

逆転不採択など一連の事態は全国紙でも取り上げられたが、その内実については、多くの人が「沖縄タイムス」や「琉球新報」など地元の主要マスコミの報道を通してしか知るすべがなかったのが実情だ。

八重山日報は、発行部数ははるかに及ばないが、できるだけ関係者を取材し、客観的な報道に努めてきたという自負がある。地元の主要マスコミの報道だけでは知り得ない八重山教科書問題の本質を伝えることで、「反日左翼勢力」による過剰な攻撃が1つの言論をかき消そうとする異常な実態に目を向けてもらいたい。

2013年2月 八重山日報編集長 仲新城 誠
posted by Nina at 03:15| 千葉 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月22日

X'masa Illumi



posted by Nina at 17:15| 千葉 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月21日

時代を見ると千葉の政治が見えてくる

千葉の政治史を調べて行くうちに、いろいろなことも分かって来た。戦後日本にあって、統治システムが暴力によって機能不全に陥った希有なケースだと言える。

更に悪い事に、千葉は京浜工業地帯の一角でもあった。日本の暴力団がバブル時代に銀行とともに地上げを謀り、その莫大な資金を元手にあらゆる業界へと進出して企業化していったのも、政界との繋がり、国際資本による日本のバブル経済の演出、そしてバブル崩壊と無縁ではない。

土地収用委員の自宅や車が放火されたり日常的な嫌がらせやいたずらが行われ、委員達は警察に何度も相談したが警察は助けてくれなかった。新聞やテレビ等の各マスコミも無視して取り上げなかった。孤立無援な状態が続いた果てに、1988年9月21日、千葉県千葉市祐光(現・千葉市中央区祐光)1丁目の路上で、数人の襲撃者が帰宅途中の千葉県収用委員会の会長の小川彰(当時57歳)を自宅付近で襲い、鉄パイプやハンマーで全身を殴打し、両足下腿部や両肘部を複雑骨折させるなど重傷を負わせた後、逃走するという事件がおきた。小川や目撃者の通報を防ぐために、事件現場の電話線が予め切断されていた。

事件後、中核派は「革命軍軍報」なる犯行声明文を出した。このことから、公安警察は中核派による個人テロ事件と断定した。「収用委員会解体闘争」と称して収用委員全員の住所と電話番号を機関紙『前進』に掲載して、「家族ともども処刑台に乗っていると思え」などと収用委員に組織的に脅迫じみた手紙、電話などを送り続け、遂には収用委員の親族にあたる小学生の誘拐未遂事件まで起こした。

1988年10月24日に収用委員全員が沼田武千葉県知事(当時)に辞表を提出し、千葉県収用委員会は機能停止に陥った。

日本弁護士連合会は、同年11月9日付けで、「この事件は、千葉県収用委員会の機能を停止させることを企図した目的でなされたものであることは明白であるが、いかなる目的であれ、それを暴力又は脅迫などの行為をもって達成しようとするのは許しがたい行為であって、民主主義に対する挑戦であり、法治主義社会に対する許すべからざる暴挙である。」(抜粋)と意見を表明している。

当然のことながら、公共事業に用地取得が必要な局面において、全国で唯一の土地収用法が機能しない事情のために、公共事業進行の大きな足かせとなった。公共事業においても、必要な用地の任意取得のための補償金額の高額化、事業停滞、結果としてインフラ整備水準が低くなるという具合に負の連鎖が生じた。千葉県の道路事情がよくないと一部悪評を受けていることも、千葉県収用委員会会長襲撃事件と決して無関係でない。

その後、千葉県は収用委員を選任できずにいたが、ついには小川彰元会長は事件の際の負傷の後遺症で治療入院していたが、入院先の北九州市で2003年7月に入水自殺する最悪な結末になった。沼田知事時代の積み残しであった土地収用委員会の不在は県内のインフラ整備に著しく支障を来たていたこと、新左翼のテロも沈静化したとの判断から、堂本暁子知事の時代になって、約16年ぶりの2004年に委員会は再開された。

成田空港よりも羽田空港の存在感が高まっているが、千葉県収用委員会が機能していないことが、成田空港の少なからず影響していることは考えられる。成田空港関連の土地収用に関しては、依然として、土地収用法を適用しないことを内容とする限定的な再開であり、いまなお、機能は全快していないということは各所にみられる。こうした背景を抱えて、全国で鉄道運賃が高いと有名な北総線鉄道も、任意取得の手段しかなかったがために用地取得に多額の補償金が必要であったことが原因となっていると指摘がされている。

土地収用法では収用委の審理は原則公開とされているが、これまで千葉県では反対勢力の過激な報復を防ぐために異常事態が続いていた。2007年12月、千葉県は収用委員会7名の氏名を公表するようになったた。道路建設などのインフラ整備に限り土地収用法が再開し適用しているが、ただし、収容委員会の氏名を非公開とし、成田空港には適用しないこととしている。こうした適用外見直しも検討はされるようになってはきているという。

 

参考:
千葉県収用委員会のはなし〜失われた16年
http://blog.livedoor.jp/yukilaw/archives/24970704.html
posted by Nina at 00:00| 千葉 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月20日

北総線の裁判が起きた事情と開発 

北総線は、売上高経常利益率でも16 社平均16.38%に対して高運賃の北総鉄道は22.30%の数値となっています。
他方、資産の状況では、これまでの累積赤字が31,799 百万円あり、資本金に対して6,899 百万円の債務超過となっています。

森田知事の北総線運賃5%値下げをするのに公金投入であってはダメ、親会社の京成の線路使用料で解決すべきだとの主張が出た。ところが、最初に北総鉄道を整備した「P線方式」というスキームにそもそも問題があり、その間違いを国が認めている。だから、なんらか公金の投入がないと、安い運賃設定は無理だということになったということだ。その反省がもとになりTXなどは沿線自治体が最初から支出を求められることになってきた。

そこで、どうやら北総線利用の市民負担が多くならないように沿線市が補助金をだして、実質運賃の値下げをすることになって、不承不承とはいえ沿線市は協力することになる。そこで、北総に補助金支払いの音頭をとって、普通運賃で平均5%弱の初の値下げが実現したのが森田知事だtった。補助金の投入れないとなると、北総は再値上げの可能性もあり、森田健作知事も各市に支出を求め、最後に白井前市長も議会との攻防の果てに、英断を下すということになるはずだった。しかし、議案否決は何度にもおよび、県から言われた時間切れの直前に、議会事項の専決処分に踏み切った。 それが尾をひいて、最高裁に公訴する事態は泥沼化していくことになる。結果的には、罪作りな県知事の値下げ宣言だったといえるまいか。

2013年、二度目の知事選を楽勝している。我孫子・印西では、終末処理場のことで地元は反対運動も起きたが、しょせんは人の目に触れない場所にある施設だから、知事の一挙手一投足は議会でのみ論議されるものの、県民生活に直接関わっているとは感じないようだ。知事の動向には向いていないのは、知事には都合もいいようだ。

posted by Nina at 00:00| 千葉 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月19日

近隣市の交通行政と裁判

猪瀬元都知事が選挙資金の届について問われて議会審議が集中し、辞職をしたのはつい最近だ。
議会が市民生活を議論するより、首長の進退が問われるとあらゆる物事がすすまない原因になる。

意見闘争を繰り返して混迷が深くなって、議会賛否が真っ二つにわれて亀裂を深くする場合はどこでも起こりうる。
場合によっては、首長の不信任などまで出されて、かなりの時間を費やさなくてはならなくなる。

最近に近隣市で何が争点だったかというと鉄道の高額運賃が市民生活を圧迫するため、沿線自治体で県の決めた5%値下げ幅のために、補助金を出すかどうかという議論である。値下げ幅5%で飲めないとする側が予算執行のストップをかけようとして、度重なる審議をもとめる。値下げは望むところでも、値下げの割合については5%では妥結しないとなった。つまり、議会は同数に分かれて、何度審議をくりかえしても決着しない。

市民生活の為に値下げの原資をどのようにねん出して、いつから始めるかの判断だったはずだったが、値下げ幅は森田知事が決めた上で、県税も投入、各沿線市も値下げ実施のための割り振り額を伝えられた。補助金を入れなかったときにどうなるかと言えば、沿線自治体の値下げまでも棚上げになるということで、予算執行ぎりぎりの窮地の中で、年度変わりで定期券購入に支障をきたすなどを回避する判断を新市長が下さなくてはならなかった。

市長の妥結姿勢に納得がいかないと裁判を起こした人たちは、線路使用料で解決すべきだ主張だ。それまでは、予算を執行しないとなると、市民生活はおろか、鉄道沿線市および千葉県の予算執行にも影響がおよび話は急を要していた。

北総鉄道を整備した「P線方式」というのが、そもそも問題があったと国も最近は認めているという。
その轍を踏むな となって、その後の鉄道開発は沿線市が何らかの財政的措置をすることになった。
つまり、敷設前に公金の投入がされるようになったが、それがされていない時代だと、補助金をだすなどして運賃値下げをするのでもないかぎり、鉄道会社自体に望むだけではもはや無理だということではないか。

特に千葉県は厄介な事情を抱えていた。成田空港をごり押し誘致して、三里塚の鉄の鎖を巻いて闘争を長引くのを見てきたとおりである。
その際に土地収用委員会が運営されなくなり、そのため千葉県の土地収用の費用はどんどんと膨らんで、赤字財政の危機にも直面した。
鉄道の敷設が進まないと、結果的にニュータウン計画は縮小を余儀なくされ、少子高齢化の時代に移行して、もはや広大なニュータウンは虚構のシナリオだ。

そこで予定の人口に増えないなら、交通運賃は下げるのは難しい。県費をいれて、沿線市の補助をすることを知事の一声できめれば、県議会は追従した。なぜなら、ニュータウン計画そのものが県が旗振り役をしたからだ。しかし、それも撤退の準備には入っているのだとも言われる。

千葉県の事に目がいかないままに、サラリーマンの税金は自動徴収される。どうせ、騒いでも県税が戻ってくるあてもないと観念してしまうが、鉄道運賃の闘いで紛争がおきていることも知っておいたほうがいいだろう。右肩あがりの時代には、国やら県がカバーするところであったのが、そのツケを払わされる事情がおきているということがあるからだ。














posted by Nina at 00:00| 千葉 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月18日

みんなの後は「結いの会に

みんなの党を離党し、新党結成を目指す衆参両院議員は13日、国会内で開いた会合で、党名の候補を二つに絞った。江田憲司衆院議員は「結いの党」について「野党再編を明確にしている政党なので、各政党を束ねる結節点になる」。

『官権から民権へ』という結党の原点を表した」と、民権党との名前も候補にでていた。結党予定メンバー15人が電子メールで決選投票して新党名を決め、18日の新党設立総会で発表となる。

 会合では、結党メンバーらが50以上の案を持ち寄った。議論の末、「正義党」「あしたの党」「新党ひびき」の案も残ったが、議員らによる投票で「結いの党」と「民権党」が得票数で並んだ。

 1月の党大会では今年の政策課題として、徹底した規制改革▽環太平洋経済連携協定(TPP)交渉参加▽行政改革の推進などを柱とする「アジェンダ2013」も決定したが、船頭ばかりか、乗組員も多数移動してしまった。



 今年1月の時点で、みんな・渡辺代表は当初は維新への共同歩調を模索したが、「維新と合流はない」などとしたころから、党内の縺れが出ていた。1月27日に行なわれた党大会で、夏の参院選で「自公の過半数阻止」を目標とする運動方針を決めた。維新との信頼関係は壊れている」と明言した。
  渡辺氏はあいさつで、衆院選前に維新と石原慎太郎氏率いる太陽の党が合流したことに触れ、「我々は増税凍結、原発ゼロと言っている。維新はどうか。太陽と合流して政策はまるで分からなくなった。我々は維新の皆さんに猛省を促したい」と厳しく批判した。

 

 27日投開票の北九州市議選でも両党が競合しないよう候補者を擁立し、全員当選につなげるなど一定の成果をあげている。みんなと維新は、一端は東京都議選や夏の参院選で候補者を一本化することで合意していた。だが、渡辺氏はこの日の大会で「政治理念と基本政策の一致が前提」と改めて強調し、維新との合流には、旧太陽系議員の存在が障害になるとの認識を示したのだった。その後、維新との共同歩調もならないだけでなく、党内の歩調もままならない状況になっていた。
  

posted by Nina at 00:00| 千葉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月17日

千葉県政史、近隣市への影響 歴史考7

千葉ニュータウンの計画には、宅地開発として鉄道計画も重要な要素だった。もっとも、我孫子の人間が通勤・通学に利用するルートではないので、この辺りの千葉の事情を見逃しがちとなる。しかし、当然ながらニュータウン計画には、莫大な県費が投入され、今もそれが、尾をひいている。


値下げ交渉で5%減
http://city.shiroi.chiba.jp/iexcms/files/article/10555/20100614153049.pdf

その北総線は1979年に開通し、千葉ニュータウン中央計画の盛り込まれた1960年代には計画人口34万人を見込んでいたが、1970年代のオイルショックや1990年代のバブル崩壊などで縮小を余儀なくされ、現在では8万人にとどまっている。

それでも、わずかながらではあるが沿線開発は続けられ、北総線利用者数は増加している。
北総線値下げについて、5%では値下げ幅が少ないということでの反対運動してえいるのは、北総線が開通することで移り住だ新住民だ。

最初から高いと分かっていた(?)が夫が通勤する時は定期代は会社持ちなので、家計への影響はなかったが、子供が成長して、通学定期を払う必要が生じると家計を圧迫する額だという、当然ながら悲鳴がでた。
 実質的に自分の財布に関係がないとはいえ、県税を払ってもいる県民として、少し、その経緯を追ってみる必要がある。
posted by Nina at 00:00| 千葉 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月16日

終末処理場のその後

6月4日(火)の朝刊は千葉県我孫子市に関する記事が多く出ていました。

【高濃度の放射性物質を含む指定廃棄物の最終処分場問題】
環境省は3日、指定廃棄物処理促進市町村会議を開き、最終処分場の候補地選定に関する手順案を説明。同日、井上環境副大臣が我孫子市長等と共に手賀沼終末処理場内の一時保管場所を視察しました。

環境副大臣が手賀沼終末処理場をし、一時保管の期限延長の可能性?(怒)
一方、柏市が近くに焼却灰の搬入の停止を示唆するなど、初日から大きな動きがありました。

初日に行われた市長の市政報告では、そのあたりの報告はあまりありませんでしたが・・・


 既に松戸市ではこの2月から手賀沼終末処理場への持ち込みは停止されています。それには、今まで高濃度の灰を搬出していたクリーンセンターが定期点検に入ったことと、貯めていた剪定枝等がなくなったことの2つの要因があります。
 そして、松戸市はさらに定期点検後のクリーンセンターでも新たな剪定枝等を入れずに焼却灰の濃度を調査し、通常処理の基準となる4,000㏃以下の灰を作りだそうというものです。この実験がうまくいけば、まさに松戸市はこの2月にも搬入停止を実現したことになります。

 この実験の結果により、今後の焼却灰搬入は大きく変わります。搬入停止へ向けた一つのヤマ場とも言えます。是非とも松戸市には4,000㏃以下の灰を作りだすことに最大限の努力をお願いしたいと思います。
posted by Nina at 00:00| 千葉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月15日

日韓関係の齟齬を解消する、キムチづくり

韓国のキムチ作りの特徴は分かち合いの精神だとされる。イ・ビョンギ在日韓国大使は、今月7日にキムチ作りに安倍首相夫人(昭恵さん)らを招き「韓日が互いを理解して配慮し、未来へ進めるなら問題を克服していける」と挨拶した。白菜の葉に調味料を塗る作業を体験した昭恵さんは「良い精神ですね。主人にも食べさせたい」と笑顔を見せた。高円宮妃久子さまも「キムチも無形文化財に同時決定の直後なので、皆で一緒に作れるのはうれしい」と話した。

近くて、遠い国と言われ続けてきた、日韓関係。両国間の一般的な交流が盛んになってきたのは、金大中大統領の文化政策の日本文化受容とワールドカップの共同開催、そして「冬ソナ」人気だ。お互いを疑心暗鬼で見ていたが、音楽や映像で互いに興味をもつ若い世代が続いていることは、将来的な友好の可能性だろう。

終戦後、敗戦の日本と植民地となっていた朝鮮の関係が、未だに尾を引いていることは否めない。誇り高い民族の文化を踏みにじったのは、間違いない。日韓交渉中に主張した対日債権(韓国人となった朝鮮人の日本軍人軍属、官吏の未払い給与、恩給、その他接収財産など)に対して日本政府は、「韓国側からの徴用者名簿等の資料提出を条件に個別償還を行う」と提案した。しかし、韓国政府は「個人への補償は韓国政府が行うので日本は韓国政府へ一括して支払って欲しい」とし、現金合計21億ドルと各種現物返還を請求した。次の日韓交渉で日本は韓国政府へ一括支払いは承諾したが21億ドルと各種現物返還は拒否し、その後、請求額に関しては韓国が妥協して、日本は前述の記載通り「独立祝賀金」と「発展途上国支援」として無償3億ドル、有償2億ドル、民間借款3億ドルの供与及び融資を行った。こういう状況であるから、日本から融資を受けた、支援を受けたなどとは国民に積極的に伝えるわけもない。だから、日本がそうした補償をまがりなりにもしていたとは知られない。日本は、戦後処理においても、国際的な儀礼にも劣る非情な国と国民に思われているのだろう。

日本政府が個人補償に充てるべきと考えた償還金は、韓国政府では個々人にはほとんど支給せず、自国の経済基盤整備の為に使用した。さすがに、現在、この点を批判する運動が韓国で起きている。また、日本国内でも、条約に基づく巨額の資金提供は独裁政権を利するとして反対運動が起こり、大学生を中心に大々的な反対運動が展開されていた。

当時の交渉過程で、日本が朝鮮を統治している時代に朝鮮半島に残した53億ドル分の資産は、朝鮮半島を占領した米ソによってすでに接収されていることが判明しており、この返還についても論点のひとつであった。交渉過程ではこれら日本人の個人資産や国有資産の返還についての言及も日本側からなされたが、最終的に日本はこれらの請求権を放棄した。

http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2013&d=1111&f=national_1111_017.shtml
posted by Nina at 00:00| 千葉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月14日

日中関係、関係改善への努力 歴史考6

 日本軍の蛮行がとりたざされるようになったのは、南京での虐殺行為が大きい。どの国の戦争においても 整然とした殺戮などの表現はありようもないだろう。近代戦において空から絨毯爆撃、果ては原爆を投下したが、一瞬にして灰にしてしまうか、日数をかけて陸上から襲っていくかということだ。戦後、日本人が懺悔ともいえる戦場での日本兵の状況を告発する。
  
  そこでというのも難だが、今や欧米の研究者などはWikipediaも閲覧して一応の参考にしているので、それを見てみると、驚くことに、社会党当時の幹部が虐殺のあった南京のことを記憶するようにと中国共産党幹部に進言して、相当な予算を渡したのだと記している。そこで、社民党が旧社会党のあったビルを引き払うという時に、念のために、事実だったのかどうか、確認しておこうとメールで問い合わせたことがあった。しかし、未だに何の返信もない。
 
 
 
 南京で虐殺の数々をしたとは言え、その虐殺数は5万人から30万人ともあまりに開きがある。この虐殺行為をもって、日本軍を徹底した裁こうとしたと言われる極東裁判は、連合軍側として米国が主要な裁定をしていったのも、異例だった。どさくさまぎれと言えば言えるが、この裁判は日本人を好戦的な民族だとして、裁こうと思ったのに違いない。そういうシナリオで裁判が行われていったことに対して、インド人の判事が疑義を呈した。戦争が行われるように追い詰められた過程にも問題を指摘、それがパール判事だった。A級戦犯として死刑判決が下った人々にも弁明の機会が与えられた。
 中国は、中華民国が一時的な覇権を握るけれど、共産党の革命がおきて中華人民共和国となると、国交は途絶えて、そうこうするうちに共産党幹部に社会党幹部が会合するわずかな時間に、日本の悔悟の念を伝えたということなのだろうか、そう聞かせられて、共産党支配下の中国の上海市長となった江沢民は特段に日本軍の蛮行を突き上げた。その間にも虐殺者数の確定をしようとあらゆる媒体の数字を積み上げて、かつ反日思想が国民に刷り込まれた。
  日本と中国は、漢字を通して、文化を吸収して、国家制度、農業までもお手本にしてきたのに、取り返しのつかない禍根を残してしまった。男には命を奪うほどの強制労働、女には慰安婦、レイプということが押し付けられるのが被支配側だ。

  振り返ってみれば、戦後しばらく、日中は国交断絶だった。キッシンジャーという名うての政治学者が国務長官になると、米国は中国をパートナーとした新しい東アジア秩序の形成を模索して急接近していったが、その東アジア新秩序構想において日本抜きで事を運ぼうとしていることを察知した日本政府及び当時の首相・田中角栄が、先手を打ってでき得る限り早く日中国交正常化を果たすことを決断する。そしてニクソン訪中宣言からわずか1年2ヶ月という異例の早さで日中共同声明1972年9月29日)に持ち込んだ。そして、今年は国交正常化40周年を祝うはずの年になるはずだった。
  1972年、ニクソンショックを引き金に、共産党中国と日本はようやく国交を回復したのだ。それでも、一般の人同士が交流するには限りがあった、外交努力、ODA、政治家の舌禍事件が繰り返されながら、それでも多くの人の希望によって行き来がされて、シルクロード、敦煌の史跡、「大地の子」などのTV番組やドラマの影響などで、日本側からの歩み寄りは続けられた。中国でも、アニメ「鉄腕アトム」、テレビドラマ「おしん」は大人気になった。
  日中間の人々の好悪感情の隔たりは時折の世論調査に示されていて、いつも揺らいでいた。ついに、天皇の訪中までに漕ぎつけたが、その後も一般の中国人には愛国教育のもとに反日思想が喧伝されいたので、簡単に全幅の信頼や友好関係には進めない。それらを示す文書が最近に出てきた。
・・・・・・・・・・・・・・

日中外交当局が1992年、旧日本軍の慰安婦問題を大きくしないよう互いに抑制的に対応すると合意していたことが、朝日新聞が情報公開で入手した外交文書や政府関係者の証言で分かった。日中国交正常化20周年の同年秋に予定されていた初の天皇訪中などへの影響を懸念したためとみられる。

日本外務省中国課長と在京中国大使館の担当者との会話を記録した同年2月19日付極秘文書によると、日本側は「慰安婦の問題が韓国から中国にも飛び火して頭を悩ませている。重要な要人往来を控え、この話が日中関係の大局に影響を及ぼさないようにしたい」と伝えた。中国側は「プレー・アップを望まないのは中国側も同様。中国の国民感情に直接響いてくる問題であるので、慎重に取り扱う必要があろう」と答えた。

この10日余前、中国人慰安婦がいたことを示す資料が旧防衛庁で見つかったことが報道されていた。「プレー・アップ」は外交官らが「大きく扱う」「強調する」といった意味で使う。

江沢民・中国共産党総書記(当時)が同年春に訪日し、秋には天皇が初訪中する方向が固まっていた。中国側は天皇訪中を、89年の天安門事件以降続いていた国際的孤立を解消していく好機ととらえていた。
.
朝日新聞社http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131210-00000004-asahi-pol

朝日新聞デジタル 12月10日(火)6時3分配信
posted by Nina at 00:00| 千葉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月13日

日本の戦没者 歴史考5

http://www.max.hi-ho.ne.jp/nvcc/TR7.HTM


第2次世界大戦における軍人の戦死者数と民間人の犠牲者数については、諸説があるが、ここでは、「タイムズ・アトラス 第二次世界大戦歴史地図 」のデータを元にグラフ化した(日本は厚生労働省資料)。

 戦死者数については、ソ連の1450万人が図抜けて多く、ドイツの280万人、日本の230万人がこれに次いで多くなっている。中国が130万人、そして中東欧のオーストリア、ポーランド、ルーマニアも、それぞれ40〜85万人と多い。

 英国、フランス、イタリア、米国は、20万人台であるが、米国が29万人とそのなかでは最も多い。

 民間人の死者数では、中国、ソ連、ポーランドで600〜1000万人と犠牲者が多く、ドイツが230万人で続いている。日本80万人の他、オランダ、チェコスロバキア、ルーマニアなども、英国、フランス、イタリアを上回る民間人犠牲者を出している。

 日本、ドイツ、オーストリア、チェコなどで、「もし戦争が起こったら国のために戦うか」という問いに対して、「はい」と答える者が相対的に少ない背景には、これらの国の戦争犠牲者の多さが反映していると考えられる
posted by Nina at 00:00| 千葉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月12日

新野党結集、新党結成の先は

 みんなの党を9日に離党した江田憲司前幹事長が、民主党の細野豪志前幹事長や日本維新の会の松野頼久国会議員団幹事長らと、規制改革や地方分権をテーマにした勉強会「既得権益を打破する会」の設立総会を10日午後、国会内で開いた。

 江田氏は開会あいさつで「改革派の皆さんと連携を図りたい。政策の関門をくぐり抜けた先には政界再編、新党がある」と述べ、新党を「触媒」にして、野党勢力の結集につなげたい考えだ。自民、公明両党が巨大与党として立ちはだかる中、民主党や日本維新の会も巻き込んだ野党再編に発展するかどうかが焦点となる。
野党勢力の結集を目指し、規制改革や地域主権に関する政策づくりを進め、「自民党に代わり得る改革勢力」(江田氏)を狙う。 
 勉強会は、野党再編に積極的な江田、細野、松野3氏が7月の参院選後から計画していた。みんなの渡辺喜美代表が所属議員に勉強会への出席を認めない方針を示したため、開催を先延ばししていた。 
 一方、江田氏らみんな離党組の14人は、新党結成に向け、午後に衆院議員会館で準備会合を開き、名称や体制の本格的な検討に入る。


 3氏は同会の共同代表に就任する見通しで、衆参議員52人が出席した。この52人を含め計85人が入会を届け出た。
posted by Nina at 11:50| 千葉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月11日

放射能廃棄物最終処分場を考える

2006年から高レベル放射性廃棄物最終処分事業を追ったドキュメンタリー

The SITE上映とディスカッションイベント第3弾!
高レベル放射性廃棄物最終処分―日本におけるコンセンサスの過程

◉ 日時: 12月22日(日)13時半〜17時

◉ ゲスト:
・ 鈴木 達治郎さん (原子力委員会)

・ 梅木 博之さん  (日本原子力研究開発機構 地層処分研究開発部門 部門長)

・ 高橋 正樹さん (日本大学教授・地質環境長期安定性研究委員会委員)

・ 藤村 陽さん   (神奈川工科大学)

・ 赤司 友一郎さん (NUMO)※検討中

賛否などといった二項対立ではなく、立場を越え、行政、推進関連機関、研究者、技術者、慎重派、 反対派など、本事業に携わる様々な関係者を一度に集め、一般市民が関係者らと直接やりとりし、 今後の高レベル放射性廃棄物最終処分について、 単に意見交換するだけでなく、ではどうしたらいいと思うのか、というところまで、現実的な解決を模索する建設的な議論展開を目指した、これまでにないカジュアル&オープンな場を実現したもの。

◉ 会場:ゲンロンカフェ(東京・五反田)
 http://genron-cafe.jp/

◉ お申込&その他詳細:
下記サイトのメールフォームよりお申込下さい。

  http://journalasia.blog22.fc2.com/blog-entry-708.html
  料金:2,500円 ※ 要事前振込

◉ The SITE - Japan Specific - とは:
研究施設、技術者、安全規制支援研究、研究施設をおく地域住民、処分場誘致を試みた町の人々、 関連研究を担う大学関係者らなど、高レベル放射性廃棄物最終処分事業=地層処分=に携わる様々 な立場の人々に対し、2006年からインタビューをしたもの。
オーガナイザー:稲垣 美穂子(The SITE 制作者)
posted by Nina at 00:00| 千葉 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月10日

東アジア近代史はブラックボックス 歴史考4

日中外交当局が1992年、旧日本軍の慰安婦問題を大きくしないよう互いに抑制的に対応すると合意していたことが、朝日新聞が情報公開で入手した外交文書や政府関係者の証言で分かった。日中国交正常化20周年の同年秋に予定されていた初の天皇訪中などへの影響を懸念したためとみられる。

日本外務省中国課長と在京中国大使館の担当者との会話を記録した同年2月19日付極秘文書によると、日本側は「慰安婦の問題が韓国から中国にも飛び火して頭を悩ませている。重要な要人往来を控え、この話が日中関係の大局に影響を及ぼさないようにしたい」と伝えた。中国側は「プレー・アップを望まないのは中国側も同様。中国の国民感情に直接響いてくる問題であるので、慎重に取り扱う必要があろう」と答えた。

この10日余前、中国人慰安婦がいたことを示す資料が旧防衛庁で見つかったことが報道されていた。「プレー・アップ」は外交官らが「大きく扱う」「強調する」といった意味で使う。

江沢民・中国共産党総書記(当時)が同年春に訪日し、秋には天皇が初訪中する方向が固まっていた。中国側は天皇訪中を、89年の天安門事件以降続いていた国際的孤立を解消していく好機ととらえていた。


朝日新聞デジタル 12月10日(火)6時3分配信

出典:
朝日新聞社http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131210-00000004-asahi-pol

社民党が、旧社会党時代に中国との問題でどのような役割を果たしたのか、Wikipedia には「南京大虐殺記念館」の経緯についても、仔細に書かれていたので、目が点になってしまった。そこで、社民党ビルが移転する前に実際どうだったのかと、問い合わせをしたが、その文面を読んでくれたのかどうかも返事が来なかった。ことほど左様に野党としての体質も変わったということだろうか。





posted by Nina at 11:44| 千葉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月09日

我孫子について学会発表!?

学会で久々に大学院時代の新旧同窓生、指導教授に会えたのは嬉しかった。ゼミの仲間が7人、それに先生まで!
みんな、頑張っているなあという久々に清々しさ感動があった。ドイツ人、韓国人などの研究者も日本語で見事な発表をされていた。

M2200004.JPG


私の取り組んでいる白樺研究は、やはりやればやるほど、深みに嵌ってきている、と思う。
柳宗悦の民藝は、朝鮮統治に抗議する時期に我孫子にて李朝陶磁器の壺を手にしたことから展開される、思想弾圧への抵抗運動を始めたのが我孫子だった。「お目出度き人」「友情」「愛と死」など理想主義的な著作を書いていた武者小路が、ここへ着て、またすぐに新しき村への出発を期するのも我孫子だ。

論文構想は、段々、白樺への弾圧、千葉の白樺教師(自由教育)への弾圧を触れずに通れなくなってきた。なぜ我孫子を「地上で一番美しい場所」とまで言いながら、さっさと出て行かざるを得なかったか????
それを論拠するという、我孫子からの研究を加えることで、この分野の新規軸にできないかとの寝ても覚めても考え、痩せる想いです。
とりあえずは、終末の学会発表を無事に終えたら、来年年初は米国での発表への準備をしなくては・・・・。

conference2013.JPG

posted by Nina at 00:00| 千葉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月08日

秘密保護法案、与野党の攻防

秘密保護法の暗点.png


※内容は20131122日時事ドットコム掲載時のものを参考にした



 特定秘密保護法案の審議は5日の特別委員会で、与党は特定秘密保護法案の強行採決に踏み切るが、これを受けて夜に開かれた参議院本会議は深夜にまでなり、TVライブで報道された。
 政府・与党は、会期を延長してでも特定秘密保護法案を今の国会で成立の方針。与党側は2日連続の深夜の国会を避けるため法案の採決は行わず、6日に先送りした。法案に反対する民主党は、強行採決をした特別委員会の中川委員長の解任決議案を提出したほか、複数の大臣の問責決議案や安倍内閣の不信任案も検討するなど図る考えだ。一方、みんなの党と日本維新の会は、第三者機関の設置では与党と合意したものの、「国会運営が強引だ」として、一部議員を更迭するなど衆参足並みがそろわない事情もあったため、本会議の採決は退席する模様だ。

 ここに至るまでのことの起こりは、海保の中国船との争議に始まり、その際の映像を出したことが、秘密漏えいにあたるとか、否とかだったように思い起こす。そして、北朝鮮の状況は、金総書記の周辺で歌手を含む側近までも公開処刑されたということで、与野党政権が入れ替わってからの日本海周辺の安全保障に、現政権は躍起になる事情もある。それを国民がどう理解しているか、国民の将来に不利益があるとすれば、その当たりの祖語も起きないか充分な審議も重要なはずなので、拙速すぎるとの批判も当然だ。

 これまで自民、公明両党と日本維新の会、みんなの党の衆参での修正協議は、与党が骨格部分を譲らないまま、野党が譲歩し、国民の知る権利を侵害しかねないとの懸念が言われ、国会前のデモも盛んになっていた。


 秘密指定の期間が「原則60年」との修正や、永久非開示となり得る例外項目も行政の裁量で拡大解釈される恐れがあり、民主党などは「明らかな後退だ」(海江田万里代表)と批判を強めている。

 維新は11月22日の臨時総務会で修正案を了承。しかし、これに先立つ部会では賛成が27人だったのに対し、23人もが反対を表明した。修正協議の責任者の藤井孝男国会議員団総務会長は、記者団に「大幅に譲歩したとか、後退したとか言われているが、とんでもない」と気色ばんだが、党内に渦巻く不満は隠しようもなかった。


 修正案は、秘密指定の期限について、暗号など7項目を例外とし、最長60年まで延長可能とするもの。秘密指定が「無期限に延長できる」との批判は当初からあり、政府案は30年超の指定は内閣承認が必要との「歯止め」を設けていた。維新が最終的な公開にこだわった末に、与党の逆提案の「60年」が残る結果となった。つまり、維新の妥協が60年という長期間の指定にお墨付きを与えたとの見方もありそうだ。


 7項目の例外規定は、暗号のほか、(1)武器、弾薬などの情報(2)外国との交渉に不利益を及ぼす恐れのある情報(3)情報収集活動の手法・能力(4)人的情報源に関する情報(5)外国から60年を超えて秘密指定を行うことを条件に提供された情報(6)政令で定める重要な情報−と多岐にわたり、その基準も曖昧だ。

 本来は不要なはずの「秘密指定」まで行われるとの懸念もある。維新は譲歩しつつも、秘密指定できる行政機関を内閣官房、外務、防衛両省に絞り込むよう要求したが、これに対し、与党側は拒否。修正案はこの結果、法施行後5年間に秘密指定の実績のない行政機関は指定権限を失うとしたため、指定権限を維持したい省庁側が不必要な指定を行う可能性も否定できないということだ。


 共産党・志位和夫委員長は、特定秘密の指定・解除に「首相が第三者的な観点から関与する」としたみんなとの修正合意に関しても、行政トップの首相に中立性を期待するわけにはいかず、野党は「論に耐えないごまかしだ」と反発していた。


http://www.jiji.com/jc/graphics?p=ve_pol_politics20131122j-04-w610
posted by Nina at 22:00| 千葉 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月07日

近代日本の歴史を理解する 歴史考3:真珠湾攻撃

先週末の市民活動フェアで、知人がかっぽれを披露するので、来てねと言われて観に行った。
男性が一人のほかは女性ばかりだったが、その男性はさすがにウマい。
好きなのとある程度の心得がないとこうした踊りの参加もなかなか勇気がいることだろう・・・・
などと思いながら観てみると、敬意の念に変わってくる。踊りの振付を覚えて、遅れず、早まらずみんなと合わせて踊るなど、なかなか大変だ。
自分だったら出来るかといえば、練習に月3回だとか参加することから無理だろう。

楽しい時間が終わると、今度は次なる会の人に残って朗読劇もみてくださいと言われた。
話を聞いてみると、戦争中のカナダの地で日系人が強制収容されていたのだという、それを朗読劇にして上演すると言うものだった。

お昼を食べて、再度、ホールに戻って、劇をみて、不思議な巡り合わせで、こうした過去の日本人の歴史を知ることになったのは何かのご縁だろうと思った。

歴史は、教科書に書かれたことなどはほんの一部であるし、厳格に歴史認識を精査していたら時間は足りなくなるのだろう。

歴史家G・プランジは、「3人のハワイ日系人住民が日本の不時着のパイロットを助けて、加勢する転向の素早さ」に注視し、この事件だけを根拠に「ニイハウ島事件においてさらに悲観的な点は、日系人はたとえアメリカ市民になっていても信用できず、彼らにとって都合がいい状況であった場合は、日本から離れることはない、という証明になったという事だ」と、根拠に欠ける断定をしている。


小説家のW・ホルステッドは、「ニイハウ島へ攻撃機が不時着事件は、日系人の強制収容に至る決定に影響した」と述べている 。彼によれば、日系住民のシンタニと原田家の行動はアメリカ海軍の報告書に記されたと言う。1942年1月26日のアメリカ海軍のC・B・ボールドウィン中尉による公式文書の中で、以下のように記されている。「それまで反アメリカの傾向がなかった2人のニイハウ島の日本人住民が、日本の支配がその島において可能だと思われた際にそのパイロットを助けたという事実は、それまでアメリカに忠誠を誓っていた日本人住民が、さらに日本の攻撃が成功すると思われた場合、日本を支援するかも知れないという可能性を示している」



ちかぢかハワイに行くので、戦艦アリゾナを見てきた方がいいかな、などと思っている。


posted by Nina at 00:00| 千葉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月06日

世界無形文化遺産に「和食」、遂に決定!

 国連教育・科学・文化機関(ユネスコ)は4日深夜(日本時間)、アゼルバイジャンの首都バクーで開いた無形文化遺産保護条約の政府間委員会で、日本が推薦していた「和食 日本人の伝統的な食文化」を、無形文化遺産に登録することを決めた。

 日本の「和食」の無形文化遺産登録を正式決定する、国連教育・科学・文化機関(ユネスコ)の審査が、4日午後8時過ぎ(日本時間)、アゼルバイジャンの首都バクーで始まった。この日と翌5日の日程で約30件を審査、このうち「和食 日本人の伝統的な食文化」は、ユネスコの補助機関による10月の事前審査で「登録」と勧告されており、登録が確実視されていた。

  無形文化遺産は、世界遺産、記憶遺産と並ぶユネスコの事業の一つで、芸能、社会的慣習、祭礼行事、伝統工芸技術などを保護する。決定すれば、日本の無形文化遺産としては、歌舞伎、能楽などに続く22件目となる。

   「和食」は、日本政府が昨年3月に記載提案書を提出。

正月や田植えなどの年中行事と密接に関係する社会的慣習であること、四季や地理的な多様性による様々な食材の利用や、自然の美しさを表した盛りつけなどの特色があるなどを、説明している。

  「食」がテーマの遺産としては、これまで、「フランスの美食術」、スペインやギリシャなど4か国の「地中海料理」、「メキシコの伝統料理」、トルコの「ケシケキ(麦がゆ)の伝統」の4件が登録されている。韓国の「キムチの漬け込み文化」についても申請があり、冬を前に1年分のキムチを家族や近所の人と助け合い漬け込む韓国人の共同体文化の象徴、一体感を育ててきたとの評価になり2013年無形文化遺産に登録が同時に決定した。

   日本は、京都の精進料理や懐石料理、東京のすし、東北地方の鍋料理など、北海道から沖縄に至る多様性を紹介。さらに、うまみを多く含むダシの使用、みそやしょうゆなど発酵技術、さしみ包丁など独特な調理道具で食材の持ち味を引き出す工夫、葉や竹、器などで食卓を美しくしつらえる表現方法が発達していることを申請理由に挙げ、評価を得た。

 最終更新:12月5日(木)0時6分 読売新聞
posted by Nina at 00:00| 千葉 ☀| Comment(0) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月05日

転送情報です

夏の終わりに、河野太郎氏の講演を聞きにいきました。
一度は実際に話を聞いてみたいと言う方も多いと思い、耳寄りな情報なので当ブログにお知らせしておきます。

-----Original Message-----

 
Sent: Thursday, December 05, 2013 11:09 AM
Subject: 河野太郎氏講演「原発事故の政府の最新状況 −汚染水問題等−」と脱原発をめざす首長会議の報告
 皆さま

 脱原発首長会議が、河野太郎衆議院議員をゲストに迎えての講演会があります。
会の開催自体は城南信用金庫さんが担っているので対象は「取引先」とありますが一般の方も歓迎だそうです。

 河野さんの話は、歯に衣を着せない方で、自民党二世議員であり、ジョージワシントン大に留学など、ユーモアがあって聞きがいがあると思います。 当日は、河野太郎氏講演と脱原発をめざす首長会議の報告もあります
*********************
12月15日(日)13:50〜14:30
場所:品川インターシティーホール(港区港南2-15-4)
定員 500人

【第一部】
13:30 開会あいさつ
    村上達也氏(元茨城県東海村村長)
13:50 講演『原発事故の政府の最新状況―汚染水問題等』
    河野 太郎氏
【第二部】
14:50 ドイツ視察の意義と日本の自治体への提案
16:10 『原発ゼロの社会への道―新しい公論形成のための中間報告』の紹介
     原子力市民委員会
16:40 弊会挨拶 三上元氏(静岡県湖西市長)

お問い合わせ・お申込み
お近くの城南信用金庫各本支店にお願いします。

posted by Nina at 12:52| 千葉 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月04日

歴史が後世に伝わるのか  歴史考2

F.ルーズベルトは、1944年11月7日に先例のない4選を果たした
一年たたないうちに肖像画の制作途中、1945年4月12日の昼食前に脳卒中で死去した。こういう時は、副大統領が大統領になる決まりだ。悪いことに、そのあとに大統領に就任したのはトルーマンだ。その後5月にはドイツが降伏、8月には日本が降伏して第二次世界大戦が終結する目前の死であったが、原爆投下に、待ったをかけていたルーズベルトと違って、トルーマンは積極派だったからだ。


ポリオで下半身麻痺のルーズベルトは日常生活には車椅子を常用していた。
車いすの姿をマスコミに見られるのを非常に嫌ったため、訪問先の植木や立ち木のカムフラージュのための植え替えなどを神経質なまでに指示した。また、マスコミもあえて積極的に報道しなかったため、TV時代の現代では考えられないことだが、ルーズベルトが健康を害していることは米国民にはほとんど知られなかった。実際、彼の車椅子姿の写真は2枚しか知られていない。 

ヤルタ会談においてルーズベルトは、ドイツ降伏後も当分の継続が予想された対日戦を、降伏条件を緩和することなしに早期に終結させるため、スターリンに対し千島列島、南樺太のソ連への割譲を条件にドイツ降伏後3ヶ月以内の対日参戦を要求した。
アメリカ政治史上で唯一4選された大統領でで、像は、米国の10セント銀貨に採用されている。
posted by Nina at 21:21| 千葉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

人生色々、政党も色々

12月3日のYahooニュースに産経新聞に気になる記事があった。日本維新の会がついに「パンドラの箱」を開けたという書き出しだった。

 維新は2日、国会内で両院議員総会を開き、トルコに原発輸出を可能とする原子力協定への対応を協議した。だが、原発を容認する旧太陽の党系と、慎重論が根強い大阪維新の会系の意見が激突し、議論は紛糾。「東西対立」が再燃する格好となった。

 「橋下(徹共同代表)君と原子力について話したが彼は基本的に賛成だ」
 石原慎太郎共同代表がそう語ると、橋下氏ら在阪党幹部に近い馬場伸幸衆院議員がかみついた。

 「両代表が違う方向を向いているのが問題の根底にある。
   橋下代表が賛成しているということはありません!」

 拍手喝采する大阪系議員。平沼赳夫国会議員団代表は「もう一度ゆっくり議論したほうがいい」と大阪系をいなしたが、数の多い大阪系はその場での意思決定を要求。
 決定先送りに対し「反対」の大合唱がわき起こった。結局、5日までに再び総会を開き、賛否を多数決で決めることになった。

 原子力協定は衆院で審議入りしておらず、来年の通常国会への継続審議になる見通しだ。それにもかかわらず、党内対立が先鋭化するようなことをしたのは、「万一、会期内に審議入りした場合、あいまいな対応では、党がバラバラだとの印象を与えてしまう」(党幹部)からだ。

 原発政策をめぐっては、昨年12月の衆院選の際、橋下氏主導で公約とともに作られた政策実例集に「既設の原子炉による発電は2030年代までにフェードアウトする」と明記。

 これに石原氏が「そういう公約は直させる」と反発した経緯がある。

 東西で軋轢が生じた例は数知れず。来年4月の消費税率引き上げに関する党内議論では、旧太陽系が目立つ国会議員団執行部は当初「容認」に傾いていたが、大阪系の猛反発により「安易な消費税増税は容認しがたい」と玉虫色の見解に収まった。

 特定秘密保護法案の対応でも、橋下氏は否定的な見解を示したが、旧太陽系の藤井孝男国会議員団総務会長が主導して与党と修正合意した。

 東と西の対立はもはや抜き差しならない域に達しつつあり、大阪系議員からはこんな声が漏れ出した。
 「旧太陽系が『大阪系は気に入らないから党を出ろ』といわれたら、党を割る覚悟がある」(村上智博)

  先日に、みんなの会の江田氏らが秘密保護法案の議決態度で党の意向に背いたとして、こちらも党幹部の考えに亀裂がはっきりしている。民主はこれらを取り込もう(というのは不適格な表現か)として、勉強会などに参加を呼び掛けている。当面、衆参選挙はないから、ここぞとばかりに動いてはいないが、だからこそ野党のうごきにも注目だ。

posted by Nina at 00:00| 千葉 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月02日

「安倍政権の一年と今後の方向:外交・安全保障戦略」

日米インスティチュートの企画による「安倍政権の一年と今後の方向:外交・安全保障戦略 」と題する講演会のことを友人が教えてくれた。なんと、元駐日大使をされたアマコスト氏もゲストスピーカーで基調講演をされる。そのため、同時通訳(日本語・英語)付き、しかも無料だ。
 
日時:2013年12月12日(木)13時30分〜17時00分(開場:12時45分)
場所;早稲田大学 国際会議場 18号館1階

日米研究インスティテュートは米国NPO法人です。九州大学、京都大学、慶應義塾大学、筑波大学、東京大学、同志社大学、立命館大学、早稲田大学が連携して活動しています。


 今回のシンポジウムでは、政権成立後1年を経過しようとする安倍政権の外交・安全保障戦略を点検・評価する。ついで、民主党政権下で傷ついた日米同盟関係の修復を前提とし、緊張するアジア太平洋地域の国際関係のなかで、今後数年間継続すると思われる安倍政権の外交政策、とくに安全保障政策の方向性、直面するであろう課題、およびそれらへの対応方策を幅広い観点から考えるのが本シンポジウムの目的である。

 

 2012年12月の総選挙で自由民主党が勝利し、公明党との連立政権が復活した。2013年7月の参議院選挙でも、連立与党が大勝し、国会運営でのねじれ現象も解消された。これにより向こう数年間は国政選挙の予定はなく、安倍首相は長期安定政権の実現のための足がかりを得た。一方の米国は、中国など新興国との関係、国内ではシリア問題や会計年度予算執行停止問題などの混乱を露呈させ、国際政治における力の衰退が顕著になっている。 

 安倍首相は、軍事力の急速な拡大を背景とする中国の拡張主義、近隣諸国との歴史認識や領土についての対立が深まる中、TPP参加を契機としてのアジア太平洋地域における新たな経済秩序の確立、さらに外交・安全保障政策を包含した地球儀外交(ユーラシア外交)とも言うべき包括的な外交戦略を展開している。  そこで政界、学界の指導的な論者の参加によって、現状、課題及び今後の方向性を論じる。


  基調講演:マイケル・アマコスト(スタンフォード大学特別上席フェロー/元駐日米国大使)

                小野寺五典(防衛大臣/自由民主党衆議院議員)

 
 パネルディスカッション全体司会:村田晃嗣(同志社大学長)

  パネルディスカッション問題提起:谷内正太郎(内閣官房参与/早稲田大学客員教授)

 


参加費 無料

申込方法:
必要事項を書き込んで、ネット上より申し込みができます。
https://www.us-jpri.org/seminar_j_20131212.html

多数の場合は先着順となります。お早めにお申し込みください。 
  

協力:読売新聞

 

posted by Nina at 18:38| 千葉 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月01日

近代日本の歴史を理解する 歴史考1

来年、1月にハワイの国際学会に参加することになった。今週末の観光学会での発表とだいたい同じテーマで我孫子芸術家村について、話してくる予定だ。どんな反応があるのか、ないのか、期待半分、緊張半分。

12月8日は真珠湾攻撃のあった日にあたる。今もハワイではこの日のことを忘れないと戦艦アリゾナは記念館になって語り継いでいる。ちなみに、戦争回避で攻撃中止の場合の電文は「ツクバヤマハレ」だった。(攻撃命令の暗号は「ニイタカヤマノボレ」)

山本五十六は「悲劇の提督」とも言われている。 不戦平和を求め、最後の最後まで戦争に反対しながら、いざ開戦のご聖断が下るや、連合艦隊司令長官としてハワイ真珠湾奇襲攻撃を成功させ、その2年後、ソロモン諸島で戦死した。

五十六は旧長岡藩士・高野貞吉の6男として生まれる。 風変わりな名前は、父が56歳のときの子供であったことから名づけられた。 猛勉強の末、1901年、難関の海軍兵学校に2番の成績で合格する。1919年、アメリカの駐在武官として渡米。ハーバード大学に入学している。

アメリカの国情、国力を熟知しており、それだけに五十六は最後の最後まで米開戦に反対するのだった。
真珠湾奇襲作戦は大勝利をおさめたが、五十六の戦略としては真珠湾で勝利したあと、すぐに和平交渉に入るというものだったが、戦勝気分に酔った軍部も国民もそれを許さなかった。長引けば負ける…という五十六の読み通りの展開になった。

1924年12月、五十六は霞ヶ浦海軍航空隊に副長として就任するが、厳しい訓練について、隊員たちにこう訓示する。

苦しいこともあるだろう
云い度いこともあるだろう
不満なこともあるだろう
腹の立つこともあるだろう
泣き度いこともあるだろう
これらをじっと古らえてゆくのが修行である

また、五十六はこういうことも言っている。
やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ。
話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。
やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず。


向谷匡史 『「生き地獄」脱出法』東邦出版
posted by Nina at 06:17| 千葉 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
カテゴリ
日記(3300)
ニオュ(0)
歴史(0)
chiba(60)