2013年11月29日
国際日本研究、Discover Abiko!
このごろは色々な外国人が日本文化に関心をもっていることを知る。
ドイツから来て、盆栽職人を目指す青年や和菓子職人を目指す若い女性がいるのは驚きだった。年寄りの趣味と思われている盆栽や、「おもてなし」文化としてのシンボル「茶の湯」の重要なパートナーである和菓子に目を向けて修行するなど、どうやってそれらの特殊な情報をキャッチしてくるのだろうか。しかも、生き残りが難しいと思われる和菓子の修行を熱心にしている若い女性がいると言うのは嬉しい。我が家の近くのひいきにしていた和菓子屋さんはとうとう閉店してしまった。一度、京都に行ってお抹茶をいただきながら、その金魚のお菓子を食べて見たい気がする。
ところで、百年前の我孫子に、ドイツ女性・ユリアさん(夫は医学者・大澤岳太郎)が遊びにきていたそう。布佐の町から見る利根川の情景が気に入って、別荘を持っていたという。地元の子供にオルガンを弾いてあげたり、利根川を見ながら乗馬を楽しんでいたという。私は、294号線の布佐への道をロマンチック街道と名付けてみたいと思っている。なぜなら、布佐の町に住んでいた柳田国男(当時は松岡姓。後に民俗学の祖と言われる)を訪ねて、抒情詩人たちが集まり、若い彼らは恋を語り、文学談義が行われていたのだという。しかも、国男の詩人仲間は、島崎藤村、田山花袋、国木田独歩という、文学史に名を残す人たちだ。彼らは、布佐にやってきて、地方の情景に多くの感化を受けたらしいことが、改めて作品を探すと分かる。どうも、独歩はここで友と語らい、元気を取り戻して、生地の銚子に向かい、『武蔵野』を書いたということだ。しかも、乗馬する外国人のことに触れている箇所があるから、不思議だ。大澤岳太郎と兄・松岡鼎は医学者として友人だったというから、あながち我孫子に来た理由も分かるというものだ。
今まで、知らなかったが、布佐は鮮魚(なま)街道と言われ、各地から多くの物品の集まる集積地として賑わい、高瀬舟(帆掛け船)が日に何艘も行きかう場所だったのだという。我孫子駅から成田線に乗って、週末にふらっと訪ねてみてはどうでしょう。
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