私は、笠間にある茨城県陶芸美術館に行ってきました。その近くの城跡の公園も紅葉がみごとだというので出かけたのでしたが、近代工芸の粋といわれる陶芸作品が並んでいるのをみていたらあっという間に時間がたってしまい、肝心の紅葉は駐車場の真赤に色づいた楓の何本かをみて終わりました。でも、麗かな日よりのなかなかいい一日でした。
そうすると、脳はなぜ、おきたばかりで現象がないのに、「ありがとう」なんだろうと突然認識不能になるのだそうです。
カーテンを開けた瞬間に太陽の光がパーッと差し込んだら、「あー、うれしい。ありがとう」と叫ぶ。 これで1回。
さらに白いご飯に湯気が立っていると、「あー、ご飯がおいしそうだ。ありがとう。
こんなふうに「ありがとう」を言った人は、一日中ずっと「ありがとう探し」をして、脳が「ありがとう」に満ちあふれながら一日を終えられるというのです。
同じように朝起きたときに、「あー幸せ」と理由もなく言ってみまいましょう。
「あー、幸せ」と20回言った瞬間に、「あー、幸せ」に相当する現象を20個探そうとするので、「これも幸せ」「あれも幸せ」ということになる。
「ありがとう」と先に言えば、脳はそれに相当する現象を必死に探し出す。
「ありがとう」だけでなく、「うれしい」、「楽しい」、「ツイてる」、「感謝します」、「しあわせ」という言葉も同じ。
耳が聞こえて幸せ、口で物が食べられて幸せ、鼻で呼吸ができて幸せ…というふうに考えていったら、いくらでも幸せが手に入ります。
反対に、起きたときに「つらい」「悲しい」「苦しい」「つまらない」「嫌だ」と20も積み重ねていったら・・・・。
現象は一緒なのですが、ありとあらゆるものに対して、「つらい」「悲しい」「「つまらない」ということの原因探しが始まるというです。
脳のメカニズムを知って、頭の隅に置いておくとよさそうです。
体もストレッチが必要ですが、脳も楽しくさせるストレッチ、「ありがとう」で、一日の終わりにはお釣りがくるかもしれませんね。
一週間ためしてみて、効果があった方はお知らせください!
そこで脳は、ありがとうの合理的な理由を探しはじめるらしいのです。
そうすると、その日の朝から、目にするものに対して、「ありがとう探し」が始まります。カーテンを開けた瞬間に太陽の光がパーッと差し込んだら、「あー、うれしい。ありがとう」と叫ぶ。 これで1回。
さらに白いご飯に湯気が立っていると、「あー、ご飯がおいしそうだ。ありがとう。
こんなふうに「ありがとう」を言った人は、一日中ずっと「ありがとう探し」をして、脳が「ありがとう」に満ちあふれながら一日を終えられるというのです。
「あー、幸せ」と20回言った瞬間に、「あー、幸せ」に相当する現象を20個探そうとするので、「これも幸せ」「あれも幸せ」ということになる。
「ありがとう」と先に言えば、脳はそれに相当する現象を必死に探し出す。
「ありがとう」だけでなく、「うれしい」、「楽しい」、「ツイてる」、「感謝します」、「しあわせ」という言葉も同じ。
結局のところ、わたしたちが、目の前の現象をどう思うか、どう感じるかであって、「幸せ」という名の現象が宇宙に存在するわけではありません。
だから、普通に歩けることが幸せだと思った人には、幸せが1つ。
目が見えることを幸せだと思った人は、幸せが2つ、手に入る。だから、普通に歩けることが幸せだと思った人には、幸せが1つ。
耳が聞こえて幸せ、口で物が食べられて幸せ、鼻で呼吸ができて幸せ…というふうに考えていったら、いくらでも幸せが手に入ります。
そうすると、脳は、真面目にその合理的な理由を探しはじめるということになる、ということです。
白いご飯や味噌汁が湯気を立てていたりすることにも、「頼んでいないのに、湯気が立っている。俺が起きてから、よそえ」という話になる。現象は一緒なのですが、ありとあらゆるものに対して、「つらい」「悲しい」「「つまらない」ということの原因探しが始まるというです。
体もストレッチが必要ですが、脳も楽しくさせるストレッチ、「ありがとう」で、一日の終わりにはお釣りがくるかもしれませんね。
一週間ためしてみて、効果があった方はお知らせください!
参考:
小林正観 『「そ・わ・か」の法則』サンマーク出版
小林正観 『「そ・わ・か」の法則』サンマーク出版