2013年10月19日
奇跡が起こる時、チームワーク、そして・・・
武蔵野線で奇跡の通勤ラッシュ時のチームワークで線路に落下した女性を助け上げた話が感動を呼んだのは、最近のことだった。
そして、米国でも四年前の秋、パイロットの的確な決断、乗客たちのチームワークで人命が救われた奇跡が起きていた。
ひとりひとりの思いが一つになって、祈りが通じ、不可能が可能になる瞬間、私たちは別の力が私たちを左右しているような気持にもなり感謝をする。 たまたま、TV番組で「ハドソン川の奇跡」として語られた良い話なのでご紹介したい。
USエアウェイズ1549便はラガーディア空港離陸直後、両エンジンの同時バードストライクという両エンジンが停止し、飛行高度の維持が出来なくなった。副操縦士らは、事態の改善に努力したがエンジンは再始動しなかった。
近隣のティーターボロ空港への着陸も「高度は低すぎ、速度も遅すぎる」と判断。市街地が周囲に広がる両空港を目指すのは「失敗すれば大惨事になる」と考え、ハドソン川への不時着しか手段が無いと判断した。機長のチェズレイ・サレンバーガーは操縦を副操縦士から自分に交代すると、乗客には「衝撃に備えて下さい」と伝える時間しかなかった。
低高度で侵入する際にレーダーから消えてしまうため、空港管制は周囲の航空機へ1549便の目視チェックを要請し、近くにひこうしていた観光ヘリ2機が支援に応じた。不時着まで数分の出来事のため客室に詳細を伝える猶予はなかったが、アテンダントらは事情を察して客に最善の指示をした。自分の命を含めて乗客155人、そして市街地であれば膨大な数の人命が失われる可能性。エンジン停止から着水まで、わずか3分ほどで、最善の危機回避策を選択する。
その後、民間旅客機史上初のフォワードスリップにより急降下しつつ失速を避け、ジョージワシントンブリッジをぎりぎりで回避しながら高度上げで減速し、異常発生から約3分後、1549便はニューヨーク市マンハッタン区とニュージャージー州ホーボーケン市の間に流れるハドソン川へ時速270kmほどで滑走路着陸時と同様の滑るような着水をした。
不時着水決定後に高度を下げる経路を必要としたため旋回(進行方向反転)したが、このことで着水進入方向と川の流れが一致したことにより極僅かであるが機体の衝撃は抑えられた。機体の姿勢も水面に対し水平に近かったため片側主翼着水による機体分解も避けられた。両翼が均衡を保ちスムーズな着水により機体損傷は尻餅による後部壁下部の一部だけで、乗客ら全員が迅速に機内から脱出シューター(着水時には救命ボートになる構造)および両主翼に避難することが可能となった。
川へ着水させて市街地への墜落を防ぐことも考え、その際に目視で船着き場がある場所を選んだ。真冬であり、救助が早急に行われることを期待してのことである。実際にすぐに周囲の通勤フェリーが次々に救助にやってきた。その際、低体温に陥りやすい子供と女性の救助が優先された。それに反対する者は、一人もいなかった。後まもなく浸水が始まっていた機体後方のドアを開けないという非常事態に、全員が協力的に冷静に対処した。機長とアテンダントらは決められた手順に沿い、最終的には不時着水後の機体内を見回りのため、浸水が始まっていた機体後方まで機内に残っている乗客がいないか2度確認に向かっている。その後、乗員乗客全員が脱出したのを確認してから自身も脱出する、その際に機内の毛布や救命胴衣をを回収しつつ客に配る等、手順通り冷静に事態の対処にあたった。
事故当時は真冬であり、氷点下6度の気温・水温2度の中で着水・浸水した為、乗客は無事着水した安堵もつかの間、すぐさま客室内への冷水浸水でずぶ濡れになり、機体沈没の恐怖にさいなまれつつ、着水衝撃で停電し真っ暗の中を屋外へ緊急脱出した。身を切るような寒さに晒されることとなった。事故機は着水から約1時間後に水没した。(その後、機体は17日深夜に引き上げられ、調査に回され、現在は奇跡の事故機としてカロライナズ航空博物館で公開展示)
回収されたフライト・データ・レコーダーの解析では、右エンジンはフレーム・アウトしたが、左エンジンは完全には失火せず、このため飛行速度が低かったものの、付随するオルタネーターが幸いにも操縦等に必要な電力を賄う程度の回転数を保っていたことが確認された。
当該機の不時着水後、着水地点が機長の判断通りに水上タクシーや観光船、マンハッタン島とニュージャージーを結ぶ水上バスのマンハッタン側の発着場に近く、またニューヨーク市消防局やアメリカ沿岸警備隊の警戒船や消防艇が停泊する港に近かったことも幸いした。
偶然付近を航行していた通勤フェリーを操舵していたヴィンセント=ロンバーティが着水4分20秒後に現場に到着、即座に救助にあたり、後を追うように水上タクシーと沿岸警備隊や消防の船が救助活動にあたった。船内の捜索のための潜水要員も警察からヘリコプターで向かってダイブしている。また、ニュージャージー側からも救助の船が駆けつけた。ニューヨークの中心部であるマンハッタン島に近く、迅速に活動できる船舶が多かったことも、機体が沈んでしまう前に乗員乗客を避難させることができたことにつながった。
事故の原因はエンジンに複数のカナダガンが飛び込んだことである。この機体のエンジンは約2キロの鳥の衝撃に対応した設計だったものの、吸い込んだ「カナダガチョウ」は飛び込んだのは成長した大型のもので、それが複数飛び込んでいた。これにより、エンジン内部のコンプレッサー部分が致命的なダメージを受けたため、エンジンを再起動できなかった。
エンジンが停止後、即座にQRH(クイック・リファレンス・ハンドブック)を開き、エンジン停止時の対処を始めたが、このチェックリストはとても長く、全項目を完読するには時間が足りなかった。しかも、緊急着水の項目は最後のページに書かれていたため、同機に搭載されていた浸水を防ぐための与圧用リリーフバルブを強制的に閉じるスイッチが押されることはなかった。
この事故ではエンジンが致命的なダメージを受けたが、機長は即座にAPUを起動した。 そのため飛行制御コンピューターがパイロットの操作を補助することにより失速を回避できた。
このサレンバーガー機長は、事故の5日後に行われたオバマ大統領の就任式にも招待された。
2009年10月1日、サレンバーガー機長は事故を起こした1549便と同じ路線で操縦士として復帰した。
機長の復帰フライトでは事故当日と同じスカイルズが副操縦士を務め、事故機の乗客のうち4名が搭乗した。サレンバーガー機長が機内アナウンスで自己紹介を行うと、客室内では拍手と歓声がわき起こった。
飛行ルートやハドソン川の状況、エアバスA320の機体の大きさを考えると、子どもを含めて155人の死者も出さなかったことは、奇跡といえる。1982年、同じ季節にポトマック川の悲劇という墜落事故で、事故発生現場はハドソン川からそれほど離れていない場所で、ほとんどが亡くなったことがあった。わずかな生存者は、救援が来るまでに凍てつく氷の上で待たなくてはならず、ヘリが救命具を下した時には女性はそれを自身の手を延ばす力もなくなっていた。一人だけ助かった男性がヘリが来るたびに女性の体に救命具を結び付けて、先に送り、最後の救命機が来た時には男性は死亡していた。結果、客室乗務員1人と乗客4人が救助された。なお、この事故をきっかけにエア・フロリダの経営は悪化し、2年後には倒産してしまった。
サレンバーガー機長は様々な表彰を受け、2010年3月3日、30年間にわたる現役パイロットとしての乗務を終えた。
不幸も起きるが、普通、人は自分にはそうしたことは起きないと思っているから生きられる。災害、事故ばかり怖れていたら何もできない。
もし何かおきたらその時に最善の方法を考えて、諦めないで頑張りぬくことだけだろう。人生は、半分運でできているらしい。
つまりは、癌も二人に一人はかかる時代だと言われるのだから、ストレスを貯めないように楽しく明日を考えよう。
出典:『スクープ映像100科ジテン』(テレビ朝日系・2013年7月16日放送)