2013年10月13日
複合の美の思想を学ぶ
日清戦争により日本が清に勝利し、下関条約にて清の冊封体制からの李氏朝鮮の独立を認めさせ、これによって250年もの中国との隷属関係から独立ができたというのが一つの朝鮮の歴史でした。
これにより李氏朝鮮は清の支配から解放され、自主独立国家として歩みだすことになり、その記念として清への服属の象徴の一つであった迎恩門を壊し、そのすぐ隣にソウルの郊外にある独立門が建設されたということです。しかしながら、どうも一般の韓国の人はその後に日本が植民地政策によって36年ほどの支配関係の印象が色濃くあり、日本からの独立のモニュメントとして受け取っている人も多いらしいのです。
2005年には韓国内で日韓基本条約で得た請求権資金を個人補償にほとんどまわさず国内投資に使って発展の基礎を作った事が公開された際も、それにより経済発展を促した朴正煕政権の判断を「貧困脱出・国家再建のための不可避な選択」という評価と、「クーデターで執権した軍事政権が徹底できなかった過去の整理」、植民地支配の完全清算を捨てた「屈辱外交」とする声が錯綜していたとも言われて、国民感情一般として清算されるようにはなってていないようなのです。
そういう事情を日本はきちんと踏まえて根気強く関係の回復を待つことだろうかと思います。柳宗悦の思想研究として新しい境地を開いた中見真理の「柳宗悦 複合の美の思想」も注目されて出版されたところです。