2013年10月05日

我孫子のゆかりの女性たちはなぜ無視されるのか?

来月3日は文化の日、その一か月前の3日にけやきプラザで、ふれあい塾あびこ特選公開講座がもようされた。
「坂西志保をはじめとする我孫子ゆかりの女流文士たち」というタイトルで、我孫子の文化を守る会の副会長・越岡れい子さんがお話しをされた。ぎっしりの聴講席で熱心に聞く人々は、昼間の10時〜1時間半熱心に耳を傾けて、初めて聞く我孫子に縁の深い著名な女性人の当地での活動を知って、感嘆した。しかし、武者小路実篤が1年いても写真入りで紹介されているのに、我孫子を通る常磐線の電化が遅れていることで転落事故にも繋がったとしって、GHQにかけ合ったり、全国でも先駆け的なPTA運動を実践したということまで熱心にした2年間もの期間を我孫子にいた著述家でもあった坂西志保ですら、知らせる姿勢がないままなのはいかがなものでしょうか。深田久弥の妻で児童文学者として名のある女性であった、北畠八穂は3年居住の後に我孫子をさるまで山樹荘(柳宗悦の居宅であった)に住んでいたそうです。人気の美人女優・岡田嘉子がロシアへの恋の逃避行を決行する以前の昭和25年、我孫子(白山)には撮影所があって、我孫子に住まいながら撮影所と行き来していたというのでした。

我孫子ゆかりの人として、柳宗悦は、我孫子駅南口の駅前にあるパネルにもその名前を顔がきちんと掲載されているのですが、ところが、夫人の兼子については、「有名な声楽家」と最後に一行触れられているだけで、群衆写真の中に映っているにも関わらず、その中のどの人なのかは、説明もされずに分からないのです。(ちなみに犬の頭をなでている女性の左隣) 白樺美術館、民芸運動が成就するために、兼子夫人の音楽活動は多くの寄附を集められる重要な位置付けであり、柳宗悦の活動に包括してしまうだけではあまりに惜しい。その志の高さ、意思の強さ、諦めずに貫くことにかけては夫以上であったというころからも、至高の藝術へと到達した偉業を妻としてだけでなく、もっと敬意を払うべきではないでしょうか。

女性が社会の中で活動することがより一層求められる時代です。こうした過去の女性たちをしっかりと顕彰もすべきでしょう。


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posted by Nina at 04:27| 千葉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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