柳宗悦は民藝運動の一環として、各地にある工芸の調査をしています。さらに進めて木喰仏の調査にも手を染めるようになっていきました。それは、我孫子を離れたあたりからでしたが、柳宗悦・兼子夫妻の活動については、なるべく多くの調査をしておこうと考えています。(非常に、興味深い歴史探索でもありますので、ご一緒にお奨めしたいです)ひいては、我孫子のまちのことも良くわかってくるのではと考えます。
さて、日本各地に仏像を残した遊行僧としては、木喰より1世紀ほど前の時代に活動した円空がよく知られているそうです。円空の仏像は荒削りで野性的な作風だが、木喰上人が全国を遊行して、残した仏像は微笑を浮かべた温和なものが多いのも特色と言われます。
木喰上人の作が確認できる最初期の仏像は1778年(安永7年)、61歳の時、蝦夷地(北海道南部)で制作したものだといわれます。全国行脚の間、佐渡島に4年間、日向(宮崎県)に7年間留まったのを例外として、1つの土地に長く留まることなく、全国を歴遍しました。 仏像彫刻家としての木喰のスタートは61歳であり、30年後の91歳の時まで制作を続けていたことが、遺品から確認できるわけです。
仏像づくりを61歳からはじめて91歳まで木像仏つくりを続けられたという事です。驚くべき、生涯現役のお手本のような人で、亡くなられたのは93歳になってで、初めに木食戒を受けた常陸のお寺だと言われています。先月は益子の参考館で、木喰仏像をみました。今回、長野での調査は、松本、小布施をまわりましたが、直接民藝と繋がるものは見つけられませんでしたが、別なる収穫があり、良かったと思いました。